悪竜に見出された者 ③
― ロンディウム市街 中央区 紅凰館 ―
「何か気になることでもあったか?」
紅凰館に戻った後、アイシャは父親に呼び止められた。自室に戻ろうとしていたアイシャは無表情を装って振り返る。
「別に? 何もないわ。」
「……そうか。」
何か言いたげな父親を残し、アイシャは自室に向かった。既にセルバンとミネアは就寝しており、ホールや階段の火は消えている。アイシャは左の掌に小さな火の玉を出現させて、階段を上がり、自室の扉を開けた。
「はあ……。」
化粧台前の椅子に掛けて、鏡の脇にある蝋燭に火の玉を移した。鏡の中に自分の不機嫌そうな表情がぼんやりと浮かぶ。鏡面に映る像を睨み返しながら、アイシャは自分が何に苛立っているのかを考え始めた。
アイシャが戦交官に任命されたのは、今から三年前。十六の時だ。『戦交官』という武官の新設と同時に、アイシャは最年少で任命を受けた。外交や軍事を担当する高官からの反発も受けたが、重要な任務を帯びて活動する戦交官の役目を果たそうとして、当時のアイシャは意気揚々としていた。
過酷な任務ではあるが、アイシャが戦交官を志したのには理由があった。
(私は、この力を活かすために戦交官になった。それなのに、全然役に立っていないわ。)
右の掌に紅い火の玉を出現させて暫く見つめる。アイシャの瞳と同じ色の炎は、熱を発しない。幻想的に揺らめく深紅の炎には、見る者を惹き付ける美しさがあった。しかし、火の国に生まれた者が見れば全く異なる思いを抱く。
『紅い火の魔法』は、その存在自体が長らく忌み嫌われてきた。紅い火の魔法は、物を燃やすことができない。その代わり、魔法によって引き起こされた現象のみを燃やすことができる。何も生み出さず破壊しか齎さない紅い火の魔法の使い手は、人々から蔑まれ迫害されてきた。
(今の任務で、紅い火の魔法を使ったのは一回だけ。後は殆ど逃げ回っているだけで、肝心な所は全部父さんが引き受けている……。)
紅い火の魔法の使い手は、生まれながらにして使い手である訳ではない。ある日突然、使い手として選ばれる。その選定者となるのが、王国において悪竜とされる魔獣『アーダイン』だ。誰がいつ使い手になるのか、それらは全て悪竜の思うがまま。悪竜の気まぐれで使い手となった者は、自らの運命を呪うしかなかった。
火の国の最高神にして善の神である『アウラ』に対し、アーダインは悪の神と見做されている。悪竜が為した所業の数々は、叙事詩となって語り継がれ、『悪竜アーダイン』と聞けば幼子ですらその悪行を諳んじることができる程だ。
そのような悪竜に選ばれた者は、『悪竜に見出された者』となり、どんな身分であろうとも社会の底辺に身を落とした。ある日を境に火の魔法が使えなくなり、紅い火の魔法の使い手となった者たちは、日がな一日、底辺の者が行う仕事で糊口を凌いでいた。
戦交官になった後、アイシャはカトレアに連れられて『悪竜に見出された者』たちが収容されている施設に行ったことがある。彼らの出自は様々であるが、施設ではまるで罪人のような著しい行動の制限を受けていた。
一様に絶望し切った表情でうずくまる彼らを間近に見たアイシャは、驚きのあまり暫く呆然としていた。隣に立ったカトレアにかけられた言葉は、今でもはっきりと思い出せる。
『アイシャ、貴方は特別なのよ。紅い火の魔法の使い手だからといって、何も後ろめたいことは無いの。貴方が戦交官として残す功績が、彼らの心に火を灯す希望になるわ。』
険しい表情をしながらも、アイシャにかけたカトレアの声は優しかった。
『うん、皆がこんな扱いを受ける理由なんて無い。私にできることなら何でもやるわ!』
『……ありがとう、アイシャ。』
微笑むカトレアの表情を見ながら、アイシャは自分に課せられた使命を果たす覚悟を決めた。
『悪竜に見出された者』は、火の魔女によって大きな転機を迎えている。戦交官の配備は、彼らの有用性を国に示し、地位を向上させるための政策でもある。他の魔法を消滅させることができる紅い火の魔法は、戦交官の任務とも相性が良く、火の魔女は積極的に彼らを登用しようとしている。
しかし、長きに亘って忌み嫌われて来た彼らの印象を変えることは至難の業だ。カトレアとアイシャの前に立ちはだかる壁は高く、未だその全容すら掴めていない。
(シャルロット。彼女はもう任務を完了したのね……。)
アイシャが功を焦るのは、同僚であるシャルロットの存在も大きく関係している。エフレインの有力貴族『アギラル家』の令嬢であるシャルロットは、事ある毎にアイシャを目の敵にしてきた。
『貴方も戦交官になるの? カトレアのお気に入りであれば、家柄は関係無いということかしら?』
戦交官の任命式でシャルロットに面と向かって言われ、当時のアイシャは悔しい思いをしながらも反論ができなかった。
代々火の魔女を輩出してきたアギラル家にとって、その地位をカトレアに奪われたことは大いに面目を失う事件であったようだ。『火の魔女』直属の戦交官は、『次代の火の魔女』の候補と目されている。二代にも亘って火の魔女の地位を他家に奪われまいと、アギラル家からの圧力は露骨に強くなっている。
カトレアのもう一人の部下であるアイシャは、彼らの重圧に耐えなければならなかった。
(冷静で頭の切れるシャルロットに勝つには、魔力と身体能力を駆使するしかない……。)
シャルロットのように、帝国海軍の関係者から機密情報を入手するなど、自分にできるとは思えない。それでも、警察隊を相手に商人を護衛することなら、やり遂げる自信があった。
カトレアの期待に応え、シャルロットに自らの能力を示す。そのために、アイシャは最大限に魔力を使って、敵を退けようと考えた。それでも、予想外の人物から横やりが入った。
『不必要に力を見せびらかすな。悪戯に魔力を使えば破滅するぞ。』
火の国の商人の退避支援を行うにあたり、アイシャに釘を刺したのはヴァンデールだった。敵に対して火の魔法を直接行使せず、油の入った小瓶で攪乱する手を考えたのも父親だった。
(全く、魔力を抑えてどうするっていうのよ。それじゃあ、なおさら役に立たないし、お陰で警察隊に素性を明かす羽目になったじゃない……。)
父親に苛立ちの矛先を向けようとしたが、あまりに子供じみて恥ずかしくなった。苛立ちを向けるべき相手は、今の状況を変えられない自分に他ならなかった。
(はあ、考えても埒が明かない。ヴェルミオンに相談しようかな。)
父親のことは信頼しているが、自分の悩みを話すことはあまりない。アイシャの相談役は、専らカトレアとヴェルミオンであった。
掌を蝋燭の上に被せ、紅い火で蝋燭の火を打ち消す。部屋の窓から入る月明りを頼りに、アイシャは寝間着に着替え、寝台に横たわった。
ちらと部屋の周囲に目を遣り、訓練のために置いた燭台を片付けていなかったことに気付く。アイシャは燭台から目を背けるように姿勢を変え、月明りの方に目を向けた。
満月の下、月光に照らされた室内は、真夜中だというのに辺りの輪郭がはっきりと分かるほどだ。アイシャは目が冴えてしまうことなど意に介さず、月光に希望を見出そうとするかのように、深紅の瞳を煌めかせながら月を見つめていた。




