夜の監視者 ①
― ロンディウム市街 中央区 警察隊本部 ―
警察隊本部一階の作戦室、ヘイデンは一人思案に暮れていた。警察隊襲撃事件の首謀者の拠点を突き止めるまで、残された日は後一日。捜査に用いる資料は机に散在し、壁には手掛かりになりそうな情報を書いた紙が乱雑に貼り付けられている。この二日間ほぼ休むことなく捜査を続けた結果、その表情には疲労が滲み、頭痛すら感じていた。
(もう時間がない。どうしたものか……。)
ヘイデンはため息を吐く。今日も作戦室にこもって情報の整理を続けていたが、既に一日が終わりを迎えようとしていた。天井に吊るされた雷灯をぼんやりと見つめながら、椅子に座り込む。仮眠を取ろうかと思ったその時、作戦室の扉をノックする音が聞こえた。
「ヘイデン。入るわよ。」
作戦室に入って来たのは、全身黒ずくめの女性だった。夜警を担う魔女として、その外見は闇に溶け込むために黒で統一されている。ヘイデンと同様に黒の隊服を着用し、背まで伸ばした豊かな髪は、イズナディア人には珍しい黒だった。扉を閉めた後、黒い手袋を外し、顔を覆っていた隠しを外す。『夜鷹の魔女』キーラ。彼女の素顔を知る者は、ヘイデンを含め警察隊のごく少数に限られていた。
キーラは優れた容姿を持つ魔女だが、規律の厳しい警察隊には似つかわしくない印象を与える。特に口元の色合いがそうさせていた。日に晒すことの無い白皙の肌に映える深紅の唇は、より一層赤く見え、魔女の妖しさを際立たせている。彼女の纏う麝香の匂いも、魔女の蠱惑的な存在感を醸し出していた。
「キーラか。何か手がかりは見つかったか?」
ヘイデンが素早く振り向く。閉塞した現状を打開するには、目の前の魔女が齎す情報を頼るしかなかった。
「ええ。少し待ってちょうだい。」
キーラが制帽と隊服の上着を脱いでコート掛けに吊るす。そして部屋の脇にあるソファにもたれて脚を組み、シャツのボタンを外して首元を晒した。
彼女の身分を知らない人からすれば、キーラは警察隊員に変装した娼婦にしか見えないであろう。警察隊の規律を乱すことこの上無いが、数多くの実績を挙げてきたことから大目に見られていた。
「はあ、暑いわね……。」
魔女は気だるげな表情で髪をかき上げ、青色の目を悩まし気に細めてヘイデンを見る。辺りに麝香の匂いが広がり、ヘイデンの頭痛が強まった。
「……それで、何か分かったか?」
しびれを切らしたヘイデンが脅すような声音で問う。キーラとはヘイデンが副隊長になる前からの付き合いであるが、もったいぶるような態度には我慢ならない時があった。
「あらあら、いつも冷静な副隊長さんが随分焦っているようね。」
他の隊員であれば縮み上がるようなヘイデンの口調にも、キーラは一切動じるこ
とがない。代わりに真っ赤な舌を出して唇を嘗め、挑発するような笑みを浮かべる。
「……二度も言わせるなよ。」
疲れ切った表情のヘイデンに睨まれ、キーラがわざとらしく両手を挙げる。
「はいはい。……襲撃犯の拠点を突き止めたわ。」
「どこだ?」
ヘイデンは思わず椅子から身を乗り出していた。その様子を見て、キーラが満足そうに笑う。
「ロンディウム中央区にある紅凰館。かなり大きな屋敷よ。」
ヘイデンは頭の中で、今まで整理した情報から一人の人物を手繰り寄せた。エフレインの貿易商。まだ出国していないことは把握していたが、捜査を開始するに足る情報は持っていなかった。
「館の主は、セルバン・コルテスだな? 何故そこだと思った?」
「もう調べていたのね。つい先程、どこかの使用人と思われる女性が狭い通りで男に襲われていたのよ。でも彼女は火の魔法を使って男を追い払った。夜だったから、火の明かりは遠くからでもはっきりと見えたわ。その使用人の後を付けてみたら、辿り着いたのが紅凰館だった。」
キーラが立ち上がり、部屋の隅に置かれた棚からコップを取り出す。机上の水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。
「はあ……。それから、暫くその館を監視したわ。そして見つけた。貴方に火傷を負わせた、赤い目の女をね。」
ヘイデンは徐に包帯を巻いた左腕に目を向ける。警察隊に入ってからというもの、女に怪我を負わされるなど、およそ考えつく限り最悪の失態だった。しかも、みすみす取り逃がした犯人は、今も帝都中央区の屋敷に居座っているというのだ。表情は冷静を装いながらも、腹の内は怒りで煮えくり返っていた。
「……紅凰館。そうか。」
ヘイデンと机を挟んで向かい合わせになったキーラも、ヘイデンの左腕を見た。
「それにしても、あんな小娘が貴方に火傷を負わせるなんてね。もしかして魔女?」
「分からない。だが、俺に追い詰められるまでは手の内を隠そうとしていた。もし奴が魔女なら、そんな回りくどい方法を採らなかったはずだ。」
「そう……。一体何者なの?」
「恐らく火の国が送り込んだ間者だろう。しかも、逃げ回るだけでなく、戦い方も心得ている。だが、お前の得た情報で尻尾は掴んだ。今夜、必ず捕まえてやる。」
ヘイデンは目の前の霧が晴れた気分であった。机上に目を落として、今夜の計画を思案し始める。沈思するヘイデンのもとに、キーラがゆっくりと近付き、からかうように言った。
「それで、副隊長さん。何か私に言うことは?」
「……ああ、礼を言うぞ。」
「それだけ? 貴方がどうしてもと言うから、鵜の目鷹の目で捜査に当たっていたのよ? 言葉だけじゃ足りないわ。」
キーラが上目遣いにヘイデンを見上げ、物欲しそうな表情をする。口元に手を当て、深紅の唇を指でそっと撫でた。
「……何が欲しいんだ?」
ヘイデンは素っ気なく訊き返す。キーラのことは数年前から知っているが、今でもその本心を理解することはできかねていた。
「ふふっ。まさか私に言わせる気?」
煽情的な笑みを浮かべたキーラが机に腰掛けた。視線をヘイデンの左腕に向け、手を伸ばす。その手が包帯が巻かれた腕に触れる寸前で、ヘイデンが身を引いた。
「……止めろ。」
「あら、相変わらず堅物ね。」
特に傷ついた様子も無く、笑みを浮かべたままキーラが問う。
「それとも……、副隊長さんはフェリシアにご執心で、私に構ってる暇なんて無いってことかしら?」
「……。」
黙りこくるヘイデンを前に、我が意を得たとばかりにキーラが続ける。
「否定しないのね。でも、フェリシアが皇女様のお気に入りだってことは貴方も知っているでしょう? 諦めた方が身のためよ。」
ヘイデンはうんざりした表情で応じる。
「……何を勘違いしてるか知らないが、フェリシアが隊長に就任したことを快く思っていないのは、何もお前だけじゃないぞ。」
「へえ、そうなの?」
「だが、今はフェリシアの力が必要だ。襲撃犯を捕らえるには、我々だけでは足りない。」
ヘイデンは目を細める。
「その理由は、お前が追っていた男だ。まだ訊いていなかったが、お前が取り逃がすとは何者なんだ?」
キーラが露骨に嫌そうな表情をした。
「はあ、言わないと駄目かしら?」
「……。」
ヘイデンが睨むと、キーラは素直に従った。
「……恐らく『空間魔法』の使い手よ。あの男は何度近付いてもすぐにその場から姿を消し去っていたわ。」
「空間魔法だと? 何故もっと早く言わなかった?」
「ん? 訊かれなかったからよ。」
キーラが意を介さずに答える。ヘイデンは大きくため息を吐いた。
空間魔法は、他の魔法の能力を上回ると言われている。障壁を使った攻撃と防御、瞬間的な転移、空中浮遊など、使い手は攻守に優れた多彩な能力を扱える。中でも長距離の転移能力は即時の情報伝達を可能とするため、ある国家が使い手を保有すれば外交上の優位性は揺るがぬものになる。
しかし、その使い手は西大陸にのみ存在し、数人しか存在しないらしい。それは、帝国が西大陸の情勢を探る過程で知り得た情報だった。キーラから聞くまでは、ヘイデンも彼らを幻の存在としか思っていなかった。
「やはり相手は火の国の間者だろうな。そんな力の持ち主は国が管理しているはずだ。目には目をだ。ここは英雄の力を借りるとしよう。」
計画の概要は定まった。空間魔法の使い手は鴉の魔女に匹敵する力を持つと想定し、フェリシアを単独で当てる。ヘイデンとキーラを含めた残りの四人で赤い目の女を拘束する。
万が一、空間魔法の使い手を取り逃そうとも、女だけは必ず取り押さえる計画だ。商人を捕らえるための手も打つが、まずは襲撃犯の確保が最優先だった。
「俺の部下を二人呼んでくれ。明日の昼までにやってもらうことがある。」
「今から? もう真夜中よ?」
「二人には二階の控室で休息を取るように伝えている。叩き起こして連れてこい。俺も体力の限界だ。」
「はあ、仕方ないわね。」
部屋から出るために、キーラが上着を羽織り顔を隠しで覆った。その様子を横目で見ながら、ヘイデンは計画の細部を詰め始めた。
「直ぐ戻るわ。」
部屋を後にするキーラの言葉が耳に入らない程、ヘイデンは計画に集中していた。極度の疲労に達していたが、今は襲撃犯を捕らえる執念が彼を突き動かしていた。




