17話 狸のお宿
旅館の夕食は量が多めであることを見越し、譲たちは地元産の蕎麦粉が自慢という蕎麦屋で、軽く昼食を摂った。
しかし、温泉街では、あちこちで饅頭その他の食材を蒸かす湯気が食欲を誘うごとく上がっている。
饅頭やソフトクリームなどを食べ歩きする観光客たちの姿を見た莉沙が、早くも目を輝かせていた。
「温泉饅頭、お土産用は別に買うとして、やっぱり蒸かしたても美味しそうだよね」
「甘いものは別腹、というやつだね」
譲は、莉沙の楽しそうな様子に微笑んだ。
「それじゃあ、みんな一つずつ食べてみようか……温泉饅頭、四つください」
譲は、手近な店で温泉饅頭を購入しようと、売り子の若い女に声をかけた。
「おや、誰かと思えば真白さんじゃないですか」
そう言う売り子の気配に、譲は覚えがあった。知り合いの妖狐が人間に化けているのだ。
「やぁ、久しぶりだね。きみは、たしか近隣でカフェを経営していたんじゃなかったか?」
「ええ、ここは知り合いの人間の店だったんです。後継ぎがいなくて廃業しようかと言っていたので、我々の一族の手で続けさせてもらうことになったんですよ。菓子の製法も、きちんと習ったので、どうぞ安心してお召し上がりください。我々は模倣も得意ですからね。カフェは弟子に任せてるんですが、よろしければ寄ってやってくださいな」
にこにこと笑う売り子は人間そのもので、よほど敏感な者でもなければ彼女が妖であるなどとは気付かないだろう。
「ずっと『里』にいて分からなかったが、思った以上に、社会に溶け込んでいる妖は多いのかもしれないな」
譲たちの話を聞いていた絢斗が、驚いた様子で呟いた。
「うん、彼らの大半は、僕のように人間の文化を気に入って住み着いているだけの者だから、害はないよ」
購入した饅頭を配りながら、譲は言った。
「ふむ、この店の温泉饅頭は漉し餡なのですね」
まんじゅうを一口齧った綿雪が、嬉しそうに言った。
「綿ちゃんは漉し餡派だもんね。私も漉し餡が好きかな。絢斗さんは、漉し餡派? それとも粒餡派?」
莉沙に突然話を振られた絢斗は、饅頭を喉に詰まらせかけている。
「そうだな……どちらも旨いと思う」
「うん、僕も、そう思うよ。草餅のような生地の主張が強いものには、粒餡が合うよね」
「……そこまで考えたことはなかったな」
譲の言葉に、絢斗はなるほどと頷いた。
ソフトクリームやご当地プリンなどを食べ歩きしたり、射的やスマートボールを楽しんだのち、譲たちは「湯宿・狸囃子」へ戻ることにした。
フロントでチェックインを済ませると、女の従業員が現れた。
二十代半ばに見える彼女の胸の名札には、山田ハルコと書かれている。新人なのか、譲の目にはやや緊張した面持ちに見えた。
「客室係の山田と申します。では、お部屋へご案内いたします」
荷物をカートに乗せて運ぶハルコの背中を見ながら、絢斗が譲に囁いた。
「この人は人間だな。従業員全員が妖という訳ではないのか」
「うん、ここがどういうところか知っていて働いているはずだよ」
二人の言葉が聞こえていたのか、ハルコがちらりと振り返って言った。
「女将さんから、真白様ご一行のご事情は承っておりますので、ご安心ください」
掃除の行き届いた通路には、ところどころに狸を象った置物や個性的な焼き物の壺などが飾られており、訪れた客の目を楽しませようという気持ちが感じられる。
エレベーターで上層へ上がり、ハルコは一つの部屋の前で立ち止まった。
「こちらが本日のお部屋になります。和室のコネクティングルームをご用意いたしました」
室内に入ると、二台ずつベッドの置かれた二つの部屋同士が襖で仕切られた形になっている。
「全員で大部屋でもいいかと思ったけど、莉沙が着替える時とか、恥ずかしいと思ってね。二つに分けられる部屋にしてもらったよ」
「さすがユズ兄、気が利くね。私も、そろそろユズ兄の前で着替えるのは恥ずかしいもん。綿ちゃんなら平気なんだけどな」
譲と莉沙の言葉を聞いて、絢斗が首を傾げた。
「それだと、俺と譲さん、莉沙さんと綿雪さんという分け方になるのか? だが、綿雪さんも男では?」
「私は今のところ、どちらでもないんです。成獣になる際に決めるので」
事もなげに言う綿雪に、絢斗は、ますます首を傾げた。
「ああ……孵化する時の気温で性別が変わる爬虫類や、群れの中で最も強い者が雌になる魚もいるし……そういう妖がいても、おかしくないか」
「ただの獣と同列に語られるのは不本意ですが……まぁ、あなたの理解で問題ありません」
絢斗の結論に、綿雪が肩を竦めてみせた。
「お茶を淹れましたので、どうぞ。なお、こちらのお茶菓子は館内の土産物店にて販売しております」
譲たちが話している間に、ハルコが人数分の茶を淹れていたようだ。
「さっきのお話ですが……私は、ここの女将さんに助けられたのです。離婚した元夫に付きまとわれて困っていたところを、匿ってもらって。山田というのも偽名です。ここで働いている人間のスタッフは、多かれ少なかれ何らかの事情を抱えているんです」
「妖が、人間を助けているということか……いや、俺も譲さんたちに助けられた身だ。あなたと、同じだな」
ハルコの言葉に、絢斗が小さく息をついた。
「……お客様に、こんな話をしてしまって申し訳ありません。真白様たちになら、分かってもらえるような気がして、つい……」
「いや、構いませんよ。僕も、人間と妖が助け合うところを見ると、安心しますから」
すまなそうに肩を窄めていたハルコは、そう譲に言われて、恥ずかしそうに微笑んだ。
夕食の時間になると、部屋には豪華な料理が次々と運ばれた。
「これは、まだ前菜か。まだ天ぷらに焼き物に蒸し物……旅館の料理というのはすごいな」
添えられた品書きを見ながら、絢斗が驚嘆している。
「ここまで手間のかかる料理は、私にも難しいですね。でも、再現できそうなものは覚えていきましょう」
料理を味わいながら、綿雪が言った。
「相変わらず、綿雪は研究熱心だね」
「また、綿ちゃんのレパートリーが増えちゃうね」
譲と莉沙が微笑み合っていると、次の料理が運ばれてきた。
給仕係の従業員と共に、着物姿の女が部屋へ入ってきた。年齢不詳だが、ふくよかな美女は、譲たちに挨拶した。
「女将のキヌでございます。いつもご利用いただきありがとうございます」
「相変わらず、いい宿ですね……ああ、女将さんは狸の妖なんだ」
譲の言葉に、女将のキヌがうふふと笑った。
「初めての方もいらっしゃいましたね。我々はお客様を化かしたりしませんので、ご安心を。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
そう言うと、キヌは部屋を去っていった。
「女将さんは、若い頃に怪我をしたところを人間に助けられたそうだ。今でも、その恩を人間に返すのだと言っている義理堅い狸だよ」
「山田さんのような人を助けるのも、その一環ということね」
莉沙が、譲の言葉に感心した様子で頷いた。
豪華な夕食を堪能した譲たちは、館内の温泉へ向かった。
「外で食べ歩きしたけど、夕食も完食できちゃったね」
廊下を歩きながら、莉沙が笑った。
「俺も、さすがに満腹だ。帰ったら、少し運動量を増やさなければ」
絢斗は自分の腹を擦っている。
「いや、温泉に入ったあとに牛乳を飲むというルーティーンが残っているよ」
「そういうものなのか」
譲の言葉に、綾斗が目を見開いた。
「温泉や銭湯と牛乳の関係には諸説あるようですが、私は美味しいからという理由を推します」
「私は、フルーツ牛乳が好きだな」
綿雪と莉沙が、そう言いながら笑い合っている。
「それじゃ、先に出たら休憩所で合流しよう」
譲と綿雪、そして絢斗は男湯、莉沙は女湯へと分かれた。
「綿雪さん、風呂は男湯なのか」
「どちらかと言えば男性寄りに見えるらしいので、男湯のほうが無難でしょう」
湯船に浸かりながら話す綿雪と絢斗を眺めながら、二人がすっかり馴染んだようだと、譲は微笑んだ。
温泉を堪能し、譲たち三人が休憩所へ足を踏み入れた時、女の悲鳴に近い声が聞こえた。
「他のお客様への迷惑行為はおやめください!」
譲の視線の先では、客室係のハルコと、あまり柄のよくなさそうな男三人が睨み合っていた。
傍らには、泣きそうな顔をした莉沙の姿もある。
「莉沙、大丈夫か? 何があった?」
譲は、慌てて莉沙に駆け寄った。
「ユズ兄!」
譲の姿を見た莉沙が、安堵の表情を浮かべた。
「私が、ここで休んでいたら、あの人たちが一緒にバーで飲もうって言ってきて……未成年だし連れがいるって断ったのに、無理に引っ張っていかれそうになったの」
「なんだと?」
譲は、男たちをぎろりと睨んだ。
一方、男たちは標的をハルコに変えた様子だ。
「おい、ここの従業員は客に暴力を振るうのか? 見ろ、引っ掻かれて傷になっちまったぜ」
一際大柄な男が、浴衣の袖を捲って見せた。たしかに、彼の腕には引っ掻かれたような跡があり、血が滲んでいる。
「それは、あなたが私の腕を掴んで離さないのを、彼女が引きはがそうとしてくれたからでしょ!」
莉沙が、必死な様子で声をあげた。
「貴様、莉沙様に、その汚い手で触れたのか!」
「未成年の少女を連れ去ろうとするとは、不届きな奴らだな」
綿雪と絢斗も、怒りを露わにしている。
「なんだ、お前ら。やるのか?」
「ガキと、弱そうな優男二人か。泣かされても知らんぞ」
男たちが、譲たちを見て下卑た笑い声をあげた。
一触即発と思われた、その時。
「これは、お客様。うちの従業員が何か?」
現れたのは、女将のキヌだった。
「あんた、ここの女将だな。そこの女に引っ掻かれて怪我したんだよ。警察に言ってもいいが、何かサービスしてくれれば目を瞑ってやってもいいぜ」
男の図々しい要求に、譲は眉根を寄せた。しかし、キヌは全く意に介する様子もなく、それどころか笑みさえ浮かべている。
「それは、大変失礼いたしました。では、お客様方には、館内のバーを無料でご利用いただくというのは、いかがでしょう」
女将の言葉は、男たちにとっても思いがけないものだったらしい。
彼らは一瞬顔を見合わせたあと、大柄な男が言った。
「……そうか、それなら勘弁してやってもいい。従業員は、きちんと躾けとけよ」
「では、私がご案内しますので、こちらへいらしてください」
キヌに案内され、男たちは休憩所から出て行った。
「なんだ、あれでは泥棒に追い銭のようなものではないか」
意気揚々と去っていく男たちの背中を睨みながら、絢斗がぼそりと言った。
「ふむ、あの女将さんのことだから、何かあるとは思うけど」
言ってから、譲はハルコのほうを向いた。
「莉沙を守ってくれたんですね。ありがとうございます。女将さんには、あとで僕たちからも証言しておきますから」
「いえ……あの人たちを見たら、元夫のことを思い出して腹が立ってしまって。お騒がせして申し訳ありません」
譲の言葉に、ハルコが恐縮したように答えた。
翌日、朝食と朝風呂を済ませた譲たちは、チェックアウトしようとフロントに向かった。
譲はカウンターの向こうにキヌの姿を見つけ、声をかけた。
「女将さん、昨日のことですが、山田さんは莉沙を守ってくれただけなので、どうかお咎めなしということでお願いします」
「ええ、もちろん。あのお客様たちは、昨夜バーで恐ろしい夢を見ていただいたあと、早朝に出て行ってもらいました」
女将が、妖艶に笑った。それは、譲でさえ、どこかぞっとする笑みだった。
「私の夢の術は、本人にとって最も恐ろしいものを見せるという術です。人間相手ですし、精神が壊れない程度に手加減はしますけどね。なお、あの方たちは永久出禁にしたので、この宿を見つけることすらできません。真白様たちは、どうかこれからも安心してご利用いただければと」
「もちろんです。また利用させてもらいます」
女将やハルコに見送られ、譲たちは「湯宿・狸囃子」をあとにした。
「やはり、妖は恐ろしい面があるものだな」
先刻の女将の話を思い出したのか、絢斗が呟いた。
「莉沙に手を出そうとしたんだ。あの男たちに対しては、むしろ生ぬるいくらいだよ。しかし、最も恐ろしいものを夢で見せられるというのは、どんなものかな」
「私は……ユズ兄がいなくなっちゃう夢とか、嫌だな」
莉沙が、少し寂しそうな顔で譲の言葉に答えた。
「そんなことはないから、大丈夫さ」
――僕も、莉沙が自分の前からいなくなることが最も恐ろしいことかもしれない……
莉沙を宥めながら、譲は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。




