18話 本当の気持ちと覚悟と
――ここが進路指導室というやつか。僕自身は学校というものに行ったことがないから、こういう時は、いつも緊張してしまうな。
莉沙の三者面談ということで学校に呼び出された譲は、案内された部屋で椅子に腰掛け、周囲を見回した。きちんとして見えるように、着慣れないスーツ姿でいることも、緊張に拍車をかけている。かしこまった場であるため、眼鏡の付喪神である黒縁は留守番だ。
「ユズ兄、緊張してるね」
隣の席に座った莉沙が、譲の顔を見上げて、くすりと笑った。護衛のハリネズミたちは、人間には見えない状態で二人の足元に待機している。
「慣れない場所というのもあるけど、きみにとって大事な話だからね」
――しかし、ついこの間、幼稚園に入ったと思ったら、もうこんな話が出る時期か……人間の時間の流れは速いものだ。
譲が答えた時、扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します。お待たせしてすみません」
そう言いながら、莉沙の担任が部屋に入ってきた。年の頃は三十歳前後、そろそろ中堅の域に入るであろう真面目そうな女性教師だ。
譲が素顔を見せていたためか、教師は彼の顔を見て、一瞬顔を赤らめた。
挨拶もそこそこに席に着いた教師は、机の上に莉沙の成績に関する書類などを広げ、彼女の進路について話し始めた。
「高校二年生の後半に入って、早い子は既に目指す進学先を決め、入試に向けて対策しています。莉沙さんは素行も良く成績も上位ですし、推薦枠を狙う手もありますね。これは、ご本人が将来どのような道へ進みたいかにもよりますが、ご家族の間で何か決まっていることなどはあったりしますか?」
「僕は、本人が望む道に進んで幸せになってくれれば、それでいいと思っていますが。……莉沙は、行きたい大学とかはあるの?」
言って、譲は莉沙の顔を見た。
「ええと……家から通える距離というのは外せないかな」
「きみが行きたいところなら、他県で一人暮らしとかでも金銭的には心配ないよ?」
莉沙の言葉に答えつつ、譲は、どこか安堵するものを覚えた。
「そういう選び方をする生徒も多いですよ」
二人の話を聞いた教師が微笑んだ。
面談を終え、譲と莉沙は帰路へ着いた。もちろん、ハリネズミたちも二人の周りをちいちい鳴きながら歩いている。
「ユズ兄、疲れた顔してる」
莉沙が、そう言って譲の顔を見上げた。
「話には聞いたことがあっても、僕は実際に学校へ行ったり受験したりといった経験がないからね。まして、きみの将来に関わることだし、ちゃんとしなきゃって思うと……最終的な進路については大学に入ったあとでも考える時間はあるみたいだけど、莉沙は、何かないの?」
譲の問いかけに、莉沙は少し逡巡しながら頬を染めた。
「私……ユズ兄のお嫁さんになりたいな」
数秒の間のあとに聞こえた言葉が、譲の心臓を掴んだ。
また、そんなことを――そう言おうとしたものの、彼は口籠った。
「けっこう、本気だよ」
莉沙が、譲の袖を掴んだ。ことあるごとに彼女が口にする譲への好意――そこには、家族以上の親愛が込められていることに、譲も気づかぬ訳がなかった。
「僕は人間ではない。半分は妖だ……軽々しく、そんなことを言うものじゃない」
譲は、やっとのことで言った。
寿命も生きる世界も異なる者同士が共に生きる――譲の両親の覚悟と苦労は想像の範疇を出ないが、大変なものであったことは想像に難くない。
両親は、彼らの愛の結晶である譲に惜しみない愛情を注いでくれる。しかし譲は、自分が他の誰とも異なる「半妖」であるという事実に、どうしても拭い去れない孤独を抱いていた。
そんな彼にとって、全ての事情を理解した上で自分を受け入れてくれるという莉沙の愛情は救いとも言えた。
――だが、彼女の気持ちを受け入れたとして、人間である莉沙は、いずれ自分だけが老いていくことに苦しむのではないか。そして、人間ではない僕は、また置いていかれる悲しみと恐怖に苦しむのだろう。だとすれば、莉沙だけは同じ人間の相手と生きる方がいいに決まっている。しかし、彼女の隣に自分以外の誰かが寄り添う様を想像する度に、ひどく不快な気持ちになってしまうのは、どうしようもない……
「そんなの、分かってる。……ユズ兄は、私と一緒にいるのが嫌なの?」
「そんな訳ないだろう。だが、僕は莉沙に幸せになってほしいんだ……人間として」
我ながら無様な強がりだ――譲は自嘲した。
「私の幸せは、ユズ兄と一緒にいること……なんだよ」
「今は、そう思っていても、大人になって気持ちが変わることがあるかもしれない。慌てて決めなくてもいいと思うよ」
譲の言葉を聞いた莉沙は、何か言いたそうにしたものの、言葉を飲み込むように口を噤んだ。
それから、家に着くまで二人が口を開くことはなかった。
「おかえりなさいませ」
店番をしていた綿雪が、譲と莉沙を出迎えた。
「ただいま」
莉沙は短く言うと、自室へ向かっていった。
「なにか、あったのですか。莉沙様、なんだか元気がありませんでしたが」
綿雪が、心配そうな顔で莉沙の背中を見送っている。
譲が口を開こうとした時、入れ違いに家の奥から絢斗が姿を現した。初めて会った時と同じ、マントにライダースジャケットという出で立ちだ。マントに隠れてはいるが、腰には刀を下げているのがシルエットから見て取れる。
「天外くん、出かけるのかい?」
「少し遠方で妖の討伐案件があって招集された。もしかしたら、数日かかるかもしれない」
「そうか、気をつけて。帰る時には、連絡するんだよ」
「分かりました」
言ってから、絢斗は譲を見て首を捻った。
「譲さん、何というか、普段と感じが違う……ああ、妖の気配が感じられないのか。しかし、なぜ……?」
絢斗の言葉に、譲ははっとした。
「坊ちゃん、もしかして『暗晦』の時期ですか」
「そういえば、ハリたちや家鳴りたちの気配が感じられなくなっている……間違いないね。忘れた頃に来るものだな」
目を丸くして言う綿雪に、譲は頷いた。
「『暗晦』とは?」
「僕は半妖だけど、数年に一度くらいの周期で、一時的に妖としての力を失ってしまう時期があるんだ。それを『暗晦』と読んでいる」
きょとんとする絢斗に、譲は説明した。
「ほんの数日だけど、『暗晦』に入ると姿を隠した妖の気配も感じられなくなるし、力も使えなくなる。人間と変わらなくなってしまうんだ」
「それでは、悪い妖と出くわした時に身を守れないのではないか?」
「まぁ、そうそう厄介な相手に遭う確率は高くないし、綿雪もいるから心配ないよ。『暗晦』が終わるまで、おとなしくしてるさ」
「なるほど。それでは、行ってくる」
頭を下げると、絢斗は出かけて行った。
「参ったな。『暗晦』が来ると、突然盲目になったような気分になるよ」
絢斗を見送ったあと、綿雪と共に居間に移動した譲は、ため息をついた。
「普段は見えているものが見えなくなる……大変かと思います。そういえば、莉沙様のことですが」
「うん、ちょっとね」
綿雪に問いかけられ、譲は、帰路であったことを正直に話した。
「……莉沙様は坊ちゃんを好きで、坊ちゃんも莉沙様が好きなのですね。それなら、なにを憚ることがあるのでしょうか。薫子様……坊ちゃんの母上も、人としての寿命を終えたのちは『可惜夜の里』で魂だけの状態になって何の問題もなく過ごされていますし、ご両親と同じようにされればよろしいのでは」
譲から話を聞いた綿雪が、事もなげに言った。
「妖らしい割り切りぶりだねぇ」
譲は、くすりと笑った。
「僕は、まだ父上のように覚悟ができていないのかもしれないね。でも、その他にも懸念事項はあるんだ。僕は、莉沙のことを何も知らない……事故で両親を失ったというのも、あくまで書類上だけの話で、本当のところは分からないんだ。父上が、何も聞かずに預かれというほどの事情があるのは間違いない」
「なにも分からないうちは、軽々しく決められない、ということでしょうか?」
「そうだね。これまでは、はっきり確認するのが怖かったのもあって、自分からは聞こうとしなかったけど……やはり、父上に一度確認してみようと思う」
「旦那様に話をお聞きして、もし問題がなければ、莉沙様の気持ちに応えるということですね」
綿雪が、にっこりと笑って言った。
「その時は、僕も覚悟を決めなければならない、ということかな」
久しく訪れていない故郷を思い浮かべ、譲は薄暗くなった天井を見上げた。




