22話 帰還と客人
月人や北辰との面会を終え、「可惜夜の里」から出た譲が最初に見たのは、夕日に照らされて琥珀色に染まる空だった。
――初めて夕暮れを見た時も驚いたっけ。この世界では、一日のうちに何度も空が色を変えるのだと。
人間の世界に降り立った頃を思い出し、譲は懐かしさを覚えた。
「ただいま」
譲が店舗兼自宅の引き戸を開けると、いつものように少年姿の綿雪が譲を出迎えた。
「おかえりなさい、坊ちゃん。思ったよりも早かったですね」
「父上と母上には、ゆっくりしていけと言われたけど。向こうでのんびりしていたら、こっちでは何週間も経過してしまいかねないからね」
言って、譲は肩を竦めた。
「ところで、莉沙は帰ってるの?」
「いえ。ですが、そろそろお帰りになる頃かと」
「……あの子は、変わりなかったかな」
譲の言葉に、綿雪が頷いた。
「はい。坊ちゃんがお留守の間、『明星』様が出てくることはありませんでした」
「それなら、よかった。北辰様にもお話をお聞きしてきたが、本来であれば、まだ『明星』殿が目覚めるタイミングではなかったそうだ」
北辰や父の月人から聞いたことを、譲は、かいつまんで綿雪に説明した。
「坊ちゃん、やはり、このことは莉沙様や他の者たちには、まだ話さないほうがよろしいですよね?」
「そうだね。特に、莉沙に対して余計な刺激を与えるのは避けたほうがいいと思う。文字通り、寝た子を起こすことになりかねないからね」
綿雪の問いかけに譲が頷いた時、誰かが店に近づいてくる足音が聞こえてきた。
「ただいま~」
引き戸を開けて入ってきたのは、制服姿の莉沙だった。その足元には、普段と同様にハリネズミたちもいる。
「おかえり、莉沙」
微笑みかける譲に、莉沙が飛びついてきた。その無邪気な仕草は、幼い頃と何ひとつ変わらないものだ。
「ユズ兄、おかえり! 二日も留守にして、心配したんだよ」
唇を尖らせながら見上げてくる莉沙の頭を、譲は優しく撫でた。
「ごめんごめん、急いで帰ってきたんだけどね。向こうは、こちらとは時間の流れが異なるから、どうしてもタイムラグが生じるんだよ」
「そうか……『可惜夜の里』って、不思議なところだね。でも、ユズ兄が帰ってこなかったらって……」
「僕は、きみを置いてどこかに行ったりしないよ」
譲の言葉を聞いた莉沙は、甘えるように彼の胸へ顔を埋めた。
と、懐に入れておいたスマートフォンが振動しているのに譲は気づいた。
「ちょっと、ごめん。電話に出るね」
譲は、取り出したスマートフォンの画面を見た。相手は、絢斗だ。
「絢斗くんか。珍しいな……もしもし?」
通話ボタンに触れた途端、絢斗の声が譲の耳に飛び込んだ。
『譲さん、戻っていたか』
「うん。きみたちは妖討伐に行っていたんだっけ。大丈夫だったかい?」
『それは問題なく終わった。ただ、別の問題が……俺が譲さんのところに世話になっていると話したら、本家の者が一人、挨拶に行きたいと……実は、もう近くまで来ているのだ』
「そうなのか。僕としては問題ないけど……」
譲は言って、綿雪の顔を見た。
「お客ですか。買い置きの食材もありますし、一人増えるくらいなら問題ありませんよ」
『えっ……』
綿雪の声が聞こえたのか、絢斗の驚く様子が電話越しに伝わってくる。
『ほ、本当にいいのか? もちろん、譲さんたちのことは無害な妖と説明してあるし、敵対する心配はないと思うが』
「分かった。こちらは心配ないから、早く帰ってきなよ」
『急なことで、申し訳ない。では、今から帰ります』
絢斗との通話を終え、譲はスマートフォンを懐にしまった。
「本家の人って、『闇狩り』の人よね。どんな人が来るのかな。おじいちゃんだったりするのかな」
興味津々といった様子で、莉沙が微笑んだ。
「そうだね、少なくとも天外くんよりはベテランの人だろうね」
「『闇狩り』とは言っても、所詮は普通の人間より少し強い程度でしょう。何かあっても私がお守りしますので、ご心配なく」
「綿雪は頼もしいけど、時々ちょっと怖いなぁ」
「坊ちゃんは甘いから、私がしっかりしないといけないのですよ」
譲の言葉に、綿雪が不敵な笑いを見せた。
ややあって、絢斗が「本家の者」を伴って帰宅した。
緊張気味な絢斗の後ろに佇んでいるのは、思いの外若い男だった。
年の頃は二十代後半というところだろう。涼しげな目元が印象的な、長身の男だ。
絢斗と同じく現役の「闇狩り」らしい、鍛えられていると分かる体躯にベージュ色のロングコートをまとった姿は、やはりどことなく浮世離れして見えた。
「天外一族の本家から来ました、天外白露と申します。戸籍上は、絢斗の兄にあたります。弟がお世話になっております」
店先で出迎えた譲と莉沙に礼儀正しく挨拶をした男――白露は意外そうな表情を見せた。
「失礼だが、あなたが、ここの主人か?」
「はい。僕がこの店の主人、真白譲です」
白露に問いかけられ、譲は頷いた。
「もっと、年配の方かと思っていたので……」
「少なくとも、あなたよりは年配ですよ。絢斗くんからお聞きになっているかもしれませんが、僕は半分妖ですから」
譲がゆったりと微笑んでみせると、白露は彼をまじまじと見つめた。
「たしかに、かなり強い妖の気配を感じる……妖と人間の間に生まれる半妖の存在については聞いたこともあるが、実際に会うのは初めてだ」
「ハク兄、譲さんや、ここに住む妖たちは人に危害を加えたりはしない善良な者たちだ。心配ないと言っただろう」
絢斗が、おずおずと口を挟んだ。
「そのようだな。お前が騙されていたら大変だと思ったが、彼らからは邪悪なものを感じない。譲さん、弟が心配なあまり、急に押し掛けるようなことをして申し訳なかった」
言って、白露がぺこりと頭を下げた。
「白露さん……でしたっけ。離れて暮らす弟さんが心配になるのは分かりますよ。特に絢斗くんは純真ですからね。放っておけないという気持ちになります」
「ご理解いただき、感謝する」
譲が同意してみせると、白露も安堵の表情を浮かべた。そんな二人を前に、絢斗は若干顔を赤らめている。
「ハク兄は、いつまでも俺を子供だと思っているのだな」
ぼそりと呟く絢斗を見上げ、莉沙がくすりと笑った。
「絢斗さんって、白露さんのことを『ハク兄』って呼ぶのね」
「ま、まあ、物心つく前から面倒を見てもらっていたからな」
「なんとなく『弟キャラ』っぽいと思っていたけど、なるほどね」
莉沙は絢斗に親近感を覚えた様子だが、絢斗はますます顔を赤くした。
「そんなところで立ち話もナンですし、家に入っていただいては? もうすぐ、夕食の準備もできますよ」
店の奥から綿雪が出てきて言った。
「いや、少し様子を見て帰るつもりだったので、おかまいなく……きみも、妖か?」
綿雪の姿を見た白露の目に、一瞬だが警戒の色が浮かぶ。
「ハク兄なら分かるか。綿雪さんの本性は白虎の妖だ。彼の料理は旨いぞ」
「そうなのか。その姿で、かなり強力な妖の気配を漂わせているから、何だか感覚がバグってしまいそうだ……」
絢斗の言葉に目を白黒させている白露を見て、譲も小さく笑いを漏らした。




