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『変質者』がいる世界で─東京新都旧千葉奪還区域管理局変質事件記録─  作者: ハンス・シュミット
CASE.1『連続女学生一家惨殺事件:通称“カワハギ殺人”』
9/9

第9話【管理局特等執行官・運命逆転】

 引用する文章は、オリジナルのもの以外は著作権切れの作品から借用させていただいています。

 以下文章は太宰治(1950),『斜陽』,新潮社より引用。 


『死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。』



【24】



「心春ちゃんから聞いたよ。あとは僕に任せて、歩生クン」

「……六華、さん」


 六華さんはいつもの緩い雰囲気ではなく、刃のようなひたすらに鋭い雰囲気を纏っていた。

 彼女の所属管轄域は旧千葉奪還区域であるはずなのに、なぜ東京新都にいるのかだとかの疑問よりも、彼女の声と背中に絶対的な安堵を感じる。


 ……これが特等官!


「管理局……!」

「記録開始。発現異能の違法行使及び殺傷行為を確認。第三段階、乙種級変質者と推定。異能の行使を即座に停止してくだ──攻撃確認。警告終了。八剱(やつるぎ)六華(りっか)、即応法執行を開始します」


 六華さんは恐らく胸元の記録機器を操作した後、淀みなく警告の文言を述べた。

 タコ女がその警告の文言の途中に攻撃してきたが、刀を振るって難なく防ぐ。


「ヤツルギ!? っ! 死ねっ!」


 何故かヤツルギという名字に反応したタコ女は、すぐさま俺ごと六華さんを圧殺せんと全ての触手を振り下ろす。

 もはや肉の壁が降ってきたのかと錯覚するような、圧倒的質量の攻撃。

 さっきまでの俺への攻撃は焦っていたか、それとも舐めていたのだろうか。

 全く規模の違う、タコ女の全身全霊の抵抗だ。


「芸がないね」


 六華さんは高速で迫り来る圧倒的質量を避けることもせず、だだ一歩踏み込んで刀を一閃した。

 銀の剣閃が夜闇に迸る。

 一拍遅れて獰猛な凶獣の咆哮が如き風が唸る音が、雷雨の音すら掻き消して周囲の大気を震撼させた。

 真後ろにいた俺も吹き飛ばされかけるほどの、台風を想起させる刃風の暴威に眼を閉じてしまう。

 眼を開けると、俺たちの前一面にあったはずの肉の壁は一切が触手の根元から真一文字に切断され、真横に切り飛ばされていた。

 

「なっ!」


 たったの一閃で全ての触手を斬り飛ばされたタコ女は、驚きの声を上げる。


 ……凄いな。


 切り飛ばされたとしても、俺たちへと殺到していた触手の運動エネルギーは無くならないはずだ。

 慣性に従い、そのまま俺たちを押しつぶしてもおかしくなかった。

 そうはならなかったという事は、超質量の触手が保持していた莫大なエネルギーを軽々と凌駕するほどの力で、触手を切り飛ばしたという事。


 ……どれほど強靭な肉体があれば、そんなことができる?

 もしくは強力な異能を保持しているのだろうか。


「管理局執行官に対する敵対行為を確認。投降の意思は確認できず、無力化は困難と断定。終了措置要項の条件充足を確認、終了処置を遂行します」

「来るなァ!」

「へぇ、器用だね」


 さらに六華さんは踏み込み、本体をも両断せんと刀を振るった。

 対して、タコ女は骨や歯や爪といった硬質な材質の白い壁を生成し、それを蹴り飛ばして距離を取る。

 だが、六華さんは動じずに白い壁を斬り飛ばした。

 再び触手を生やして彼女に差し向けているが、生やす端から全てを斬られている。


「歩生さん! こっちに!」

「……! 心春ちゃん!」


 六華さんの流麗かつ圧倒的な剣技に見惚れていると、後ろから逃したはずの心春ちゃんの声がする。

 そちらに顔をやれば、剣道の竹刀入れをより堅牢にしたような物々しいケースのハーネスをたすきがけし、背負っている心春ちゃんがいた。


「ここは危ないですから、運びます!」

「え、うわ!」


 かなり小柄な彼女だが、流石は『変質者』。

 俺を引っ張るようにして、そのまま六華さんとタコ女の戦闘から反対方向へと運び出した。


「なんて傷……異能を使います」


 十分に離れたの判断したのか、心春ちゃんは俺に向き直って、傷に顔を酷く歪ませながらそういった。

 その俺の傷は、骨と歯と爪の複合材料で構成された槍によって貫通している腹部の傷だ。


「心春ちゃんの異能を? どんな異能なんだ?」

「……その、ち、治癒系の……」

「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」


 だが、彼女の様子は変だった。

 顔が真っ青で、腹部を貫かれている俺よりも死の際にいるかのような表情。

 まるで異能を使いたくないような……いや、異能を使ってしまったら、全てが終わってしまうと考えているような、絶望的な顔。

 

 ……そうだと分かったのは、俺が『催眠欲求』で変質したと気づいた時も、きっと今の彼女のような顔をしていたからだ。

 バレたら終了措置……殺処分すらあり得る催眠系異能だと知った時、俺はこんな顔をしていただろう。


 だが、俺は絶対にこの異能と変質を隠し通し、死ぬまで隠匿し続けようと考えていたが、彼女は自身の異能を使おうとしている。

 タコ女との戦いのために俺は自己催眠を使ったが、これは使わなければ死ぬ状況と考えたからだ。

 このもう逃げてしまえばよかった状況で、知り合って数日程度の俺のために異能を使おうとしている。


 ……情けないな、俺は。


「……心春ちゃん」

「は、はい!」


 その時ようやく、俺の右手のガラスを砕いた時にできた傷や、包丁に貫かれた傷から血が出ていないことに、いや、すでに傷が痕を残しながらも治っていることに気がつく。

 この現象に気が付いたことで、いい案が閃いた。

 心春ちゃんが俺の腹部を貫く白い槍が刺さったあたりに掌を当て、その小さな掌から夜闇に灯る優しい篝火のような輝きが溢れ出そうとした瞬間、俺は彼女の掌を掴んで逸らし、異能の発動を中断させる。


「あの辺りに包丁があるはずだ。取ってきてくれ」

「でも! 傷が……!」

「俺は『英雄願望』の『変質者』だと言ったろ? 異能は……『理想の自分になる異能』だ。怪我や痛みがないという理想の自分をイメージすれば、治せる」


 元々は『悪人の心を浄化する異能』を騙ろうと思っていたが、この状況ではそれは難しいだろう。

 自分自身に催眠をかける尋常ではない様子を、心春ちゃんとタコ女に見られてしまっているのだから。

 傷が塞がるのは、『悪人の心を浄化する異能』ではあり得ない現象だ。

 ならば、『英雄願望』で変質した『変質者』で、自身の肉体に作用する異能に目覚めたと騙るべきだろう。

 

 右手の傷からの出血が止まっていたのは、恐らく俺の自己催眠に付随するもの。

 『痛くない!』という催眠によって、回復力辺りに作用したのだろう。

 異能の作用機序など分からないが、肉体に影響があるものも多い。

 『理想の自分になる異能』を騙っても大丈夫のはずだ。


 『奴を倒せる』という催眠で、『変質者』になって強靭になった筋力や敏捷性がさらに強化され、タコ女をあと一歩まで追い込むことができた。

 それと同じプラセボ効果、プラシーボ効果という奴か。


 ──それでいい(・・)

 ──違ってもいい(・・)

 ──そうであると、自分自身に(・・・・・)催眠すればいい(・・・・・・・)


 頭の中で俺だが、俺ではない(・・・・・)誰かがそう嘯いている。

 何故だが、その言葉は真実を示しているのだと確信してしまう。

 根拠もないのに天啓にうたれた狂信者が如く、心の底から信じてしまう。


 ……何だこれは?


 鳥が誰に教わらずとも飛ぶように、魚が誰に教わらずとも泳ぐように、人が誰に教わらずとも呼吸するように、『変質者』は本能的に自分の異能の使い方を理解することがあるというが、この不可思議な感覚がそれなのか……?


「ただ、異能を使い慣れてないから、理想の自分になるために鏡で言い聞かせる必要があるんだ」

「……だからさっき『痛くない』とか『奴を倒せる』って包丁に……いや、包丁に映った自分に言っていたんですね」

「ああ、包丁があれば治せる。だから、俺が死んじまう前に頼む」

「す、すぐに持ってきます!」


 妙な感覚に困惑している俺の内心は他所に、口は流々と言葉を吐き続けた。

 俺の言葉を真に受けた心春ちゃんが、包丁のほうへと駆け出して行く。

 六華さんとタコ女はすでに離れた場所で戦っており、六華さんが圧倒していてタコ女による攻撃が心春ちゃんを狙うことはないだろう。


 ……しかし、改めて見ても凄まじいな。

 俺に対して差し向けていた触手より太いのに、彼女は刀で一切を軽々と斬り飛ばしている。

 バターに熱したナイフを当てるように、ペーパーナイフで紙を切るように、最低限の力のみで軽々と。

 本当に六華さんが来てくれてよかった。


「包丁持ってきました!」

「ありがとう心春ちゃん」


 心春ちゃんが持ってきてくれた包丁を受け取り、銀に煌めく平を覗き込んだ。

 とうの昔に死んだり、気絶していてもおかしくない程の怪我。

 しかし人体は意外と丈夫なのか、強靭な肉体を持つ『変質者』だからか、それとも自己催眠による影響なのか、意識は明瞭としている。


「『痛くない!』『痛くない!』『痛くない!』『痛くない!』」


 無痛化の自己催眠を自らに重ねがけする。

 スッと痛みが引いていき、自己催眠時に特有の心地よい酩酊感が強くなった。

 腹部を貫く白い槍を掴む。

 痛みは感じなくとも、自らの身体を貫く物体を取り除くのは恐怖があった。


「ッ! ァァアアアァァア!!」


 しかし、恐怖を振り切るために大声を上げて白い槍を抜く。

 身体に空いた物理的な穴から、生命の源たる熱い血が流れ出ていき、冷たくなっていくのが分かった。

 痛みを全く感じていないから、身体から熱が漏れ出ていく感覚と喪失感だけが、現実感を伴わず他人事のようにはっきりと知覚できてしまう。


「『治る!!』『治る!!』『治る!!』『治る!!』」

 

 刃に映る自分自身の瞳を覗き込み、俺の怪我はすぐ治るんだと、この程度(・・)の怪我など『変質者』には大したことは無いと、そう自身に催眠をする。

 銀面に映る瞳から光が失われ、仄昏く落ち込んでいくにつれ、熱い血潮の流出が止まっていくのが分かった。


「本当に傷が治ってる……!」


 包丁だけを覗き込んでいるのでどう治ってるかは分からないが、心春ちゃんがそんな言葉を発したので、確かに傷は治っているらしい。

 俺の異能は精神にのみ干渉する精神系異能だと思っていたが、まさか肉体にまで影響があるとは。

 ……いや、精神というのが脳に構築されている神経ネットワークを指しているのなら、精神干渉というのは広義の肉体干渉でもあるのか?

 何にしろ都合がいい。

 これなら肉体強化系の異能であると偽れるのだから。


「や、やめて! 投降する!」


 傷が治ったと同時に聞こえてきた声の方に顔をやると、連続惨殺鬼が尻餅をついて目の前の六華さんにそう叫んでいる場面だった。

 人体で編まれたタコの異形は全て解体され、本体部分だけになっている。

 本体部分も多くの刀傷が刻まれており、傷が一切ない六華さんと対照的だ。


「……投降の意思を確認」


 刀を振り上げ、いざとどめを刺さんとしていた六華さんの動きが止まった。

 彼女はそう言って振り上げていた刀を下ろし、鞘に収める。

 声色はひどく不服そうな色が隠しきれていなかったが、不承不承と言った様子だ。


「六華さん! 危ない!」


 だが、遠くで見ていたからこそ分かった。

 奴に投降のつもりなどない。

 むしろ六華さんを殺そうとしていると。

 俺が確実に殺せると思った瞬間、奴に腹を貫通されたからこその既視感。

 攻撃の予兆を直感した。


「──!」

「喰らえッ!」


 瞬間、奴の身体から白い剣山と見紛うが如き、夥しい数の骨の槍が飛び出した。

 六華さんは咄嗟に刀を引き抜き、後ろへと飛び退く。

 至近距離で不意打ちを喰らったのに大きな怪我をしていない様子だが、回避をしたためにどうしても距離ができてしまう。

 その隙を狙って、連続惨殺鬼は海の方へと駆け出した。


「バカが!」


 このままだと逃げられてしまう。

 どうすればいいと考え、右手で握りしめていた硬質な存在に気がついた。


 ──あるじゃないか、お誂え向きの武器が。


 俺はすぐさま立ち上がり、最小限の助走で踏み込み、大地を蹴って生み出した反作用力を体を捻りながら斜腹筋で伝播させ、右腕を鞭のようにしならせて投擲した。

 ついさっきまで俺の身体を貫いていた骨槍を!


「『当たる』ッァァア!!」


 絶対に『当たる』んだと。

 そう強くイメージし、叫びながら投擲すれば、鏡を使っていないのに自己催眠に罹った時と同様の感覚に襲われる。

 むしろ鏡を使った時よりもより深く、より強くかかった手応えだ。

 天井を突き抜けたかのような清々しい解放感、俺を押さえつけていた枷が砕け散ったかのような昂ぶる高揚感を強く伴っている。


「ぐッ!」


 俺が放った骨槍は奴の右足を貫き、逃走を妨害した。

 奴は骨槍が刺さり使い物にならなくなった足をすぐさま斬り飛ばし、再生させて逃げようとする。

 途轍もなく合理的で、素早い判断。

 しかし、どうしても隙が生まれる。

 ──それを逃すような六華さんではない。


「まっ、本当に投──」

「終了措置遂行」

「──あ」


 銀閃が言葉の紡がれる間すら与えず、夜闇に迸った。

 刃風と間の抜けた声を最後に、奴は二度と言葉を発することが無くなる。

 頭部とそこから下が断たれたからだ。

 連続惨殺犯の生命の灯火は、あっけなく斬り消された。


「対象の生命活動終了を確認。記録終了。……へぇ、本当はどんな顔をしてるかと思えば、結構普通じゃん」


 死ぬ前に斬り飛ばされた職種はそのままだったが、死ぬと本体の能力は解除されるのか、小春ちゃんの姿をしていた連続惨殺鬼の亡骸は姿が変わった。

 戻ったと、いうべきだろうか。

 その顔を見て六華さんが呟く。


 ずっと他人の顔でいるから、俺はどれだけ醜いツラをしているんだと思っていたが、見えてしまった奴の顔は普通の顔だった。

 何処にでもいそうな……薄幸そうな雰囲気だが、むしろ整っている方だろう。

 しかし、その顔にはおそらく生まれつきだろう痣と、後天的だろう切り傷の傷跡があった。

 俺は、彼女がどんな経緯や欲求で他者に変身する異能に目覚めたか考えてしまい──すぐにその思考を断絶させる。

 奴は人を殺し、多くの被害者の尊厳を穢した犯罪者だ。

 どんな事情や過去があっても現実は変わらない。

 だから、同情などは絶対にするべきではないと考えたからだ。


 ──そもそも『変質者』など生きていても──


「歩生クーン、大丈夫?」


 六華さんが俺と心春ちゃんのほうへと向かってきた。

 鋭い雰囲気は霧散しており、緩い雰囲気へと戻っている。

 見た限りではかすり傷一つしていないし、息すら上がっていない。


「はい。傷はもう治りましたし、本当に六華さんが助けに来てくれて良かったですよ」

「……」

「六華さん?」


 俺の異能の思ったよりも広い効果のおかげで、すでに腹部の傷や腕の傷はすべて治っていた。

 大量に血が抜けたからか少し貧血気味な感じがするが、その程度。

 レバーとか肉が食べたい気分だ。

 あんな目に遭っておきながら、こんな呑気なことを考えられるのは、強靭な肉体を持つ『変質者』になったことに感謝すべきだろう。

 ただ、六華さんは少し困惑した表情を浮かべていたが。


「まー大丈夫なら良かった。心春ちゃんもケース持ってくれてありがとうね。……しっかし、歩生クンいい異能だねー。治癒系?」

「『英雄願望(ヒーローシンドローム)』の『理想の自分になる異能』みたいな感じだと思います」

「あー、『英雄(ヒーロー)』系の肉体強化系かー、使いやすい異能が多くてうらやましーよ」


 そんな会話の流れになったが、俺がまだ届出を出していない未届出変質者であることを思い出した。

 もう『変質者』であることは隠せない。

 管理局の特等執行官である六華さんにバレてしまった。


「すみません。今日変質者に目覚めたので届出を提出していないし、その状態で異能使っちゃったんですけど法に触れたりしませんか?」

「流石に大丈夫でしょー。状況が状況だし、緊急避難とか正当防衛的なアレで。大体、東京新都の管理局の奴らがあいつを早く捕捉できればよかった話だし、僕も口添えしとくから安心してー」

「よかった。……ありがとうございます」


 六華さんのその言葉に胸を撫でおろす。

 本当に良かった。

 法に触れてなさそうだし、『催眠欲求』の精神干渉系異能を保持した『変質者』であるという事は隠したまま、登録できそうな流れになったからだ。

 次いで六華さんは、さっきからずっと黙っている心春ちゃんに目をやる。


「でも心春ちゃんはどうかなー。多分結構前から変質者だったでしょ? 届出も出してないし」

「……はい」


 心春ちゃんはかなり暗い雰囲気を放っていた。

 小柄な体躯がより一層小さく思える。


「まー、大丈夫だよ」

「……え?」


 ただ、六華さんはそんな彼女に優しげな声色で語り掛ける。


「歩生クンが連続惨殺犯を前にした危機的状況で変質したみたいに、この場で変質したことにすればいーよ」

「いや、でもそんなことしたら六華さんが……」

「僕のこと心配してくれてるの? ふふ、優しいね。まー気にしなくていーよ。僕は管理局……というより管理省の奴ら嫌いだし、騙くらかしちゃおうぜ。……あ、でも心春ちゃん誰か殺しちゃったりしてる? 流石にそうだったら誤魔化せないけど」

「い、いえ! 人を殺すなんて、そんなことができる異能じゃありませんし」

「良かった。心春ちゃんの異能は……お、新都の管理局が……いや、警察かな」


 雨の音に交じって遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 ようやく来たというぐらいの感覚だったが、通報してからまだ数分しか経っていないだろう。

 あまりに濃密な出来事が多かったので、通報したのが随分前のことに思えた。

 サイレンの音はすぐに大きくなり、やがて数名の警察官がこちらにやってくる。


「お疲れ様です。旧千葉区域管理局所属、特等執行官八剱六華です」

「と、特等!? それに八剱って……いえ、お疲れ様です。何がありましたか?」

「連続女学生一家惨殺事件の犯人と推定される、変身系異能を保持した『変質者』と交戦しました」

「なっ! 奴は今どこに?」

「本官が終了措置を遂行しました。仏はあそこに。……今から奴が潜伏していた部屋に向かいます」


 六華さんが彼らに近づいて、黒スーツの胸元から手帳を取り出しながら対応した。

 担当地区が異なる特等がいることや、八剱という名字に面食らっていたようだが、それでも警察官たちは対応を続ける。


「わ、分かりました。私たちも同行しましょうか?」

「いえ、単独犯と思われますがもし仲間の『変質者』がいたら危険ですし、本官だけで……いや、歩生クンと心春ちゃんも来てくれるかな?」

「え、は、はい。分かりました」

「分かりました」


 六華さんに俺が反対できる理由はないだろう。

 提案めいた言い回しだったが、彼女の言葉には有無を言わさせない力があった。

 現場検証的なやつもやるだろうから、被害者の心春ちゃんと第一発見者……いや、通報者の俺が行くのもあり得ること、なのか?

 疑問が浮かぶ。


「彼らは?」

「二人ともこの事件に巻き込まれて、変質してしまった子たちです」

「……窮地変質者ですか」

「はい。彼らを対変質者事件解決協力変質者として、私の判断で強制徴用します。他の管理局員が来たらその旨と、事件現場へ向かうように伝えてください」

「分かりました。お気をつけて」


 彼らにそう言い残して、六華さんはこのマンションの入り口があるほうへと進んでいく。

 俺も心春ちゃんも彼女に追従する。

 このマンションを囲う外郭の入り口まで少し歩き、そのまま俺たちはそこにある建物に入った。

 

「管理局の八剱六華です。このマンションで『変質者』の事件が発生しました。その部屋に向かいます」

「え、な、そんないきなり!」

「申し訳ありませんが、緊急です。彼女はこのマンションの住人ですし、構いませんね」

「は、はい。分かりました。こちらのカードキーをお使いください」


 心春ちゃんとコンシェルジュさんが面識があるからか、六華さんが管理局の職員だからか、カードキーはすぐに彼女へと手渡された。

 六華さんはカードキーを受け取ってすぐさま本棟へと足を進め、エレベーターホールにキーを使って入る。

 本棟で待っていたエレベーターボーイの案内を、危険だからと六華さんは断って昇降機に乗り込んだ。


「よーし、これで3人になれたし、心春ちゃんの変質経緯について打ち合わせようか。このエレベーターのカメラは内蔵マイク式じゃなさそうだし……あ、歩生クン全然関係ないのに、流れで一緒に口裏合わせる感じになってるけどー、大丈夫?」


 さっき抱いた疑問が氷解した。

 六華さんは、心春ちゃんがずっと前から『変質者』であったことを誤魔化すための方法について、事情を知っている俺たちで共有するため、3人だけになれるよう部屋に向かったのだろう。

 俺たち3人が『変質者』であることを利用して。


「あー六華さんが来てくれなければ殺されてたし、それで少しでも恩が返せるなら大丈夫です」


 一瞬、嘘に手を貸すことになるのに気がついて躊躇するが、大体俺も異能や発動経緯を偽っている。

 六華さんが助けに来てくれたおかげで今も息を続けられている。

 それに、心春ちゃんは大きな犯罪を起こせるような異能も悪意も持っているようには見えない。

 俺が口裏を合わせないせいで、そんな彼女が何かしらの罪に問われるのは良心が痛む。


「ありがとー。まぁ、心春ちゃんも歩生クンみたいに連続惨殺犯を前にして、変質しちゃったって感じで行こうか。割といるからさー窮地変質者って」

「お二人ともありがとうございます! これでお父さんにも迷惑をかけなくて済みます!」


 そういえば心春ちゃんのお父さんは弁護士だった。

 だが彼が変質者隠匿法に抵触していたら、弁護士資格が剥奪されてしまうだろう。

 ……いや、待て。


「あ……」


 彼が殺されていることを、まだ彼女たちに伝えていなかった。

 心春ちゃんが薬で眠らされていたから、お父さんも同じように眠らされていて、まだ無事であると考えても仕方ない。


「どうかしましたか?」

「いや、その……」


 俺の様子に不可思議なものを覚えたのだろう心春ちゃんが、そう尋ねてきた。

 まだお父さんが生きていると信じている彼女に、彼が死んでいるんだと伝えるのは酷く残酷なことに感じてしまって躊躇してしまう。

 しかしあの全身に刃物を突き刺され、もはや個人を特定できないほどに損傷した状態の彼の遺体と、彼女が出会ってしまうほうが残酷なことだ。


「……ごめん。心春ちゃん。実は──」


 意を決して、俺は彼女に全てを伝えた。

 俺が部屋に上がった時には彼が殺されていたこと。

 彼の遺体は筆舌に尽くし難いほどの陰惨な状態であること。

 そして、ついさっきまで連続惨殺犯と相対し俺も生きるか死ぬかの極限状況だったため、そのことを伝えられていなかったことを謝罪する。


「……そん、な。私が大人しく薬を飲めば、お父さんには手を出さないって、言っていたのに」


 俺の言葉を聞いた心春ちゃんは、血の気の引いた蒼白な顔色に変わった。

 俺は彼女の酷く悲痛な表情を直視することができず、目を逸らしてしまう。

 そして、ちょうどエレベーターが心春ちゃんの部屋がある34階に着いた。


「……心春ちゃんはここで待っててー。僕と歩生クンだけで部屋に行くからさ」


 俺たちは陰鬱な雰囲気が充満するエレベーターから降りたが、この階層にも重苦しい空気が充満し、肩や胸を圧迫してくるような嫌な感覚に襲われる。

 沈黙を破って六華さんが気を利かせ、心春ちゃんについて来なくていいという旨を伝えた。

 俺も、あんなに酷い状態の遺体と彼女を対面させるのは避けるべきだと思う。


「……いえ、行きます。行かせてください」


 だが、彼女は六華さんの気遣いを断った。

 蒼白な顔色はそのままに、しかし、強い覚悟を伴った言葉で。


「心春ちゃん、やめておいた方が……」

「大丈夫です。歩生さん」


 俺も彼女を気遣って言葉をかけたが、やはり断られた。

 心春ちゃんの覚悟は極めて硬いらしい。

 遺体に対面するという覚悟が。

 それか、自分の目で見るまで信じられない、信じたくないのか。

 無理もない。

 自分が薬で眠らされている間に親が殺されていたなど、そんな現実は信じたくもないはずだ。


「……分かった。行こうか。歩生クン、奴に共犯者はいなかったんだよね?」

「はい。他に誰かいる様子はありませんでした。……ただ、心春ちゃんみたいな『変質者』を見つけたら売ると言っていたので、何かしらの組織のつながりがあるかも知れません」

「組織との繋がりねー。どうりで管理局(僕たち)弱点(・・)を知ってたのかー。……一応、僕からは離れないでね」


 そのまま六華さんに付き従って、3402号室へと向かう。

 連続惨殺犯が不用心なおかげか、入り口の鍵はかかっていなかった。

 リビングの扉が開け放たれた影響か、俺が窓を破壊した影響か、そこに何があるのか知ってしまったからか。

 潮と血と腐臭が混ぜこぜになった、死臭というべき本能的嫌悪感を掻き立てられる悍しい臭気を感じた。


「……」


 示し合わせたかのように全員が無言になり、六華さんを先頭に俺、心春ちゃんの順番で進む。

 俺の後ろを進む心春ちゃんをちらっと見ると、彼女はやはり無言で、しかし、悲壮な強い覚悟というべきものを保持しているのが分かった。

 彼女は幼い容姿に見合わないほど、思い詰めた険しい顔をしている。


「……ここかな」


 リビングに続く光が漏れる半開きのドアを前に、六華さんは一度立ち止まった。

 死臭の発生源がここであることを示すかのように、一際臭気が強くなる。


「いいんだね?」

「……はい。覚悟はできてます」


 何がとは両名共に明言しなかったが、言葉に含まれた意図は当事者ではない俺にも分かった。

 ……というか、何故俺も一緒に行く流れになっているんだ?

 心春ちゃんが前から『変質者』であることの口裏合わせは終わったし、これ以上俺がついていく意義が見出せない。

 だが、それを言い出せるような空気ではなかった。


「分かった。じゃあ、入るよ」


 六華さんは一息にドアを開く。


「……」

「……ッ」

 

 ドアが開けられたと同時に、嫌な空気が俺たちを出迎える。

 思わず喉の奥から空気が漏れてしまうが、六華さんは場慣れしているのかこの悪臭にも一切の反応がなかった。

 海の潮を極限まで凝縮したかのような臭いに、魂と本能の底から嫌悪感を掻き立てる死臭が混在した悪臭だ。


「……お父、さん」

 

 海に面する壁の大きな嵌め殺し窓。

 俺がリビングから逃走する際に砕いたその窓のほど近く、カーペットの上に彼はあった(・・・)

 遺体というよりも、その暴状と凄絶な形相を示すには肉塊と表するのが正しく思える。

 心春ちゃんは、お父さんの惨死体に対し、震えた小さな声を絞り出した。


「──この殺し方は、確かに連続女学生一家惨殺事件の犯人のやり方だね。共有資料に載ってたよ。“カワハギ”って東京新都(ここ)の管理局で呼ばれてるんだったかな。……心春ちゃん、もう部屋から出ておきな」


 悲壮な声を上げた心春ちゃんとは対照的に、六華さんは眉一つ動かさず遺体の様子を見分する。

 しかし、六華さんはいつもの間延びした声色ではなかったこと、心春ちゃんを部屋から遠ざけようとしていることから、彼女なりに慮っていることが分かった。


「……ごめんなさい」

「心春ちゃん?」


 気遣いに対する心春ちゃんの反応は、どこか不可思議さを覚えるものだった。

 その遺体の惨いグロテスクさは、自分の親どころか、全くの別人であっても吐き気を催し二度(ふたど)と目を向けられないほどだ。

 だが、心春ちゃんは違った。

 確かに顔面蒼白で、唇は硬く噛み閉ざされ、その小さな体躯は震えている。

 しかし、瞳は恐怖か悔恨から僅かに揺らぎながらも、お父さんの遺体を真っすぐに見据えてはなさない。


「六華さん、今からわたしがすることを、どうか止めないでください」


 心春ちゃんはやはり震えた声だったが、その声には極めて強い決意と覚悟が込められていることが分かった。

 六華さんも、彼女の尋常ではない様子に戸惑っている。

 心春ちゃんが、彼女のお父さんの眼を覆いたくなる程に毀損された遺体へと歩を進めた。


「……ごめんなさい。お父さん」


 赤黒く固まった血や消化器系から漏れ出た体液の混合物で濡れたカーペットで、足や服が汚れることなど気にせず、心春ちゃんはお父さんのすぐそばに膝をついた。

 そして彼女は遺体の胸辺りに手を当てる。

 掌から朝焼けのような優しい輝きが溢れ出す。


 外の雨が、さらに酷くなってきた。

 雷鳴が轟き、白い光が窓の外で瞬く。

 そんな真っ黒の荒れた夜空を背景にし、遺体に輝きを放つ掌を当てている彼女。

 俺は──そんなことを想うのは不謹慎だとは理解しているのだが──この光景に、宗教画めいた神聖さを想起してしまっていた。


「何をして──」


 六華さんが心春ちゃんの不可解な行動に声を上げたのと同時に、掌から放たれている輝きの色が変わった。

 優しい朝焼けを思わせる朱色から、黄色みが増していきオレンジ色へ。

 色が変わっていくのに比例して光量も増していく。

 かなりの光量なのに直視しても目は痛くならず、優しい輝きというのがもっともその輝きを形容しているだろう。

 オレンジ色から完全に黄色になり、黄色から緑、緑から青色へと輝きの遷移は続いていく。

 その変遷(グラデート)は、ちょうど光の可視スペクトルの波長が長いほうから短く、エネルギーが低いほうから高くなっていく様子と類似していた。


「──え」


 言葉を発したのは俺か、六華さんか、それとも両名だったか。

 眩い幻想的とも言える優しい輝きに目を奪われていたが、また別の変化があった。

 それに対する驚きの声だ。


 ずっと前に流出しカーペットにこびりついて赤黒く固まった血が、赤々しいまるで今さっき出血したかのような血になっていた。

 そして、血が遺体の体内へとビデオを逆再生するかのように戻っていく。


 俺たちが驚きに身を固くするのを前に、青と紫の輝きがまた変わった。

 一際強くなった全ての輝きが所々で混ざりあい、七色の極光(オーロラ)が如き優しい極彩色の輝きとなる。

 反射星雲や輝線星雲、超新星残骸が放つ輝きに類似した、規模感(スケール)の違う高次のエネルギーと宇宙的(コズミック)神秘性を内包した輝き。

 しかし、風に靡くカーテンめかせて空間ごと揺蕩わせているかのような、物理法則を逸脱した輝き方だ。


「治癒系、いや修復系……違うか」


 六華さんの呟きが耳に届く。

 俺も、この異能の正体について気が付き始めていた。

 心春ちゃんは治癒系だと言っていたが、これはそんなちゃちな異能ではない。


 彼女のお父さんの遺体は、体外に漏出した血や消化器系の体液の全てが体内へと戻った。

 そして体内からまろび出た臓腑の全てが、ゆっくりと再びあるべき場所へと収まる。

 全身に偏執(モノマニア)的に負わされた包丁の深い刺し傷の全てが、傷の治療記録の早送りのように──いや、スナップビデオの逆再生のように、塞がっていく。

 外見的には一切の瑕疵が無くなったが、彼の遺体はまだ青白い死人の肌だった。

 しかし、その青白い肌も、脱皮したての白いセミが色付いていくように、血の気が通って生気を取り戻していく。


「う、私は一体なにを……」


 やがて、少し前まで肉塊としか表現できなかった彼は再び声を上げた。

 子供がおもちゃ箱をひっくり返したとしても、あそこまでは酷くならないというべき不可逆的な暴状から、彼は微睡から目を覚ましたかのような容易さで生還する。

 この部屋に充満していた死の臭いは、一切が消え去っていた。

 砕けた窓から入り込んでくる潮の臭いしかしない。

 鼻の奥に僅かに残る血の臭いが、さっきまでの光景が確かなものであったことの証明だった。


「……良かった」


 心春ちゃんはその幼い容姿からは想像もできないほど大人びた、一種の諦念すら滲ませた声でそう呟いた。

 その諦念は、きっと自分の運命に向けられたものだろう。

 彼女は立ち上がって振り向く。

 すでに(・・・)刀を抜いて胸元の記録機器に手を伸ばしていた六華さんに相対した。


 俺の精神系異能も危険な異能であることは認識しているが、この異能すら心春ちゃんの異能が持つ危険性に比べたら大したものではないだろう。

 死者を蘇らせることが可能な異能など、今まで聞いたことがない。

 だって、この異能はきっと──


「……時間干渉系異能」


 六華さんがそう確信をもって断言する。

 その最後の一押しは、心春ちゃんの頬にあった傷も(まさ)しく時間が巻き戻ったかのように塞がったからだろうか。

 それか、140センチあるかないか程の身長だった彼女の身長が、130センチ前半ほどに縮んでいたからだろか。

 彼女が高校生にしては違和感を覚えるほど小柄で幼い容姿であったことに、ようやく合点がいった。


「……最後まで、異能を使わせてくれてありがとうございます」

「ごめんね。誤魔化してあげるって約束したけど……その異能は絶対にダメだ」

「はい、分かってます。……優しいですね」


 彼女たちは、彼女たちだけで分かりあっているかのように会話をする。

 俺と今さっき生き返ったばかりの阿多古さんは、この展開についていけていない。

 六華さんが胸元の記録機器のボタンを押した。

 彼女は、一切の感情の熱が排除された雰囲気に変容する。


「記録開始。発現異能による『時の絶対不可遡行則』並びに『死の絶対不変則』の逸脱改変事象を確認。超過第四段階、特別指定甲種級変質者及び潜在的『終末構想』誘発存在と断定」

「……」

「今この時より、国家の安全と秩序を管理するためにあなたの人権の一切は剥奪され、その存在は許されません」



 『人権の剥奪』って言葉は正しいんですかね?

 停止とか行使が不能とかのが当て嵌まってる気がしましたが、『剥奪』ってフレーズが好きなのでそのままにしました。


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