第3話 激辛魔王の呪いと旨辛ペペロンチーノ
推しを拾ってしまった。捨て犬を拾ったような軽いノリだったが、今更ながら困惑していた。わけもなく、指先がふるふるしてる。
時計を見ると、もう日付けが変わりそう。敦は今、シャワー中とはいえ、一人で悶々としてしまう。
今いるアパートは、ワンルームだ。ロフトもあり、比較的広い。敦をソファで寝かせ、葵はロフトで寝起きすれば、大人二人が同居しても問題はない。
「いやいや、推しといっても、炎上起こした人だし……」
この状況、客観的に考えたら美味しいわけだが、手放しに喜べない。喜べる方がおかしい。
葵はロフトの掃除を終え、しばらくここで寝る準備をした。部屋も軽く掃除し、ソファに座り込むが、笑えない。
もう一度、敦が炎上を起こした時の動画を見てみた。この動画、海外まで飛び火し、一億回ぐらい再生されていた。
「俺だけを見てろよ、子猫ちゃん」
敦はインドカレー屋で食レポした後、女性店員に壁ドンし、ホットガイ風のセリフを呟く。
コメント欄では「イケメン無罪!」というのも多かったけれど、ファンの失望の声も多い。元々優等生の王子様路線で売っていた敦。スキャンダルもゼロで、スタッフや共演者の評判もよかった。仕事も真面目で、ストイックなエピソードは山とある。だからこそ、このホットガイ化はファンにとって受けいられない。失望しか生んでいなかった。
「でも、なんでホットガイ化? わけわからない。さっき、私にもホットガイしていたし、どういう事……?」
コメントを読み漁ったが、「イケメン無罪」ばっかり。時にアメリカの女性のコメントではホットガイ化を大歓迎していた。「セクシーなホットガイね☆」とコメントも目につき、辟易としてしまう。
「あれ、よく見るとインド人のコメントがついている。翻訳してみよう。敦くんは激辛魔王の呪いを受けたかもしれない……? って何これ?」
すぐに動画サイト内で「激辛魔王 呪い」で検索してみたが、ヒットしない。英語でも検索してみたが、めぼしい情報は得られなかった。
「お風呂、ありがとう」
「ぎゃ!」
スマホに齧りついていたら、目の前に敦がいた。驚きで変な声が出た。
しかし風呂あがりの敦は、目に毒だった。清潔感があり、渇ききっていない髪が色気がある。肌も絹もように艶やか。少し赤い頬や、石鹸の匂いも本能を刺激しそうで恐ろしい。敦は何もしていないのに、存在しているだけで色気が溢れている状態だ。
葵は咳払いすると、冷房の温度を下げ、麦茶を出した。
こんな男が目の前にいるものの、なんとか理性でブレーキをかけた。
それに敦、今は紳士だった。ホットガイ化が嘘のように、距離をあけ、ソファに座る。不躾に葵を見ていない。麦茶のお礼をすると、丁寧に自己紹介を始めた。
「黒瀬敦です。二十三歳、東京都出身。十年前から芸能界でアイドルをしていました」
「知ってる」
そんな基礎中の基礎のプロフィールは葵の頭に入っている。芸能界入りした時は、アイドルグループを結成してた。ホット☆スターというグループで、そこでセンターも張っていた。イメージカラーは黒だった。
ホット☆スターはさほど売れずに解散した。敦以外のメンバーもほぼ引退状態だ。その後、ソロデビューした敦は舞台、ドラマ、CM、動画チャンネル、雑誌などで活躍していた。優等生王子様キャラでファン層も中高年女性にも拡大していた最中、炎上を起こし、引退状態だった。それ以降の敦は何も知らない。
「私は氷川葵。大学生で英文学やってる。といってもそれじゃ将来が不安だから、今はSNS代行とか副業してる。英語の翻訳の副業とか」
葵も自己紹介したが、敦はうんうんと頷きながら、ちゃんと聞いてくれた。その姿は、かつて葵が好きだった推しと重なる。泣きたくなる。なぜ人気アイドルから転落?
「私、あなたを推してた。好きだった。仕事への真面目な態度とか、プロ意識とかも。ダンスも歌も、演技も」
口を尖らせ、責めているみたいな声が出てしまう。
敦も咳払いし、目が泳いでいた。ファンを裏切ってしまった自覚はあるらしい。
「ファンには悪いと思ってる」
「だったら何で? 何か事情があるの? でも逃げるように消えるのはダメじゃん。本当に失望した!」
これじゃ本当に責めているみたいだが、また敦が謝るから、余計に言葉が溢れてしまう。今は冷笑系キャラだったのに、当時の思いはどうしても消せない。
「事情を話してよ。なんで激辛グルメを食べたらホットガイ化するの?」
「わかった。葵さんには助けてもらった。事情を話す」
その目はとことん誠実だ。また葵の本能がキュンとしそうだったが、敦の事情を聞く事に。
元々、敦は幼少期からイケメンだった。女性達にキャーキャー騒がれるだけでなく、変質者から狙われる事も多かった。誘拐も日常茶飯事だったらしい。
「嘘……」
そんなプロフィールは一度も聞いたことがない。幼少期から王子様キャラでモテモテだったとは聞いていたが、そんな苦労があったなんて、全く知らない。
そして事件は十歳の時に起きた。インド風の異世界に誘拐され、一年以上、日本に帰ってこれなかった。
「えー?」
急に話がファンタジーになったが、そういえばインターネットの書き込みで、同級生らしき人が「敦くんは神隠しにあった事がある」と見た事がある。非科学的とはいえ、とりあえずこの話を受けとめた。
「むしろ異世界では裕福な暮らしができたんだよ。毎日美味しいカレーやナン、ビリヤニ、タンドリーチキン、チャイやラッシーまで食べ放題で。魔王にも気にいられて、ちょっと楽しくもあった」
「へ、へえ……」
「でもある日、メイドの女の子と話していたら、魔王が嫉妬したんだ」
ここから敦の声が苦くなってきた。
「呪いをかけられてしまった……」
「ま、まさかその呪いって!?」
葵の目が丸くなる。まさか、ありえないが、激辛グルメを食べたら、ホットガイ化するってこと?
「うん、そう。しかも激辛グルメを定期的に食べない時もホットガイ化する……」
敦の声を聞きながら、頭を抱えた。そんな呪いがあってよかろうか。非科学的で荒唐無稽な話だが、敦の声は苦く、目は誠実。嘘をついているように見えない。それに嘘をつくのなら、こんなファンシーな話題を出す必要もない。もう少しリアルティのある上手い嘘をつくはずだ。
こうして炎上や先程のホットガイ化の謎は解けたが、どうしよう。敦の事情は想像以上に深刻ではないか。
「そうなんだよ。事情を知っている事務所社長やマネージャーの協力でなんとか今まで暮らせていたけど、日雇いの現場でもホットガイ化しちゃうし、どうしよう」
敦も頭を抱えていた。葵もにわかには信じられないが、行き場がなく、お金も持っていない理由も察した。この呪いは芸能活動はおろか、日雇いの仕事もハンデになる。それどころか生活にだって支障があるだろう。
「いや、でも待って。あっくん、信じられないよ」
葵の目は虚無だった。思わずアイドル当時のニックネームで呼んでしまったが、全然受け入れられない。あの炎上騒ぎも、敦が好んでしたわけではないとわかったのは救いだが。
「いやいや、本当に信じられないから」
葵はそう言うと、ソファから立ち上がり、ふらふらとキッチンへ向かう。呪いとか異世界の激辛魔王とか、情報量が多くてついていけない。
頭も痛くなってきたが、キッチンの冷凍庫を漁ると、冷凍のペペロンチーノがあった。パッケージには「旨辛ペペロンチーノ!」とある。これも激辛グルメの一種だろう。
呪いなど信じられないが、これをレンチンし、敦に食べさせ、反応を見てみよう。感情は混乱状態だったが、少しは思考力は残っていた。
レンジからペペロンチーノを取り出し、皿に盛る。唐辛子とニンニクのいい匂いがする。オリーブオイルの色合いもいい。遠目に冷凍には見えない一品だ。実際、SNSでも評判が良く、葵もよく食べていた。
「これ、食べてみてよ。本当に激辛グルメでホットガイ化するの!?」
葵はそう迫り、敦にペペロンチーノを食べさせた。最初は拒否していた敦だったが、葵の押し に逆らえなかったのか、ペペロンチーノの匂いに惹かれたのかフォークを掴み、食べていた。
食べている間はホットガイ化していない。品よく食べている。咀嚼音も立てず、姿勢もいい。フォークを持つ指も綺麗だ。さすが元アイドルだったが、食べ終わった瞬間、敦の目の色が変わった。
「可愛い子猫ちゃん。俺だけを見てろよ」
その声は太陽のように熱い。
視線も同じぐらい熱い。火傷しそうな熱量で葵を見つめる。
「いや、なんで日焼けしているの! 無駄にシャツをはだけさせているのはなぜ!?」
「そんな事言うなよ、子猫ちゃん。俺と一緒に熱い恋の沼へ行こうぜ」
そして葵をお姫様抱っこし、熱い吐息を漏らす。この男、どこからどう見てもホットガイ。優等生王子様キャラの敦は消えた。
「ちょ、なんなの! もう、呪いってわかったから! ストップ! ホットガイ化終わって!」
敦の腕の中でジタバタ騒ぐ。推しにお姫様抱っこされている状況はご褒美シーンのはずなのに、ちっとも笑えない。
葵は悟った。これは本当に呪いだとわかった。旨辛ペペロンチーノレベルでも、ホットガイ化する現実も理解したが、これからどうしよう。
敦の呪いを解く方法はある?




