魔女部隊「雷花」 ②
フィオナは、少し前を歩くフェリシアの背を見つめながら二年前の記憶を思い出していた。
『これは?』
帝国海軍本部のとある一室。透明な液体の入った小瓶を手に、フェリシアが不思議そうな表情で訊く。
『香水です! 今日は隊長の誕生日ですから。細やかなものですが、贈り物にと。』
『……そうか、もうそんな日になっていたとは。』
特に感動した様子もなく、フェリシアが小瓶を眺めている。蒼色の瞳は活力を欠き、表情は氷のように固まっている。
『確かにあっという間ですね。』
反応の薄さは予想通りであったが、いざその場で目の当たりにすると落胆しそうになる。フィオナは気を取り直して会話を続けた。
『えっと、香水の使い方はご存じですか?』
『知らない。こういったものには疎くてな。』
『では、私がお伝えします! ちょっと貸して頂けますか?』
押し黙ったままのフェリシアから香水瓶を受け取る。フェリシアの冷ややかな視線を感じながら、フィオナは恐る恐る右手に香水瓶を持ち、左手首に吹き付けようとした。しかし、あろうことか自分の顔に向かって吹き付けてしまう。
『わっ!』
香水が目に染みる痛みで、フィオナは両目を開けられなくなった。
『……そうやって使うのか?』
何も知らないフェリシアが真面目な表情で訊く。
『違います! 手首に付けるものなのですが……。』
両目を閉じ、右手に香水瓶を持ちながら、身振り手振りで慌てるフィオナを見て、フェリシアが薄い笑みをこぼした。
『ふっ。』
⦅えっ!? 隊長が笑った?⦆
フィオナは目を開けようとしたが、更に目に染みて開けられなくなる。フェリシアの表情を一目見ようと、大量の涙を流して目を開けたが、その時には元の固い表情に戻っていた。
⦅折角の機会だったのに……。⦆
副官になってから二年が経つが、フェリシアが笑った所は一度も見ていない。彼女が亡き父親の復讐に駆られていることは、フィオナも知っている。しかし、その代償として多くのものを失っていると思わずにはいられなかった。
⦅隊長の心はあまりにも凍てついている……。このままだと本当に戦争の道具に成り果ててしまう。⦆
帝国軍の本部が求めているのは、フェリシアの『鴉の魔女』としての力のみ。帝国の敵を殺すごとにすり減らされて行く彼女の心など一切気にかけていない……。それが、フェリシアを取り巻く人間関係を間近で見てきたフィオナの結論だった。
⦅隊長の心を癒せるのは私しかいない……。⦆
数々の戦場に身を置く中で、フィオナは何度もフェリシアに命を救われた。本人は殆ど気にしていないが、フィオナはその恩を少しでも返そうという思いで一杯だった。
(隊長はこの一年間で大きく変わった。)
魔女の力を一時的に失った後、戦場から身を引いたフェリシアは感情を表す機会が多くなっていた。他の警察隊の部下と接する時は以前と変わらないが、フィオナの前では優しさや笑顔を見せている。それがフィオナにとってこの上ない喜びだった。
一方で、フェリシアが再び戦場に立つことに一抹の不安を覚え始めていた。
(魔女の力を取り戻して本当によかったのかしら……。)
「フェリシア隊長。お疲れ様です!」
フェリシアに気付いたマリーが駆け寄って来た。彼女の楚々とした所作は、魔女になったにも関わらず看護兵の印象を拭えない。混じり気の無い純白の翼を背にしたマリーは、白衣を着させれば、さながら天の使いを思わせただろう。
薄青色の瞳を輝かせて自分を見上げるマリーに対し、フェリシアは先程の訓練を見た率直な感想を伝えた。
「マリー。君の飛行能力は大したものだ。魔女になってからそう時間が経っていないのにな。」
「本当ですか? ありがとうございます。」
マリーが笑顔で応じる。フィオナ同様、その表情には一片の衒いも無かった。
「ですが、まだ姿勢が安定しないと感じています。矢を避けることはできるのですが、その度に高度が下がってしまっていて……。」
マリーが両手を身体の前で組み、俯きがちに言った。フェリシアは先程見ていた飛行時の様子を思い出しながら答える。
「……そうだな。矢を避けた後、翼を動かし過ぎていると思う。慌てて体勢を整えようとする必要は無い。翼を広げて風を掴むんだ。既に推進力を持っていれば、滑空する中で自ずと体勢は元に戻る。もう一度訓練をする時には、私も近くで飛ぼう。」
「良いのですか? そこまでして頂いて……。」
「雷花は私の部隊だ。遠征までには万全の状態にする責任がある。」
フェリシアは力強く応じる。マリーの表情が一層晴れやかになった。表出させたままの翼をはためかせる。
「はい。頑張ります!」
その時、マリーの後ろから声がかかった。
「マリーってば、いつまで隊長を独り占めにする気?」
「あっ、すみません。」
はっと気付いたマリーが後ろを振り返り、翼を消失させる。そこには、雷花を構成する四人の魔女が集まっていた。




