皇女の剣 ②
― ロンディウム市街 中央区 ヴァルハルム宮殿へと続く大通り ―
「隊長、もうすぐ皇女殿下がご到着されますよ。」
赤髪の魔女、サルビアに声をかけられ、フェリシアは我に返る。先程思い返していたのは、自分と母親の運命を決定的に変えてしまった出来事。皇女が帰還するこの時に呼び覚まされたのには、何がしかの訳があると思った。
「ああ……。」
「こんな時に考え事ですか? 流石隊長ですね。私は緊張で頭の中は空っぽですよ。」
いつになく表情の固いサルビアが無理やり笑顔をつくる。その顔が可笑しくて、フェリシアも笑みを浮かべた。
「クレアはまたお腹が痛くなったとか言わないよね?」
「もう、サルビア。……こんな時に揶揄わないで。」
最年少の魔女、クレアが頬を赤くしてむきになる。二人のやり取りから、『雷花』に漂っていた緊張が幾分和らいだ。部隊を統制することはフェリシアの役割であるが、過度な緊張を落ち着かせることに関してはサルビアが適任だった。
フェリシアを含む魔女部隊『雷花』の六名は、皇女の公邸『ヴァルハルム宮殿』正門の内側で整列している。宮殿から東の方角に続く大通りの反対側、海軍省門にシャルナ皇女が到着する時を待っていた。
初夏の強い日差しの中、大通りには数多くの帝国民が詰めかけ、皇女の帰還を今か今かと待ちわびている。その周囲には警察隊と武装した帝国海軍が目を光らせ、異例の厳戒態勢を取っていた。その様を見ながらフェリシアは心の内でため息を吐く。
(シャルナ様はもう帰還されるのか。この日まであっという間だったな。)
ここ数日の間で、フェリシアの環境は目まぐるしく変わっている。警察隊からの異動が決まり、帝国軍に転属される正式な辞令が下った。襲撃事件の犯人は雷の魔女に引き渡され、捜査権も工部省の情報機関に引き継がれた。警察隊の新たな隊長にはヘイデンが就任し、現在は新体制を構築している。
そして、フェリシアを打ち負かした刺客の行方は杳として知れない。この事実は一部の者のみに伝えられ、多くの者は帝国軍が出動してまで皇女の警備に当たっている理由を知らなかった。
「こんなに多くの人々が詰めかけるなんて。件の刺客がどこに潜んでいるかも分からないですね。」
「そうだね。皇女殿下がご到着されたら直ぐに駆けつけて、我々でお守りしなければ。それまでは、皇女殿下のお傍にいる例の男に頼るしかない。」
事情を知っているマリーに対し、ジャスティーンが敵意のこもった口調で答える。
「『黒い狼』……ですか?」
「ああ。彼はミスガイス出身なんだろう? 帝国領では皇女殿下の命を狙う同胞を何人も手に掛けたそうじゃないか。そんな裏切り者を、皇女殿下は何故重用していらっしゃるのか……。」
「ジャスティーン、口を慎むんだね。殿下の御心は我々が推し量れるようなものではない。誰よりも先を見ていらっしゃるのだから。」
「……はい、失礼しました。」
ローレンに窘められ、ジャスティーンが反省の意を示す。
その時、大通りの反対側より喇叭の鳴る音が響いた。フェリシアは雷花に指示を出す。
「行くぞ。」
「はい!」
衛兵によって宮殿の正門が開けられ、雷花の六名が翼を表出させて勢いよく飛び立った。フェリシアの指示で、雷花は速やかに二列に分かれて大通りを飛翔する。その様子を見た群衆が歓声を上げた。
「皇女殿下だ!」
「シャルナ様!」
海軍省門では、帝国陸軍を引き連れ、白馬に乗ったシャルナ皇女がその姿を現した。黒の軍服に身を包んだ皇女は、小柄ながらも居並ぶ者たちが身を引き締める威風を纏っていた。
黒のベレー帽を被り、肩のあたりまで届く金髪を後頭部で結っている。誰よりも先を見通すと言われる翠玉色の瞳には、降り注ぐ陽光に劣らぬ強い光が宿っていた。
帝国民は、皇女が統治を開始してから帝国領の治安が劇的に改善されたことを知っている。次代の女帝にこれ以上相応しい者はいないと、大通りに詰めかけた者たちは口々に称賛した。
そしてシャルナの傍には、影のように付き従い周囲に鋭い視線を放つ一人の男がいた。黒髪に黒い瞳。騎乗している馬も黒。ミスガイスの出身であるが、その才能をシャルナに見込まれて補佐官となったシルハーンだ。
帝国領において皇女の命を狙う数多くの暗殺者を一切の躊躇なく排除してきたことから、『黒い狼』とも呼ばれている。
帝国民と帝国陸軍が彼に示す反応は両極端だ。皇女の命を何度も救ってきた選りすぐりの用心棒、または同胞殺しの裏切り者。確かな実力を持つことに疑いは無いが、それが却って周囲の反感を買うことにも繋がっていた。
「……。」
シルハーンが上空を見上げる。皇女に接近する魔女部隊の存在に最も早く気付いたのはシルハーンだった。
「雷花だ!」
「フェリシア様!」
群衆たちも雷花の接近に気付き、更なる歓声を上げる。フェリシアとサルビアを先頭に、雷花は二列の隊形を崩さず、統率の取れた動きで全員が同時に着地した。更に全員が同時に翼を消失させた後、フェリシアが進み出て、皇女の前に跪く。
「シャルナ皇女殿下、お久しぶりです。お迎えに参上しました。」
「久しいな、フェリシア。顔を上げよ。」
馬上から見下ろすシャルナが声をかける。凛とした声は、聞く者が思わず背筋を正すものだった。一年振りに対面したフェリシアも、その身を緊張させて顔を上げる。
「……良い顔だ。それに先程の飛行。ロンディウムに鴉が舞い戻ったようだな。」
シャルナが僅かに口角を上げる。翠の瞳は小揺るぎもせずに鋭い視線を放っている。
「ええ。ご迷惑をお掛けしました。」
「過ぎたことは気にするな。此度の遠征に間に合えば問題ない。」
「はい。」
「彼女たちに馬を。」
「はっ。」
皇女の命に従い、陸軍の士官が雷花の全員に馬を割り当てる。フェリシアは灰色の馬に乗り、皇女の左側に付く。皇女の右側には引き続きシルハーンが控えた。
「ミスガイスは民が安心して暮らせる地となった。一年前とは比べ物にならぬ程にな。フェリシア、お前が久しぶりに帝国領の地を踏めば驚くだろう。」
群衆に向かって手を挙げながら、シャルナがフェリシアに視線を向ける。
「左様ですか。私が首都を攻略した際は、建物の多くが破壊されていました。僅か一年でここまでの復興を成し遂げられるとはお見事です。」
「無論だ。帝国領の統治は私に任せれば問題ない。私の剣としてお前が道を切り開き、私がその地を平定する。それはこれからも変わらない。」
「はい。」
皇女の言葉は、フェリシアが初めて謁見した時にかけられた言葉そのものだった。
「後でお前に話がある。宮殿に着いた後、私の部屋に来い。」
「かしこまりました。」
皇女との出会いもフェリシアの運命を決定的に変えた出来事である。この後の謁見が自らの運命を大きく左右することを予感し、フェリシアの鼓動が高鳴った。




