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双火の姫(帝都潜入編)  作者: 蘭火
第1章
17/20

雨の魔女 ②

 ― ロンディウム市街 中央区 監獄塔 ―


 監獄塔。凶悪な犯罪者や帝室への反逆者を収容する塔として、その歴史は何世紀にも及ぶ。犯罪者を収容するだけでなく、処刑も行っていたことから、現世への未練を残した幽霊が彷徨さまよっている等、数々の風説がまことしやかにささやかれていた。


 堅牢な石造りの塔は周囲を長大な防壁で囲われており、侵入も脱獄も容易には行えない構造になっている。


 フェリシアは、フィオナを伴って監獄塔の正門前に立っていた。


「急に空が曇って来ましたね。先程までは晴れていたのに。」


 フィオナが空を見上げて不思議そうに話す。日差しは雲に遮られ、正午過ぎにも関わらず辺りは急速に暗くなり始めていた。


「ああ、そうだな。」


 フェリシアはどことなく上の空で聞いている。今の空模様は自らの心境そのものであると感じていた。


 フェリシアは、正門に詰めている衛兵に身分を名乗り、面会の予定があることを伝える。手元の書類を確認した衛兵が、別の衛兵にフェリシアを案内するように言った。衛兵の一人が正門の扉を開けて、来訪者を案内するために正門を抜けて行く。


 フェリシアは後ろを振り返り、フィオナに短く伝えた。


「また後で。暫くは掛かるだろう。」


「……はい。お待ちしております。」


 フィオナは精一杯の明るさで応じようとしたが、緊張で顔が強張っていた。フェリシアが扉の向こうに行った後、彼女に聞こえないくらいの声で『ご武運を。』と言う。武器を伴わない面会であるが、今の状況にはその言葉が相応しいと思わずにはいられなかった。



 フェリシアは監獄塔内部に入り、衛兵の案内のもと階段を上っていた。一つ段を上るごとに鼓動の音が強まっていると感じていた。いつしか階段を上り終え、目的の部屋の前に辿り着いていた。


 衛兵が何かを言ってその場を立ち去って行ったが、フェリシアは明確に聞き取れていなかった。『では、失礼します。』とでも言っていたのだろうか。


 目の前の部屋に、ティグリアがいる。自らに伴侶たる神を殺された人。自らに一年にも及ぶ呪いを掛けた人。フェリシアは扉をノックしようとして、その手を止めた。初めに何と言えばいいのだろうか。『元気にしていたか。』とでも言うのか。思い付いて馬鹿馬鹿しさを覚えた。

 

ノックをしようとする右手に汗がにじむ。反対に喉は渇きを訴えていた。今まで戦場に立った時でさえ、これ程の緊張を覚えたことは無かった。


「入りなさい。そこにいるのだろう?」


 部屋の内から、きっぱりとした声が響いた。フェリシアの内に一際大きな鼓動がこだまする。意を決して、フェリシアは扉を開けた。


「失礼する。」


 部屋の内側は、殺風景な監獄塔の様相とは違い、邸宅の客室のような内装であった。仮にも大国の元女王が住まうということもあり、華美ではないが格式の高い調度品が揃えられている。その部屋の中央、窓を背にして、ティグリアは椅子に座し、真っ直ぐにフェリシアを見ていた。


「久しいな。ロンディウムの鴉よ。」


「あ……。」


 ティグリアの姿を見て、フェリシアは暫く言葉が出なかった。


 元女王の姿は、一年もの虜囚の身にあって、その美しさ、気高さは少しも損なわれていなかった。暗褐色のワンピースを着たディグリアは居住まいを完璧に正し、どこにも隙は見当たらない。豊かな黒髪を銀の髪留めで整え、黄玉色の瞳はひと時も逸らさずフェリシアに視線を注いでいる。


 テオドール王家に特徴的な色の瞳は、見る者によっては獰猛どうもうな肉食獣と相対したような恐れを抱かせる。その真っ直ぐな眼差しに、敵意は込められているが、フェリシアの記憶に存在する煮えたぎる程の憎悪は感じられなかった。


「どうした? 私の神を殺した時の貴様は、そんな呆けた顔はしていなかったぞ。何か言ったらどうだ?」


 凛とした声は人に命令を下す支配者のそれであった。決して高圧的ではないが、聞くものを従わせる声だった。


「失礼した。今日は話があってここに来た。」


 フェリシアはやっとの思いで、かすれた声を絞り出した。緊張で舌が上手く回らない。


「そうか。私も丁度暇をしていた所だ。こちらに座ってはどうだ?」


 ティグリアは正面の椅子を指し示す。フェリシアは短く礼をして、椅子に掛けた。机上には真っ新な本と羽ペンが置かれていた。本には数条の文が書かれている。フェリシアはその本のことが気になって質問した。


「……その本は何を書いているんだ?」


 テオドールの元女王を目前にして、フェリシアはいきなり本題に入ることを避けた。


「ああ、これか? 我が国の歴史だよ。貴様によって滅ぼされたがね。虜囚の身となった私には、後世に歴史を伝えることくらいしかできないからな。」


 ティグリアの言葉には幾分かの刺々しさが含まれているが、仇敵を前にしても怒りは感じられない。むしろその表情は、真摯しんしと言っても良いくらいであった。


 その時、塔の外より突然雷鳴がとどろいた。ティグリアの背後の窓に、大粒の雨が打ち付けられて騒々しい音を発し始める。窓の方を振り返って、ティグリアが感慨深げに呟いた。


「雨と雷の邂逅かいこうだな。初めて貴様に会った時も同じような空だった。そう思わぬか?」


 外の景色を見ながら、フェリシアも当時の記憶を思い出していた。



 驟雨しゅううの最中、フェリシアは上空に飛び上がり、ティグリアに向けて幾筋もの雷撃を放つ。それでもティグリアによって生み出された水の防壁にことごとく遮られてしまう。


 フェリシアは接近戦に切り替え、太刀を構えて急降下する。恐ろしい速さで迫りくる何条もの水撃をかわしながら、ティグリアに斬りかかることを繰り返し、遂に体勢を崩したティグリアに止めを刺そうとする。太刀が目前に迫り、死を覚悟したティグリアが目を閉じたその瞬間、決死の咆哮ほうこくと共に魔獣が躍り出る。


 フェリシアは体勢を大きく傾け、突進する魔獣と切り結ぶ。後ろを振り返ると、そこには倒れ伏した魔獣の亡骸と、傍で慟哭どうこくするティグリアの姿があった……。

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