6話 闇狩りの男
付喪神と化した掛け軸を引き取った譲と莉沙は、依頼人の住むマンションを出て、帰路に着いた。
「せっかく、ちょっと遠出したし、綿ちゃんとハリちゃんたちにお土産買っていこうか」
「ああ、それはいいな」
莉沙の言葉に、譲は頷いた。
「莉沙も、何か目当てのものがあるんじゃないか?」
「えへへ。ここへ来るまでの間に、最近、日本に初出店したドーナツ屋さんがあってね。ちらっと見ただけでも、美味しそうだったの」
「そうか。のんびりしていると売り切れてしまうかもしれないし、少し急ごうか」
「ユズ兄も、ドーナツ好きだもんね」
「スイーツなら、だいたい何でも好きだな」
莉沙と笑い合いながら歩いていた譲は、ふと、何とも言えない違和感を覚えた。
――これは……誰かの視線? 敵意……?
譲が思わず莉沙の肩を抱き寄せた時、彼の視界に宙を舞う一枚の「札」が現れた。
掌より少し大きな札には、何か特殊な紋様が描かれているのを、彼の目は捉えた。
札は意思を持つごとく、譲たちの頭上で一瞬停止したかと思うと、淡く輝いて光の粒子へと変化し霧散した。
同時に、前方の植え込みの陰から一人の男が姿を現した。
不潔さは感じられないものの、目元が隠れるほどに伸びたぼさぼさの髪や、年季の入った丈の長いマントに革のブーツ――雑多な人々が行き交う都会でさえ浮いて見えるであろう風体である。
男が羽織っているマントの描くシルエットから、彼が腰に棒状の何か、おそらく剣か刀のようなものを帯びているであろうことを譲は見て取った。
「貴様、妖だな。それも、かなり高位の者と見た。人間の少女を攫うとは、けしからん奴だ。成敗する!」
マントの男が、目にも留まらぬ速さで腰の刀を抜き放った。ぎらりと光る刀身は、どうやら模造刀の類ではなさそうだ。
次の瞬間、男が素早い踏み込みで譲に斬りかかる。だが、一瞬早く莉沙を横抱きにした譲は飛び退り、刃を難なく躱した。
「黒縁、莉沙たちを頼む」
男から距離をとった譲は、かけていた黒縁眼鏡を外した。
「お嬢たちは、お任せを」
やや甲高い男の声と共に、眼鏡は瞬時に人型――明治時代あたりの眼鏡をかけた書生のような姿へと変じた。「黒縁」と呼ばれた付喪神は、譲から受け取った撫子の掛け軸を抱え、莉沙を庇うように立った。
「まだ妖がいたとはな。やはり捨て置く訳にはいかん」
マントの男が、再び譲に斬りかかる。莉沙たちに危険が及ばぬよう、譲は攻撃を躱しつつ、男を離れた場所へ誘導した。
――それにしても、真昼間の往来で、こんな大立ち回りをしているのに、誰も気づかないのか?
周囲を見回した譲は、異変に気づいた。
刀を振り回している男がいるというのに、通行人たちも、近くの公園で過ごしている親子連れも、気に留める様子すらない。
――人払いの術、あるいは認識阻害か? さっき飛んできた「札」の力かもしれないな……この男は、そういった術の使い手でもあるのか。
一瞬動きが止まった譲に向かって、男の刀が横薙ぎに一閃した。
「おっと」
譲は身体を反らせ、紙一重で刃を回避した。並の人間であれば上半身と下半身が分断されていたであろう斬撃だ。
「このジャケット、気に入っていたんだけどね」
切り裂かれたジャケットの胸元に触れながら、譲は言った。
「これを躱すとは……」
男が、口元を歪ませた。その声には、驚きと悔しさが入り混じっている。
「僕は、たしかに半分は妖だが、半分は人間だ。だから、できれば人間に危害は加えたくない。まず、話を聞いてくれないか」
「黙れ! そうして人を惑わそうというのだろう!」
利く耳など持たないとばかりに、マントの男が八相の構えをとった。彼の全身が力を帯び、必殺の剣を繰り出さんとした、その時。
「やめなさい!」
莉沙の、凛とした声が響いた。
黒縁を押しのけるようにして前に出た彼女は、男を鋭く見据えた。
「ユズ兄は、あなたに何もしていないでしょう! 一方的に暴力を振るうほうが、悪い人じゃないの?」
「駄目だ、莉沙、下がってろ!」
譲は慌てて言いつつ、マントの男に目をやった。
男は八相の構えをとったまま、莉沙を見つめている。彼の表情からは先刻までの殺気が抜け落ち、一転、狼狽している様子だ。
「お前は、人に害成す妖ではないのか?」
戦意を失ったのか、マントの男が刀を鞘に納めながら、ぼそりと言った。
「……話くらいは、聞いてくれる気になった?」
譲の言葉に、男は頷いた。
「黒縁、戻っていいよ」
身構えていた黒縁は少し戸惑った顔を見せたものの、抱えていた掛け軸の箱を莉沙に渡してから眼鏡の姿に戻り、譲の手に収まった。
「場所を変えようか」
眼鏡をかけ直しながら、譲は言った。
譲と莉沙、そしてマントの男は、近くにあった公園の、人気のなさそうな一角へと移動した。
マントの男は、天外絢斗と名乗った。ぼさぼさの前髪に隠されてはいるが、それなりに整った、どちらかと言えば甘めの顔立ちだ。近くで見ると、彼が思いの外若い――せいぜい二十歳前後にしか見えないのに、譲は少し驚いた。
――この若さで、あそこまでの技量を持つとは。かなりの鍛錬を積んできたんだな。
「……つまり、きみは人に害成す妖や怪異を退治する一族『闇狩り』の一人なんだね。僕の知り合いにも、そういう活動をソロでやってる術師の人は何人かいるけど、一族ぐるみでというケースを実際に見たのは初めてだ」
譲は絢斗の説明を聞いて、なるほどと頷いた。
「一族とは言っても、俺は物心つかない頃に孤児となったのを、素質を見込まれて拾われただけだから、血縁はないんだがな……あんたを見て、あまりに強い妖気に、てっきり大物の妖が女の子を攫おうとしているのだと思ったんだ。誤解して、申し訳ない」
絢斗が、そう言って頭を下げる様を見るに、彼は本来善良な人物なのだろうと、譲は思った。
「そういえば、さっきの『札』は、人払いの術か何か? 周囲の人たちには、僕たちの姿が見えていないかったように思えたんだが」
「あれは、『認識阻害の呪符』……我々の戦いを、一般の人の目に触れさせないためのものだ」
「人間の使う術も、なかなか侮れないね」
「ところで、その子、本当に人間……なんだな?」
ちらりと莉沙を見やって、絢斗が言った。
「もちろん、彼女は人間だよ」
「そうなのか。さっき、その子に睨まれた時……一瞬だが、身体が竦んでしまった。そうだな、まるで、絶対に勝てない相手を前にしたような感覚だった。今は、そんなことはないが……」
ぼそぼそと呟きながら、絢斗は首を傾げた。
「ふぅん、私の気合いに押されたってところかな?」
莉沙がくすりと笑うと、絢斗は少し顔を赤らめた。
「ところで、ひとつ聞きたいことがある」
「……何だい?」
絢斗に改まった様子で言われ、譲は首を傾げた。
「ここからK駅には、どうやって行けばいい?」
「は?」
「俺は田舎から出てきたばかりで……東京は電車が多すぎて訳が分からん。乗る電車を間違えて、ここに来てしまったのだ」
何を言われるのかと身構えていた譲は、思わず脱力した。
「すごい間違え方だね。もう芸術的な域に達してるよ」
「やかましい! いいから、さっさと教えてくれ」
そう言うと、絢斗は、きまり悪そうな顔でそっぽを向いた。
「K駅なら、私たちの最寄り駅だよ。一緒に来る?」
「……背に腹は代えられん。頼む」
莉沙が口を挟むと、絢斗は頷いた。




