第8話 哀愁のおうちカレー
アパートのテレビでは韓国ドラマが流れていた。
「サランヘヨ! サランヘヨ!」
ヒロインが愛を告白するシーンが流れ、いよいよクライマックスだ。
以前は倍速で適当に動画を見ていた。今はちゃんと視聴し、ツッコミも入れない。もちろん冷笑もしない。
ちゃんと視聴すると、どの動画も面白い事に気づく。作り手の細かいこだわりが伝わり、王道だとか、ご都合主義だとツッコミを入れるのも野暮だと思えてくる。
結局、世界を面白くさせるのも、つまらなくさせるのも自分次第なのだろう。だとしたら、面白くした方が絶対にお得だ。
「あー、面白かった。あっくん、この韓国ドラマはどう思う?」
「そうだね。ヒロインの演技が細やかで、視線もいい。勉強になった」
まだ呪いについては謎が多い。キムチチャーハンの件も全くわかっていないが、激辛魔王が韓国ドラマファンだった可能性も捨てきれない。毎夜、敦と一緒に韓国ドラマを視聴することになった。敦も腐っても元アイドルだ。韓国ドラマも勉強になるシーンが多いらしく、熱心にメモまでとってる。
「じゃあ、もう一作みよう。今度はラブコメだね」
さっきまでは悲恋系の韓国ドラマだった。心なしか、今いるアパートの空気もシリアスになってしまったが、次のラブコメを流し始めたら、カラッと明るくなってきた。
御曹司と貧乏ヒロインの身分差ラブコメだったが、壁ドンやキス未遂、頭をポンポンなど甘いシーンも多い。
思わずホットガイ化した敦を連想し、葵は気まずい。
ちょうど、今はヤンキーに絡まれたヒロインをヒーローが助けるシーンも流れている。これがきっかけでヒロインが恋に落ちるので、演出も派手だ。ヒロインの「きゅん」という心臓の音も聞こえてきそうな雰囲気で。
恥ずかしい。気まずい。葵は目を逸らすが、敦は全く気にせず、もくもくと演技内容をメモしているだけだった。
なぜかホッとした。もし、ここで敦も過剰反応していたら、居た堪れない。
それにドラマの中に登場する韓国グルメも美味しそう。キムチラーメン、チゲ、ヤンニョムチキン、トッポギなど見ていると腹が減る。韓国グルメは赤色が多く、ドラマ画面も映えるが、視聴者の食欲も刺激してしまう。寝る前に見るんじゃなかった。
それは敦も同じだったらしい。
「お腹減った……」
そう呟いているぐらいだが、やはり激辛魔王が韓国ドラマファンという可能性は捨てきれない。実際、こうして視聴している葵もハマってしまった。
「だったらあっくん、韓国グルメで実験してみる?」
「そうだな。キムチチャーハンで呪いが発動しなかったんだから、何か法則性があってもおかしくないね」
「あー、それにこのトッポキ美味しそう! やっぱ実験しよ! 何かわかるかもしれない」
という事で翌日からキムチラーメン、スンドゥブ、ヤンニョムチキン、トッポキなど韓国系激辛グルメで実験してみた。
「可愛い子猫ちゃん、辛くて甘いトッポギみたいな一夜を過ごそうぜ」
「ぎゃー、やっぱりホットガイ化した!」
しかし、どの韓国グルメも普通にホットガイ化してしまう。
次の日はキムチチゲで実験した。レトルトのチゲを温め、卵をトッピングした。地獄の炎のように真っ赤な色だ。実際、葵も試食したが、これまで一番激辛だった。
「ちょ、これ以上、近づかないで!」
「サランヘヨ。俺は子猫ちゃんをサランヘヨ」
「変な韓国語使うのやめてもらっていいですか?」
韓国系激辛グルメでは、キムチチャーハン以外全滅だった。
「子猫ちゃん、ドラマみたいな恋をしようぜ」
その上、葵の頭をポンポンとし、手も握ってきた。セクハラも濃厚だ。普通の男がやったら犯罪行為で、どうにかイケメン無罪を保っていたが、もう限界だ。
「ちょ、もういいから! 本当にホット害だね!」
寒いギャグを言うと、敦のホットガイ化も止まった。その事もわかったが、どうやら韓国系激辛グルメだから、呪いが発動しないわけでもない。
次の日、葵はコアワーキングスペースで副業をバリバリと終えると、今までの敦のホットガイ化を振り返ってみた。
辛さとセクハラ度は比例する。葵が寒いギャグを言うと、ホットガイ化は止まる。グルメの種類、国も関係ないらしい。敦本人がそのグルメが苦手かどうかも関係ないようだ。
「だとしたら、何? キムチチャーハンだけ呪いが発動しなかったのは?」
もう一度思い返すと、あの時、自炊をしてキムチチャーハンを用意した。
「あ、そういえば!」
気づいた。ホットガイ化した時は、コンビニ、冷凍食品、レトルト食だった。手料理だった場合は呪いは発動しないのかもしれない。
それにキムチチャーハンの時は「ありがとう」や「美味しい」という言葉も言っていた。ホットガイ化した時は、そのどちらも言っていなかった。
自炊が呪いを解く鍵だろうか。仮説を立てたが、これは再現できなければ、単なる空想だ。
「こうしちゃいられない」
葵は副業を終えると、すぐにスーパーに走り、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、牛肉、カレールウを購入した。カレールウは辛口だが、それでいいはず。
今晩は手作りおうちカレーだ。自炊キャンセル中の葵だが、敦と協力すれば、何とか完成するだろう。
アパートに帰ると敦はダンス動画で勉強中だったが、無理矢理キッチンに連れていき、この仮説を披露した。
「そうか。確かにキムチチャーハンの時は、一緒に料理したな」
「でしょう? 何か呪いを解く鍵があるはず!」
敦も納得し、二人でキッチンに立ってカレーを作った。
葵はニンジンやジャガイモの皮剥きを担当し、敦は玉ねぎを切り。フライパンで炒めていた。飴色の玉ねぎは、いい匂い。見ているだけでも食欲が出てくる。
敦は相変わらず手際がいい。葵は野菜の皮剥きでも四苦八苦中だったが、敦は、玉ねぎも難なく切っていた。どの後、肉も炒めて、野菜も煮込み、カレールウを入れてさらに煮込んだ。
「そういえばカレーに隠し味って入れるっけ?」
「入れるよ、葵さん。うちはチョコレート入れてた」
「本当?」
という事で敦のアドバイス通りにチョコレートもひとかけら入れてみた。特に甘くならないらしいが、コクやまろやかさが出るらしい。こうして煮込み、カレーが完成した。
野菜がゴロゴロとしたカレーだった。どう見ても本格インドカレーではない。ナンではなく、白米が似合う味だ。日本の代表的な家庭料理だ。簡単にいえばおふくろの味。葵の母が作るカレーともそっくりで、目頭が熱い。
実際、味もどこか懐かしく美味しい。日本人の遺伝子を刺激するようなカレーだった。
「美味しいね。こういうカレーがいいんだよね。あっくん、ありがとう」
時に意識した訳ではないが、キムチチャーハンの時と同じ言葉も呟いていた。
「いや、こっちこそありがとう。このカレー、家でよく食べていた味だな。お袋の味ってやつかもしれない」
敦の目頭も熱かった。このカレー、何か哀愁を刺激してしまう。一人暮らしが長い葵もそう。一家離散を経験している敦もそうかもしれない。二人とも家庭の味に飢えていたのだ。
気づくと二人とも無言で食べ続け、食卓の皿はあっという間に空になった。
さて、敦のホットガイ化はどうだろう……?
「ありがとう、葵さん。一緒に食事してくれて。とても美味しかった」
葵は思わずガッツポーズをとった。目の前には優等生で紳士な敦がいた。ホットガイ化はしていない。呪いは発動しなかった。
この実験は成功した。その後、何度か自炊してキムチチゲやペペロンチーノやドライカレーを一緒に食べたらが、呪いは発動しなかった。仮説には再現性があったのだ。
しかし、葵は謎だった。なぜ自炊し、「ありがとう」と「美味しい」と言った時に限り呪いが発動しないのだろうか?
いつも一緒に自炊するというのも、なかなか大変。特に自炊キャンセル中だった葵は、これが負担にも感じていたが、レトルトやコンビニ食の激辛グルメだと相変わらずホットガイ化してしまう。
確かに大きな一歩だ。ようやく法則性が見えてきたが、呪いが完全に解けた訳ではない。大きく前進はしているが、まだ頂上にすら辿り着けていない感じだ。
そんなある日、副業の疲れもあり、うっかりコンビニのホットチキンを買い、敦と一緒に食べてしまった。
「可愛い子猫ちゃん。ホットな一夜を過ごそうぜ」
ホットガイ化した敦が葵の顎をくいっと持ち上げる。近い。すぐ側に敦の顔がある。熱い吐息が葵の頬にかかる。かなり近い。敦の毛穴すら見えそうな距離だったが、今にもキスしてもおかしくない。激辛魔王の呪いのくせに、甘やかな雰囲気だ。カレーの隠し味に入れたチョコレートの甘味は完全に消えていたのに、ホットガイ化の敦は甘さも隠さなくなってきた。
「もう何なの! このホット害は!」
相変わらず葵は貞操の危機にあった。




