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ガーネット・フェリア ①

 ― ロンディウム市街 中央区 青果店ベリーズ ―


「お待ちどおさま。依頼の品だよ。」


 夜の中央区、閉店間近の青果店にて、ミネアは店主から品物を受け取った。


「確かに。こちらがお代です。」


 顔なじみの店主が不思議そうな表情で問いかける。


「ああ。それにしてもこんな時間に珍しいね。」


「はい。ご主人様から早急にということで。」


「そうか。夜道には気を付けるんだよ。近頃良くないことが起き続けているからね。」


「お気遣いありがとうございます。」


 てきぱきと買い出しを終えたミネアは、青果店ベリーズの扉を開けて外に出る。夜の帳が下りた静かな街の中にあって、扉に付けられた呼び鈴の音がやけに大きく響いた。辺りは薄暗く、人通りが少なくなっている。ミネアは買い物袋を固く胸に抱き寄せて、紅凰館への帰途に就いた。


(セルバン様のお考えは正しいと思うのだけれど……。)


 ミネアが思い出していたのは数刻前、火の国への退避に向けた準備をしている時のことである。


『壊血病ですか?』


『ああ、明日から暫く船旅になるだろう? 柑橘類を用意しておかねば身体に障るからね。』


『恐れながら、船旅は三日の予定ではなかったでしょうか。三日であれば、我々が用意をする必要はないかと……。』


 もっともな意見を述べたミネアに対し、セルバンは口ひげを搔きながら困り顔で答える。


『ふむ……。だが天候が荒れた場合は一週間以上かかるかもしれないだろう?』


『それは……。』


『備えあれば憂いなしだ。数日分で良い。ちょっと買い出しに行ってくれないか?』


 こうなっては反論の余地が無いことを、長く仕えてきたミネアは理解していた。様々な事態を想定して予め手を打っておく、セルバンの貿易商としての才覚に疑問は無かったが、それが日々の生活にまで及ぶと取り越し苦労に思えてしまう。


『……かしこまりました。』


 使用人としての立場を弁え、ミネアは複雑な気持ちを抱えながらも、いつもと同じ返事をして買い出しに向かった。



(店主の言われた通り、夜の街はあまり出歩かない方が良いみたい。早く館に帰らないと。)


 ミネアは目立たないように路傍を歩くが、エプロンドレスを着た茶髪の女性はどうしても人目を引いてしまう。幾人かとすれ違う度に探るような視線を向けられて、表情にこそ出さないが心のざわつきはいや増していた。


(嫌な視線……。それに、帰り道はこんなに長かったかしら……。)


 周囲に素早く目を配り、足早に大通りを駆けようとしたその時、大きな人影が前方を塞いだ。


「よお、お嬢ちゃん。こんな夜中にどこへ行くんだ?」


 しわがれた声で呼び掛けられ、ミネアは小さく息を呑む。立ち止まって見上げると、壮年の男が目の前に立っていた。長身痩躯ちょうしんそうくの貧相な身なりを見て取ったミネアは、知らぬ振りをして立ち去ろうとする。


「すみません。急いでますので。」


「いやいや、ちょっと待ちなって。その大きな荷物は何だ?」


「あの……。」


 男が屈んでミネアの顔を覗き込む。異様な表情で食い入るように見つめられ、ミ

ネアの心臓が早鐘を打った。


「お嬢ちゃんは移民だろう? その顔を見れば俺でも分かるぞ。移民のくせに小綺麗な格好で買い物をして……。俺たち帝国民はこんなに貧しいというのに、お嬢ちゃんが裕福な生活を送っているのはどういうことだ!」


 唐突に怒りを示した男は、口角泡を飛ばしながら詰め寄る。ミネアは直ちにその場から逃げなかったことを後悔し始めていた。顔を赤くして話し続ける男に対し、ミネアは意を決して向き合う。


「すみません、通して下さい。警察隊を呼びますよ。」


「警察隊だと……?」


 男の話がぴたりと止まった。『警察隊』という言葉に効果があったと思ったのも束の間、男が大声でまくし立てた。


「警察隊だと!? ふざけるな。移民のくせに警察隊に守ってもらえるなんて思うなよ!」


 男がミネアの買い物袋を掴み、勢いよく引っ張った。想定外の行動に、ミネアは袋ごと引っ張られて姿勢を崩す。


「あっ!」


 ミネアは買い物袋と共に、地面に横倒しになってしまう。袋が落ちた拍子に、中身の果物がいくつか地面に転がった。男がその一つを素早く取り上げて、ミネアを見下ろす。


「俺たちはもう何日も食えてないんだ。お前みたいな女が何様のつもりだ!」


 果物を右手に持ち、男がミネアに罵詈雑言を浴びせる。ミネアは冷えた石畳に手を付きながら、ゆっくりと立ち上がった。少し前に怯えていた心は、今では冷静さを取り戻していた。喚き続ける男を見据えて息を整える。


(しっかりしなさい、ミネア。私より若いアイシャ様が戦っていらっしゃるのだから。私も目の前の男くらい追い払わないと。)


 ミネアは男の右の肩口に視線を向け、右手を挙げる。


(肩口に火をつけることを思い描く。後は魔力を放出するだけ……。)


 アイシャに教えてもらった言葉を思い出しながら、思い描いた通りに魔力を放出する。


「何だ!?」

 急に肩口が発火し、驚いた男が手に持った果物を落とした。ミネアから視線を外し、左手で肩口を何度も叩く。


 ミネアは素早く立ち上がり、買い物袋を拾い上げて走り出した。


「おい、待て!」


 男が怒りを露わに雷を撃とうとするが、掌が僅かに光るのみだった。ただでさえ乏しい魔力を消耗し、男は身体を折って咳き込み始めた。



(はあ、ここまで来れば……。)


 夜道を走ること数分。ミネアは後ろを振り返ったが、男の姿はどこにも無い。小さくため息を吐いて、紅凰館への帰り道を一歩ずつ進み始める。


「……。」


 ミネアは右の掌を見つめた後、胸元に当てた。掌に強い鼓動を感じる。それは恐怖によるものではなかった。弱ってはいたが大の男を自分の力で退けた、その興奮によるものだった。自分は無力な存在ではない。他の移民のように迫害を受けそうになっても、自分にはそれを退ける力がある。ミネアの胸に小さな誇らしさが生まれていた。


(アイシャ様にお礼を言うべきかしら……。でも、『危険すぎる』と注意されてしまうでしょうか。)


 ミネアは嬉しさと少しの反省を心に抱え、頬を紅潮させながら歩みを進める。


 静まり返った裏通りを抜けた後、後ろから微かに羽音が聞こえた。ミネアはびくりとして振り返る。


(今、何か音が……。)


 目を凝らしても夜の闇しか見えない。買い物袋を固く抱き寄せ、既に視界に映った紅凰館へ小走りで戻った。

 


 羽音が聞こえた箇所には既に何も無く、微かな麝香じゃこうの匂いだけが残っていた。

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