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24話 這い寄る脅威と二人の彼女

「そうだ、旦那の耳に入れておかなければならないことが」


 ふと真顔になった黒縁が、口を開いた。


「通り魔の男を取り押さえるために殴ったとき、奴の身体から例の『黒いモヤ』のようなものが立ち昇り、空中に溶けるようにして消えたのです」

「あ~、私も見たよ! 捕まえようとしたけど、一瞬で逃げられちゃった。他の人間たちには見えてなかったみたいだけど」


 黒縁と撫子が口を揃えて言った。

 

「そうなのか? これは、絢斗くんの予想が当たってしまったことになるけど……いや、奴らは(あやかし)すら操るらしいから、下手に()れなくて正解だった」


 譲は、驚きと共に頷いた。


「黒縁の『ボディ』の耐久力も無限ではないし、あまり無茶をしないでくれよ」

「心得ておきます」


 譲の言葉に、黒縁が笑った。


「それが本当なら、黒いモヤの群体か、あるいは巨大な(あやかし)かは分からないが……『マガツ』と呼ばれているものが人間にも(あやかし)にも干渉してきているということだな。局所的な問題ではない可能性がある」


 話を聞いていた白露が、そう言って眉根を寄せた。


「このことは、俺が里のほうにも知らせておこう」

「そうだ、父さ……いや当主様が、ハク(にい)に一度里へ帰ってきてほしいと言っていたぞ。ちょうどいい機会だな」


 絢斗の言葉に、白露は一瞬ぎくりとした顔を見せた。


「いや、電話やメールもあるし、わざわざ帰らなくても問題ないだろう」

「たぶん、当主様はハク(にい)に縁談の話がしたいのだと思う。三番目の兄さんと四番目の兄さんも結婚したし。それは電話やメールで済ます訳にいかないのでは?」


 しごく無邪気な顔で言う絢斗とは対照的に、白露が額を押さえながらため息をついた。


「縁談?」


 興味津々という様子の莉沙に、絢斗が淡々と答えた。


「もともと、天外(てんがい)家の一族は『闇狩り』としての血統を守るため、確実に後継ぎを作る必要があるとされている。一族の者が年頃になると、当主や長老格の親類が結婚相手を探し始めるのだ。最近は、里の暮らしを嫌って都会に行ってしまう若者も増えてきているのが悩みだと、親類の者たちが言っていたが」

「それについては、必要ないと言っておく」


 白露が、肩を竦めて言った。


「必要ないってことは、既にカノジョがいるってことね! 絢っちのお兄さん、イケメンだもんね」

「そうか、そういうことね」


 はしゃいでいる撫子と莉沙を、譲は(たしな)めた。


「あまり、よその家のことに首を突っ込むものではないよ」

「ああ、お騒がせして申し訳ない」


 苦笑いしながら、白露が言った。


「絢斗、時が来たら、当主には自分で話すから、余計なことは言わないでくれ」

「わ、わかった……ハク(にい)堅物(かたぶつ)だと思っていたが、意外だったな」


 絢斗は、白露の言葉に、まるで我がことのように顔を赤らめた。

 血の繋がりがないとはいえ、絢斗と白露の間にあるのは、まさに兄弟という雰囲気だ。


「白露さん、よろしければ今日は泊っていかれますか? 絢斗くんと話したいこともあるでしょう」


 譲が声をかけると、白露は首を振った。


「いえ、急に押し掛けて来たというのに夕食までご馳走になって、そこまでご迷惑をかける訳にもいかない。この時間なら夜行バスがあるはずだから、それで帰ろうと思う」

「そうですか。では、お気をつけて……あなたを見ていると、絢斗くんがこんな良い子に育った理由が、なんとなく分かりますね」


 そう言って譲が微笑むと、白露と絢斗は少し照れ臭そうな顔をした。


(あやかし)絡みで何かあった際は、譲さんにご協力をお願いすることがあるかもしれないが、問題ないだろうか」

「それは、もちろん。人の世が乱れては、我々のような存在も穏やかに暮らせなくなりますからね。特に今回の『マガツ』と呼ばれる者に関しては、僕にも関係のあることですし」

「そう言っていただけるとありがたい。我々の任務の性質上、外部の人に協力を頼むのは難しいのだが、あなたのような事情を理解してくれる方がいるのは心強く思う」


 絢斗のことを頼むと言い残してから、白露は真白家を去った。

 綿雪を手伝って夕食の後片付けをした後、譲は自室に戻った。

 和室の六畳間には、古風な文机や年代物の箪笥、和風なローベッドなどが配置され、和モダンと言えなくもない雰囲気だ。

 しかし、同時にゲームやアニメのキャラクターを象ったフィギュアが飾られ、最新のゲーム機器も並んでいる様は、過去と現代が渾然一体と化した雰囲気を醸し出している。

 文机の前に座った譲は、ノートパソコンを開きながら、この短期間で起きた様々な出来事に考えを巡らせていた。


 ――黒いモヤの群体(イコール)「マガツ」、そして奴らは人間にも(あやかし)にも憑りついて操るというのか。これは北辰様や父上たちがいる「可惜夜(あたらよ)の里」にも知らせておかなければ。あそこは防衛に関しては堅固だから簡単に悪しき者の侵入を許すことはないと思うが……


 そして、彼にとって最も気がかりなのは、やはり莉沙に関することだ。


 ――本来、莉沙の中の「明星(あけぼし)」が覚醒するのは、ずっと先のこととされていたようだが……いずれは莉沙も「明星」の存在を知る時が来るだろう。

 

 ふと譲は、ひとつの事実に思い至った。


 ――莉沙が人間ではなく(あやかし)である「綺羅星(きらぼし)の民」なら……寿命など気にせず、ずっと共にいられるということか。


 その時、何者かが部屋の扉を叩いた。


「……どうぞ」


 譲が答えると、少しの間の後に扉を開けたのは、パジャマ姿の莉沙だった。

 風呂上りなのか、薔薇色の頬がいかにも健康そうだ。


「珍しいね、きみのほうから僕の部屋へ来るなんて」


 そう言いながらも、譲は微笑んだ。思い起こせば、莉沙は中学へ入った頃を境に、譲の自室を訪れることがめっきりと減った。その頃から、彼女が譲を異性として意識し始めたということなのかもしれない。

 

「隣に座ってもいい?」


 にっこりと笑いながら、莉沙が言った。


「もちろんさ」


 譲の言葉を受けて、莉沙は彼が差し出したクッションの上に腰を下ろした。

 ごく自然に、莉沙が譲の肩に寄りかかる。彼女から立ち昇るシャンプーとボディソープの香りが、譲の鼻をくすぐった。

 だが、そこで譲は違和感を覚えた。姿も気配も、普段の莉沙そのままだというのに、何かが違うという感覚が拭い去れない。


「――君は莉沙じゃないな。『明星』殿か」


 譲は、莉沙の顔を見つめた。


「分かってしまうものだな。そうだ。私は『明星』だ」


 隣に座っていた莉沙の姿が、いつの間にか輝く銀色の長い髪と宝石のような紫色の瞳を持つ「明星」のものへと変化している。


「一度、強制的に破った所為か、封印が綻んでいるようでな。短時間なら、こうして出てこられるようになったのだ」


 「明星」は、艶然と微笑んだ。


「……で、僕に何の用だ?」


 僅かな緊張と共に、譲は問いかけた。

 

「用がなくては、会ってはいけないのか?」

「…………」

「なにか誤解しておるようだがな。私は『莉沙』でもあるのだ。私という魂が、何も知らず人間として育ったことで生まれたのが『莉沙』の人格だ。だから、『莉沙』が愛する者は、私も愛している」


 言って、明星は床に置かれた譲の手を優しく握りしめた。その手の温かさも柔らかさも、譲の知る「莉沙」そのものだ。


「……すまない。僕にとって明星殿は、まだ会ったばかりの人だ。莉沙のことは、自分の命よりも大切に思っている。でも、莉沙と明星殿が同一の存在と言われても、はいそうですかと飲み込めるものじゃないよ」


 譲は、口籠りながら言った。


「いつまでも、このままでいる訳にもいかぬぞ。『莉沙』も、自分の真実を知る必要がある」


 明星の言葉に、譲は息を呑んだ。


「私は、『綺羅星の里』の異変にも『マガツ』が関係しているのではないかと考えている。羅喉(らごう)や彼に従う者たちが『マガツ』の影響を受けていると考えれば、その異常な行動にも説明がつくのではないかと。そして、私の生存が奴らに知られれば、いずれ『莉沙』が危険な目に遭う可能性も高いのだぞ」

「それでも……」


 譲は、やっと言葉を絞り出した。


「真実を知ることで、莉沙が莉沙でなくなってしまうかもしれない……そう思うと、僕は……」


 俯く譲を優しく見つめ、明星は再び口を開いた。


「譲が愛しているのは、『何も知らぬ可愛い莉沙』なのだな」


 そう言う彼女の表情に、譲は見覚えがあった。

 かつて幼い莉沙が見せた、自分には両親がいないと知った際の、空気を読んで口を(つぐ)む大人のような表情――明星と莉沙が同一の存在ということは、やはり真実なのだと、譲は理解した。

 不意に明星の身体から力が抜け、譲は彼女を慌てて支えた。

 譲の腕の中にいたのは、尼そぎにした栗色の髪の――もとの姿に戻った莉沙だった。

 眠っている莉沙を抱き上げ、彼女の部屋に運びながら、譲は明星が最後に見せた寂しげな顔を思い出し、胸の奥に針で刺されたような痛みを感じた。

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