「火の魔女」の戦交官 ④
二階からバタバタと音を立てて少年が戻って来た。席に着くなりアイシャに問いかける。
「そういえば、まだ名前を聞いて無かったね。僕はトーヤって言うんだ。お姉さんの名前は?」
一瞬の間を置いてアイシャは答える。
「オリヴィアよ。」
「オリヴィアさんか。よろしくね。」
「ええ、よろしく。」
言うや否や、トーヤはあっという間にスープを飲み干した。相当腹が空いていたのだろう。
その様子に目を丸くしながら、アイシャはトーヤの仕事について尋ねる。
「さっき仕事をしているって言っていたけど、トーヤは何をしているの?」
「えきだんぼり、ん・・・石炭堀りだよ。今日もすぐに行かないといけないんだ。」
口いっぱいに頬張ったパンを飲み込みながらトーヤは答える。アイシャもパンを齧ろうとしたが、硬すぎて嚙み切れない。パンを椀に入れて、スープを浸み込ませることにした。
「そうなの。危険な仕事じゃない?」
「危険だけど、前よりは大分安全になったよ。例えばこれがあれば坑道の中でも周りを照らせるからね。」
トーヤはテーブルの上に置いてあったカンテラを引き寄せる。
「よく見ててね。」
トーヤは得意そうにカンテラに向かって手を翳す。微かにジーっという音を立てながら、カンテラが眩い光を放ち始めた。柔らかくしたパンを齧りながらカンテラをじっと見つめていたアイシャは、流石に眩しすぎて目を反らした。視界にカンテラの残像がちらついている。
「ごめん。ちょっと力を入れすぎた。」
「平気よ。凄いわね、魔法でこんなことが出来るなんて。」
「これは『雷灯』って言うんだ。僕が雷の魔法を使えるようになったのは最近だから、僕の力で出来るのはこれくらいだね。他にも石炭を運ぶトロッコや、人を乗せる昇降機を動かすことも魔法で出来るようになったんだよ。これも全部『雷の魔女』の発明なんだって。どんな人かは知らないけど、お蔭で今の仕事に凄く役立ってるよ。」
トーヤは嬉しそうに言う。手に持っている雷灯は相当使い込まれたものなのだろう。所々に煤が付いている。これまで何度も暗闇の中で仕事をするトーヤの役に立って来たに違いない。
(それに、移民のトーヤが雷の魔法を使えるのは、『改宗』をしたということね。)
改宗について詳しいことは知らないが、ある手続きによって信仰する神を変えて行使する魔法を変えられると聞いたことがある。トーヤは平気な様子であるが、自らの信仰する神を変えた彼は何を思っているのだろうか・・・。
その時、遠方から鐘の鳴り響く音が聞こえてきた。ロンディウムに来てから数日が経っているアイシャも、その音が朝を告げるものだと理解していた。
「いけない。もう仕事に行かなきゃ。オリヴィアさんはこの後どうするの?」
鐘の音にはっとしたトーヤはテーブルの上の食器を急いで片付け始めた。どこからか鞄を取り出して来て、中に雷灯を突っ込んでいる。
「私も行くわ。色々とありがとう。ご飯もごちそうさま。」
食事を終えたアイシャも、食器をトーヤに渡して席を立った。フードを被り、黒髪を中に押し入れる。ふと二階の様子が気になってトーヤに問い掛けた。
「お母さんには誰か付いていなくて大丈夫なの?」
「うん。昼時になったら、自分で下に降りて来れるから問題ないよ。」
「分かったわ。」
作業帽を被って準備を終えたトーヤは玄関の扉に手を掛ける。二階に向かって声を掛けながら、勢いよく扉を開けた。
「それじゃあ、行ってきまーす。」
アイシャもトーヤの後に続いて家の外に出る。
外は既に明るくなっており、住民たちが続々と家から出て来ていた。街の中心に向かう者、郊外に向かう者様々であったが、この辺りは比較的郊外に向かう者の方が多いようだ。その多くはトーヤのような作業着姿である。
「炭鉱は街外れにあるから、僕はこっちに行くんだ。オリヴィアさんはどっちに行くの?」
「私は中央区に行くから逆方向になるわ。」
「そっか。じゃあここでお別れだね。」
トーヤは見るからに残念そうな表情で呟く。
「そんなに悲しそうな顔をしないで。次に会った時は、今回のお礼をするから。」
「本当? 約束だよ。」
トーヤの表情が目に見えて明るくなった。アイシャは思わず笑ってしまう。
「その代わり、私があなたに会ったことは誰にも言わないって約束して?」
アイシャは人差し指を立てて口元に当て、秘密であることを示す。ふとカトレアが折に触れて行う優雅な仕草を思い出して真似をしていた。トーヤもアイシャに倣う。
「わかった、約束は守るよ。・・・あっ、そうだった。もしイズナディアでの生活が厳しくなったら、『異郷同盟』を頼って。外の国から来た人たちの力になってくれるよ。実は僕も異郷同盟の一員なんだ。」
「異郷同盟?」
「うん。また僕の家に来てくれてもいいし、異郷同盟の本部を訪ねてもいいよ。」
トーヤは郊外の方向を指し示す。
「ここからそう遠くない所に、『虎招亭』っていう酒場があるんだけど、そこが本部なんだ。『トーヤの紹介で来た』って言えば、みんな歓迎してくれるよ。」
「分かったわ。何から何までありがとう。元気でね、トーヤ。」
「うん。オリヴィアさんこそ、気を付けてね。それじゃ。」
トーヤは郊外に向かって駆け出して行った。仕事の開始まであまり時間がなかったのだろう。トーヤの姿がすぐに見えなくなった後、アイシャは振り返ってフードを深く被り直し、中央区へと歩き始めた。
イズナディアに来てから、アイシャはこの街の地図を頭に叩き込んでいた。昨夜逃げ回っている時は意識できなかったが、日差しの中で周囲を冷静に眺めてみると、向かうべき方向は自ずと明らかになった。




