蒼海の支配者 ①
― 連合軍 軍艦レアンドロ付近 ―
アイシャはヴェルミオンに掴まり、沈みゆくレアンドロへと向かっていた。
視界にはレアンドロの甲板から飛び立とうとするアンヘラと、隙を見せる瞬間を上空から窺うフェリシアを捉えている。アンヘラが今にも雷撃で撃ち落とされないか、気が気でなかった。
「もっと速く飛べないの?」
〈お前が掴まっていられる最大限の速さだ。これ以上は振り落とされるぞ〉
「これくらい平気よ。まだいけるわ」
〈ふん。いいだろう〉
ヴェルミオンが力強く羽ばたき、レアンドロの甲板目掛けて滑空する。急激な速度の変化に、アイシャの身体は振り子のように後方へと移動する。アイシャは数秒前の自分を恨んだ。
〈速度を落とすか?〉
「……このまま行くわ。まだアンヘラが……」
アイシャの声が雷鳴に遮られる。視線を正面に向けると、フェリシアが放った雷撃をアンヘラが盾で防いでいた。衝撃でアンヘラの体勢が大きくふらついている。
「急いで!」
〈ああ〉
更に速度を増したヴェルミオンに、アイシャは何とか食らいつく。そして右手を放し、いつでも魔法を行使できるようにした。
「フェリシア!」
自らに注意を向けようとアイシャは叫ぶ。フェリシアが攻撃の手を止め、アイシャに向けた目を見開く。それでも、一瞬の後には雷撃をアイシャへ放っていた。
「くっ!」
アイシャは紅い炎で雷撃を防ぐ。その直後にはヴェルミオンの魔力を使い、炎の蛇を生み出していた。炎の蛇は周囲を焦がす熱気を放ち、上空を飛行するフェリシアへと迫る。フェリシアが攻撃を止め、蛇から距離を取った。
(ヴェルミオンとなら何とか戦えそうね)
アイシャは確かな手応えを覚える。紅凰館で圧倒されていた時とは異なり、こちらから攻撃を仕掛けるだけの余裕があった。
フェリシアが遠のいた隙に、アイシャはアンヘラに近付く。アンヘラが身に付けている革製の防具は所々が裂け、血の跡が付いていた。今にも気を失いそうな表情をしているが、茶色の瞳には強い光が灯っている。
「アンヘラ、連合軍の軍艦まで援護するわ!」
「アイシャ!? どうやってここまで?」
並んで飛行するアイシャを見たアンヘラが驚きの声を上げる。王国軍の演習をする中で、二人は少なからず面識があった。
「その話は後。連合軍の所まで飛べる?」
「ええ、何とか……」
アンヘラが頷く背後で蒼い閃光が走る。アイシャは光を感知した瞬間に紅い炎を放っていた。雷撃を防いだアイシャを見てアンヘラが目を丸くする。アイシャが悪竜憑きであることは王国軍の中でも限られた人にしか知らされていなかった。
「その魔法は……?」
「先に行って!」
アイシャは後方を振り返り、グラムを構えたフェリシアを目で捉える。立て続けに火の玉を放つが、狙いが予め分かっているかのようにフェリシアに避けられた。急接近するグラムが蒼い雷を帯びる。
「ヴェルミオン、後で捕まえて!」
〈待て、何をする気だ!?〉
アイシャはヴェルミオンの脚から手を放す。落下の最中で腰から抜いた短剣を構え、フェリシアが振り翳したグラムを防ぐ。グラムから迸った蒼い雷は、紅い炎で無力化した。
(……!)
攻撃は防いだが斬撃の勢いは止められず、アイシャの身体が後方へと弾き飛ばされる。海面に激突する直前で、追い付いたヴェルミオンがアイシャの肩を掴んだ。アイシャの靴先が海面を掠める。
〈……二度とするな〉
「何? あなたならフェリシアの攻撃を防げるの?」
〈……〉
アイシャの指摘に黙ったヴェルミオンが高度を上げる。ヴェルミオンが心配していることは理解していたが、今の状況では応える余裕が無かった。
フェリシアの猛攻を防ぐこと十数回。アンヘラは火の国の軍艦トリニダーに辿り着いた。十秒ほど遅れてアイシャもトリニダーの甲板に降り立つ。二人の周囲に船員たちが集まって来た。
「アンヘラ様、ご無事ですか?」
「ええ、アイシャのお陰で助かったわ」
アンヘラが船員たちに答える傍で、後方を視線を向けたアイシャが皆に呼びかける。
「武器を構えて! フェリシアが来るわ!」
トリニダーの上空に迫ったフェリシアからアンヘラに雷撃が放たれたが、前に出たアイシャが紅い炎で防ぐ。
「まさか、悪竜憑き?」
一人の船員が驚きを露わにする。アイシャの周りから船員たちが身を引いた。彼らの表情には戸惑いと恐れが浮かんでいる。見慣れた光景に、アイシャは心の内でため息を吐いた。
(はあ……帰って来たのね、火の国に)
振り返ると、フェリシアは帝国軍の方向へと引き返している。フェリシアの攻撃を抑えながらアンヘラを援護するという大役を全うしたにも関わらず、その喜びに水を差された気分になった。
アイシャの傍へ近付いたアンヘラが声をかけた。トリニダーに帰還した後、その表情からは力が消え失せ、今にも気を失いそうである。
「アイシャ、バルタザール参謀長に伝えて。連合軍の二隻が沈んだこと。そして、カルメンが戦死したことを……」
言い終える前にアンヘラがその場に崩れ落ちる。
「アンヘラ!」
アンヘラを支えようとするアイシャを、船員の一人が制止した。他の船員たちがアンヘラを抱えて船室へと運んで行く。
「悪竜憑きは下がれ! アンヘラ様に何かあったらどうする?」
接触によって悪竜憑きが広まることはただの噂だ。それでも、悪竜憑きとなる原理が分からない以上、人々の恐怖によって尾ひれが付くことは止められない。
アイシャは彼らに背を向け、胸壁へと向かう。
「……ヴェルミオン、行くよ」
〈ああ……〉
何か言いたげな様子のヴェルミオンに掴まり、アイシャは旗艦アストゥリアスへと飛翔した。
アイシャは火の運命に関するアルカハナの忠告を思い出す。戦場で味方を増やそうにも、悪竜憑きであることが大きな障壁として立ち塞がっていた。
― 帝国海軍 旗艦ヴィクトリア ―
旗艦ヴィクトリアの船尾。その側面を水の国の魔女リーベラが這い上がっていた。周囲に纏った水を操り、音を立てずに自分の身体を持ち上げている。
隠密行動を得意とするリーベラに対して参謀長が与えた指示は、敵司令官の暗殺。連合軍が作戦を変更する局面において、帝国軍の対応を遅らせることを狙った。
ヴィクトリアまでは海中を潜行して辿り着いた。黒髪に黒衣を纏うリーベラは、黒色の樹脂が塗られた船体にほぼ同化していため、周囲の敵艦も暗殺者の侵入に気付いていない。
船尾回廊まで身体を持ち上げたリーベラは、水の魔法で細長い筒を生み出した。筒の片面を顔の正面、筒の反対側を船尾回廊の窓へと向ける。
一定の角度で折り曲げた筒の中で光を反射させ、筒の片面に部屋の様子を映しながら、リーベラは司令室の位置を探る。
「……!」
筒の片面を注意深く見つめていたリーベラの青色の目が大きく開かれる。回廊の中段あたりに、机上に広げた海図を眺める二人の士官を見付けた。司令官と思われる紺のテイルコートを着た男もいる。
司令室に侵入しようとしたリーベラは、持ち上げた身体を急停止させる。司令官のもとに駆け寄る軍服姿の少女を確認したのだ。背格好から戦闘員とは思えない少女が司令室にいる理由を考え、少女が魔女である可能性が高いと判断した。
魔女の存在は暗殺時に障害となる。時間の経過と共に敵艦から発見される可能性が高まることを理解しながら、リーベラは息を潜めて侵入の機を窺う。
司令室の指揮卓で現況を把握していたフィオナがダルシウスに報告する。
「二列縦隊を形成する命令の伝達はほぼ完了しました。先頭を進むドレッドノートとテメレーアは約十五分後に敵艦に到達する見込みです」
「よし。今回は敵軍を逃がしはしない。想定と違う動きを見せた場合はすぐに報告しろ」
「了解しました」
ダルシウスが司令室の隅に座っているクレアを呼んだ。
「クレア」
「はい」
クレアが司令官のもとに駆け寄る。休息を取った後、その表情には元気が戻っていた。
「これから戦局が大きく動く。特に各戦列が相対する軍艦数を把握したい。今まで通り正確な配置を再現してくれ」
「かしこまりました」
クレアが頷き、小走りで司令室の扉へと向かった。
クレアが扉を閉じたその時、司令室の窓が打ち破られた。大量の水と共に黒ずくめのリーベラが侵入を果たす。
「!」
ダルシウス含めた三人が一斉に窓へと目を向けるが、突然の出来事に理解が追い付いていない。リーベラがダルシウスに視線を向け、一切の躊躇なく頭部目掛けて水撃を放った。
「司令官!」
辛うじて反応したフィオナが飛び出し、ダルシウスを庇った。右腕を切り裂かれ、血飛沫が舞う。
「フィオナ! くそ、敵の魔女だ!」
ダルシウスが雷撃を放つが、リーベラは水の障壁を構築して防御する。反撃として放たれた複数の水撃を躱し、ダルシウスは指揮卓を盾に身を屈めた。一条の水撃が海図に直撃し、軍艦を象った模型が床に散乱する。
「こ……、これでも食らえ!」
オーウェンが闇雲に雷撃を放つが、水の障壁に阻まれて効果が無い。一条の水撃が肩を掠り、オーウェンは情けない声を発しながら引き下がった。
「オーウェン! お前は物陰に隠れておけ!」
「は、はいい!」
箪笥の後方に身を隠したオーウェンを尻目に、ダルシウスは長剣を抜いて反撃の機会を探った。
自分を庇って床に倒れ伏したフィオナを見遣る。即死は免れたものの、腕からの出血が止まらない。一刻も早く止血が必要だが、今はそれどころではなかった。
「……」
攻撃が途切れた瞬間を見計らってダルシウスが指揮卓から飛び出そうとしたその時、司令室にマリーが飛び込んで来た。リーベラを見つけるや否や、轟音と共に雷撃を放つ。
「司令官は動かないでください! 敵は私が抑えます」
マリーが必死の形相で雷撃を放ち続け、リーベラは防戦一方に回る。水の障壁が持たなくなり、形勢の不利を悟ったリーベラが、打ち破った窓から外に退避した。
「待ちなさい!」
リーベラの後を追おうとするマリーをダルシウスが止める。
「マリー、今は司令室の復旧が最優先だ。それにフィオナを放ってはおけない。看護兵を呼んでくれ」
「ですが……」
食い下がるマリーを、ダルシウスが諭す。
「敵はもう同じ手を使わんだろう。司令室の防備を強化する。それまでは旗艦に残ってくれ」
「……かしこまりました。看護兵を呼んで参ります」
マリーが頷き、急いで司令室を後にする。
「フィオナ……、死ぬなよ。お前を死なせたら、フェリシアに顔向けできん」
ダルシウスは気を失ったフィオナの傍に屈み、応急処置を施しながら祈るように呟いた。




