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8<お姫様部屋と、相合傘>

 ドアを開けてすぐの場所に、薄桃色の大きなドレッサー。鏡の前には綺麗なビンが並べられている。

 その横には細々とした小物がきちんと整理された、カラフルで可愛い箱たち。

 他にもぬいぐるみやアクセサリーボックス、お菓子の形のキャンドルなどがお行儀よく飾られていて。


 もう、いるだけでうっとりお姫様気分、いかにも女の子の個室!

 美里の部屋は、そういう場所だった。


 今、私はそんな素敵なお部屋で、紅茶をいただいている。「お中元でフルーツをたくさんもらったから、うちのママがクラフティ作ったの。よかったら心都、食べにこない?」とお呼ばれをしたのだ。

 こんな優雅で素敵な日曜日、きっと美里の部屋でなければなかなか過ごせない。



「夏祭りの焼きそばって、青のり入ってるかな……」

 お皿の上でつやつやと宝石のように輝くダークチェリーをを見つめ、私は言った。

 美里は紅茶をひとくち飲み、私を見つめる。

「そりゃ、大概の焼きそばには入ってるんじゃない」

「そうだよね……」

「何よ急に」

 私はクラフティをフォークですくいながら、思わずため息をつく。

「七緒と夏祭りで焼きそば食べたときに、歯に青のり付かないようにしなきゃなーと思うと今から心配で……」

「あら、のろけが出るなんて上等ね」

 と、からかうように美里。

 のろけじゃないんだけどな。

 そう言いたかったけど、その前に口いっぱいクラフティを頬張ってしまったから、私は黙って首を横に振った。

「のろけじゃなかったら何なのよー。ん?」

 美里がグッと目を細め笑う。私がやったら確実に「ニヤニヤ」になるこの笑い方も、彼女の場合は何やら言いようのない色気が漂っている感じがするから不思議だ。


 私は口の中のものを全部飲み込んで、ようやく声を発した。

「違うってば。……確かにこないだ誘ってもらったときは、もう飛び上がっちゃうくらいに嬉しかったけど。だからこそヘマしたくないなーと思って」

 あいにくというべきか、山上との約束によって、当日焼きそばを食べることは既に決定している。

 もしも夏の夜の幻想的な雰囲気のおかげで奇跡的に七緒とロマンチックなムードになれたとしても、私がニッと笑った瞬間前歯に青のりを付けていたら、何もかもが台無しだ。

 どうやら美里も同じような場面を想像したらしい。少し悲しげな顔で私を見た。

「鏡持ってきなさいね」

「うん」

 乙女の日常における必需品、小さな手鏡。多分学校で全女子生徒の鞄をひっくり返したら、ほぼ全員の持ち物から発見出来るだろう。

 だけど私は普段、滅多にそれを持ち歩いていない。そんなに頻繁に自分の顔をチェックする習慣もないし、たまに何か気になることがあったらトイレの鏡や教室のガラス窓なんかで事足りる。情けないことだけど、やはりここにも私の女子力の低さが表れてしまっているのだ。

 とにかく夏祭りの日は、命に代えてもこれだけは忘れないようにしよう。私は固く決意した。


「そういえば心都、こないだストパーかけたいって言ってたけどあれどうなったの? 相変わらず梅雨の湿気に弄ばれヘアーだけど」

「うん……ストパー代にしようと思ってたお金使っちゃったから、まだ当分かけられそうにないや」

「えー、何買ったの?」

 美里が身を乗り出す。そんなに期待されると、少し発表しづらい。

「笑わない?」

「笑わないわよ」

「……浴衣(ゆかた)

「わぁ、心都も結構かわいいとこあるのね」

 どういう意味だろう?

 つっこみたいところだけど、その気持ちをぐっと抑えて私は俯いた。それ以上に、なんだか照れくさいのだ。

 七緒が夏祭りに誘ってくれたあの日、私はその足で早速浴衣を買いに行った。浮かれてるよなぁ、と自分でも思う。

 浴衣を着ればあっと言う間に美女に大変身、七緒も私にメロメロ、両思い! ──なんて都合の良すぎる妄想は、さすがに最近はしていない(浴衣を買った帰り道は、正直、したけど)。

 だけど、馬子にも衣装っていう素敵な言葉もあるし。夏祭りの日、七緒の目から私が少しでも可愛く見えたらいいなーなんて、淡い期待を抱いてしまう。


「でも心都、浴衣ちゃんと着られるの?」

「うん、着たことないけど、てきとーに本かなんか見ながらやれば大丈夫でしょ、多分」

「何言ってんのよ。あれ着るのって結構難しいのよ」

「え、浴衣って胸の前で布を交差させて終わりじゃないの?」

 美里が重い重い溜息を吐いた。

 どうやら私、大きな誤解をしていたらしい。

 フリフリごってりドレス系の服を好む母親の元に生まれたせいか、私は今まで浴衣に馴染みのない人生を送ってきた。それゆえに、正しい着方やその難しさなんかも全く知らないのだ。

「わかったわ。夏祭り当日、七緒くんとの待ち合わせ前に私の家に来なさいよ」

 紅茶を飲み干した美里が、頼もしい口調で言う。

「えっ、いいの? ……っていうか美里、浴衣の着付けできるの?」

「うん。小さい頃から親に教わってたから、中学上がる頃には自分で着てたわよ」

「さすがー! ありがとう!」

 やっぱり持つべきものは大親友。私は感激して美里の両手を取ろうとした──のだが、すんでのところで止めた。

 彼女の瞳がこれ以上ないくらいに輝き、怪しい光を放っていたからだ。これはもう完全に、スイッチが入っちゃったときの顔だ。

「心都のおめかし、たっぷり手伝ってあげるわ。あとは作戦会議ね。『夏の夜、浴衣に金魚に恋花火大作戦』! キーワードは『人混み』『手つなぎ』『他校の不良登場』『大立ち回り』『2人で1つのかき氷』『来年の夏は恋人としてあなたの隣で花火を』etc……」

 そのワードを聞いただけで作戦内容に察しがつく。

 そして申し訳ないことに、私は現段階でそのうちの1つも実行できる気がしないのだった。











  * * * * *











 大粒の雨が降り注いで、まるでそこら中に薄いカーテンをかけたように、辺りの景色がぼやけて見える。

 ざぁざぁと激しい雨音が耳につく。

 梅雨って植物にとっては天国なんだろうけど、この季節を嫌う日本人は多い。特に私みたいに、天気予報をチェックし忘れて傘を持たずに学校に行った人間は、無情にも午後から降り出した雨に、白旗をあげるしかないのだ。

「うぅ、さいあく」

 私は公園の滑り台の下、ひとり呟いた。

 通称『かまくら』と呼ばれるその滑り台は、全体を支えるホネホネした柱がなくて、かまくらのような丸みのあるドーム形をしている。その中は空洞になっていて、私も小さい頃はよくここで秘密基地ごっこを楽しんだものだ。

 だけど今の私にとって、もうこのかまくらは遊び場ではない。ありがたい雨宿りの場所なのだ。

 濡れてしまった制服のスカートを両手で絞ってみると、結構な量の水が出る。

 あーぁ、最悪……、と今度は声に出さずに呟いた。

 今日、部活を終えた下校時にはすでに雨が降っていた。途中までは料理部仲間の傘に入れてもらっていたけど、もちろんさすがに家までついてきてもらうわけにはいかない。幸いそのときまでは雨もまだ小降りだった。だから、傘がなくとも小走りで帰ればなんとかいけると思ったのだ。

 しかし1人になってしばらく経つと、雨はそれまでとは比べ物にならないくらいの土砂降りに変わった。

 だから近くの公園に飛び込み、ここで雨宿りをする羽目になっているのだ。

 かまくらの中は暗くて狭い。

 幼い頃は2、3人が中に入って遊んでも余裕だったのに。なんだかちょっとノスタルジーを感じてしまう。

 だけど物思いに耽ろうにも、じっとり湿った制服のシャツや髪から垂れる滴が鬱陶しくてしょうがない。

 雨は多いし髪は湿気でハネるし(もっとも今はびしょびしょでハネなんか関係なくなっているけど)、やっぱり梅雨、嫌いだ。


「妖怪?」

 顔を上げると、かまくらの前には傘を差した七緒がいた。濡れ鼠の私を驚いた顔で見つめている。

 私は七緒を睨みつけた。

「ひど……。もっと他に言いようがあるでしょ? 水も滴るなんとやら、とか」

「こんな土砂降りの暗い公園でずぶ濡れの人影が見えたら、そりゃ妖怪か幽霊だと思うだろ」

 まったくもってデリカシーのない奴だ。もう一度睨みつけてやろうと思ったら、前髪からの滴が目に入ってうまくキマらなかった。

 まぁ入れば? と七緒が傘を差しだす。

「いいの?」

「化けて出られても困るし」

 七緒の憎まれ口にも、もう睨みをきかす気にはならなかった。

 相合い傘! なんておいしい展開だろう。

 私は先程までの憂いも忘れ、心の中でガッツポーズを決めた。

 雨大好き!

 梅雨最高!


 1本の傘に2人でおさまって歩きながら、私は頬が弛むのを必死で抑える。

 そんなことはつゆ知らず、七緒はのんきに空を見上げた。

「雨、続くなー。毎日こうだとちょっと滅入るよな」

「うん。梅雨明け、例年通りだとあと2週間後くらいだね」

「夏祭りの日は雨降らないといいよな」

 何とはなしに七緒が言う。だけど私はその言葉がジーンと響いて、人知れず心を震わせていた。恋する乙女にとって、「雨降らないといいよな」を「お前とのデートが今から楽しみでいてもたってもいられないぜ!」に脳内変換することなんて容易い作業なのだ。

 七緒の頭の片隅にでも、私とのお出かけの予定が忘れずメモされていることが嬉しい。

 少しは楽しみにしてくれているってことなのかな。

 嬉しさに彼の顔を見上げ、

「……」

 その瞬間、気付いた。

 七緒、またちょっと背が伸びたみたいだ。

 こうして同じ傘の中で至近距離にいて、はっきりと実感する。

 今までだったら隣の七緒に対して「見上げる」なんて表現は、絶対になかった。

 それが今は、ある程度あごを持ち上げなくては彼の横顔をきちんと見ることができない。7、8センチは差が開いてしまったように思う。

 ──なんか、変な感じ。


 私の執拗な視線を感じたのか、七緒が訝しげにこっちを向いた。

「何?」

 目と目がばっちり合い、少しまごつく。

「いや、なんでも……。そ、そういえば! 七緒、夏休みも部活忙しいの?」

 歯切れの悪さを誤魔化すために、部活の話を振る。

 ちょっと苦しかったかなぁと思ったけど、七緒はあっさり話題転換に応じてくれた。

「まぁな。8月に大会あるから。どこまでいけるかわからないけど、一応それが中学最後の大会になるかな」

「引退試合ってこと?」

「そう」

「えーっ、超重要じゃん! また見に行っていい?」

「うん、それは有り難いんだけど……勝負の夏休みなのに受験勉強は大丈夫なわけ?」

「その日のために前の日頑張る!」

 鼻息荒く頷く。

 だって、今まで努力してきた七緒の中学校生活の集大成ともいえる大会だ。これを応援に行けなかったらきっと私は一生後悔するだろう。雪が降っても(夏だけど)、槍が降っても、何が何でも這ってでも行く。

 そっか、と七緒が笑って答えた。


 相変わらず雨はざぁざぁと降り続いている。学校指定の運動靴がびしょ濡れで、靴下にまで浸水してきた。

 だけどさっきまでは鬱陶しいことこの上なかった雨音も、体にまとわりつく水分も、今は全く不快には思わない。

 むしろ、雨粒が地面に当たる音が小気味いい音楽にさえ聞こえてきて、心が弾む。

 お手軽な奴だな、私って。

 我ながらちょっと呆れた。




「……あのさ、心都」

 少しトーンを落としたような、七緒の声。

 隣を見やると、さっきまでとは違う、真面目な顔をしている。

「何?」

「……うん。──俺……」

 彼の言葉を遮ったのは──激しすぎる水音だった。

 後ろからやってきた自動車が、私たちを追い抜きざま、思い切り水たまりを通過したのだ。

 ばしゃっ、という派手な水しぶきが上がり、車道側を歩いていた七緒は当然、甚大な被害を被った。

「……」

 全身ずぶ濡れ、髪を額に張り付かせた七緒は呆然とその場に立ち尽くした。

「あははははは! 妖怪! 妖怪濡れ鼠!」

 突きつけられた私の人差し指を、七緒がバシリと払う。

「なんだよ、笑ってんなよ! もっと他に、いたわりの言葉とかあるだろ!」

「ハァー? さっきの言葉そのままそっくりお返ししただけですけどー」

「くっ……」

 悔しさに打ち震える七緒。その姿をもう一度指差して笑っている間に、私の家の前に到着した。

「あー、面白かった」

「俺は面白くないけど」

「そういえばさっき言いかけてたこと、何?」

 私が見上げると、七緒は一瞬、少しひるんだような顔をした。

 なんだその反応。私、そんなに妖怪チックな風貌だっただろうか。

「……いや、また今度でいいや。お互い一刻も早く着替えた方がいいと思うし」

 確かに彼の言うとおりだ。傘を差してきたことが全く無意味なくらい、お互い全身濡れそぼっている。

 すごく気になるけど、まぁ、しょうがないか。

「わかった。じゃあね。傘入れてくれてありがとう」

「あぁ。……んじゃ」

 七緒の背中が豆粒ほどになるまで見送る。

 本当に、何を言おうとしていたんだろう。

 まさかまさか、彼から私に愛の告白? と夢見る乙女モードに突入したかったけど、今回はちょっと無理だった。

 だって、七緒があんなふうに言葉を濁すときって、たいていが私にとってあんまりよくない報告だから────


「ぶぇっくしょい!」

 思ったより豪快なくしゃみが出た。

 あぁ、駄目。大風邪ひいて夏祭り欠席なんてシャレにならない。

 とにかく今は、仮定の話に杞憂するより目の前の問題を片付けよう。

 私は雨に濡れた服を着替えるべく、さっさと家に引っ込んだ。











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