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『変質者』がいる世界で─東京新都旧千葉奪還区域管理局変質事件記録─  作者: ハンス・シュミット
CASE.1『連続女学生一家惨殺事件:通称“カワハギ殺人”』
8/9

第8話【決戦『褫奪欲求』・運命旋転】

 以下文章はヤフルスニュース,文責:千堂浩一郎『連続女学生一家惨殺事件の犯人、未だ捕まらず』,https://news.yahorusu.co.jp/pickup/49894949(掲載日2024年3月31日)より一部抜粋。


『──東京新都都心部を中心とし、家族全員、もしくはほとんどが惨殺され一部が行方不明になる事件が、昨年度末から連続的に発生しています。管理局の一等官がこの事件の犯人である変質者と思われる人物に殺害されたため、危険度の高い異能を持った変質者であると推測されます。一等執行官の殺害方法は圧死で──(以下省略)』



【22】



 マンションの3402号室、そのガラス張りの壁を破壊し、俺は未だ意識の戻らない心春ちゃんを掴んだまま、雷雨と風が唸る夜空へと身を投げ出した。

 一瞬の浮遊感の後に、砕け散ったガラスの破片と共に東京湾へ重力に引かれ、頭部を下に自由落下する。


 落ちる。


 耳元を風が切る音が聞こえる。

 雨の夜の海は真っ暗で、底のない深淵に飲み込まれてしまうかのような、そんな心地がした。


 落ちる落ちる。


 俺は『変質者』であり、心春ちゃんも彼女と同じ姿に変身した殺人鬼が言っていることが本当なら、強靭な肉体を持つ『変質者』だ。

 ならばこの入水自殺に近しい逃走方法でも、数百に一度は成功の余地があるだろう。


 落ちる落ちる落ちる。


 俺が先に着水することで少しでも心春ちゃんへの衝撃が弱まるように、彼女を胸元でしっかりと掻き抱いて固定する。

 漆黒の海は着水までの距離感を狂わせるが、波が雷光を反射したことで、あと僅かばかりの余裕しかないことが分かった。

 最後に、息を吸い込む。


 落ちる落ちる落ちる──落ちた。



【23】



「ぷはっ!」

「ゲホゲホッ!」


 マンションの34階、1階が3メートルだとすると、約100メートルからの海への飛び降り。

 普通の肉体ならば死んでいただろうが──俺も入水の衝撃で意識を取り戻した心春ちゃんも無事だ。

 初めて『変質者』になったことに感謝した。


「大丈夫か!?」

「あ、歩生さん!? 何でここに!?」

「悪いが、今は説明している暇はない! 陸地に投げるから舌噛むなよ!」

「え?! うぎゃ!」


 荒れた海の中で、なんとか街灯に照らされていた岸近くに寄るが、転落防止の柵が邪魔で陸地に上がれない。

 落ちるのを防止してくれるが、落ちた後のことは考えてくれていないらしい。

 ……海へと飛び込む人など、想定してないだろうから仕方ないが。

 だから、心春ちゃんを掴んで全力で岸へと投げた。

 衣服が海水を吸って重くなり着衣泳を想起させる状態だったが、柵を超えて彼女を陸地に投げ飛ばすことに成功する。


「ほら! 早くここから離れるぞ!」

「え、ちょ! 説明してください!」


 俺もすぐに柵へと手をかけ、陸地へと上がった。

 未だ混乱している彼女の手を引いて駆け出す。

 俺たちが大丈夫だったという事は、奴がいつ追いかけてきてもおかしくないという事だ。

 走りながらウエストポーチの中からスマホを取り出し、すぐに起動する。

 100メートル以上の高所から海へと着水したが、問題なくいつも通り起動したスマホの頑強さと技術の発展へ感謝し、六華さんに教えてもらって入れていた管理局のアプリで通報した。

 ボタン一つで連絡が位置情報が送られるらしく、通話など無く『通報が完了しました』という無機質なメッセージが表示される。


 この文字だけだとどうにも頼りなく、電話の履歴を開いてお目当ての相手へと連絡をする。

 少しで生存の可能性を上げるためなら、悪あがきも何でもやってやる。

 呼び出し音が酷くもどかしく感じた。


「歩生さん! 傷が!」


 心春ちゃんは俺の血に染まったシャツと、ガラスの破片が突き刺さって血が滴っている右拳に気づき、悲鳴のような声を上げた。

 脳内麻薬が出ているのか、もうずいぶん前から痛みは感じていない。


「大丈夫だ! 俺は……『英雄願望』の『変質者』! こんな傷は問題ない!」

「へ、『変質者』!」


 ここで「『催眠欲求』の『変質者』!」といっても安心させるどころか、余計怖がらせてしまうだけだろうと、事前に考えていた通りに『英雄願望』の変質者であることを騙る。

 電話はまだ繋がらない。


「心春ちゃんも『変質者』なんだろ!」

「な……なんでそれを」

「心春ちゃんに化けてた『変質者』が言ってた!」

「わたしの異能については何か──」『もしもーし』

「六華さん!」

『おー歩生クン。どーしたのー』


 心春ちゃんは、俺に自分が『変質者』であることを知られているのに狼狽した様子だった。

 そして彼女が言葉を続けようとした瞬間、スマホからこの状況に見合わぬ緩い調子の声が聞こえてくる。

 ようやく繋がった。

 管理局の特等執行官である六華さんに!


「心春ちゃんの家で『変質者』に襲われました!」

『──異能は分かる?』

「変身系です! 心春ちゃんの姿になって……もう来たのか!」


 緩い調子から、俺の言葉を聞いた瞬間に電話越しでも分かるほど鋭い雰囲気に変容する。

 そんな彼女に安心感を覚えながら、最低限の情報を伝えた。

 しかし、何か巨大な質量を持ったモノが海に落ちた轟音が聞こえる。

 奴だ。

 奴が追ってきたのだと、そう強く確信した。


「連続女学生一家惨殺事件の犯人だと言っていました! 特等官の六華さんなら、管轄が違う東京新都の管理局でも動かせませんか!? 心春ちゃんのマンションは送ったときに知ってますよね!? 速く助けを──」

「危ない!」

「ガッ!」


 奴に捕捉される前に少しでも情報を伝えようと、電話の向こうの六華さんの返答を待たずに一息で言葉を続ける。

 だが、心春ちゃんが俺を後ろから突き飛ばしてきた。

 違う、俺を助けたのだ。

 俺の頭があった場所を、何か、質量を持った物が高速で通り過ぎた感覚に背筋が凍る。

 駅のホームで電車を待っているとき、目の前を特急や貨物列車が通り過ぎていくときのような、そんなひやりとする感覚に。

 その質量物は幸い俺には直撃しなかったが、スマホに掠ってしまい通話中のスマホはどこかへと消えてしまった。


「どこに逃げるかと思ったら! あっはっは! ビックリだよ! お前は『逃走衝動』の『変質者』か!?」


 奴はまだ海の中にいた。

 しかし、もうそこから数十メートルは離れている俺に攻撃が届いている。

 その理由は簡単で、奴が化け物になっているからだ。

 『変質者』の強靭な身体や異能は化け物じみているが、そうではない。

 奴自身の肉体が化け物というべき異形に変わっていた。

 皮膚など必要ないのか、血が滴り真っ赤な筋肉が剥き出しとなった数十人、数百人の人々を材料にした冒涜的彫刻でタコが如き異形を模った異形。

 邪教の神を想起させるような異形は、所々に苦悶に顔を歪めているかのような表情の人の顔が浮かんでいた。


「……タコの、化け物」


 俺の横に倒れていた心春ちゃんが、奴の異形となった姿を見てそう呟いたのが耳に入る。

 街灯の明かりや雷光によって照らされた奴の身体は、まさしく巨大なタコの化け物というべき姿形だ。


「なん、だよ。アレは」

「あはっ! お前たちのその顔! 最ッッ高!」


 アレは、本当に同じ人間……いや、『変質者』か?

 船首のオブジェのように、人間で編まれた冒涜的タコの異形へ半融合して俺たちを嘲笑する化け物に対してそう思った。

 唯一言葉を発しているのはまだ心春ちゃんの姿のままの奴だけで、他の頭部は苦痛に喘ぐ意味のない言葉しか発していない。

 奴の姿を見れば、俺たち『変質者』が忌み嫌われる理由が分かった。

 ……あんなもの、化け物以外の何者でもない。


「死ぃ~ね!」

「まずい!」

「きゃっ!」


 本体と思われる奴は、俺たちに──いや、心春ちゃんに向かって何かを投擲してきた。

 ソレは、雷光や街灯の明かりを反射しながら、夜空を切り裂く流星を思わせる速度で一直線に彼女に殺到する。

 咄嗟に流星の射線上に腕を伸ばす!


「ぐッ!」

「歩生さん!」

「あッはッは! かっこいいねぇ! 」


 流星の正体は、部屋でも俺の腹を貫いた包丁だった。

 今度は右腕前腕部に深々と突き刺さる。

 流石に痛みを感じたが、心春ちゃんは無事らしいのはよかった。


 ……クソ! 管理局はまだ来ないのか!


 半ば八つ当たり気味に内心で吐き捨てるが、通報してまだ1分も経っていない。

 彼らが来ないのも仕方ないだろう。

 どうする。

 奴に媚びでも売って時間を稼ぐか?

 それはもう無理だろう。

 激痛に苛まれる思考の冷静な部分で、奴を睨みつけながら考える。


「……!」

「……何? その目? まさか戦う気なの。あはっ、私、結構強いよ?」


 このままでは俺も心春ちゃんも殺されるだけだ。

 なら、少しでも生き残るための最善を尽くそう。

 ──俺が奴を倒す!

 せめて、管理局の職員が来るまでの時間を稼ぐ!


「ッ、アアァアアァァ!!」

「うわぁ、いたそ~」


 絶叫と共に、右腕に刺さった包丁を引き抜いた。

 右腕は筋肉か靭帯、もしくは神経辺りが断裂したのか、ぶらんと垂れ下がったままだ。

 刺さった刃物は抜くと出血が酷くなるから固定しろと、そうどこかで聞いたことがあるが今は武器が欲しい。

 包丁にべっとりと付いた血を服で拭えば、すぐさまよく研がれた金属光沢が顔を覗かせた。

 俺の顔が映るほどの、冷たい銀色。


 奴は未だ俺たちのことを見下し、嘲笑している。

 馬鹿な奴だ!

 包丁という武器と俺の異能(催眠)に必要な鏡を持ってきてくれるなんて!

 戦える状態にするために、『鏡に映った自分を介してかける自己催眠』でこの身を襲う痛みを取り除く!

 包丁の銀色に輝く腹を顔のすぐそばまで持ってきて、映っている俺の瞳を食い入る様に覗き込んだ。


「『痛くない!』『痛くない!』『痛くない!』『痛くない!』」

「あ、歩生さん……?」

「あはっ、頭がおかしくなった?」

「『痛くない!!』『痛くない!!』『痛くない!!』『痛くない!!』」


 自己催眠がかかっているとき特有の、心地よい酩酊感が強く深くなっていくのに反比例して、腕や腹の激痛がすっと嘘のように引いていった。

 包丁に反射する俺の瞳が、黒々と光を映さないものになっていく。

 ……まだだ。

 これでは痛みを感じないだけで、絶対に奴には勝てない!


「『俺は奴を殺せ……『俺は奴を倒せる!』『奴を倒せる!』『奴を倒せる!』」

「……お前、何やってんの?……キモ」

「『倒せる!!』『倒せる!!』『倒せる!!』『倒せる!!』『倒せる!!』」


 自分自身の全てが目の前のタコ女を倒すために調律されていくような、俺を規定するソースファイルに新たなコードが書き加えられて次から次に有効化(コンパイル)されるような、赤熱した玉鋼を叩いて鍛錬するが如くに俺の中の不純物を除するような、そんな不可思議な感覚。


 しかし、決して嫌な感覚ではない。


 偶発的な事故でも検証のためでもなく、初めて自分のために異能を全開で使ったからか、どこか清々しさすら伴った心地よい感覚に包まれる。

 檻に閉じ込められていた鳥が初めて大空に羽ばたく時は、きっとこんな感覚なのだろう。


「ク、ハハ!」

「気持ち悪りぃんだよ! 死、ね!」

「きゃっ!!」


 ただひたすらに、鬼気迫る様子で包丁に語り掛けているように見えるのだろう俺を、気が狂ったのかと考えたのか奴は気持ち悪いものを見る目で一瞥し、圧殺せんと皮の剥がされた人間で編まれた触手を振りかざしてきた。

 だが、それが当たることはなかった。

 心春ちゃんを抱えて、俺がその場から斜め後ろに飛び退いたからだ。


「……心春ちゃん」

「ひっ」


 話しかけただけなのだが、腕の中の彼女は喉の奥から噛み殺したかのような悲鳴を漏らした。

 だが、それも仕方ないだろう。

 さっきまで包丁に映っていた俺の瞳は、もはや死人を想起させる星々の間を埋める虚無のような、そんな一切の熱が排除された瞳だったから。


「君は戦える異能持ちか?」

「……すみません。戦闘には一切使えません」


 俺の問いに彼女は申し訳なさそうに目を伏せ、そう答えた。


「なら管理局には通報してあるから、職員の人たちを探して俺と連続女学生一家惨殺事件の犯人がここにいるって伝えてくれ」

「で、でも歩生さんが」「早く行け!」

「は、はい!」


 怪我人の俺を一人にするのはどうかと考えたのか、心春ちゃんは躊躇するような素振りを見せた。

 しかし、戦闘系でもない彼女がいても邪魔なだけだ。

 それならば管理局の職員を探しに行ってくれたほうが、万が一(・・・)俺が負けたときに彼女も安全だろう。

 彼女は一瞬だけ俺を振り返ったが、すぐに人気の多そうなほうへと走り去っていった。

 

 なぜか俺と心春ちゃんに追撃をせず、警戒している悪趣味なタコ野郎へと駆け出した。

 さっきまでは酷く冒涜的で巨大な化け物に見えていたが、今はただのデカ物にしか見えなくなっている。


 ……ああ、やはり俺の能力は使いづらい。


 『変質者』になって一日しか経ってない俺が、催眠のせいで奴に完全に勝てるつもりでいるのだから!


「ハ、ハハハ!!」

「クソが!」


 四方八方から奴の触手が躍る様に襲い掛かる。

 地面を舗装しているアスファルトを軽々と砕くほどの威力、速度、質量!

 しかし、その全てが俺に当たることはない。

 思い込んだ通り、一切を避けることができる!

 丸太程の太さの触手は一発でもまともに当たれば圧死するだろうが、それをすり抜けるたびに高揚感が昂っていく!


「ハッ! ハハハハ!!」

「とっとと死ね!」


 生と死の間隙を縫って、奴へと接近する。

 さっきから聞こえていた笑い声の発生源が、ようやく自分であることに気づいた。

 ……ああ、確かに俺は奴の言う通り『変質者(狂人)』の才能があるのかもしれない。


 脳がもう一つ増えたかのように、思考が速く、クリアになっていく。

 脳に新たな瞳が芽生えたかのように、奴が触手を振り上げ、振り下ろす動作のすべてが緩慢に見えた。

 ……やはり、あんな化け物の姿形になっても、あくまで肉体のある生物だ。

 見た目がいくらおどろおどろしくとも、結局は人間の肉体で無理やり姿を模倣したに過ぎない。


「クハハ! ハハハハハハ!!!!」

「な、何で当たらない!」


 奴の変身能力でなぜあんなタコの化け物に変身できているのかは分からないが、それでも化け物を構成しているのは人の肉体だ。

 『変質者』だから普通の肉体よりも強靭だろうが、それでも人の肉体を組み合わせただけでは、本物のタコのような動きはできない。

 構成しているのが、皮がない人間であるのもその証拠。

 骨や皮といった動きを阻害する部分は生成せず、あくまで人体の中では比較的自由に動かせ、エネルギーを生み出す筋肉だけを主に生成している!

 しかし骨がないので、鞭のように扱うことしかできていない!

 直線的な動きしかしてこない触手など、今の俺が当たるわけがない!


「お前、一等官を殺したんだろ? 凄いね!! その程度かァ!?」

「クソ! クソ!」


 今までの人生で経験したことがないほどの高揚感!

 笑い声だけでなく、口から支離滅裂な言葉が勝手に漏れ出てしまう。

 躁状態とはこのことだろうか!

 脳内快楽分泌物(ドーパミン)交感神経伝達物(ノルアドレナリン)の濁流で、極限興奮状態になっているのが分かった。

 俺という人格が、圧倒的情動で塗り潰されてしまうような感覚。

 だが、もう一度生まれ直したかのように気分爽快だ。

 ……もしかしたら、『催眠欲求』の精神系異能は他者にもかけられるだけで、本当は俺自身がこの悦楽を享受するためのものなのかもしれない。


「クハッ! アヒャヒャヒャ!!」

「ッ!」


 奴は攻撃が当たらないことに対し苛立ったのか、さらに触手を生やして俺に差し向けてくる。

 馬鹿が!

 本物のタコやイカではなく、4本しかない人間の手足を操るための頭蓋で、10本以上の触手を思い通りに操れるわけがない!

 少なくするかより太く撚り合わせればいいものを、むやみに触手を増やすものだから、より単調に直線的な動きしかしてこなくなった!


「そんなに触手を生やせるのか! 見事!! 俺を穴だらけにしやがって! ぶっ殺すぞ!!」

「ひっ!」


 さっきまで俺を見下し嘲笑していたくせに、今のコイツは何か得体のしれないものに恐れおののく様な、そんな情けないツラを晒していた。

 散々人を殺しておきながら、自分に身の危険が迫ると恐怖を感じるのだと、そんな奴の都合のいい精神性に反吐が出る!


「ビビってる顔は可愛いね!! 逃げようとしてんじゃねぇ!!」

「きゃっ!」


 血が滴る触手を躱して肉薄し、海の柵の向こうにいた本体の首を、()()()()()()()()()()で掴んで陸上へとぶん投げようとする。

 海中では踏ん張りなど無意味であるし、触手を柵に絡みついて陸上に持ち上げられるのに抵抗していたが、それも無意味だ。

 渾身の力を込めて柵ごと引っこ抜き、陸地へとぶん投げた。


「死ねッ!」

「……ハハ! うん!! お前がなァ!!」

 

 10メートルほど離れた奴を起点に、全方向から俺を取り囲む鳥籠の如くほぼ同時に触手が迫り来る。

 これならどんなに動きが単純でも、避けることはできないだろう。

 ──だから、俺は奴に向かって駆ける。

 先に奴を殺すために。


「らァ!」

「ッ!」


 包丁を突き立てようとして──断念。

 冒涜的なタコに半融合した奴の目の前に、刃から守るために人肉の壁が生えたためその壁ごと殴り飛ばす。

 数百キロ、もしくは数トンに届いているほどの質量だが、その程度(・・・・)俺たち『変質者(化け物)』にはどうということはない!

 そう強く思い込め! 自分自身に催眠をかけろ!


「な、なんなのお前は! まさか、『殺人(マーダー)』系の……!」

「知らないなぁ! 疾く死ね! 今死ね! ここで死ね!」


 地に伏した奴に再び急接近し、息の根を止めんと心臓に包丁を突き立て──られなかった。


「い、いや! 助けて……!」

「……!」


 躊躇。

 恐怖に潤んだ瞳と目が合ってしまった。

 確実に殺せると思った瞬間、昂っていた脳が一気に冷える。


 ──俺が殺す? 相手が連続殺人鬼でイかれた『変質者』であっても、人を殺していいのか? 殺してしまったら、俺は本当にコイツと変わらないのではないのか? 管理局の職員が来るまで待つべきじゃないか? ……待て、何で俺はそもそも殺すなんて選択肢を──


「ば~か!」

「ぐッ、は……!」


 その甘すぎる思考の時間は、致命的な隙だった。

 奴はいつ間に生み出したのか、白くくすんだ硬質な材質の槍を想起させる形状の武器で、俺の脇腹を貫いていた。

 金属光沢はないが、俺の身体を抉り貫くには十分すぎる強度。

 ……そうか、この異形を構成するため筋肉だけを生み出しているように、骨や歯といった硬質な部分だけを生み出すこともできるのか。

 力が抜け、包丁が手から落ちた。


「甘ちゃんだねぇ! 人、殺したことないんだぁ~」

「……ッ、く!」


 ただの大学生の俺に、そんな経験があるわけない。

 戦闘の勝敗はともかく、殺し合いで俺が勝てるわけがなかった。

 こうなるならば、『倒せる』ではなく『殺せる』という自己催眠をかけるべきだったのだ。

 ……いや、最初からそうしなかった時点で、甘かったのか。


「でも、結構楽しかったよ~。ゾクゾクしちゃった。あはっ、遺言くらいは聞いてあげる」


 奴はにやにやと勝ち誇ったような顔で俺を覗き込み、舐めたことを言ってきた。

 血液が無くなり、酸素が供給できなくなって霞む意識を何とか保ち、タコの異形から生えている心春ちゃんの姿をしたままの本体を睨みつけながら口を開く。


「お、前は……」

「ん~?」

「お前は、何でさっきから、心春ちゃんのままなんだ? ……さぞかし、本体はブッサイクなんだろうなァ!!」

「チッ!」

「グハッ!」


 顔面を殴り飛ばされて吹き飛ぶが、身体を貫いている槍がつっかえてそこまで遠くまでは転がらない。

 まさか最後の最後に出てくる言葉が煽りの言葉だとは、自分自身でも少し驚いていた。

 俺は、結構性格が悪いのかもしれない。


「お望み通りぶっ殺してやるよ!」

「は、ハハ! 癲癇性激情持ち(ヒステリック)な女はモテねえぞ!」


 自分でも驚くほどにペラペラと回る口は、血を吐きながらもまだまだ煽り言葉を紡ぐ。

 それにいちいち青筋を立ててブチギレている奴の顔が酷く滑稽で、爽快な心地にさせてくれた。

 まだ痛みを忘れる催眠が効いているのか、俺は驚くほどに痛みを感じていない。

 腹に二回、右腕に一回鋭利なものが突き刺さり、腹部は今も貫通しているのにもかかわらず。

 ……いや、もはや痛みを感じる器官が許容範囲をオーバーし、マヒしてしまっているのかもしれない。

 現に、今俺は身体を動かすことができず、振り下ろされた人間で編まれた触手を見上げることしかできなかったのだから。


「死ね!」


 最後まで奴の顔を睨みつけてやろうと考えていたのだが、高速で振り下ろされる触手に反射的に目をつぶってしまった。

 奴の夢に出て呪い祟って殺す、せめて寝不足にしてやろうなんて最後の儚い抵抗はできなかったようだ。

 そもそも殺した相手を気にするような奴ならば、連続女学生一家惨殺事件なんて起こさないか。

 ……まぁ、心春ちゃんは逃げられただろう。

 俺が自分の能力を過信し一緒に戦おうなどと言って、二人とも死ぬ羽目にならなくて良かった。


「大丈夫……じゃないね。遅くなって(・・・・・)ごめん。……東浦さんの心配通り、午後休取ってよかった」

「……え」


 聞き覚えのある──いや、さっき電話越しに話をしていた声がしたことで、思わず目を開ける。

 タコ女から俺を守る様に、黒い喪服を想起させるスーツを着た後ろ姿が立っていた。

 その右手には、夜闇を切り裂いて銀色に輝く刀を携えている。


「心春ちゃんから聞いたよ。あとは任せて、歩生クン」


 六華さんは透銀(うすしろがね)の髪を雨に濡らしながら、そう言った。

 感想と評価、たくさん下さい。

 私が『承認欲求』の『変質者』になるのを防ぐためにも、いっぱいお願い申し上げます。

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