ガーネット・フェリア ②
― ロンディウム市街 中央区 紅凰館 ―
一日かけてヴァンデールと今後の作戦を練った後、自室に戻ろうとしたアイシャは、玄関の扉が開く音に気付いた。視線を階段下のホールに向けると、大きな買い物袋を抱えたミネアが入って来る所であった。
「ミネア。こんな時間にどこに行ってたの?」
アイシャは階段を駆け下り、玄関の扉を閉めたミネアに声をかける。
「セルバン様に頼まれまして。中央区の青果店まで。」
ミネアの振返り様、アイシャは息を呑んだ。いつも丁寧に整えられ、埃一つ付いていないエプロンドレスの至る所が黒く汚れていたのだ。
「ミネア! その服はどうしたの?」
「え? ……これは、道が滑りやすくなってまして……。」
咄嗟に返事をするミネアだが、いつものように真っ直ぐ視線を合わせることなく、もじもじとしていた。アイシャは様子のおかしさを指摘する。
「ミネア……。本当のことを言って。」
「……はい、かしこまりました。」
アイシャに真っ直ぐ見つめられ、ミネアが観念したように俯く。何事かと二人の前に姿を現したセルバンも交えて、ミネアが一部始終を語った。
ミネアの話を聞いた後、アイシャはのこのこと現れたセルバンに矛先を向けた。
「セルバンさん! 夜遅くにミネアを使いに出すなんて危険でしょう?」
「むむ、ごもっともですな。」
強い口調でアイシャに咎められ、セルバンが本当に申し訳なさそうな表情をする。ミネアが止めようとするが、何か思うところがあったのか開きかけた口を閉じた。
「何を買いに行ってたの?」
「えっと、果物を少々です。」
「こんな夜中に?」
「これから長い船旅になるからですよ。壊血病の恐れだって……。」
腕を組み鋭い目つきで訊いていたアイシャは、言い訳をしようと割り込んだセルバンに向かって指を突き付ける。
「ここからエフレインなんて三日あれば着くわよ! セルバンさんは取り越し苦労をしてるだけ!」
「そ、それは……、仰る通りで……。」
セルバンが後頭部に手を当てながら、アイシャの前でへこへこと頭を下げる。その様子を見たミネアは呆気に取られた表情をしている。
「ミネア、どうしたの?」
「い、いえ! 何でもありません。」
「そう……。ミネアは早く着替えて。またいつものをお願い。」
少し照れた表情のアイシャを見て、ミネアが微笑む。
「はい、すぐに参ります。」
「初めから思っていたのですが、アイシャ様の髪は艶があって綺麗ですね。生まれつきなのですか?」
「そう? 特に気にしたことはなかったけど……。」
「羨ましいです。黒髪ってとても素敵ですよね。私も今のくすんだ色ではなくて、黒髪であればと思うことがあります。」
「そうなの? 私はミネアの髪の色も素敵だと思うけど……。」
アイシャは自室の化粧台の前に座り、ミネアに髪を梳いて貰っていた。紅凰館に来てからというもの、これが日課になっている。初めは遠慮していたアイシャだったが、ミネアの熱意に押されて頼むようになった。大人しそうに見えるミネアだが、意外と好奇心旺盛で、世話好きのようだ。
汚れ一つないミネアのエプロンドレスを見ながら、アイシャは先程の件を思い出す。
「ミネア、今度何かあったらまずは大声で叫ぶのよ。あまり火の魔法に頼っては駄目。目立つし、魔力を消耗するだけだから。」
「はい、気を付けます。」
(私は何を父さんみたいなことを言っているんだろう……。)
ミネアは素直に応じるが、アイシャの内にはわだかまりが残っていた。暴漢を撃退したミネアを褒めた場合、次も同じように火の魔法を使おうとして、更なる厄介事に巻き込まれると思ったのだ。
(でも、魔法に頼っているのは私の方。ミネアと私は違うというのに、変な言い方をしたかな……?)
思い悩むアイシャの心情を知らないミネアは、てきぱきとアイシャの髪を梳いていく。ミネアの努力の甲斐あって、胸元まで伸ばした黒髪は、さらさらと流れるほど
指通りが良くなった。
「アイシャ様。私の我儘で髪を梳かせて頂きましたが、今日で終わりになります。」
アイシャが化粧台の鏡を見ると、ミネアが寂しそうな表情を浮かべていた。火の国の退避は明日の夜に決行する。これまで献身的に世話をしてくれたミネアに会えなくなることを思うと、胸がぎゅっと締め付けられた。アイシャは名残惜しさから、もう暫く会話を続けようとする。
「今まで本当にありがとう、ミネア。王国に戻ったらまた会えるかな?」
「会えると思います。私たちはガーネットに行く予定なんです。セルバン様は、一度カトレア様の元に行かれてから今後の事業の計画を立てると仰っていました。」
「良かった。それならまた会えそうね。」
「はい。ガーネットに行くのは久しぶりです。この時期は、そろそろ『ガーネット・フェリア』が行われる頃でしょうか。」
「本当ね! もうそんな時期になるんだ。」
『ガーネット・フェリア』はエフレインで毎年夏に行われる催し物である。ガーネットの中心地にあるガリシア広場で盛大な篝火を焚き、それを囲んだ若い男女が真夜中まで踊り続けるのだ。
踊り切った男女は主神アウラの加護によって永遠に結ばれるという言い伝えから、催しが始まるまで多くの若者たちが恋人探しに奔走するのが恒例となっている。
「その……、アイシャ様?」
腰を屈めながら、ミネアが恐る恐るといった表情で問いかける。
「どうしたの?」
「ア、アイシャ様に意中の人はいらっしゃるのですか?」
「え!?」
唐突な問いかけにアイシャが驚く。目を見開いたまま暫く言葉がでなかった。
「失礼致しました。私また余計なことを……。」
口元を両手で押さえながらミネアが詫びる。
「謝ることは無いわ! ちょっと驚いただけ……。」
アイシャも一度はガーネット・フェリアに憧れたことがある。それでも戦交官としての務めを果たすことに精一杯で、恋人との出会いなど殆ど意識したことがなかった。
「普段はそういうことを考える余裕が無くて。でも、一度は行ってみたいわね。」
しみじみと思いを吐露するアイシャを励ますように、ミネアが力強く頷く。
「アイシャ様なら絶対に素敵な殿方と出会えます! だってこんなに強くて、優しくて、そして可愛らしい方なのですから。」
「ミネア、急にどうしたの?」
「……ええと、私もアイシャ様のように、はっきりものを申し上げようと思いまして……。」
頬を赤らめて話すミネアを前に、アイシャは嬉しくも言葉に詰まった。ミネアには言えない事情があったのだ。
(悪竜に見出された者である私に、相応しい人なんて……。)
アイシャが紅い火の魔法を使えることはミネアにも話していない。怖かったのだ。例え自分を信頼してくれていようとも、いざ告げた時の反応がどうなるかは分からない。
同様に、恋人になるかもしれない相手に、自分の秘密を明かすことなどできるはずもない。これはカトレアにすら話していない悩みだった。
心配そうに自分を見つめるミネアに向かって口を開こうとしたその時、窓の外より木の枝が折れる音が聞こえた。
「今の何?」
「え? 何か聞こえましたでしょうか?」
怪訝そうな表情のミネアを余所に、アイシャは右手をさっと振って室内の火を消す。驚くミネアに対して声を発しないように伝え、アイシャは慎重に窓際に近寄った。
「……。」
周囲に目を遣るが、特に動きは無い。空は雲で閉ざされ、月明りは殆ど差し込んでいなかった。館の前にある木々に目を凝らしても、僅かな光の下では朧げな像としか見えない。
(誰かに見られていた……?)
アイシャは諦めて振り返る。不安そうな表情のミネアに『問題無い』と手振りで伝えるが、胸騒ぎは増すばかりだった。




