紅凰館の住人 ④
アイシャが訓練を終えて部屋の片づけを始めようとしたその時、自室の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼致します、アイシャ様。入ってよろしいでしょうか。」
「ええ、どうそ。」
ミネアがアイシャの服を手に部屋に入る。
「アイシャ様、寝間着をお持ちしました。どちらに置いたらよろしいでしょうか。」
「そうね。今はちょっと散らかってるから、寝台の上に置いてもらえる?」
「はい。承知致しました。」
ミネアは寝間着を置いた後、部屋のそこかしこに置かれた蝋燭に目を向ける。
「こちらは、何をされているのでしょうか。」
アイシャは少し照れた表情で答える。
「ええと、魔法の訓練をしていたの。」
「訓練ですか? どんな風にされるのでしょうか?」
鳶色の瞳を輝かせ興味津々のミネアに対し、アイシャは目を丸くする。ミネアがその表情に気付いて急に恥じらうように俯いた。
「失礼致しました。お邪魔をしてしまいましたね。折角訓練をされているというのに……。」
「そんなことないわ! 今ちょうど終えた所なの。蝋燭に一気に火を灯す訓練をしていたのよ。もし良かったら、ミネアも試してみる?」
「……よろしいのですか。」
「ええ。まずは、私の横に座って。」
寝台に掛けていたアイシャの隣にミネアが浅く腰掛ける。先程見せた好奇心は鳴りを潜めていたが、ミネアの身体から熱気が伝わってきた。
「部屋のあちこちに蝋燭を十本置いているの。それじゃあ……、まずは机の上の蝋燭に火を灯してみて。」
「はい。やってみます。」
身体一つくらいの距離に置かれた蝋燭に向かって、ミネアが手を伸ばす。ゆっくりと息を吸って、その手に力を込める。しかし、火は蝋燭ではなく机についてしまった。
「ああ、そんな……。」
「大丈夫よ。」
アイシャが一瞬で机の火を消す。机の上には微かな焦げ目がついていた。ミネアが残念そうに視線を落とす。
「後でセルバン様に謝らなければ……。この距離でもつかないなんて。恥ずかしいです。」
「これくらいの焦げ目なら目立たないし、言わなくてもいいんじゃない? もうこの館も出て行くのだし。」
アイシャはミネアを励ます。
「初めは中々狙い通りにならないものよ。今まではどんな時に火の魔法を使っていたの?」
「はい。暖炉に火をつける時や、かまどに火をつける時です。距離もずっと近いですし、慣れているので外れるようなことは無かったです。」
「成程ね。もう一度やってみて。今度は、始めに火を灯すことを思い描いて。蝋燭の位置、放出する魔力の大きさをはっきりと想像するの。後は思い描いた通りに魔力を放出するだけよ。」
アイシャは、カトレアに教わった通りの言葉をミネアに伝える。
「分かりました。やってみます。」
深呼吸をして自分を落ち着かせたミネアが、ゆっくりと目の前の蝋燭を見据える。その手に力を込めると、今度は蝋燭に火が灯った。
「アイシャ様。できました!」
胸の前で両の拳を握り、ミネアが嬉しそうにアイシャに感謝を伝える。
「その調子よ! 次は本数を増やしてみて。」
その後、ミネアの訓練に付き合うこと暫く、ミネアは少しずつ腕を上達させていった。しかし、三本以上の蝋燭に火を灯すことはできず、魔力を使い果たしてしまった。
「はあ……。アイシャ様、ごめんなさい。私の我儘に付き合わせてしまって。」
「いいのよ。でもミネアの熱量には驚いたわ。どうして訓練をやろうと思ったの?」
「はい。私も皆様のお力になれないかと思いまして。アイシャ様やヴァンデール様に頼りっぱなしでは駄目だと思ったのです。」
アイシャは複雑な気持ちになった。戦交官として、アイシャはセルバンとミネアを無事に帝国から出航させる任務を負っている。前面に立って戦うのはアイシャであり、ミネアが強くなる必要は無い。
それにも関わらず、ミネアは自ら強くなりたいと言い出したのだ。ミネアは口にこそしていないが、怪我を負った自分の姿を見て、戦交官としての力量に一抹の不安を覚えたということはないだろうか……。
「……分かった。残りの時間は少ないけど、私からミネアに魔法の使い方を教えるわ。」
「本当ですか? ありがとうございます。」
精一杯の感謝を伝えるミネアに笑顔で応じながら、アイシャは自らの至らなさを痛切に感じていた。もっと力を付けないと。カトレアには遠く及ばないとしても、せめて父親くらいの力を手に入れ、自分が守る人に一切の不安を感じさせないように……。




