ライフワークで『さいかい』しよう
俺には、何が残っているんだろう。
うつ病になり、疾病手当てを受けながら、なんとか一人暮らしを継続させているけれど。
会社も、ゆっくり治して戻っておいで、と言ってくれている優しいところだけれども。
明らかに、自分の脳が働かなくなっていくのを日に日に感じていて、焦る気持ちが抑えられない。
俺は。
俺は本当に初期に発覚した軽度のうつ病患者で。
医者が言うように、半年とか一年とか薬を服用し、休めば、確かに寛解出来るのだろうか?
両親も理解があって「休んでいなさいな、暫く実家に帰って来てもいいから」、なんて言ってくれているし、食料品や日用品を送ってくれる。大学や高校時代の友人なんかも見舞いに来てくれ、困ってたら言えよ、家事とか手伝うぜ、と、俺の1Kの賃貸アパートの部屋で洗濯やら掃除やらをしてくれてから帰っていく。
現代では出掛けられなくても、スーパーやドラッグストア、出前なんかもネット上で充実している。
塞ぐ気持ち以外に、動かしづらい身体の他に、実際に困ることは今の俺には、殆ど、ない。
ない、けれども、だ。
「小説が……思い浮かばねぇ」
ーー俺は、中学卒業後ぐらいから、趣味でリアルの誰にも言わずに、インターネット上の小説投稿サイトに自作の小説を上げ続けて生きていた。
毎日のように、だ。
小説のアイデアに困ることなんか、今までなかった。なかったのに。
「なんも、思い浮かばねぇ……書けねぇよ」
うつ病になってしまってから、俺の脳はその一部分が潰れてしまったかのように小説のアイデアが浮かばず、無理やり書き出しても破綻やら、誤字・脱字だらけで読めたもんじゃなくなってしまっていた。
しかも、今まで出来ていた自己校正もままならず、破綻したままの散文をそのまま投稿してしまっていて、何処がおかしいのかも気付けない、という有り様なのだ。
「……読めねぇ、書けねぇ」
俺は、モノを書くのが、本当に好きだった。モノ書きは、仕事にはしたくない程度の趣味で。
ーーだからこそ心底楽しく夢中になれる、唯一の俺のライフワークだったーー
「下手でも、なんでも、楽しくやれたのに」
病気は。
俺から、仕事だけでなく生き甲斐の楽しみまで奪っていく。
医者、会社、親、友人、皆の声が頭に響く。
ーー今は休んでーー
休んで。
休んで。
休んで。
「……休んでたら、治るのかよ。書けねぇのも読めねぇのも何書いてんのか分かんなくなるのも」
なんとなく。
俺は、社会復帰は出来そうな気がしていた。
会社の新しくなったパソコンの社内システムに慣れられずにいた中、入社2年目の正社員の俺よりずっと年嵩の、古株女性派遣社員同士の小競り合いに巻き込まれて、毎日少しずつ会社に行くのが辛くなっていった、それだけの事だったから。
会社から派遣社員には俺を挟まないよう指導が入ったと聞かされ「安心していい」と言われたし、システムは実は皆がまだ慣れていないから『早く一人で出来るように』と思い込んで悩みを抱え込まず、もっと相談してくれていい、ゆっくりで良いんだよ、と普段厳しい顔の部長は柔らかく笑い、ついでに同じチームの主任が「君が半年ぐらい休めば、エンジニアチームだけじゃなく内輪の俺たちでも教えてやれるようになってるだろうからさ、気楽になれよ」、と声掛けし、俺を安心させてくれた。
職場復帰なら。
混乱した脳の整理さえ終われば、確かに出来そうだった。
誰も俺を急かしていない。誰も俺を責めない。
そのことが逆にプレッシャーになるぐらいに。嘘みたいに、世界が優しい。
寛解。出来そうだ。また、仕事して眠って友人らと旅行したりカラオケしたり、正月には地元に帰ったりする日常が送れるようになりそうだ、今は寝ているしか出来なくとも。
「薬、飲んで。休んで。そしたら、俺はーー」
なおる。なおるん、だ、ろう。……かんかい。寛解だ。
社会復帰。出来る。
でも。なおった先で。
「俺に何が書けて、何が読めるようになる?」
もし。なんにも。出来なくなってたら?
「なんも書けねぇ、読めねぇ世界で、俺は何を楽しみに生きてけば良いんだよ……!!」
俺は布団の中で握りしめていたスマホに頭突きをして布団の外に投げ出した。
パソコンから書くことが病気で出来なくなって、他人からの感想や評価も怖くなり、自作入力投稿以外の全ての機能を止めたネット小説の小さな画面。
それさえ、俺は遂に放り出した。病気になって、それでも食らい付いていたモノまで2週間弱で耐えられなくなった。
書けない、読めない生き方に。なっていく自分が、社会復帰なんかよりずっとずっと俺には怖かった。
◇◆◇
俺は、1LDKのマンションの部屋のベッドの上で白い天井を見上げていた。
今は「職場に耐えられないかもしれない」と訴えてきた後輩社員の愚痴を聞いてやって、夕飯を奢り、あんまり辛いなら病気になるよりマシだから、フォローするから有給使って長期休暇取って、それで駄目なら転職考えちまえよ、と言って別れた後の深い夜の中だった。
元うつ病患者の俺にそう言われて、新入社員の後輩は神妙に頷いていたが、俺の経験上、悩みを周囲に言って『自分は頑張ってるのに』と溢すやつは、うつ病になるタイプではない、と俺は知っていた。
それでも後輩に甘いことを言うのは、あいつが聞いてやれば続けそうな程度の面倒臭さだったからだ。
定期的にガス抜きしてやれば、仕事を続ける。叱咤されれば、職場の迷惑も考えず突然通勤しなくなる。あいつは、そんなようなタイプの、面倒臭い、よくいる人間。
あいつの仕事の出来は平均値程度で、実は失くしたくない程の人材でもなかった。役職が上過ぎず下過ぎない、年の離れすぎていない俺ぐらいの立場の人間が気休め程度に面倒見てやったらいい。
人事はある程度、あいつの採用には迷ったのかもしれなかった。
「今は人材が足りないんだろうな」
うつ病になっていた10年弱ぐらい前の自分の時と、新卒のあいつとの違いを、俺はどうしても比べてしまう。
俺の場合は、黙り込んで仕事に耐えていた俺の様子を見ていた周囲の方が、俺の病気の可能性にいち早く気付いて、病院を紹介し、通院を勧めてくれた。
軽度うつ病と判り、自分は病気になりました、会社に迷惑を掛けるので辞めさせて下さい、と泣きながらいう俺を、暫く働けなくなるというのに、会社の方が引き留めてきた。
後輩のあいつと、自分は違う。違っていた。
ーー人間は同じ『慣れない仕事に追われて悩んでいる』状況でも、一人一人の心情は、てんで違ってくるーー
また仕事が出来るようになるから今は休め、といわれて安堵する人間もいれば、何時でも仕事は辞められるんだから今はまだ続けてみたらどうか、と言われて、得心する人間もいる……。
ーーいや、待てよ、だったらーー
俺は、ベッドから起き上がり、寝室のクローゼットの中に入れていた、買い換えたばかりの、完全に仕事用になっていたノートパソコンに手を伸ばし、電源のボタンを押し込んだ。
ーー怖すぎて、それを考えるのも怖くて、煎餅布団から放り投げた古いあの日のスマホの小さい画面を思い出しながらーー
苦手意識が拭えず、うつ病が寛解する前に結局退会してしまった、あの小説投稿サイトの名前を打ち込み、思いきって検索をかけてみた。
ーーまだ投稿サイトはネット上にあるようだ。
サイトの名前を暫く眺めた後で、俺は見知っていた頃とは少し変わった頁をマウスでクリックして開き、昔交流のあった作者名や尊敬していた素晴らしい小説の作品名たちを恐る恐る探してみる。
ーーいくつかは見つかり、いくつかはサイトから失くなっていたーー
寂しい、懐かしい、嬉しい、切ない……。ネット上の小説の読み書きに長いこと蓋をしていた俺の胸の内側から、様々な感情が溢れ、情報が頭を叩いてきて、俺は俯き震えながらーー、ふと、考えた。
俺の名前を、今の俺と同じように探してくれた誰かは一人でもいたろうか。俺を読みたいと、俺の小説を見つけ出そうとしてくれた想いは、世界のどこかに一片でもあっただろうか。
俺は顔をあげ、繁々と小説投稿サイトを眺める。
見えなくなっている人たちや、その人が残した想いは一体どこへ向かったのだろうか。
ーー人はモノを書き、書かれたモノを探し、読むーー
今の自分のように、その時の思いを込めて。想いを繋いで。
だから、見えなくなった想いも、人も、消え去ったのでは、決して、ない……。
一人一人が違う思いをしながら、いや、それだからこそ、人間はモノを書き、読み、それぞれに想いを抱き続ける……。
それは、ひょっとしなくても、とても尊いこと、なのじゃないか……?
「2度と書けないと思っていても……、書くのを諦めた後でも……人は生きて……休んで……また、想いを溜めて……、溢れだすように、書いたり読んだりする……作者が眠っていても、病気でいても、知らない全然違うタイプの人間からすら、その作者の何かの頁にアクセスは出来て、思いを馳せたりするだろう。作者自身も自作を読み直したりして、成長したり落ち込んだり楽しくなったりして……、物語や人生に影響を与えたりする事があるんだよな……」
たとえ生き終わったとしても。書いたものは遠く近く、誰か、何か、の心に残るのかもしれないのじゃないか。
もし、やがて読み継がれていったら、それは後世で、神話にさえなるのかもしれないんじゃないか……。
人は。書いて、読んで。
思って想って。
また読んで書いて、想い続ける。
そうして、誰かを、何かを、識り始めるスタートラインが新しく出来ていくのかもしれない。
書いて、止めて、続けて。
読み終えて、また、読み始める。
文字を使った創作は、人間にしか出来ないんだから。
その想いがたとえ絶えて見えても、実は繋がっていたりして、距離や時や器を超えて、やがて。何処かへ巡り還っていって。また何かが、誰かが、思考が、感情が、生まれ出でるのかもしれない。
そうやって、人は、誰かを、何かを、自分自身をさえ。再び、何度も思い知るのかもしれない。新しく生まれ直すことも出来るのかもしれない。
もう、俺は昔みたいに毎日小説を楽しい気持ちだけ、趣味だから、という気楽さだけでは、書けなくなってしまっている。
でも。
『また仕事が出来る』
『いつ辞めてもいい』なら。
ライフワークとして、モノを読み書きすることを続けていくのは、有りなんじゃないか?
辛くなったら、休むんだ。
『毎日書けなくなったから』って、読み書きが不出来になったからって、自作への想いが無価値になる訳が無いじゃないか。
それどころか、自作を諦めてしまっては、何にも始まらなくなってしまう。毎日のようには書けなくなったから? 楽しいだけじゃなくなったから? ピリオドを打つ? ライフワークに?!
「違う、違ったんだ、俺は……、俺はまだ書き終えていない、まだ終わってない、俺は俺の分の人生も想いも書き終えて、ない……! まだ、まだ。誰かを。何かの想いを、読み継げてない、自分自身を読み終えてもいない……!!」
俺は生まれ直すように、マウスで移動した頁を、クリックする。そして届いた通知を確認してメールボックスを開く。
病身を体感して、年を取って、観察眼が肥えた今の自分には、昔より書けることが、逆に増えたのかもしれない、と。
俺はマウスとキーボードを動かしながら、そう思った。
若い頃特有の勢いや尖り方や柔らかな心の機微なんかなど、書けなくなったことも増えたのかもしれないけれども。それでもやっぱり『自作』は自分にしか書けないのだと、魂から、叫ぶように、俺は旧筆名をそのままユーザー名に入力し、プロフィール欄をザクザクと『読み書きする自分』へ向かって自身の心の地盤を掘り起こしていくように、入力し終えて。
ーー自分の作者名の頁を、拓いた。
自作を読み書き出来る場所を、再び開き、やり直しのどん底の最下位からになってからでも、また自分に……。
『一番自分らしい自分』に必ず再会しよう、と指先にあらんかぎりの力を込めた。
これからは、俺が俺自身に出合い直すための小説を書いていこう。頻繁に更新できなくたって構わない。評価ゼロの最下位でだって、良いんだ。
俺が俺を知って。
毎日の想いを受け止めて。
ゆっくりだっていい、自分に出来る分だけ、創作していこう。
俺自身の心の中核に……自作がいつか届くように……。
「書いてる俺は生きている。読んでる俺も、生きていく。もしも幸運にも誰かに読まれたりしたら、俺は……活きていくんだ」
ーー『さいかい物語』ーー
気付くと、俺は真っ白い小説の打ち込み画面のタイトルに、初めての文字列を叩いて、静かに涙を頬に伝わせていた。
続いて途切れて、ぎゅんと浮かび上がって、眠ってみたり、起き出したりして。
趣味でも楽しみでもなくなった俺の読み書きライフワークは、誰に読まれなくても、どんな時が果てても、もうきっと、終わらない。
挫折し途切れた脳ひとつからさえ、モノを読み書きした後の想いが、完全に喪失されることなど、なかったのだから。
書き起こした文字には想いが乗っかるんだ、無駄じゃない、消えやしない。
俺や皆が読み書きした事実で、想いは巡り宇宙は廻るんだ。そしてまた、誰かが何かが筆をとり、物語を継いでいく。
人がいなくなっても、星が無くなっても、どんな意識が途絶えても、宇宙を越えたって、この想いは続いていく。
形を変えて、何かに届いて、繋がり紡がれるんだ。
だって『さいかい』した物語に終わりがつくのは、あまりにも野暮ったい話になっちまうだろ。
◇◆◇
俺には、俺の自作が『のこって』る。
創作しながら、いきているんだ。
『さいかい』、しよう。
ーー何度でだってーー