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13話 特別になりたい

 土門から「黒いモヤの男」の情報を得た譲は、絢斗と撫子を伴い、男の自宅近くへ向かった。

 家にいる莉沙の護衛は、綿雪とハリネズミたちに任せてある。


「奴の行動パターンから見て、昼から日没までの間に外出する可能性が高い。食料の買い出しなどで外に出る機会があるはずだ」

「そこを捕まえるということだな」


 譲の言葉に、絢斗の目が光った。


「いや、いきなり強硬手段をとると、却って取り逃がす可能性がある。そこで、撫子の出番だ」


 そう言って、譲は傍らを歩く撫子を見た。


「うん、任せといて」


 すっかり現代の若い女性といった装いの撫子が、ウインクしてみせた。


「相手は火を操る能力を持っている可能性があるから、無理をしてはいけないよ。特に、きみは絵の付喪神だ。火に対する耐性が低いだろうからね」

「ユズっち、心配してくれてるの? うふふ、大丈夫よ」


 やがて三人は、「黒いモヤの男」の自宅に近い路地に到着した。

 男の住所にあったのは、いわゆる軽量鉄骨造と言われる、結構な年季の入ったアパートだ。

 絢斗は譲と撫子を残し、所定の場所へと移動した。

 しばらく経って、アパートの二階にある部屋の一つから男が姿を現した。譲の目で見ると、やはり、その全身は黒いモヤで覆われている。


「撫子、頼む」


 譲が囁きかけると、撫子は自分の姿を制服姿の莉沙そっくりに変化させた。


「それじゃ、あの人を例の場所へ誘い込めばいいのね」

「きみの脚なら捕まることはないだろうけど、気をつけて。僕は姿を消して追うから」

「それなら安心っしょ。行ってきま~す」


 そう言うと、撫子はアパートの階段を降りてきた男に向かって歩き出した。譲も、すかさず姿を消し、彼女の後を追う。


「……火洞(ひどう)さんですね。お話したいことがあるんです」


 莉沙の姿をした撫子が本名で呼びかけると、「黒いモヤの男」こと火洞は、ぎくりとした表情を見せた。


「ひ、人違いだ。俺は火洞なんて名じゃない。急いでるから、どいてくれ」

「そうなの? でも、私は、あなたがどういう人か知ってるよ」


 人違いだと言い訳して通り過ぎようとした火洞だが、撫子の言葉に驚いた様子で振り向いた。


「なんだと? ……まさか?」

「場所を変えようよ。私に、ついてきて」

「ま、待て!」


 細い路地へと歩いていく撫子の後を、火洞が追った。


 ――上手いぞ、撫子。大した機転だな。


 そう思いつつ、譲も二人の後を追った。

 火洞は撫子を追いながら、必死に彼女の腕を掴もうとしている。しかし、撫子は絶妙なタイミングで(かわ)して、火洞に指一本触れさせることはない。


「こっちよ」


 早くも息切れしている火洞に対し、撫子の足取りは軽いままで、余裕すら感じさせる。

 いつしか、彼らは人気のない路地裏へと入っていた。


「おい、お前、俺の何を知っている……」


 脚を止めた撫子を前に、火洞は両膝に手を当てて屈み込み、ぜいぜいと息をしながら彼女を睨んだ。


「あなたが、火を点けて回っているんでしょ?」


 撫子の言葉に、火洞が目を剥いた。


「あの時、俺を見て驚いた顔をしていたのは……お前、やっぱり見えてるんだな!」


 飛びかかってきた火洞を(かわ)し、撫子は譲のいる方向へと走ってきた。

 譲は撫子を自分の後ろへ庇うように立ち、姿を現した。


 「な、なんだ、お前!」


 撫子を追いかけようとしていた火洞が、突然現れた譲を目にして足を止める。


「火洞さん、だろう? 身に覚えがあるようだけど、話を聞かせてもらいたい。特に、その『黒いモヤ』についてね」


 譲は、改めて火洞の姿を正面から見つめた。黒いモヤに覆われていることを除けば、どこにでもいそうな、むしろ気弱な印象の男だ。

 火洞は、不意に身を翻して走りだそうとしたものの、その進路に絢斗が姿を現した。


「もう、逃げられんぞ」


 言いながら、絢斗は認識阻害の呪符を投げ上げた。呪符が淡い光を放ち、光の粒子となって霧散する。これで、万一無関係の人間が通りかかっても、譲たちの存在に気づくことはないだろう。

 文字通り進退窮まった火洞の顔からは、血の気が失せている。


「K町で起きている連続放火事件……現場周辺の防犯カメラには、きみの姿が何度も映っているということだ。SNSで事件について投稿し注目を集めていたアカウントが、きみのものだということも分かっている」

「だ、だから何だよ。俺は、偶然小火(ボヤ)の現場に出くわしていただけだ。放火した証拠だってないんだろう? 言いがかりだ!」


 言い訳をしつつも、火洞の顔からは、ぽたぽたと冷や汗が落ちている。


「話を変えよう。きみは(あやかし)に憑かれている。その『黒いモヤ』……それは人の負の感情を糧にするあやかしのものだ。そいつから火を操る『力』を得たのだろうけど、もう使うのはやめたほうがいい」


 譲の言葉に、火洞は()()()と肩を震わせた。


「お、俺に命令するな! 火事の投稿をするようになって、やっとSNSでも注目されるようになったのに……嫉妬した奴らのせいでアカウントを消す羽目になって……絵を描いても小説を投稿しても誰も俺なんかに見向きもしない……そうだ、お前らみたいな元々きれいな顔の奴らが女を独占するから、俺には彼女もできない……だから、この『力』で他の奴らも不幸にしてやるんだ!」


 火洞は叫ぶと両手を握り締め、全身に力を込めた。

 譲は撫子を横抱きにして飛び退(すさ)った。絢斗も同様に、火洞から距離をとった。

 かけていた眼鏡――黒縁を外し、譲は言った。


「撫子を頼む」

「了解です」


 瞬時に書生姿へと変化した黒縁は、撫子を連れて譲たちから離れた。

 

「お前らもゴミと同じように燃やしてやる!」


 一方、火洞が譲と絢斗に向かって、(てのひら)から次々に火球を飛ばしてきた。


「なるほど、こうして離れた場所から放火していた訳か」


 飛来した火球を、まるで埃でも払うごとく叩き落しながら譲は言った。


「その程度の火球、利かんぞ。それに、俺は彼女いない歴イコール年齢だ」


 絢斗の周囲には、淡く光る光の壁が展開されている。「闇狩り」の術の一種だろう。


「な、なんなんだよ、お前ら……! お、俺の『力』が……」


 自身の「力」が全く通用しないのを目の当たりにして、火洞は狼狽えている。


「さっきも言ったけど、その『力』を使うのはやめるんだ。それは、いわば『命の前借り』……『力』を使う度に、きみの命は削られているんだぞ」

「う、嘘だ! ()()()は、俺の『真の力』が目覚めたって……」


 火洞は、再び炎を生み出し、譲と絢斗へと放った。


「この『力』がなくなったら……俺は、また『ただの人間』に……『特別じゃない人間』に戻ってしまう……冗談じゃない!」

「……仕方ないか」


 譲は飛んでくる炎をものともせず火洞に突進し、その鳩尾(みぞおち)へ拳を叩き込んだ。

 光を放つ譲の拳が火洞の身体に触れると、彼を覆っていた黒いモヤが、奇妙な声を漏らしつつ剥がれるように離れた。


「そいつが本体だ! 逃がすな!」


 譲が言い終えないうちに、抜刀した絢斗がモヤを両断する。斬られた瞬間、黒いモヤから小さな悲鳴があがった。


「この刀は、実体を持たない存在も斬れるのだ」


 刀を鞘に収めつつ、絢斗が言った。


『……その男……可惜夜(あたらよ)の民だな……いや……半妖か……』


 その時、不快な()()()()を伴う思念を、譲は感じた。


『……下界にも、貴様のような者が……覚えたぞ……我は、個にして全……』


 不可解な言葉と共に、黒いモヤは霧散した。


 ――僕が何者かを見抜いた? この(あやかし)、何を知っているんだ?


 黒いモヤの残した思念に、譲は心に小さな(わだかま)りを植え付けられたような気がした。


「……個にして全、だと? 同じような存在が、他にもいるというのか?」


 黒いモヤが消えた辺りを見つめ、絢斗が呟いた。


「きみにも聞こえたか。同じような(あやかし)は時々現れるけど、どこかに群れがいるのかもしれないね」


 ぐったりとしている火洞を地面に横たえながら、譲は言った。


「その人、死んじゃったの?」


 黒縁と共に近づいてきた撫子が、戸惑った様子で尋ねた。


「いや、意識を失っているだけだよ。さっきの僕の技は、肉体には損傷を与えず、憑りついているものだけにダメージを与えるんだ」

「しかし、その男、ずいぶんと老け込んだように見えますが」


 首を捻りながら、黒縁が言った。たしかに、せいぜい三十歳前後にしか見えなかったはずの火洞の顔には、いつの間にか年齢不相応な皺が刻まれ、ひどくやつれたように見える。

 

「『力』を使った代償だよ。二十年くらい前だったら、僕も説教の一つや二つしていただろうけど、何を言っても通じない人がいるというのも学んだからね」


 ただの人間に戻りたくない――火洞の言葉を思い出した譲は、彼に僅かな憐憫の情を覚えた。

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