22 一人じゃない
「ふぅ……終わりましたっ!」
最後の片付けも無事終了です。
「ありがとう助かったわ」
椅子に座ってわたしの作業を見届けてくれた千夜さんは、すぐにお礼を言ってくれます。
「いえいえ、残り少なかったので問題なしですっ」
「でも、一人でさせるつもりはなかったから、申し訳なかったわね」
歯痒そうに表情を歪める千夜さん。
そういう一面を見ると、やはり完璧主義な一面があるなぁと感じます。
「そんなことよりも千夜さんの体調ですよ。どこも悪くなってないですか?」
「ええ……この通りよ」
立ち上がってみせる千夜さんでしたが……。
「顔色はあまり良くないように見えるのですが?」
「気のせいよ」
「千夜さんって、本当に我慢強いんですね」
体調不良の時くらい弱音を吐いてもいいと思うのですが。
「これくらいは我慢の内に入らないわ」
「どうしてそこまで頑張っちゃうんですかね」
「……前に言ったでしょ。私は正常な人間になりたいだけって」
「言ってましたけど」
千夜さんはぽつりぽつりと言葉を零していきます。
「私の両親はね、母親の浮気が原因で離婚したの」
それは日和さんも華凛さんも知らない話でした。
「それでお父さんは精神的ショックを受けて一時期は仕事もままならなくて、すごく痩せてしまったことがあるの」
「そうだったんですね……」
「そんな姿を見て、私は母親を許せなかった。日和や華凛にはこの事は伏せてあるけど、空気を察してくれたあの子たちは全員お父さんに付いて来てくれたの」
思う所は色々あるでしょうから、わたしが勝手なことを言う事は出来ません。
ここで聞いて良いのは千夜さん本人の思いでしょう。
「それと、千夜さんが正常な人間になりたいというのは関係があるんですか?」
「あるわ。だって私は夫を裏切るような女の血を受け継いでいるのよ?」
「……それは」
そういう考え方もあるのかもしれませんけど。
あまりに悲しいと思います。
「あんな最低な人間の血を引いている、それだけで私は自分自身に嫌悪感を感じるの」
悲しいまでの自己否定。
その否定の仕方は姉妹に対してはどのように働くのでしょうか。
「でも、それって日和さんや華凛さんにも当てはまっちゃうんじゃ……」
お母様の血を引く存在に嫌悪感を抱いてしまうのであれば、それは姉妹でも同じことが言えます。
「だから、私は正常な人間、真っ当な人間でありたいの。そうすることであの女の血なんて関係ないと、そう証明したいの」
千夜さんの完璧主義であろうとする生き方は、母親の否定から始まっている。
自身を生んでくれた存在を否定することでしか、自身を肯定できない。
千夜さんはそんな歪な生き方を選んでしまっている。
「この考えが歪んでいることは分かっているし、あの子たちに関係ないことも分かってる。でも、私自身がそうじゃないと納得できないの」
「だから勉強も生徒会活動も頑張って、長女としてお手本であろうとするんですか……?」
「そうよ、それが私。だからこんな私を、あの子たちに伝えることは出来ないの」
でもそれは千夜さんは姉妹に気を遣っていることの裏返しだ。
日和さんと華凛さんのことを思っているから、否定的ことを口にしたくないのだと思う。
自身には厳しくても、妹さんたちには優しくあろうとしている。
ただ、千夜さんはそのバランスが上手くとれていないだけなんだと思う。
「でも、千夜さん。頑張りすぎて体調崩してしまうのは良くないと思います」
「そうね、体調管理を怠ってしまったのは私のミスね。それは認めましょう」
「あ、いえ……そういうことじゃなくて、もっと肩の力を抜いていいと思うんですが」
結果は誰の目にも明らかなほど出ているのだから、千夜さんはもう少し楽をしてもいいと思うのだ。
そうじゃないと、こんなの続かない。
「こうしていないと自分を許せないのよ」
結果を出すことで肯定感を得る、そのために努力し続ける。
ストイックな人の生き方だ。
「わたしには真似できません」
「しなくていいのよ」
でも、それじゃあ千夜さんがいつかパンパンになって破裂してしまう。
今日の体調不良だってその予兆としか思えません。
「理解されようなんて思ってない。これは私の問題だから」
そうして背中を向ける千夜さん。
全くどうして、千夜さんはそんな孤独な戦いを一人で続けるのでしょうか。
その思いが正しいか間違っているかなんて、わたしにはよく分かりません。
それはきっと千夜さんの中でしか解決できない問題でしょうから。
でも、そうですかと無視も出来ない、したくない。
「はいっ、千夜さんっ。わたしはまだ立って歩いていいなんて言ってませんからねっ」
「えっ……」
その肩を掴んでわたしは再び椅子に座らせます。
わたしの力で押されちゃうくらいなのだから、千夜さんが本調子でないのはバレバレです。
「貴女、いきなりなにっ……」
「はいっ、大人しくしてくださいっ」
さらさら、と。
その艶やかな黒髪がわたしの手の中で流れて行く。
椅子に座った千夜さんの頭はわたしの胸元。
その綺麗な頭を撫でていた。
「いい子、いい子」
「……なに、これ」
呆気にとられた千夜さんは言葉がたどたどしい。
「撫でています」
「それは分かってるのよ。なんのつもりと聞いているの」
だって千夜さんがあまりに頑張り屋さんなので。
「どうやっても千夜さんは頑張ると言い切ってしまうので、じゃあせめてその努力を褒めてあげないと」
「……そんなの貰わなくても、私は結果を出せれば満足よ」
「違いますよ、千夜さん」
その在り方が当然になってしまっている千夜さんは忘れてしまっている。
「わたしは“結果”にじゃなくて、“千夜さん”を褒めているんです」
「……そう、そういうこと」
その人知れず戦い続ける姿勢を変えないのなら、せめてわたしは歩み寄ろう。
一人ではないと、ただ、そうしているだけですごい事なのだと。
結果なんて出なくても誰かは認めてくれるのだと。
わたしはそれを千夜さんに伝えたい。
「でも、貴女に褒められるっていうのはおかしな構図よね」
「ええ……それも分かってます。ポンコツなわたしが褒めるなんて上から目線しちゃいけません」
でも、仕方ないじゃないですか。
千夜さんはその孤独をわたしに教えてくれたのだから。
他の人に頼みたくても、力不足だとしても、わたしにしか出来ない事だから
「私より結果を出してくれたら、貴女の主張を認めてあげてもいいけれど」
「そんなのムリに決まってるじゃないですかぁ……」
「……そうね。でも――」
千夜さんは言いかけた言葉を止めて、息を吸う。
躊躇いがちに息を吐き、わたしを見上げて微笑んだ。
「貴女に撫でられるのは、その……こんなにも心地良いものなのね」
そんなことを上目遣いで言うものだから。
今度はわたしの手が震える番だった。




