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6<切り札と、危ない放課後>

 決心通り、帰宅後の私が最初にとった行動は、シャワーを浴びることだった。そして今日のやるせない出来事を思い返し、おいおい泣きながら髪を乾かした。

 きちんとブローして、縮れ麺みたいだった頭を元に戻したところで、自室へ向かう。

 次の目的はひとつ。

 私は貯金箱をひっくり返した。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……」

 数えてみると、半年前のお年玉を少し残しておいたおかげで、そこそこの額があった。

 これだけあれば。

「……ストパーかけられるかも」

 ストパー。それはつまりストレートパーマのことで、飛んだり跳ねたりまとまらない髪の毛をまっすぐ伸ばすことができる、魔法のような技術なのだ。

 ボサボサヘアに悩む私が今までこれに頼らなかったのには理由がある。

 ストパーはかけたあとの髪の手入れがそれなりに大変で、下手したら傷んでパサパサになってしまう。つまり、上手くいけば真っ直ぐで綺麗な髪の毛が手に入るけれど、一歩間違えばボサボサよりも修復の難しいダメージヘアまっしぐら。

 いわばストパーは、ボサボサ女子の最後の切り札だ。

 私はそれに手を出そうとしていた。


 というのも、今日の「ちりちり頭なでなで事件〜私とクロを重ねないで〜」は私に結構なダメージを与えていた。こんなふうに髪型のキマり具合で一喜一憂するのも、若干疲れてきた。しかも、そろそろ季節は梅雨だ。湿気の多い雨の日はより一層髪をまとまりにくくさせる。このままでは、きっと今年の梅雨は例年以上にイライラした気持ちで過ごすことになるだろう。

 それもいっそひと思いにストパーでまっすぐにさせてしまえば、万事解決。

 サラサラヘアを手に入れれば、七緒の前でももう少し女の子らしくなれるかもしれない。でもって、女の子らしくなれれば、幼馴染みポジションからも脱却、とんとん拍子で恋が上手くいくかもしれない。でもってでもって、七緒に(今度はちゃんと恋人として)頭をなでてもらえる日も近いかもしれない。

 次から次へと妄想が広がり、

「ふへへ」

 にやけた。


 パーマ後のケアが上手くできるかという懸念はある。明確な値段もわからない。

 だけど、テンションが高まってきた私はもういてもたってもいられなかった。

 とりあえず美容室まで行ってみることにしよう。値段を見て、美容師の人に施術後の傷みの程度や手入れの難しさなんかも尋ねて、それから決めよう。

「よし!」

 思い立ったが吉日。私は全財産を財布に突っ込み、家を飛び出した。













 近所の公園の前を通りがかったとき、見慣れた姿が視界に入ってきた。

 七緒だ。

 明らかに部活帰りのジャージ姿である彼は夕暮れの公園のベンチに座り、じっと前を向いていた。

「……何してんだろ?」

 入り口にいる私に気付く様子もなく、園内にある背の高い時計台にときたま目をやり、時間を確認している。

 なんだか誰かと待ち合わせをしているように見える。でも、こんな時間から一体誰と……?

 と、ここまで考えたところで、私の脳裏にある人物が浮かびあがった。


 ──まさか、子リスちゃん?

 くるくるふわふわな子リスちゃんと、わずかな空き時間を惜しんで放課後デートの待ち合わせ?


 そういえば七緒は今日、私に「授業が終わったらすぐ帰るんだよな? 寄り道とかしないよな?」とやたらしつこく聞いてきた。

 あれは、ご近所さんである私に逢い引きを目撃されたくないが故の確認作業。そう考えれば辻褄が合う。

「そんな……」

 体中の力が抜けて、へなへなと膝をつく。

 つまり、七緒と子リスちゃんは昨日からお付きあいを始めていて、さっそく今日が初デートということか。

 こんな夕暮れの公園で愛とか語り合っちゃうの? 手とか繋いじゃうの?

 ついさっき私を「ふへへ」とにやけさせた想像力のたくましさが、今度はアダになる。脳内に広がるのは、仲睦まじく公園デートを楽しむ七緒と子リスちゃんのイメージ映像。

 私はうつむき、地面を見つめた。

 終わった。完敗。

 あんな可愛い子から彼女のポジションを奪うなんて、到底無理だ。

 突然すぎる終幕に涙も出ない。

 私の長い片思いも、ここまでか──。


 そのとき、

「おーい、待たせたな、東」

 公園の2つある入り口のうち、西側のほう──つまり、今私がいるのと反対側──から、七緒を呼ぶ声が聞こえた。

 どうやら待ち合わせ相手が来たらしい。私は顔を上げる気にもなれず、土を見つめ続けた。

 子リスちゃんたら、昨日までは「東先輩」って呼んでいたのにさっそく呼び捨てだ。まぁ、付き合っているんだから当然か(でもせっかくなら下の名前で呼べばいいのに……なんて、この期に及んでおせっかいおばさんになっちゃってるかしら)。

 それにしても彼女、見た目に似合わず今日はずいぶん野太い声だ。声だけ聞いたらまるで身長180近いマッチョボーイみたいな────。








 ……いや、違う違う。さすがにそれは、ない。

 私は顔を上げた。

 そこにいたのは、七緒と、予想通りのマッチョボーイ山上。

 彼らは何やら話しながら、こちらに近付いてくる。

 私はとっさに近くの植え込みに隠れた。2人に見つからないように、青々と茂る葉っぱに埋もれて、ほっと息をつく。

 ──なんだ、子リスちゃんじゃなかったんだ。

 とりあえず、ひと安心。今夜は枕を濡らさなくても済みそうだ。

 だけど、どうして七緒と山上が?

 疑問に首をひねりながらも、またナチュラルに覗き見体勢になってしまっている自分に気付き愕然とした。

 ものすごいデジャブ感。2日連続で物影から密会を目撃だなんて、私ってば次世代の「家政婦は見た」を狙えるかもしれない。


 山上は、私が隠れている植え込みのすぐ近くのブランコに腰をおろした。

「山上……なんでお前はいつもブランコなんだよ」

「だってせっかく公園に来てるのにベンチに座るなんてもったいねぇよ。ほら、東も座れよ!」

 笑顔の山上に押し切られ、七緒もしぶしぶといった感じで隣のブランコへ着席した。

 これで完全にここから出られなくなってしまった。

 だけど私は、退路が断たれたことをそれほど残念には思わない。これで腹を決めて、じっくり2人の会話を聞くことができる。こそこそ覗き見だなんて悪趣味極まりないけど、どうしても気になるのだ。

 七緒と山上がこんなところで待ち合わせて、一体何を話すつもりなんだろう。

 私は数日前の一幕を思い出していた。「私たちの喧嘩の一因、山上に言われた『いらんこと』って何?」と尋ねる私に、「俺が自分で解決するからほっとけ!」と軽くキレ気味だった七緒。

 もしかしてそのこと? なんて考えて勝手に緊張してしまうのは──ちょっと、自意識過剰だろうか。






「で、東。例の物は持ってきてくれたか」

 突如、少し神妙な雰囲気の山上が話を切り出した。

「おう」

 七緒がニヤリと笑い、鞄の中から何やら紙袋を取り出す。

 ずしりと重そうなそれを受け取る山上も、ヘヘヘと笑った。

 2人とも怖いくらいに楽しそう。

 なんなのよ、この怪しげな雰囲気は。

 背中がぞわりと粟立つ。

 私、もしかして見ちゃいけない現場を見ようとしている?

 なんか怖い。帰ろうかな。いや、あの2人がいるかぎり私はここから出られない。嫌だ、どうしよう。帰りたい。帰りたい。


 山上が大切そうに袋から取り出したのは、一冊の本。

 黒くて太い書体で表紙に書いてあった文字は──『月刊 中学柔道』。


「サンキューな東! これアメリカじゃ売ってないんだよなー。マニアックすぎて取り寄せも難しいしよ」

「とりあえずここ1年間のは全部持ってきたから、じっくり読めよ。返すのいつでもいいから」

「かたじけねぇなー」

「いいってことよ。そうそう、先々月号のここの特集記事がすげー良くてさ」

「どれどれ?」

 雑誌をめくり、この選手がいいだの、この学校が今後強くなりそうだの、キャッキャと楽しそうな柔道談義が始まった。


 ……帰りたいな。

 先程までとは違う意味で、私は思った。





 ひととおりお喋りを終え、山上はあらためて七緒に向き直る。

「でも悪かったな。部活帰りで疲れてるところを」

「いや」

 七緒は小さく首を振って、山上の言葉を打ち消した。

「俺も、雑誌貸す以外に、山上に用事があったから」

「ん? なんだよ」

 真面目な表情になった七緒は、ブランコから立ち上がった。

 子供用のブランコだ。作りも小さく、中学生が快適に座れるとは決して言い難い。それに無理な体勢で座っていたに違いない七緒は、立ち上がった瞬間、少しよろけた。

 うわ、かっこ悪い。

 見なかったことにしてあげるべきだろうか。

 体勢を整え、咳払いで気を取り直したらしい七緒。山上に向き直り、落ち着いた声で言った。

「前に山上が俺に言ったことに、ちゃんと返事しなきゃと思ってさ」

「あぁ、杉崎の話か」

 唐突に出てきた自分の名前。

 一度はゆるんでいた緊張が、一気に体を走る。

 七緒は別に怒っているようでも悲しんでいるようでもなく、当たり前のことを当たり前に言っているだけ、という様子だった。ただ、その目はとても真剣で、それがいっそう私を混乱させる。

 私の話って、一体何?


 七緒は静かに口を開いた。

「……山上の宣戦布告は、受け取れない」







 葉っぱに埋もれながら、私は少し胸が詰まって、思わず深呼吸をした。

 なんだか、不思議な予感がしたのだ。


 山上と再会した春から始まった、中学生活最後のこの1年間。

 その中できっと、私と七緒の関係が良くも悪くも少しずつ変わっていくんじゃないか──いや、すでに目には見えないところで変わり始めているんじゃないか、って。

 そんな、全くもって根拠のない予感が。













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