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双火の姫(帝都潜入編)  作者: 蘭火
第1章
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雨の魔女 ③

「まだ要件を聞いていなかったな。話とは何だ?」


「ああ……、それは。」


「何を躊躇ためらっている? 今更何を言われた所で、私は怒らぬぞ。」


 眉根を上げたティグリアに対し、フェリシアは腹をくくった。消え入りそうな声で、ぽつりと呟く。


「……貴方は、まだ私が憎いのか。」


「……!」


 今度はティグリアが言葉を無くしていた。数秒間黙った後、唐突に俯いた。


「何か……?」


 不安になって立ち上がり掛けたフェリシアを余所に、ティグリアはくつくつと笑い始めた。次第に堪え切れなくなったのか、腹を抱え始めた。


「……何がそんなに可笑しい!」


 フェリシアは急に恥ずかしさを覚えて赤くなる。


「いや……ははは、すまない。神殺しの魔女たる貴様が、まさかそんなことで思い悩んでいたとは。」


 目元の涙を手で拭いながら、ティグリアは居住まいを正す。


艱難かんなんに接し、讐敵しゅうてきすがるか……。ずっと不思議に思っていたよ。あの戦争以来、幾ら新聞を読んでも、貴様が戦場で挙げた功績が載っていないからな。魔女を狩り、神をも殺す力を持っているというのに。ここに来てから数か月後に分かったが、戦争の直後に警察隊に転属になったのだろう? 大方、私に魔女の力を封じられていたのではないか?」


 核心を突かれたフェリシアは、憤然とした表情で応じる。


「……その通りだ。」


「成程。ああ、貴様の問いに答えてやろう。もう貴様を憎んではいないよ。私は憎むことを止めたのだ。憎しみは何も生み出さないからな。」


「もう……、憎んではいない……。」


 可笑しそうな表情をたたえているティグリアを前に、フェリシアは自らの心を縛る枷が外れる感覚に気付いていた。


「はあ、久しぶりにこんなに笑わせて貰ったよ。礼を言うぞ。」

 ティグリアの醸し出す雰囲気に、もう張り詰めたものは感じられなかった。まるで友人に接するようにフェリシアに問い掛ける。


「折角だ。私からも質問をさせて貰おう。私の呪いを解いた貴様は、何を為そうとしているのだ?」


 態度は和やかだが、言葉の切れ味は依然として鋭い。


「……。」


「答えられぬか? 帝国は既に東大陸を制覇したであろう。最早貴様の出番は無いはずだ。であれば、次の標的は西大陸。貴様の力を必要とする理由は、そこにあるのではないか?」


「ああ、その通りだ。帝国は更なる領土を必要としている。」


 ティグリアの黄玉色の瞳が鋭さを増す。


「それは貴様の真の意志なのか?」


 フェリシアは相手を睨み付けるが、背筋には冷や汗が伝っていた。


「そうだ。これは私の意志でもある。」


 声を微かに震わせながら答えた。その微かな動揺から、ティグリアは全てを理解し

ていた。


「やはりな……、私の思った通りだ。貴様に自分の意志など無い。テオドールに復讐を成し遂げた以来な。」


「何を分かったような口を……。」


 フェリシアは思わず逆上しそうになったが自制する。その様子を見ながら、ティグリアは憐憫れいびんにも似た表情を浮かべていた。


「哀れなものだな。自らに意志の無い者は。今の貴様は誰かの命令に従っている、いや、従わされているだけだ。」


 ティグリアの言葉は、無形の牙となってフェリシアの心を深くえぐった。


「復讐は何も生み出さない。それは実のところ、貴様から教えて貰ったのだよ。貴様は確か、陸軍司令官であった父親を我が軍に殺されたのだったな?」


「何故そのことを……。」


「我々を見くびるなよ。敗北したとはいえ、戦うための準備は周到に行っていた。特に貴様のことは徹底的に調べ上げていたよ。」


「……。」


「まだ若かった貴様が父親の復讐に駆られ、魔女となってテオドールの戦場に初めてその姿を現した時、我々は思い知った。人の姿をした恐ろしい『怪物』を生み出してしまったのだとな。今から思えば、我々は自らを死地に追いやったのだ。」


 ティグリアが言葉を切った瞬間、部屋の外で一筋の稲光が閃いた。閃光を目に焼き付けながらも、フェリシアはじっと相手を見つめている。


「復讐を果たして、貴様は何を得たのだ? 確かに貴様は比類なき力を手に入れたが、それを全て破壊のために使った。魔女を狩り、神を殺し、国を滅ぼした。成程、帝国においては英雄として称えられるようになったであろう。だが貴様の心はそれで満たされたか? 父親は還ってなどこない。代わりに私から呪いを受ける始末だ。挙句の果てに、今度は呪いを解いて更なる破壊をもたらすよう強いられている。私は貴様が哀れでならない。……これで分かったか? 貴様を憎むことに意味など無いのだ。そんなことしても祖国は還ってこないからな。」


 ティグリアは机上の本に手を添えて、本の縁をそっと撫でた。


「真に尊いのは創造することだ。私は裁縫などはできぬからな。こうして祖国の歴史を本につづっておるのだよ。」


 フェリシアは机上の本に目を遣り、自らに問うていた。今自らを突き動かしているものは何かと。その様子を慎重に見ながら、最後に用意していた言葉をティグリアが言い放った。


「貴様は今、分水嶺ぶんすいれいに立っている。まだ遅くはない。お前の母親と同じ道を選んではどうだ?」


「……! 貴様に何が分かる!」


 フェリシアは勢いよく席を立ち、拳を机に叩きつけた。我慢の限界であった。静謐せいひつを保ったままのティグリアを背にして、フェリシアは部屋の出口に向かう。


「フェリシア。」


 ティグリアに呼び止められ、フェリシアは怒気を露わに振り返った。


「汝に幸運のあらんことを。」


 ティグリアが真摯な眼差しで一言だけ呟く。フェリシアは眉根を寄せて暫く佇んで

いたが、やがて踵を返して部屋を後にした。

 


 監獄塔から外に出ると、いつの間にか空は晴れ渡っていた。フェリシアは正門を抜けて、警察隊本部への帰路に就く。ティグリアに会ったことで心の枷は外れ、この抜けるような空の如く澄み渡っている。しかし、心の奥底、核とでも言うべき所は、この監獄塔の如く未だ何物かに囚われていた。


「フェリシア隊長! もう終わられたんですね?」


 顔を上げると、手に二本の傘を持ったフィオナが立っていた。


「フィオナ……。ここでずっと待っていたのか?」


 フィオナは不思議そうな表情で応じる。


「ずっと、という程の時間ではないですよ。傘を用意するために、一度本部に戻って来たところでした。」


 ティグリアと話していた時間は、半刻にもわたる長さだと感じられたが、思っていたよりも短かったようである。


「そうか……。わざわざ済まなかったな。」


「いえ! 謝って頂くようなことではございません。それで……、ティグリアとは話せたのでしょうか?」


 フィオナは恐る恐るといった表情で訊く。彼女の普段とは違う緊張した面持ちに、フェリシアは思わず笑みを浮かべた。


「ああ、心配を掛けたな。もう大丈夫だ。呪いは解けたよ。」


 そう言ってフェリシアは目をつむり、背の辺りに力を込める。直ぐに、かつてと変わらぬ速さと力強さで、自身を象徴する漆黒の翼がその背に現れた。


 翼は自分とフィオナをもすっぽりと包めてしまうくらいの大きさであり、濡れ羽色の羽毛は陽光に照らされて青や緑といった複雑な光を放っている。フェリシアは翼を動かして感覚を思い出した後、翼を消失させて元の状態に戻った。


「隊長……。本当に、良かったです。」


 フィオナの表情に目を向けると、薄青色の瞳に、今にも零れ落ちる程の涙を溜めていた。フェリシアの胸がぐっと熱くなる。隊服のポケットから手巾を取り出し、フィオナの目元をそっと拭ってやった。


「フィオナには感謝してもしきれないな。この一年というもの、ずっと私を支えてくれて、ありがとう。」


 フィオナは嗚咽しながらも、こくこくと頷く。


「では、本部へ帰ろうか。」


「……はい。」


 二人はゆっくりと本部への道を歩き始めた。フェリシアは歩みを進めながら、ティグリアの問いを何度も思い返す。その背に取り戻した漆黒の翼で、飛び立つその先を……。

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