表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双火の姫(帝都潜入編)  作者: 蘭火
第1章
11/20

ロンディウムの鴉 ②

 ヘイデンが隊長室を退出すると、そこにはフェリシアの副官であるフィオナが待っていた。フィオナが一歩身を引いて副隊長に道を空け、右手を制帽の高さに挙げて敬礼をする。ヘイデンは静かに目礼で応じた。


 フィオナはきびきびとした動作で隊長室に入り、静かに扉を閉めた。そのまま執務机の前に進み、軽やかな口調で話し始める。


「フェリシア隊長、おはようございます。襲撃事件と暗殺事件について報告に参りました。」


 フィオナはフェリシアより背が低く体つきも華奢であるが、体の芯はしっかりしていて一つ一つの動きに無駄がない。肩の辺りで切り揃えた金髪やいきいきとした薄青色の瞳から活発な女性であることが窺える。


「おはよう。まずは襲撃事件から聞きたい。隊員の一人が怪我を負ったと聞いたが、その後の様子はどうだ?」


 フェリシアは黒の制帽を取って机上に置き、フィオナに向き直った。付き合いの長いフィオナの前にすると、その表情は他の隊員に示すよりも柔らかくなる。


「はい。手に軽い火傷を負いましたが、任務に支障はない程度です。」


「そうか。キーラはどうだ?」


「はい。自室に戻られています。任務にはいつでも出れるとのことです。」


「分かった。今日一日は休息を取るよう伝えておけ。」


「はい。お伝え致します。」


 よどみなく応じるフィオナが、先程すれ違った副隊長の様子について問う。


「ヘイデン副隊長のお怪我はいかがでしょうか。重い火傷を負われたと聞きましたが。」


「ああ。確かに火傷を負ったが、休息を取る必要はない。彼には襲撃犯の居場所を三日で突き止めるように指示している。」


「承知致しました。引き続き調査をされるのですね。」


 フィオナが素早く手元の手帳に何かを書き込んだ。視線を上げて真剣な表情になる。


「暗殺事件について申してよろしいでしょうか。」


「ああ。」


「被害者はチャンドラー議員です。昨晩、自宅の書斎にて何者かに襲われたとのこと。死因は頸部けいぶの切り傷でした。また、付近にはチャンドラー議員の執事の遺体があり、死因は議員と同様でした。」


「チャンドラー議員は反戦派の筆頭ではなかったか?」


 フェリシアは記憶を探りながら問い掛ける。


「左様です。確か先週、戦費削減の法案を帝国議会に提出していましたが、主戦派によって阻まれました。彼がいなくなると、反戦派の勢いは大きく削がれると思います。」


 毎日新聞をくまなく読んでいるフィオナは世事に明るい。


「成程。主戦派にも様々な支持勢力がいるからな。議員を目の敵にしていた者は数多くいるだろう。」


 近年急速に版図を拡大した帝国は、度重なる戦争のために戦費を毎年増大させている。その代償として、街の整備、とりわけ医療に関わる費用が不足していた。


 帝国領から街に押し寄せる大量の移民は、二束三文の仕事をしながら日々を送っている。彼らの栄養状態は自ずと悪化していき、身体を清潔に保つこともままならない。そういった移民が集う区画では伝染病が多発していた。

 

 医療機関から窮状の訴えを聞いた反戦派の議員たちは、帝国領の拡大と移民の増大に歯止めをかけるために、戦費の削減によって戦争を終わらせようとしていた。

 

 一方で戦費の増大によって恩恵を受ける者達も数多く存在していた。特に兵器の製造・販売を行う経営者、低賃金で大量の移民を雇う工場の経営者である。多額の資金を保有する彼らは、主戦派の議員の強力な支持者であった。


「暗殺者の手がかりは残っていたのか?」


「いえ。それが何も残っていませんでした。現場に残されていたのは二人の遺体だけ。使用人の連絡を受けて、昨晩私と他の隊員で邸宅を捜索しましたが、手掛かりに当たるものは見つかりませんでした。」


 フィオナはそこで話を区切ったが、更に何か言いたげな表情をしていた。


「……どうした? 気になることでもあったか?」


 珍しく歯切れが悪いフィオナに対し、フェリシアは続きを話すように促す。


「はい……。一つだけ気になったことがありまして。書斎の明かりが全て消えていたんです。机や台座の上に燭台が置かれているのですが、いずれも消えていまして……。使用人によると、普段はチャンドラー議員が就寝される時に、使用人に燭台の火を消すように伝えられるそうなので、就寝前に消えているはずはないそうです。」


「確かに変だな。暗殺の前後で火を消す暇などないはずだ。隙間風で消えたとか?」


「いえ。書斎の窓は閉められていました。」


「……そうか。現時点の情報では何も判断できないな。捜査を続けてくれ。」


「承知致しました。」


 フィオナは自身の右側にある置時計を見やる。時刻は十時になろうとしていた。


「今日の予定を申しますね。」


「ああ、頼む。」


「十一時からは、海軍本部にてダルシウス司令官との面会です。その後は昼食を挟み、午後からは、昨夜の襲撃事件に関する対策検討会議、軍復帰のための打合せが続きます。」


 フィオナの副官としての仕事には、フェリシアの予定の管理も含まれている。


「復帰まで後一週間と考えると、これくらい過密になるのは仕方ないな。」


 フェリシアは軽くため息を吐く。


「左様ですね。警察隊に異動になってからもう一年が経ちます。後遺症の方はその後如何でしょうか。ダルシウス司令官は特に気にされていると思います。」


 そう言ってフィオナはフェリシアの反応を見る。フェリシアは、『ああ。』とだけ呟いて、彼女から目を反らしていた。


 フェリシアの脳裏に浮かんでいたのは一年前のテオドール攻略戦であった。斬り伏せられた魔獣の傍らにうずくまり、泣き叫ぶ女性。フェリシアは魔獣の血の滴る太刀を握りしめながら立ち尽くしていた。


 座したまま女性が振り返り、返り血と憎悪にまみれた顔をフェリシアに向けて言い放つ。


『テオドールの民は貴様を許さない。どこへ行こうと我々が追い詰めて殺してやる!』


 以来、その記憶はフェリシアを縛り付ける桎梏しっこくとなった。戦場に立とうとしても、記憶が脳裏を過り魔法の発動を押さえ付けてしまう。記憶を克服するために、一時的に帝国軍から身を退かざるを得なくなっていた。


「隊長? フェリシア隊長?」


 フィオナが心配そうに問いかける。フェリシアは我に返ったような表情になり、フィオナを見つめる。


「すまない。考え事をしていた。」


「隊長……。やはり、後遺症はまだ完治していないのですね。」


「フィオナ……。」


「私も色々と調べましたが、魔獣の力を完全に取り戻す方法は分かりませんでした。ですが軍への復帰までに何もしない訳にもいきません。この際、ご相談してはいかがでしょうか。例えば……、隊長のお母様に。」


 恐る恐ると、しかし意を決した表情でフィオナが問う。


「……!」


 フェリシアの目が見開かれる。フィオナとは帝国軍にいた頃からの付き合いで、お互いに腹を割って話せる関係である。それでも、フェリシアの母に関する話題だけは別であった。フェリシアの驚きは微かな苛立ちへと変わる。


「前にも言ったはずだ。何があっても母には会わないと。」


「隊長……。」


「時間が無いことも当然承知している。だがこれは私の問題だ。……他に用が無ければ、席を外して貰えるか?」


 フェリシアは帝国軍への入隊を決めて以来、母とは殆ど口を利いていない。軍人になった時、魔女になった時、亡き父の復讐を遂げた時、周囲の者達は皆フェリシアを讃えたが、母だけは反対した。


 フェリシアの心を見透かすかのような表情で、『それはあなたの進むべき道ではない。』と言うのだ。フェリシアは自らの意志、自らの選択を否定する母を嫌悪していた。


 フィオナは悲しみを浮かべた表情で佇んでいる。しかし、フェリシアはこれ以上聞く耳を持っていなかった。


「承知致しました。それでは、十一時に海軍本部にてお待ちしております。」


 フィオナは一礼をしてフェリシアの前を辞し、小さな声で『失礼致します。』と言いながら扉の向こうへ出て行った。


「はあ……。」


 フェリシアは大きくため息を吐き、椅子にもたれ掛かる。行き場のない苛立ちが胸の中でくすぶっていた。


 ふと、背後の刀掛けに置いてある太刀に目を遣った。左掛けで置かれた太刀に右手を這わせ、柄を握り締める。この太刀は、ある女性の使役する魔獣、いや、テオドールの神を死に至らしめた太刀であった。


 フェリシアは目を閉じて大きく息を吸い、未だ存在していない身体の部位に力を込める。しかし、幾らもしない内に、自らに呪いを掛けた女性の記憶が呼び覚まされていた。


「……!」


 フェリシアは太刀の柄から手を放す。フェリシアを『ロンディウムの鴉』と称える、その象徴である漆黒の翼は、この一年間と同様、彼女の背に現れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ