皇女の剣 ①
『お母さん、これは何?』
『昇降機の模型よ。よく見ててね。』
フェリシアが十二の頃の記憶。当時の彼女にとって、人生は発見に満ちていた。発明家の母にいつも付き添い、新たな発明の最初の目撃者となっていたのだ。
アルメリアが模型の上部に右手を翳す。その手から赤い雷が流れると、上部にある滑車が回転を始めた。回転に伴って、滑車の片側に吊り下げられた小さなかごが上昇を始め、反対側にある重しが下降を始めた。
『すごい! どうなってるの?』
フェリシアは蒼い瞳を輝かせて母親を仰ぎ見る。同じ色の瞳を持つアルメリアが屈み、フェリシアの髪を撫でながら、心底愛おしそうな表情で仕組みを教えた。
『滑車には、かごと、かごと同じ重さの重しを吊り下げているの。だから、何もしなければ両者は動かないわ。でも、こうやって滑車を回転させると……。』
アルメリアが模型の上部にある文字盤を摘まんで半回転させた後、再度変換器に右手を翳す。変換器は雷の魔法を駆動力に換える仕組みを備えていた。滑車に吊り下げられたかごが、今度は下降を始める。
『今度はかごが降りて行ったよ!』
『そう。この文字盤を回すと雷の流れる方向が逆になるの。』
『……そうすると、滑車が回転する方向も逆になるの?』
フェリシアが訊くと、アルメリアが嬉しそうに答える。
『その通りよ。フェリシアもやってみて。』
『いいの!?』
動かしたくてうずうずしていたフェリシアは喜びの声を上げる。
『もちろんよ。初めは魔力を抑えながらにしてね。あまり強過ぎると壊れてしまうから。』
『分かった!』
アルメリアが文字盤を半回転させた後、フェリシアは変換器に向かって右手を翳す。しかし、フェリシアの意思に反して手から勢いよく赤い雷が迸り、かごが急上昇した。そのままの勢いで模型の上部に激突する。
『あっ!』
フェリシアは驚いて魔力の操作を止める。激突したかごは、一部が潰れてしまっていた。取り返しのつかないことをしたと思い、フェリシアは俯く。
『……ごめんなさい。』
『いいのよ、フェリシア。細かく魔力を制御することは、大人でも難しいのだから。それに、フェリシアのお陰で新しい発見があったわ。』
フェリシアは母親を見上げる。アルメリアはにっこりと微笑んでいた。
『今はまだ模型だけど、これからは人が乗れる昇降機を作ろうと思ってるの。その時、今みたいにかごが急上昇したら大変だわ。だから、ある基準以上の雷が供給された場合は、それを通さないようにする仕組みが必要ね。』
『これに人が乗るの?』
フェリシアは目を丸くする。今は小さな模型に過ぎない装置が人を乗せて運ぶなど、俄かには信じられなかった。
『そうよ。今からだと五年くらいかかるかもしれないけど、人が乗れる昇降機を実現して見せるわ。その時に、人が操作を誤って事故を起こしたら、それこそ取り返しがつかない。
フェリシアの発見は、未来の誰かを救ったのかもしれないのよ。……だから、そんな顔をしないで。』
フェリシアの胸にじんわりと温かな気持ちが溢れる。フェリシアが失敗だと思うようなことを、母親はいつだって前向きに捉えて新たな発見としてしまう。フェリシアはそんな母親のことが大好きだった。
『私も、お母さんみたいな発明家になりたい!』
フェリシアの内に芽生えていた夢を母親に打ち明ける。アルメリアが蒼色の瞳を輝かせて、愛おしそうにフェリシアを抱き締めた。
『ええ、フェリシアならきっとなれるわ。』
その時、部屋の扉が開き、懐かしい声が聞こえた。
『今帰ったぞ! 何だ? また新しい発見をしたのか?』
『お父さん!』
『貴方、お帰りなさい。』
フェリシアは軍服姿の父親のもとに駆け寄って抱き付く。陸軍司令官である父親は軽々とフェリシアを持ち上げ、生き生きとした青い目を細めてフェリシアを見つめた。
『フェリシア、また少し背が伸びたんじゃないか?』
『うん。お父さんは、また髭が伸びたね。』
『そりゃ、戦場には髭を剃る暇なんて無かったからな。……いてて、髭を引っ張るな。』
『髭が無い方がかっこいいって、いつも言ってるでしょ?』
『悪かったって。次会う時は無くして来るさ。』
父親はフェリシアを降ろし、真剣な表情でアルメリアに目を向ける。
『折角会えたんだが、実はすぐに出発しないといけなくてな。ここに来れたのは、近くにある司令部へ行く予定があったからなんだ。』
『そうなの……。次はどこへ?』
『ミスガイスだ。近頃は奴らの動きがきな臭い。沿岸部で何やら拠点を構築している。事が起きる前に、こちらから攻撃を仕掛ける方針が政府で決まったんだ。』
『お父さん。また行っちゃうの……?』
『そんな顔をするな。お前が母さんの作った機械に夢中になっている間には戻って来るさ。』
父親がフェリシアの髪を撫で、安心させるように言う。
『もう……。お父さんのことを心配して言ってるんだからね。』
『本当に気を付けてね、貴方。』
『任せておけ。それじゃあ、行って来る。』
二人と抱擁を交わした後、力強い口調で別れの言葉を告げた父親は、背を向けて部屋を後にした。
また何事もなく帰って来る。一抹の不安を抱えながらも、フェリシアは父親の帰還を待ちわびていた。
数週間後、フェリシアは母親に手を引かれ、どこかへ向かっていた。言われるがままに黒のワンピースと帽子を着用したが、事情を聞かされていないフェリシアは困惑していた。
手を引くアルメリアも黒一色の服装に身を包んでいる。その顔は薄いヴェールで覆われ、見上げても表情を窺えない。
『お母さん、どこに行くの?』
『……。お父さんに、会いに行くのよ。』
『何でそんなに悲しそうなの?』
『……。』
アルメリアは何も答えない。微かにすすり泣く声が聞こえたが、フェリシアにはその理由が分からなかった。
『アルメリア様。ご主人のご遺体は損壊が激しくございます。それでもよろしいでしょうか。』
『構いません。見せて頂戴。』
『……かしこまりました。』
安置所の管理人が頷き、安置台に横たわる遺体に掛けられた白布を捲った。
『……!』
アルメリアが口元を両手で覆い、嗚咽する。その声は自身のいる安置室の中で意図せず響いた。
フェリシアは別室で待たされていた。今自分がどこにいるかも分かっていない。病院にいるのかと思いながら、白衣を着た人がいないことにも気付いていた。
⦅お父さん、何か怪我をしたのかな……?⦆
怪我をしているなら、尚更父親に会いたかった。母親に待たされている理由が分からず、徐々に不満が募る。
その時、隣の部屋から母親の泣く声が聞こえた。居てもたっても居られなくなったフェリシアは、安置室へと続く扉を開けて中に入る。
『お父さんはそこにいるの?』
見上げると母親が顔を両手で覆っている。その手前には安置台に横たわる父親がいた。アルメリアが両手を顔から外して驚く。
『フェリシア! 来てはだめよ!』
父親のもとに駆け寄るフェリシアを、アルメリアは安置台の反対側に回って止めようとしたが一歩届かなかった。フェリシアは吸い込まれるように父親の顔を覗き込む。
⦅……!⦆
フェリシアが見たのは変わり果てた父親の姿であった。顔は青黒く変色し、所々に痛々しい傷跡がある。髭の剃られた口元の周りには、いくつか抉られた跡があった。
特に衝撃を受けたのは右目だった。いつも優しく見つめてくれた青色の目は、眼球ごと刳り抜かれ今は暗い穴しか残っていない。
『おとう、さん……。』
ふらふらと父親の遺体から離れたフェリシアを、アルメリアが膝をついて抱き締める。
『ああ、フェリシア……。』
『……。』
何故、父親がこんな目に遭わなければならないのか。フェリシアの胸に浮かんでいたのはただ一つの問いだった。心がすっと冷え、母親の嗚咽すらも耳に入らなくなった。
⦅何で……。⦆
その問いだけがフェリシアの内で繰り返されていた。そして問いを繰り返すごとに、フェリシアの持ち得た可能性が一つずつ取り返しのつかないものになっていった。




