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双火の姫(帝都潜入編)  作者: 蘭火
第1章
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「火の魔女」の戦交官 ②

 辛くも二人の追っ手を撒いたアイシャは弾む息を抑えながら走り続ける。先程から周囲の建物を窺い、空いていそうな扉から侵入して警察隊をやり過ごそうとしているが、どの扉も固く閉ざされている。


 無理に抉じ開けようとすれば、追っ手に追いつかれてしまうだろう。もう一度小瓶を使って男を攪乱かくらんするしかないと判断したアイシャは、追っ手との距離を測りつつ次の一手を決める機会を探る。


 その時、目の前に曲がり角が現れた。そこを曲がった瞬間に小瓶を後ろに投げつけ、先ほどの爆炎を引き起こそうと決める。追っ手も全力で追い掛けて来ている。その勢いのまま曲がり角に来れば、死角から投げられた小瓶で不意を衝くことが出来るだろう。


(今度は小瓶二つ分にするか。)


 そのまま右に曲がった瞬間、振り返りざまに一つ目を男の胸の高さ、二つ目を足の高さに狙って投げつけた。二つの小瓶が異なる軌道を描きながら飛んでいく。曲がり角から男が姿を現す。まさにここしかないという瞬間であった。


 しかし、男は身に着けていた外套で体の前面を覆い、爆炎を防ぎ切った。燃え上がる外套がいとうを捨て去り、何事も無かったかのような表情で突っ込んでくる。


「そんな……。」


 アイシャは予想外の事態に虚をかれてしまい、一瞬呆然とする。慌てて体勢を立て直し突き当りを曲がるが、今度は袋小路に行き当たってしまった。振り返れば男が背後に回っている。その表情は獲物を追い詰めた歓喜でも、散々走り回された怒りでもない、仕事をこなす淡々としたものであった。ゆっくりと近付きながら、男が低く呟く。


「もう逃げ場はない。諦めろ。」


 アイシャは必死に逃げ道を探すが、静かに構えた男に付け入る隙は見当たらない。それにこの体格差であれば、とても接近戦では勝ち目がないだろう。


(手持ちの小瓶はあと一つ。これで相手を撒くしかないか……。)


 じりじりと一歩ずつ男が迫る。その足が地に着く前に、アイシャが右手に持った小瓶を投げようとした瞬間。


「遅い。」


 バチッと音が鳴り彼女の手の中で小瓶が炸裂していた。燃え上がる寸前で火を消し止めたが、手袋諸とも右手を破片に切られて鋭い痛みが走る。その隙を突いて男が間合いを詰めて来た。


 アイシャは焦りを露わにした表情で壁際に跳び退り、左手を振って前方に炎を撒いた。ここまで相手に魔法を明かさぬようにしてきたが、なりふり構ってはいられなかった。


 炎は男を覆いつくさんばかりの勢いで放たれたが、男はアイシャの手の動きの逆方向に素早く身をひねってかわした。アイシャを壁際に追い詰めた男は、左腕を真っ直ぐに伸ばしてアイシャの胸倉を掴み壁に押し付ける。アイシャは必死に振り払おうと

 するが為す術もない。


「少しでも動けば雷撃を放つ。お前が火を放つよりずっと速いぞ。」


 男が右手をアイシャの顔に向けて構える。アイシャは振り払う動きを止めた。


「お前の仲間はどこにいる? 答えろ。」


 男が青い目を細めて問い詰める。アイシャは決然とした表情で唇を引き結んだまま何も答えない。彼女の深紅の瞳はじっと男の目を見据えている。


「答えないなら、連行するだけだ。」


 そう言ってアイシャの額に手を押し当てた。その手に軽く力が加わり、僅かに雷光が閃く。しかし、突然彼女の額の表面が紅い炎で覆われ、雷光を遮った。炎は一瞬で消え去り、アイシャは何も影響を受けていない。


 男は訝しみながら再度試そうとするが、アイシャの方が速かった。アイシャの胸倉を掴んでいる左手が燃え上がる。


「くそ!」


 男は悪態を吐き、アイシャから手を放して炎を振り払おうとする。アイシャは緩んだ男の腕から素早くすり抜けた。男が振り向きざま手を真っ直ぐに向けて雷光を放つが、アイシャはその手の方向を読んで身を屈めながら躱す。彼女の背後で炸裂した音が響いた。


 アイシャは男に背を向けながら、石畳と煉瓦造りの建物の壁面に意識を向ける。前に駆けながら両手を左右に翳すと、数尋すうひろわたって石畳と壁面から激しく燃え上がる炎が出現した。辺りに焼け付く程の熱気が満ちる。


 大幅な魔力の消耗に軽い眩暈めまいを覚えながらも、アイシャは自ら作り出した炎の通り道を駆け抜けた。


 男は左手の炎を消し去ったが、炎の通り道を消し去る手段は持ち合わせていない。辺りを焼く炎を前に立ち尽くすしかなかった。



 男から逃げ延びたアイシャは、そのまま何度か角を曲がり、男の気配が無いことを確かめると、緊張の糸が切れて壁にもたれたまま座り込んでしまった。


 ゆっくり息をつきながら早まった鼓動を抑える。右手の手袋を外して破片に切られた箇所を見たが、傷は浅かった。怪我が軽微であったことと、ようやく追っ手を撒いたことで、安堵が込み上げる。しかし、胸に去来する感情は後悔の方が勝っていた。


 行使する魔法を見れば、その人物の出身国を特定することができる。彼女が人前で火の魔法を使えば、火の国出身であることはすぐに分かってしまうだろう。油の入った小瓶を使っていたのは、可能な限り素性を相手に悟られないためだ。


 しかし、警察隊の手強さはアイシャの予想を超えていた。爆炎だけで相手を撒くことはできず、直接火の魔法を行使しなければならなくなった。更にフード越しではあるが彼女の顔も見られてしまっている。


 今後の警察隊の捜査はその範囲を狭め、アイシャの行動がより制限されるようになるだろう。異国での任務開始早々に手痛い失敗をしてしまった訳だ。


(初めから火の魔法を使っていれば、敵に顔を見せることはなかったのに……。)


 今更言っても仕方ないが、言い訳の一つでも言いたくなる。


 息が収まるにつれ、今度は冷えた壁から冷気が体を伝わって来た。それが後悔の念に絶えない彼女の心を一層冷え込ませるようで、思わず身震いする。あまり長くここで休んではいられない。


 アイシャは気力を振り絞って疲れた体を立ち上がらせ、壁に手を付きながら一歩一歩夜の薄闇の中を進み始めた。

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