21話 故郷へ
どこまでも続く星空を背景に、大小幾つもの緑豊かな「島」が浮かんでいる。島々の多くには、古い日本の都を思わせる街並みが見られるものの、中には洋館の建ち並ぶ区域もあったりなど、和洋折衷の雰囲気だ。
夜であるはずなのに、何故か「暗さ」は感じられない、不思議な静けさに満ちた空間――譲は、久しぶりに訪れた「可惜夜の里」を見渡した。
「暗晦」が明け、妖としての力を取り戻した彼は、父である月人から莉沙の事情について説明を受けようと故郷へ帰還したのだ。
――相変わらず静かな世界だ。初めて人間の世界に降りた時は、日の光の眩しさと街の騒がしさに驚いたものだけど。
「可惜夜の民」であれば、人間の世界のどこからでも「門」を開くことが可能であり、「可惜夜の里」へ帰るのは容易い。それでも、人間の時間で数十年の間、譲が帰ろうとしなかったのは、それだけ彼が人間の世界に馴染んでいるということだろう。
譲は軽く地面を蹴り、ふわりと飛び立った。
「可惜夜の里」では、人間の世界のような物理法則は通用しない。
ふわふわと空中を飛んでいた譲は、実家である洋館風の屋敷を見つけ、その庭へと降りた。
様々な花の咲き乱れる庭には、鹿鳴館時代を思わせる洋装の美しい女――譲の母、薫子が佇んでいた。
「あら、譲。お帰りなさい」
彼女は譲の姿を見て、にっこりと笑った。
薫子は、一度人間としての寿命を迎えて肉体は滅びたが、魂の状態で 「可惜夜の里」に留まっている。
外見的には、せいぜい二十代前半にしか見えず、マガレイトに結った黒々と艶のある髪にも白髪ひとつない。
「お久しぶりです、母上」
「本当に、久しぶりだこと。さぁ、家にお入りなさいな」
譲が挨拶すると、薫子は嬉々として彼を屋敷に招き入れた。
やはり洋風の内装を施された客間に通された譲は、持っていた紙製の手提げ袋をローテーブルに置いた。
「人間の世界の菓子を持ってきました。父上と召し上がってください」
譲は、袋の中から次々と菓子の入った箱を取り出した。
「こちらがチョコレートの詰め合わせ、これはマカロンというものです。バームクーヘンやフィナンシェなどもありますよ」
「今は、こんなに色々なお菓子があるのね。『可惜夜の里』でなら、魂だけの私も実体化して食事もできるから、ありがたいことです。人間の世界に行くと、物に触ることもできなくなってしまいますからね」
華やかな包装の菓子類を前にして、薫子が嬉しそうに言った。
「母上がお好きだと言っていた『シベリア』も持ってきました」
「シベリア」とは、明治後期あたりに生まれたという、カステラ生地に餡や羊羹を挟んだ菓子だ。
「懐かしいわね。昔、月人さんとミルクホールでいただいたのを思い出すわ」
少女のように頬を染める薫子を微笑ましく思った譲だったが、本来の目的を思い出した。
「ところで、父上はどちらに?」
「北辰様にお会いすると言って出かけていますよ。そのうち戻るでしょうから、あなたはお茶でも飲んで待っていなさいな」
薫子は譲にソファを勧めると、お茶の支度をするべく部屋を出て行った。
――莉沙にはハリたちが付いているし、綿雪もいるから大丈夫とは思うが……連れてきた方がよかっただろうか。しかし、本人には「明星」の記憶がないようだし、説明に困るか……
ソファに座った譲は、母の淹れてくれた茶の芳しい香りを吸い込みながら、莉沙のことを思い出していた。
「息子よ、帰ってきたのか」
突然、虚空から溶け出るごとく、客間にフロックコート姿の月人が現れた。
「お帰りなさい、月人さん。譲が、お土産を沢山持ってきてくれたのです。あとで一緒にいただきましょうね」
「そうか、それは楽しみだ」
薫子の言葉に、月人は微笑んだ。
「父上、莉沙のことについて、お話があります」
居住まいを正し、譲は口を開いた。
莉沙の中に封印されていた「明星」が覚醒し、彼女から事情を聞いたことを、譲は説明した。
「なんと、『明星』殿の封印が破られたというのか?」
月人は、僅かだが動揺した様子を見せた。
「『明星』殿は『力が戻っていない』と言って、今は莉沙の中に引っ込んでいる模様です。話を聞くに『明星』殿は僕との生活に関する記憶を持つようですが、莉沙自身は、自分が人間ではなく妖だという記憶は持たないようですね」
「それは想定外だった……」
譲の説明を聞いた月人が、少し考えたのちに言った。
「とりあえず、北辰様に報告しなければならない。お前も一緒に来なさい」
「わ、分かりました」
――北辰様といえば、「可惜夜の里」では最高位のお方だ。ほとんどの時をご自分の庵で引きこもって過ごされているとかで、直接お会いしたことはないが……
父の言葉に、譲は自分の身体が強張るのを感じた。
母に見送られ、譲は父の月人と共に可惜夜の民の王である北辰のもとへと向かった。
島々の中でも、ひときわ高い場所にある小島が、北辰の棲み処だ。
草木や色とりどりの花に囲まれた彼の庵は、一見すれば粗末なものである。
「北辰様、月人でございます。火急の用があり、戻ってまいりました」
月人が庵に向かって声をかけると、空中に青く輝く光の輪が浮かび上がった。
「これが入り口だ。北辰様が許可しなければ、この庵には入れないのだよ」
父に促され、譲は彼と共に光の輪をくぐった。
輪をくぐった先にあったのは、遠近の感覚が曖昧になりそうな薄暗い空間だ。
その奥には、譲たちに背中を向けて座布団に座っている小さな影があった。光源の一つは、この人物の前に置かれているブラウン管テレビだ。
「どうしたんだい、月人。忘れ物かい? 私は忙しいんだが」
そう言って振り向いたのは、 十歳ほどに見える、ジャージ姿の少年だった。
黄金色に輝くおかっぱにした髪と大きな瞳は、彼が明らかに人間とは異なる者であることを表している。
少年の手には、ふた昔以上前のものと思われる家庭用ゲーム機のコントローラが握られていた。
「申し訳ありません、北辰様。『明星』殿についての重要な情報が入りましたので、急ぎ戻りました」
普段は尊大とも言える態度の月人が恐縮する様子を見るに、目の前の少年が「可惜夜の王」こと北辰に間違いないのだろう。
「何だって? おや、そこにいるのは月人の息子だね?」
北辰に見上げられた譲は、思わず背筋を伸ばした。見つめるというでもなく淡々と見ているだけの北辰の視線に、譲は威圧感を覚えていた。
――父上も妖として凄まじい力を感じさせるが、北辰様はそれ以上だ……見た目はともかく……
「お初にお目にかかります。月人の息子、譲と申します」
「初めてでもないよ。きみが生まれて直ぐの頃、一度会ったことがあるんだ。きみは覚えていないだろうけどね」
北辰は、にっこりと笑った。
「ああ、私の格好が気になる? このジャージというやつ、ラクだから最近はずっと着てるんだ。人間の文明というのも大したものだよね」
譲の心を見透かしたかのように言うと、北辰はコントローラを床に置き、一瞬で狩衣のような装束へと姿を変えた。
「そうか、『明星』殿を預かっているのは譲だったね。何が起きたのか、説明してくれるかい」
北辰が指を鳴らすと、座布団が二つ出現した。
月人と共に座布団へ座った譲は、莉沙そして「明星」について自分が知ったことを北辰に話した。
「これは驚いたね。そもそも、『明星』殿の封印が解けるのは、彼女が完全に力を取り戻した時のはずだったのだよ」
譲からの報告を聞いた北辰は、目を丸くした。
「そうですか……『明星』殿が表に現れたのは一度だけで、現在のところは莉沙の中で休息している状態のようです」
「しかし、一度封印が解けてしまったから、今後も何かあれば『明星』殿が出てくる可能性はあるね」
北辰が、小さく息をついた。
「なぜ、私が『明星』殿の力を封印して人間の姿に変化させたのか……瀕死状態だった彼女を休息させるという理由もあったけど、彼女の命を狙う者が妖としての気配を探知して襲撃してくるのを防ぐ目的もあった」
「羅喉という者ですね……『明星』殿の父であり『綺羅星の民』の王、星河様を殺害したと聞いています」
莉沙の命を脅かす者の存在――譲は、唇を噛んだ。
「本来、『綺羅星の民』の王位争いというものは、相手の命を奪うまではしないはずなんだ。だから羅喉という者の行動は異常と言える。そして、現在『綺羅星の里』は、いわば鎖国状態で内部がどうなっているか分からない」
「羅喉が『綺羅星の民』を牛耳っているのなら、外部にまで争いを持ち出す可能性もあるということで、我々も警戒しているところだ」
北辰の言葉を受けて、月人が言った。
「きみに事情を説明しなかったのは申し訳なかったね。でも、相手の心を読む力を持つ妖もいるし、譲が何も知らなければ情報が漏れることもないと判断してのことでもあるんだ」
眉尻を下げる北辰に、譲は、おずおずと尋ねた。
「……莉沙は、これからも僕のところにいるということで、よろしいのでしょうか?」
「そうだね。人間の『莉沙』としての人格は妖としての記憶を持たない訳だが、きみが傍にいれば身辺の安全も問題ないだろう。それに、譲の危機に際して『明星』殿が覚醒したということは、『明星』殿もまた、きみを大切に思っているということだろうからね」
「もうひとつ、莉沙の人格は、いずれは消えてしまう可能性などはあるのですか?」
譲は、最も気がかりだったことを口に出した。
「それについては心配ないと思うよ。きみの知る『莉沙』は、『明星』殿の精神が形を変えて出てきているだけで、どちらも彼女自身だ」
「……分かりました」
北辰の説明には釈然としない部分もあったものの、譲は頷くしかなかった。
「それと、もうひとついいかな」
「何でしょう」
北辰に真剣な目で見据えられ、譲は身を固くした。
「人間の世界にある、最新のゲーム機が欲しいんだ。費用は出すから、見繕ってきてくれないかな。向こうは時間の流れが速いから、技術も進んでいるんじゃないかと思ってね」
「しょ、承知しました……」
思わぬ要請に、譲は脱力した。
「この『可惜夜の里』は平和だし、誰も不便を感じないから、人間の世界のような文化が生まれにくいのが難点だよね」
北辰が、肩を竦めて言った。




