10<夏の夜と、ちょっぴり虚無感>
祭り囃子の軽快な太鼓の音が、少し離れた所から聞こえる。一定のリズムがお腹に響いて心地いい。
神社の広い敷地内にはずらりと出店が並んでいて、その数だけたくさんの香りが立ちこめている。
その傍らを歩く色とりどりの浴衣の女子たちの笑い声は、高くて、ささやかで、ふわふわしていて、なんだかよそ行き用みたい。
道なりに吊るされたいくつもの提灯の光も幻想的で、お祭りの夜はまるで別世界に来たような気持ちになる。
美里のおまじないの効果は絶大だった。
隣の七緒をだんご虫だと思いこんだ瞬間、今までの妙な緊張がみるみる解け、肩の力を抜くことができたのだ。
「あー、すっごいお腹すいた。七緒、なんか食べよう!」
「なんだよ、感情が安定しない奴だな……」
隣の七緒が呆れたように私を見る。まぁ、彼の反応も当然といえば当然だ。さっきまで挙動不審に謝罪を繰り返していた私が、数分後にはもう恥じらい皆無で食い意地を発揮しているのだから。
だけどそんなこと気にしてもう一度もじもじするつもりもない。おまじないが効いた今、この夏祭りを思い切り楽しもうという気持ちが私の心を占めていた。
「だって朝からメロンパンしか食べてないんだもん。ねぇ、山上が手伝ってる出店行こうよ。焼きそば食べたい」
「あぁ。じゃ、店探すか」
ずらりと並ぶ屋台は、今ちょっと見ただけでも相当な数がある。更に、いよいよ暗くなり始めてお祭り本番といった感じの今、人混みもなかなかのもので、この中から山上の焼きそば屋台を探すのは決して楽な作業ではないだろう。
だけど私は全く苦には感じなかった。夏祭りの夜の幻想的な雰囲気はやっぱり素敵だし、そんな中こうして七緒と2人きりで過ごせるなんて、片思い中の身としてはとても贅沢なことだと思うから。
ただ、美里が言っていた『手つなぎ作戦』だけはどうしても実行できそうにない。
確かにこの人混みの中、うっかり気を抜いたらはぐれてしまいそうではあるけど──隣を歩く七緒ののん気な顔を見ていると、とてもじゃないけど勇気を振り絞って手を取る気にはなれないのだ。
それにしても、ずらりと並ぶたくさんの出店はどれも本当に魅力的に見える。
カラフルなかき氷、つやつや光る林檎飴、焦げたソースの匂いがたまらないお好み焼き、見るからに柔らかそうな綿飴……。焼きそばを目指して歩いている最中でも、つい目移りしてしまいそうになる。
中でも私が心奪われたのは、割り箸で刺された透明な水飴の中に、人工着色料感たっぷりのビビットピンクなうさぎの飴細工が入っているものだ。
食べやすさや健康は一切無視、見た目の可愛さだけを追求した一品。その潔さとラブリーさが素敵だ。
私はついつい足を止め、見入ってしまう。
「おっ。浴衣のべっぴんさん、いらっしゃい」
屋台の奥に座る、つるりと禿げた頭のおじさんが私に向かって言った。
「べ、べっぴんっ?」
サービストークだとわかっているのに動揺する。だって、普段あまりにも言われ慣れていない類の言葉なんだもの。
いかにも商売上手、といった感じのおじさんは、イキの良い笑顔で続ける。
「おう、べっぴんもべっぴん、特上のべっぴんさんだ!特別大サービス、今なら50円引きしてあげるよ」
「わぁ、やった」
いくらお世辞でもそこまで言われると当然悪い気はしない。
飴は文句なしに可愛いし、安いし。
「ねぇ、七緒。せっかくだから……」
私はニヤけながら、後ろの七緒を振り返った。
ふわふわとした良い気分の中、彼が飴の購入に同意してくれるであろうことを期待して────。
「──って、いねェし!」
図らずも大絶叫。
てっきり後ろにいるものと思っていた七緒の姿は、どこにもなかったのだ。
衝撃、混乱、そして絶望。まさか待ち合わせから10分足らずで早速はぐれてしまうなんて。確かにこの人混みの中、何も言わずに足を止めた私も悪いけど……。
「……どんだけぇ。マジであいつ、どんだけだよ」
何がどう『どんだけ』なのかは自分でもよくわからないけど、とにかく何やら強い憤りと空しさを感じ、私は独り呟いた。
おじさんに必ず後で買いに来ることを約束して、私は人混みの中を歩き出す。
まだそんなに離れてはいないはず。早く合流しなくちゃ。
こういうとき、携帯電話を持っていない七緒のアナログ加減が恨めしい。
しばらく歩き回ったところで、
「杉崎!」
耳慣れた声が私を呼んだ。
声のした方を振り向くと、そこにはなぜか粋な法被を着こなした山上がいた。
彼はパァッと明るい笑顔で、私を見つめた。そして両手に銀のヘラを持ったまま、つかつかと私の元へ歩み寄る。
「うわー! 杉崎浴衣! 可愛い可愛い超可愛いんですけどみたいな!」
「山上……ギャルみたいな口調になってるけど」
「ハハハ! わりぃ、つい興奮して」
そう言って笑う山上の肩の向こうには、美味しそうな香りが漂う焼きそばの屋台。中で賑やかに働く数名の男性たちは、みんな山上と同じようにガタイが良く、揃いの法被を着ている。
七緒を探し歩くうちに当初の目的地だった屋台にひとり辿り着いてしまうなんて、人生って順序良くいかないものだ。
山上は目を輝かせたまま、豪快な笑顔で私の肩をバシバシと叩いた(もちろん、その時点で銀のヘラは他の仲間に明け渡していた。そんなものでバシバシやられても、私、焼きそばやお好み焼きじゃないから美味しくならない)。
「でもほんと、可愛いな! 杉崎、浴衣似合うんだなー」
「……いやいや、そんな……」
「謙遜すンなって! 最強に可愛いから自信持て! 良いもん見れた! 幸せだ!」
「ど、どうも……」
ちょっと、かなり、褒めすぎだと思う。すごいな浴衣マジック。
またしても慣れない居心地の悪さを感じ、私はぎこちなく頭を下げた。
顔が赤くなっていないことを祈る。恥ずかしい。
だけど、山上も飴屋台のおっちゃんでさえ(お世辞でも)褒めてくれるのに、一番「可愛い」と言われたい人には何も言ってもらえていない。
というかこんな、会ってしょっぱな離れ離れだなんて。
なんだかなぁ。
人生って、やっぱり上手くいかないよなぁ。
──と、弱冠14歳と8ヶ月にしてこの世の無情を噛み締めてしまう私だった。
一か月ほどの更新停止から帰ってまいりました。またよろしくお願いします。