2<Gの決意と、Hの二乗>
「はい、どうぞ」
そう言って私は、大きな紙袋を差し出した。中身は北海道の名産である芋のお菓子が2つ。約束通りの修学旅行みやげだ。
「おぉ! サンキュー!」
山上が恭しい手つきでそれを受け取る。
彼とのお馴染の会合場所となった、小さな公園。そこの可愛らしいブランコにガタイの良い山上が座って笑顔を浮かべている様子は、ちょっといまだに慣れない。
ぼちぼち夕飯も出来上がる夕暮れ時なので、今日も園内に子どもたちの姿が見えないのが救いか。
若干の抵抗はあったけど、立ち話もなんだと思い、私も隣のブランコに腰を下ろす。
「なるべく早めに食べてね。っていうか一刻も早く食べてね」
すでに購入からかなり日が経っているため、正直言って賞味期限がギリギリなのだ。
「わかった! 何を犠牲にしてでもこれだけは食べきるぜ!」
笑顔の山上が頷いた。
彼のこういう表情には何か不思議なパワーがあると、私は前々から思っている。
明朗で、豪快で、からっと明るい心からの笑顔。恐らく初対面の人でもこの顔を見たら「このマッチョ絶対いい奴だな」と思わずにはいられないだろう。
「しかし、本当久しぶりだよな。3週間ぶりか」
そのパワフルな笑顔を崩さないまま、山上が言う。
「そうだね。テスト期間中だったしね」
「杉崎から『会おう』って誘ってくれるなんて、俺、ほんと感激したんだからな。こりゃ両思いも近いってことか」
「いや違うから。賞味期限的な事情があっただけで、この誘いに変な意味はないから」
思わず片手を敏捷に繰り出し、古典的な「つっこみポーズ」をとってしまった。
悪いけど、ここはしっかり否定しておかなければいけない。以前七緒に怒られたように、これ以上山上に青春時代の浪費をさせてしまえば、きっと私はとんでもない罪人になるだろう。
しかし当の山上は、私の渾身のつっこみを笑い飛ばした。
「ははは! 照れるな照れるな!」
「照れてない! 馬鹿かッ」
「あー、久々に聞く杉崎の怒鳴り声はいいなー。うんうん」
と、山上がうっとり目を閉じる。
駄目だ、こいつ、やっぱりちょっと変だ。
ひどい疲労感をおぼえた私は、「彼が目を閉じている間に黙って帰ってしまおうか」と考えた。
しかしその間に山上は瞑想から戻り、こちらに向き直った。
「修学旅行はどうだったんだ? 東と気まずいまま楽しめた?」
「うん。まぁ、色々あったけど……結局仲直りして楽しめたよ」
私は修学旅行中の「色々」を思い返し、そして、決心する。
あの旅行中に確信したことを、山上に伝えなければならない。
「あのさ、山上」
「ん?」
「私、ゴキブリ並みにしぶとい女なんだよね」
「おぅ、それも杉崎の魅力のひとつだと思うぞ」
「…………どうもありがとう」
自分で言っておきながら、ものの例えの「ゴキブリ」をさらりと肯定されてしまうと、なんだか複雑な心境だ。
だけど今は、その僅かな引っ掛かりにつまずいている場合ではない。
私は隣のブランコに座る山上の目を見つめ、先ほどよりも少し大きな声で言う。
「そういう私だから、キッパリ振られる日が来るまでは、七緒への片思いを諦めるなんて絶対に無理だと思う。だから、申し訳ないけど、山上の意見通りにはできない」
山上が少し首を傾げる。
「俺の意見って? 前に言った『もう東のことは諦めたほうがいい』ってやつ?」
「うん」
「なんだ、あんなことか」
大口を開けた山上が、ハハハと──いや、HAHAHAと表記したいくらいのアメリカンな快活さで──笑う。
決意の告白を思いがけず笑い飛ばされ、私は当然ショックを受けた。彼いわく「あんなこと」らしいあの言葉、私にとっては相当なパンチ力があったのに。
山上はカラフルなブランコから勢いよく立ち上がると、私に向き直った。
「あんなの気にすんなよ。意見なんてもんじゃないし、ただのアドバイス? いや願望?」
「はぁ」
「長年しつこく片思いしてるのは俺も同じなんだから、杉崎の諦めたくない気持ちはよーくわかる」
「……」
思わず、うつむく。
私が言うのもおかしな話だけど、私と山上はやっぱり境遇が似ていて、お互い共感できてしまうことが多すぎる。
「杉崎は東を諦めないし、俺も杉崎を諦めない。そういうことだ! お互い頑張ろーぜ!」
前向きすぎる笑顔で、山上が右の拳を突き出してきた。
「え?」
この流れで、まさかの、拳ハイタッチ?
私の言語能力が正常なら、今の今まで、彼との会話のテーマは「恋」だったはずだ。
それが何ゆえ、いきなりこんな拳を突き合わせて、男の友情確認的な行為に? 少年漫画のひとコマ的な状況に?
共感できる部分が多いと言ったばかりだけど、早くも訂正だ。
私、山上に関しては、「共感」以上に「理解不能」な部分が多すぎる。
しかし、不信感は隠せないけれど、それでもさすがに無視することはできない。
私は仕方なく片手を差し出す。
すると山上は私の手の中に無理矢理なにかをねじ込み、きゅっと握らせた。どうやら拳ハイタッチではないらしい。
「それ、俺からの修学旅行みやげ」
にっこり笑って山上が言う。彼が通う西有坂中学校でも、私たちの中学と一週違いで北海道への修学旅行があったのだ。
そっと手を開くと、中には銀色の華奢なチェーンにつながれた、小さなガラスのハートがあった。
「……ネックレス?」
「おう! ガラス工芸の店で見つけたんだ。どーだ、可愛いだろ!」
「うん」
──あれ。なんか、ちょっと、やばい。
瞬間的にそう感じた。
当然ながらこの私、男の子からアクセサリーをもらうのなんて生まれて初めてだ(何しろ七緒からのプレゼントはいつも独特のセンスの品ばかりなのだ)。
だから今、自分でも驚くほど感激して、情けないほどドキドキしてしまっている。胸が苦しい。
どうしよう。これはちょっと卑怯だぞ山上よ。
「杉崎、なんか鼻息荒いけど大丈夫か」
「だ、だ、だいだい大丈夫」
図らずもDJのスクラッチ風。
心臓の暴走になんとか耐えながらネックレスを良く見ると、ガラスのハートの右下あたりに「H」のイニシャルが刻印されている。
「えいち? って何のイニシャル?」
そう尋ねると、山上は自信満々といった様子で答えた。
「北海道のHに決まってるだろ」
私は言葉を失った。
「札幌のSとどっちにするか迷ったんだけどな、ここはでっかく都道府県名でいこうと思って」
またしても、理解不能だった。普通こういうのって、相手の名前のイニシャル──つまり私だったら心都のK──が入ったものをくれるんじゃないのだろうか。
それが、なぜ、県名。
なぜ、HOKKAIDOU!
しかし満足そうにハハハと笑う山上を見ていると、こんな小さなことにこだわっている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
いいや、もう。素直に喜んどこう。
「ありがとうね、山上」
こちらも笑顔でお礼を伝えると、山上は「おう」と頷いた。
「でも本当、杉崎と東が仲直りできて安心したよ。俺もちょい責任感じてたからさ」
「責任?」
山上が自らの首の後ろに片手をやる。珍しく少しバツが悪そうだ。
「多分お前らが気まずくなったのは、俺が東にいらんこと言ったのがきっかけだと思うんだよなー」
「え?」
初耳だった。山上も七緒も、そんなこと今まで一度も口にしていない。
「いらんことって何?」
「あぁ、そりゃ東に聞いてくれ」
「はぁ?」
「俺、もう杉崎にぶん殴られたくないもん」
けろりとした表情でのたまう山上。
そんな彼を前にして、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。「もん」じゃねぇよ、「もん」じゃ。
私は山上の襟首を掴み、揺さぶった。
「おいコラ、ここまで言ったんだからちゃんと最後まで話しなさいよ! こんなの生殺し状態だよ!」
「オゥ、ニホンゴ、ムツカシイネー」
「こんなときだけ帰国子女ぶるな!」
山上はするりと私の拘束を抜けると、
「じゃあな!」
信じられない速度で去っていった。マッチョのくせにすごいフットワークの軽さだ。
遠ざかるその背中を睨みつけ、ついつい悪態をついてしまう。
「くそ……」
逃げられた。綺麗なネックレスと、大きな謎を置きみやげに。
これじゃ色々気になって、きっと今夜は眠れないだろう。
あぁ、そういえばあのメールの「ILUSM」の暗号の意味も聞きそびれちゃったな、と気付いて、私は思わずため息をついた。
その晩、私はやっぱりなかなか眠れなかった。いや、正確に言うと、眠気はあるのだけど、なかなかベッドに入ることができなかった。
自室で机に向かい、げんなりと呟く。
「どうしよう……」
目の前には本日配られた進路希望調査票。
夕飯後に両親に相談したところ、ひと言、「心都が行きたいところに行きなさい」と温かい言葉だけをいただいた。未来への可能性溢れる娘を持つ親としてはきっとパーフェクトな対応だけど、ボンクラ予備軍な娘である私はあまりの自由度の高さにちょっと困ってしまう。
進路って、どうやって決めればいいんだろう。
私が行きたい高校ってどこなんだろう。
美里や、他のクラスメイトたちは、どうやって決断しているんだろう。
……七緒は、どうするんだろう。
睡魔にうつらうつらしながら、それでも色々思い悩んでシャープペンを握っているうちに、無意識に『第一志望:お嫁さん(東家の) 第二志望:超美人 第三志望:大金持ち』と記入していた。
ハッと正気に返って用紙を見つめ、
「見事に欲望まる出しだなあ……」
我ながら、逆に少し感心した。