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双火の姫(帝都潜入編)  作者: 蘭火
第1章
10/20

ロンディウムの鴉 ①

 ― ロンディウム市街 中央区 警察隊本部 ―


 イズナディア帝国警察隊。帝国内務省の下部組織である警察隊は、帝国の治安機関として設立されてからまだ十数年程度の歴史の浅い組織である。


 首都ロンディウムが百万人という膨大な人口を抱えるより以前、帝国内の治安は民間の自警団とでも言うべき少数の組織『警邏けいら』によって守られていた。


 警邏は各地域ごとの担当が定期的に選出され、犯罪者を見つけると大声で喚きながら追跡を行う。そして、警邏の声を聞いた周囲の者達が集まり、一団となって犯罪者を捕まえていた。


 警邏に選ばれた者は、犯罪者に対する『雷の魔法』の行使が認められていた。雷鳴をとどろかせて人々を集めること、雷光が示す方角によって犯罪者の位置を知らせること、更には雷撃で犯罪者を気絶させること等である。


 ロンディウムが都市と呼べる程の人口に達するまでは、民間の組織である警邏によって治安を守ることが可能であった。しかし、殆どの住民が顔見知りの村とは違い、多種多様な地域出身の者達が集う都市では犯罪者に対する関心が低い。


 多くの人々が密集する都市で警邏が大声を出しても、日々の仕事に忙しく隣人に関心など持たない人々は次第に集まらなくなっていった。かくして、帝都ロンディウムでは凶悪な犯罪が発生しても取り締まりが追い付かず、人口が増えるに連れて治安は悪化の一途を辿っていた。


 事態を看過できなくなった帝国政府は、内務省直轄の組織である『警察隊』の創設を決定した。これまで治安維持を担ってきたりすぐりの警邏を各所から雇い入れ、警察隊本部長を頂点とした体制を構築した。


 高度に組織化され、また強大な魔力を持つ魔女を捜査に加えた警察隊は目覚ましい活躍を遂げた。


 しかし、イズナディアの長い歴史の中で、伝統的に民間の組織によって治安を守って来た帝国民たちは、自らの行動を監視し制御する警察隊という存在に対して反発を示していた。


 警察隊本部の前で『警察隊廃止』を訴える者、更には警察隊の捜査を妨害し逮捕される者まで現れた。


 帝国民の理解を得るために、帝国政府は国内で絶大な人気を集める一人の魔女を、帝都の実働部隊の指揮官である隊長に任命することを指示した。その魔女こそ、『テオドール攻略戦の英雄』とうたわれる『からすの魔女』フェリシアであった。



 警察隊隊長としての重責を負っているフェリシアは、警察隊本部の隊長室にて、現在直面している二つの問題に頭を悩ませていた。『警察隊襲撃事件』と『政治家暗殺事件』。いずれも今朝の紙面をにぎわせている一大事件だ。


 フェリシアが隊長に就任してから約一年が経過しようとしているが、これ程の事件を同時に抱えた経験は無い。隊長室の窓より眼下に広がる景色を見下ろしながら、フェリシアは軽くため息を吐いた。


 女性としてかなりの長身であるフェリシアの身体は、訓練によって鍛え抜かれ、女性らしい曲線を保ちながらも力強さを感じさせる。黒の隊服は見事なまでに彼女の容姿に調和し、男装の麗人といった印象を与える。


 背まで真っ直ぐ伸ばした金髪を頭の後ろで結い、頭には自らの象徴である『鴉』の刺繡ししゅうが施された制帽を被っていた。


(今はとにかく情報が欲しい。隊員からの報告はまだか……。)


 隊長であるフェリシアは、今朝方、部下の隊員たちを各所に送り込んでいた。今は捜査の結果を待つしかなく、一刻一刻ともどかしさをつのらせながら窓際に佇んでいた。



 暫く後、隊長室の扉の外より、本部内の昇降機が停止し伸縮扉が開く音が聞こえた。鋭敏な聴覚を持つフェリシアは、開閉機構が動作する音を扉越しに聴き取っていた。程なくして、扉を強くノックする音がした。


「ヘイデンだ。失礼する。」


 副隊長であるヘイデンに対し、フェリシアは扉の方を振り向くことなく反応を返した。


「入れ。」


 扉を開けてヘイデンがつかつかと入って来た。彼は昨晩から本部に帰って来ておらず、その顔にはうっすらと無精ぶしょうひげが見えた。フェリシアの執務机の一歩程前で直立し、弾む息を押さえながら話し出した。


「襲撃事件について報告する。我々が追っている襲撃犯二名がマーカム広場に現れた。」


 ヘイデンに背を向けて窓の外を見ていたフェリシアは、蒼色の目を瞬いた。先程まで異様な大きさに広がっていた瞳孔が元の大きさに戻る。彼の方を振り返り答えた。


「そのようだな。壮年の男に若い女。ここからも見て取れた。」


 フェリシアは腕を組み、ヘイデンに冷ややかな視線を向ける。副隊長への苛立ちを露わにする瞬間を見定めていた。


「ここから見れたということは、魔獣の力を取り戻したのか?」


 フェリシアのかもし出す張り詰めた空気に気付かないまま、ヘイデンが微かに眉を上げて問う。彼らの居る隊長室は、六階からなる警察本部の五階に位置する。常人であれば、その高さから二区画離れたマーカム広場にいる人の特徴を見分けることは不可能だ。


「まだ一部だけだ。全部ではない。」


 ヘイデンの問いに応じるが、フェリシアの態度は素っ気ない。


「そんなことを訊きに来た訳ではないだろう。昨夜追っていたはずの襲撃犯がマーカム広場に現れた理由を説明して貰えるか?」


 鋭さを増したフェリシアの蒼色の目に射貫かれ、ヘイデンは昨夜の顛末てんまつを彼女に伝えた。


「……追っていた女を逃がした。申し訳ない。」


 いつもは冷静で表情を一切変えない副隊長だが、言い終わりの時だけは目を閉じて軽く頭を下げた。


「全く……。副隊長が女一人を取り逃がしてどうする。」


 フェリシアは軽くため息を吐いて、執務椅子に腰掛けた。その視線はずっとヘイデンに注がれている。重苦しい沈黙の中で、流石の副隊長も決まりの悪そうな表情をした。


 よわい二十五のフェリシアは、ヘイデンよりも五歳年下である。一年前、隊長の地位はヘイデンからフェリシアへと引き継がれた。優れた捜査能力を見込まれて隊長に就任したヘイデンにとって、年下のフェリシアに地位を譲ることは、己の矜持を傷つけられる出来事だったに違いない。


 それでも、数多くの戦線で部隊を率いた経験を持つフェリシアの能力を認め、副隊長としてフェリシアの指示を忠実に実行してきた。


 フェリシアも彼の心情が分からない訳ではなかったが、自分が隊長に就任したことについては一度も話していない。それこそ、ヘイデンの顔に泥を塗る行為であると理解していた。


 この一年間というもの、表面上は協力をしながらも、互いに腹を割って話すことはないぎくしゃくとした関係が続いている。


「……。」


 フェリシアは更にヘイデンを問い詰めようとしたが、ふと彼の左腕に目を留めた。彼の左腕は、肘から指先までが包帯で覆われている。


「お前が怪我を負うなんて、相手はどんな女だったんだ?」


「まだ二十歳くらいの赤い目の女だ。華奢な身体だが戦い方を心得ていた。」


「その女が火の魔法を使ったというのか?」


「そうだ。だがそれだけじゃない。俺が放った雷撃を火の魔法で防いで見せた。しかも女を壁際に押さえつけて、その額にてのひらを押し当てていたのにだ。女は気絶することなく、俺の左腕に火傷を負わせて逃げ去った。」


 そう言って、ヘイデンが左腕を軽く上げて見せる。フェリシアは顎に手を当て、いぶかし気な表情でその腕に視線を向けた。


「雷を火で防いだだと? 今までそんな報告は聞いていないぞ。これまでエフレイン人を相手に何度か戦闘をしたにも関わらずだ。確かなのか?」


「確かだ。それに炎の色が普通ではない。女が放った炎は真っ赤だった。」


 ヘイデンが眉一つ動かさずに答える。その表情を暫く見つめていたフェリシアは、彼の報告が事実だと判断した。


「状況は理解した。その女の件は私の預かりとする。私以外には口外するな。これ以上、隊を混乱させる訳にはいかない。」


「分かった。」


「襲撃犯による犯行は今回で終わるとは思えない。やつらはどこかに拠点を持っているはずだ。三日で居場所を突き止めろ。必要に応じて他の隊員を動かせ。キーラの協力を得ることも許可する。」


「承知した。」


 ヘイデンの青い目の奥に強い光が灯った。副隊長といえども二度の失敗は許されない。彼の覚悟を見て取ったフェリシアは、ヘイデンを下がらせた。

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