第9話 烈火の激辛パウダー
葵は相変わらず副業で忙しかった。夏休みの課題もバリバリとこなしていたので、寝不足だったが、今日は久々にバイトだった。
バイト先は従兄弟が経営しているラーメン屋だ。小さなお店でカンター席が六つしかないものの、こだわりのスープが目玉で常連客も多い。メディアに取り上げられたこともある。激戦区の飲食店街にあるものの、人気を維持していた。といっても人手不足だけはネックらしく、今日は夏休みでバイトが実家に帰ってしまったので、葵にヘルプがきたという訳だ。
「いらっしゃいませ! お水冷えています!」
カウンターの内の厨房は地獄のような熱さだったが、葵は笑顔で接客していた。
よく知っている常連客も多いし、葵はちゃっかりと看板娘ポジションに立つ。愛想よくバイト中だ。
昼時は特に忙しいが、嫌じゃない。特に今は忙しクしていると、敦の呪いやホットガイ化も忘れてしまい、実に機嫌がいい。もっとも新メニューには激辛唐辛子ラーメンもあり、それを運んでいる時は、何かを思い出してしまったが、あっという間に昼時も終わり、一旦準備中になった。店の看板に「準備中」の看板も葵が置きに行った。
「葵ちゃん、おつかれ。賄いだよ」
「わーい、良作にいちゃん、ありがとう!」
カウンター席で従兄弟と一緒に賄いの豚骨ラーメンを食べた。
思わず無言になるぐらい美味しい。コッテリ系スープは労働後には特に滲みる。麺もツルツルで喉越しが良く、いくらでも食べられそう。
従兄弟の良作にいちゃんは元々サラリーマンだったが、妻の反対を押し除けラーメン屋を開いた。有名店での修行経験もあるそうで、スープのレシピなどは葵も決して見せてくれない。見た目は温厚なアラサー男性だったが、ラーメンの事になると、こだわりがある職人だった。
「美味しかった。ご馳走様でした、良作にいちゃん」
「それはいいけど、葵ちゃん。うちの激辛唐辛子ラーメンに何か思い入れでもあるの? あのラーメン見るたびに、微妙な顔していなかった?」
鋭い。さすがラーメン職人だ。あの葵の些細な変化もラーメンの事だったら、気づいた模様。
「実は……」
お腹いっぱいというのもあるだろう。気が緩んでしまい、うっかり敦の事を相談してしまった。もちろん、詳細は言えないし、激辛魔王の呪いなんて信じてくれないのは覚悟の上だったが。
「えー、その話本当? 異世界ファンタジー?」
といっても、良作にいちゃんは面白がっていた。智美と似たような反応だ。とりあえず相談してよかったと思う。
「しかし、自炊して、美味しい、ありがとうと言う時だけ呪いが発動しないのは妙だな」
良作にいちゃんは、こんな荒唐無稽な話も真剣に聞いてくれていた。何とか呪いを解く方法がないか、首を捻ってくれた。
「そうなのよ。どういう法則で呪いが動いているのかな。一応それっぽいのは見えたけど」
「うーん、でも手料理って人の温かみや愛情を感じやすいよね。愛があるものには、呪いが発動しないんじゃないな?」
良作にいちゃんの声を聞きながら、ハッとした。確かに手料理、美味しい、ありがとうという言葉の共通点は「愛」だ。
「愛が呪いを解くのなかな? まあ、わからないが、これをあげよう」
「何これ?」
良作にいちゃんは、小袋に入った唐辛子パウダーを見せた。真っ赤だ。匂いはしないが、見ているだめで舌が火傷しそう。このパウダーは激辛唐辛子ラーメンを倍以上に辛くするトッピンググで、滅多に注文する人もいなが、良作にいちゃんがスパイスをブレンドし、火を吹くほどに辛いという。スパイスも日本各地のいい唐辛子を混ぜ、特別な配合だという。
「これもこだわりの逸品だ。僕の愛情が詰まってる。これを食べてもホットガイ化しないんでは?」
「うーん、どうだろう?」
「とりあえず試してみなよ」
結局、良作にいちゃんから唐辛子パウダーを受け取り、今日のバイトは終了した。
その後、コアワーキングスペで副業をこなしたので、帰る時間は夜の八時過ぎになってしまった。
「もうこんな時間じゃん! 早く帰らないと」
急いで駅からアパートまで歩く。確か冷蔵庫の中には食材は置いてあったけれど、敦はちゃんと食事できただろうか。
連日の熱さで参っていないだろうか。過去の記憶を思う出し、落ち込んでいたりしないだろうか。
歩きながら、なぜか敦の事ばかり考えていると自覚した時だった。
「よぉー、ギャルじゃん。一緒に遊ばない?」
うっかりしていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。
受け付けないタイプのヤンキーだ。ボサボサの金髪に、タンクトップ姿。ズボンもダボダボでだらしくなく、タバコの臭いもきつい。馴れ馴れしい態度も全く紳士的じゃない。
「けっこうです」
キッパリと断っただけだが、ヤンキーはあからさまに不機嫌になり、さらに葵に絡んできた。
「なんだよ、ちょっとぐらいいいだろ? 別にナンパとかじゃねーし!」
前にも似たような事があったが、あの時は通行人の高校生カップルに助けられた。今は運が悪いことに周囲に誰もいない。
「何だよ、ノリわりーな! ちょと遊ぼって言ってるだけだろ? どうせ夏休みだろ? ちょっとぐらいいいだろ?」
葵の行手を塞ぎ、逃げられない状況だった。急いでスマホを取り出す。これは警察を呼ぶしかないと思った時だった。
敦がいた。ジャージ姿で、髪もボサボサ。髭もうっすらと生えている。いつもアパートにいる時と同じ姿だったが、なぜ、ここに?
「何だよ、おめーは誰だよ?」
ヤンキーは敦にまで絡み始めたが、その目は熱く燃えていた。ホットガイ化はしていないはずなのに、どういうことだ。ヤンキーに怒っているのだろうか。確かに普段は紳士な敦は、こんなヤンキー受け入れなれないはずだが。
「僕は君のようなヤンキーは嫌いだ」
「何だと!」
これは不味い。意外と敦ははっきりと言うタイプだった。敦とヤンキーが喧嘩勃発しそう!
葵もパニックになりそうだったが、ふと、夜空を見上げたら、月が出ていた。この月を見ていたら、冷静さを取り戻す。確かカバンの中には、激辛唐辛子パウダーが入っていたはず!
急いでそれを取り出し、敦に投げた。
「あっくん、今こそホットガイ化だよ!」
敦も葵の意図をすぐに読み、唐辛子パウダーを一気に口に含むと……。
敦の目は炎のように真っ赤になり、肌もホットに焼け、ムキムキの筋肉質の身体でヤンキーに迫った。
「よお、可愛い子猫ちゃん。俺と一緒に終わらない夢を見ようじゃないか?」
ホットガイ化した敦は、ヤンキーに近づき、火傷しそうなほど熱く見つめていた。
「な、なんだ? おめーは!」
「俺の名前はホット・ガイ。君を夢中にさせる為に現れた激辛天使。終わらない夢を見させてあげるぜ」
敦、いや、ホット・ガイはヤンキーの顎をくいっと掴み、熱い吐息を被せていた。烈火のような息だ。その目もごうごうと燃えさかり、なぜかシャツもはだけ、鍛えぬかれた筋肉も見えていた。
ヤンキーがこんなホット・ガイにビビり、腰を抜かすと、尻尾を巻いて逃げて行った。一瞬の出来事だった。
「なんだよ、この変な男は! きも!」
遠吠えも響いていたが、どうやら助かったらしい。一気に力が抜けそうになるが、なんとか膝に力を入れて立つ。
「葵さん、大丈夫?」
正気にも戻った敦はすぐに葵に駆け寄る。その目はまだ熱い。ホットガイ化は終わったはずなのに、まだヤンキーへの怒りがあるのはなぜだろう。
「まったく、あんなヤンキーは酷い奴だね。さあ、葵さん、帰ろう」
「う、うん」
一緒に敦と帰ったが、心臓がドキドキと跳ねている。ホットガイ化した敦なのに、はじめてかっこよく見えてしまう。ホット・ガイなのに。激辛魔王の呪いにかけられ、セクハラばっかりしているのに。確かにあの時の敦はヒーローに見えて仕方ない。
また夜空を見上げた。月と目が合うが、今度はちっとも冷静になれない。それどころか、隣にいる敦を意識すればするほど、心臓がドキドキとうるさい。




