紅い火の魔法 ②
「くそ、どこへ行った?」
『雷の魔女』の情報官、ルーファスは一人ロンディウム市街を駆けていた。目的は警察隊を襲撃犯した女の確保。政治家を暗殺した刺客の手がかりを掴むために、刺客と同じ特徴を持つ女には訊くべきことが山ほどあった。
(全く、警察隊の捜査に割り込むなんて……。流石に荷が重いだろ。)
ルーファスは四方に隈なく目を遣りながら悪態を吐く。刺客に続いて襲撃犯の捜査権も、警察隊から工部省へと引き継いだ。立て続けに雷の魔女の強権を発動したことで、警察隊を管轄する内務省との間には一悶着あったらしいが、それはルーファスの預かり知らぬ所である。
問題は、捜査権の引継ぎが完了する前に、警察隊が捜査を開始してしまったことだ。これまで幾度となく厄介事を押し付けられたルーファスも匙を投げたくなる。
「ん? あれは……。」
ルーファスがはたと立ち止まる。一つ隣の大通りで人々が何かから逃げていた。彼らの表情には恐れや驚きが浮かび、『警察隊だ!』という言葉も聞こえる。
「そこか!」
ルーファスは人の波に逆らいながら大通りに向かう。そこで目の当たりにしたのは、大通りを覆い尽くす程の炎の渦だった。
「くそっ、何だこれは……。」
ルーファスは唖然として立ち止まる。異なる二つの炎が入り乱れる大通りは空気を焦がす熱気で満ち、赤々とした眩しさに直視ができない。ルーファスは顔を覆いながら息を止め、目を凝らして目的の人物を探す。
(……いた!)
探していた女は炎の渦中にいた。初めは警察隊を圧倒しているかに見えたが、今や追い詰められていたのは彼女の方だった。地上の隊員二人を相手にしながら、上空から迫る魔女を炎で追い払っている。
(参ったな、魔女までいるのか。どうやって割り込もうか……。)
ルーファスが思案する間に、女は魔女に押さえ付けられていた。辺りを覆っていた炎は消え失せ、夜の静寂が戻る。目を見張るルーファスの先で、魔女が女の首元に何かを突き立てようとしていた。
(くそっ、ぐずぐずしてる場合じゃねえ!)
ルーファスは意を決して駆け寄った。彼らのもとに近付くと、女はぐったりとした状態で地面に横たわっており、その周りを警察隊が取り囲んでいた。その内の一人、若い男がこちらに気付く。
「誰だ!? 捜査中だぞ。」
構える男に対し、ルーファスは両手を挙げた。器用にも、杖の柄を左腕に引っ掛けた状態で。
「取り込み中の所すまない。アルメリアの情報官、ルーファスだ。その女が警察隊の襲撃犯だな?」
「確かにそうだが……、本当に情報官か? 実は取材が目的なんじゃないか?」
「モーリス、そいつは本物だ。情報官なら、あれを持ってるだろ?」
モーリスを制したのは、左腕に包帯を巻いた男だった。ルーファスはにやりと笑って、素早くジャケットの内から懐中時計を取り出す。
「話が早くて助かるぜ。前にどこかで会ったか?」
「さあな。お前の要件を訊こうか。」
「ああ。……悪いが、その女の身柄を引き渡して貰いたい。」
ルーファスはいきなり核心に切り込む。緊迫した雰囲気の中、前置きは必要なかった。黒ずくめの魔女がルーファスに詰め寄る。
「引き渡せ、ですって? 何もしていない貴方に何の権限があるのかしら?」
魔女は深紅の唇を開きながら鋭い目つきで抗議する。麝香を纏う魔女の怒りに触れて、ルーファスは気おくれしそうになる。
「待て、キーラ。まずは情報官の言い分を聞くのが先だ。それにお前は他人に顔を見せるな。」
「……。」
キーラは黙って顔を隠しで覆うが、その目は依然として刺すような視線を放っていた。
(全く。魔女ってのは美人だが、怒らせるとおっかねえな……。)
心の内で目の前の魔女には聞かせられない感想を述べながら、魔女を制した男に再び視線を向けて話し始める。
「事情はこうだ。我々工部省が、その女の捜査権を引き継いだ。既に内務省に話は通してある。俺は工部省長官の命を受けて、その女の身柄を引き取りに来た。」
「そんな話は聞いていないわ。」
「つい先程決まった。だから、俺はこうしてのこのこやって来る羽目になったのさ。」
相手をからかうようなルーファスの物言いに、苛立ちを覚えたキーラが何かを言おうとするが、ヘイデンが右手を出してキーラを制した。
「工部省がこの娘に拘る理由を聞かせて貰おうか。」
「ああ。その女には、政治家暗殺事件の刺客と共通点がある。我々が刺客の捜査を行うために、その女を尋問対象にすることを決定したんだ。」
ヘイデンが大きくため息を吐く。
「……なるほど。」
「ヘイデン、ここで引き下がるというの? この娘を捕らえたのは私たちよ。」
キーラがヘイデンに怒りの矛先を向ける。ヘイデンは諦念を滲ませながら応じた。
「もう俺たちの出る幕ではない。上層が決めたことには従え。お前もそろそろ覚えるべきだ。」
不服そうに引き下がるキーラを尻目に、ヘイデンがルーファスに目を向ける。
「ルーファスと言ったな。その娘の身柄はお前に引き渡そう。だが、生温い捜査をしたら俺が許さんぞ。こいつを捕らえるのに、我々警察隊はその身を削っていたのだからな。」
ルーファスはトップハットを取り、頭を下げる。
「……礼を言う。警察隊の協力を無駄にはしない。」
ヘイデンが頷き、キーラとモーリスに声をかける。
「行くぞ。まだセルバンの確保は終わっていない。キーラ、先行して港へ向かえ。」
「はあ……仕方無いわね。」
警察隊が女を残して港へ向かう。ルーファスは身動ぎ一つしない女を見てあることに気付いた。
「おい、この女に何をしたんだ?」
既に警察隊は遠ざかっていたが、ヘイデンが振り返らずに言葉を発する。
「情報官なら……分かるだろ?」
ルーファスは改めて女に目を向ける。素早く全身に目を走らせ、首筋から一筋の血が流れていることを見て取った。
「ちっ、『ノート』か。道理で死んだように眠ってる訳だ。」
ルーファスは悪態を吐く。夜の女神の名を冠するノートは、投与された人を昏睡状態にする薬だ。警察隊が捜査対象を無力化する際に使用することがある。
ただし、非常に強力な薬であるため、中和剤が無ければ投与された者は三日ほど目覚めることがない。
「こっちは訊くべきことが山ほどあるってのに、尋問対象が眠っちまってるとはな……。」
ルーファスは屈んで女を抱きかかえる。軽く揺すってみるが、手足はだらりと垂れ下がったまま、ぴくりともしない。女の確保に動いたきっかけである紅い瞳も、今は瞼で閉ざされて窺い知れない。
(勘弁してくれよ。これで目が紅くなかったら、とんだ笑い者だ。)
ため息を吐いたルーファスは、女を抱きかかえたまま自らの拠点へと歩き始めた。




