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双火の姫(帝都潜入編)  作者: 蘭火
第1章
8/20

父と娘 ②

 ― ロンディウム市街 中央区 倉庫 ―


 次の瞬間、アイシャは人気の無い部屋に居た。辺りは薄暗く、所々に荷物が積まれている。どこかの倉庫の中に居るようであった。部屋の外からは民衆や警察隊が騒いでいる声が聞こえる。この倉庫はマーカム広場からそう遠くない場所にあるようだ。


 強く引っ張られた左腕をさすりながら、アイシャは父親に問いかける。


「父さん、どこにいたの? 広場を探したけど全然見当たらなかったわ。」


 問われた男はフードを外しながら振り返った。男は堂々とした体躯たいくの持ち主で、背丈はアイシャより頭二つくらい高い。顔は力強く引き締まっており、炯炯けいけいとした黒い瞳が印象的だった。


 瞳と同様に黒々とした長髪は、頭の後ろで束ねている。男はアイシャの父親で、名をヴァンデールと言う。


「その前に俺の質問に答えろ。帝国にお前のことが知られているのは何故だ?」


 ヴァンデールは苛立ちをあらわにした表情でアイシャに聞き返す。その声は大地からとどろくように低く、聞く者を委縮させる程であった。


「またお説教?」


 アイシャも感情的になって反発した。父親をにらみつける彼女の深紅の瞳は、薄闇の中で鋭く光っている。


「違う。敵にどこまでの情報が伝わっているのかを知る必要がある。起こったことを有りのままに話せ。」


 ヴァンデールの口調は相手に一切有無を言わせぬものだった。事の重大性を理解したアイシャは仕方無さそうに答える。


「……分かったわ。警察隊を振り切るために火の魔法を行使する羽目になったの。しかも隊員の一人と乱闘になって顔を見られたわ。」


「手の内を隠して敵をく方法を教えたはずだ。失敗したのか?」


「無理だったわ。追手の三人の内、二人は撒いたけど、一人は相当な手練れだった。」


「分かった、詳細はまた後で話せ。もう一つ訊くぞ。広場で新聞売りに集っていた群衆に近付いたのは何故だ?」


 アイシャは驚いて父親を見やる。ヴァンデールは腕を組んで真っ直ぐにアイシャを見下ろしていた。


「その時のことを見ていたの?」


「いいから先に答えろ。」


 ヴァンデールに短く制された。アイシャは渋々答える。


「……新聞売りが襲撃犯のことを話していたから、私たちの情報がどこまで相手に伝わっているか確かめようと思ったの。」


「好奇心は猫をも殺す。お前の弱点だな。お前が言ったことを確かめるなら、後で新聞を読めばそれで済むだろう。あの状況で人だかりに近づくとは、……迂闊うかつにも程がある。」


「……それは、悪かったわ。」


 父親に厳しくとがめられ、アイシャは項垂うなだれる。その様子を見て、ヴァンデールが低くため息を吐いた。


「俺が訊きたかったことは以上だ。次はお前から質問しろ。」


 アイシャは顔を上げ、先程から気になっていたことを訊き始めた。


「そうね。父さんは広場のどこにいたの?」


「新聞売りの更に後方。階段の上だ。近視眼のお前は人だかりに分け入ったが、広場の角から全体を見渡せば自然と見つけられたはずだ。」


 ヴァンデールは表情を動かさずに淡々と答える。アイシャは段々と腹が立ってきたが、自制して質問を続けた。


「……そうだったのね。ジェノヴァさんたちは無事に出航できたの?」


 アイシャが尋ねたのは、昨夜二人が火の国への退避支援を行った商人一家のことである。


「ああ。彼らが乗り込んだ交易船が出航する所まで確認した。警察隊も彼らが出航済みであることには気付いていないはずだ。」


 アイシャは軽い安堵を覚える。昨夜の任務は何とか成功したようだ。


「最後に一つだけ。二手に分かれて警察隊を撒こうとした時、父さんは誰に追われていたの?」


「一人の魔女と複数の隊員だ。隊員は取るに足りなかったが、魔女は魔獣の姿を借りていた。音も無く移動し、僅かな気配で居場所を察知するしかない。俺に注意を引き付けておかなければ、お前も危険にさらすところだった。」


 アイシャは深紅の目をまたたいた。


「警察隊に魔女がいるの? どうやって撒いたの?」


「一晩中、転移を繰り返した。完全に撒いて拠点に戻った頃には、指一本動かせぬ

程にな。お前を探しに行くには、朝まで休息を取るしか無かった。」


「そう……。私も夜中に拠点に戻ることは諦めたわ。とある一家の家屋に隠れて休んでいたの。」


「ああ。その判断は正しかったな。」


 ヴァンデールは組んでいた腕を解き、アイシャの元に近付く。その表情は先程の厳しさとは打って変わって優しいものになっていた。


「ここで話すのはこれくらいにしよう。とにかくお前が無事で良かった。その右手は怪我をしたのか?」 


 そう言ってアイシャの右手を見る。一度傷口が塞がっていたが、再び出血している。先程広場から逃れるために、激しく動いたからだろう。


「ええ、小瓶の破片で切ってしまったの。」


「分かった。直ぐに拠点に戻って、手当てをして貰おう。腕に掴まれ。」


 ヴァンデールは右腕を差し出す。アイシャがその腕を掴んだ瞬間、二人の姿は消え去っていた。

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