終話 君、終の夜に会いたること
新しい朝が訪れた。
飢えによってか、時沙の手によってか、いづれにしても私は死んでいくのだろうと思っていたのだが……
身体を起こしガタついて開きづらい草庵の引き戸を開けた。澄んだ空気で肺が満たされると、目の前の世界は輪郭の鋭さを増していく。
小鳥の鳴き声が聞こえる。
優しい風が吹き抜けると肌寒さを感じる。
自分が生きている実感を感じる。
しかし何故、今朝は自分の力で起き上がり動けるのか分からなかった。
振り返って草庵の中を確認すると寝床の側にニリンソウの花が置いてある。昨晩、確かに時沙はこの草庵を訪れ、私と思い出話をし、裏切りを責め立て、そして……
遠くから山道を走ってくる足音が聞こえてくる。林の向こうを凝視していると走ってきたのは都からの遣いの者のようだった。
「はぁ、はぁ!源環様!お久しぶりでございます!藤原時沙様の参与です。覚えておられますか!?」
「ああ。久しいな……
朝早く、こんな山奥までどうしたんだ?」
「時沙様が正妻、高津名様より急ぎの文を預かり都より走って参った次第でございます」
「文とは?」
「これに」
男は袈裟懸けに下げた書簡筒から文を取り出し、私に渡した。
受け取った文を開いて読み始める。
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源環様
お久しぶりです。お元気でお過ごしでしたでしょうか?
貴方様を《《東国遠征へ追い遣り》》、貴方様に《《宇部兼依を焚き付けた》》藤原時沙の妻からの気遣いでは不愉快と存じますが、定形の挨拶と受け流して下さい。
さて先ず私は貴方様に謝らなくてはいけません。
決して時沙に伝えたり、悟られてはいけないと約束しておりました件、時沙に問い詰められ真相を伝えてしまいました。
ええ、1つ目はご想像の通り。
『宇部の乱』の真相でございます。
宇部兼依と貴方様の関係。そして兼依が時沙へ害を及ぼそうとしていることを知った時、貴方様は巧みに兼依に取り入り、奇襲を提案して協力するフリをされたこと。
その裏では私へ向けて奇襲の情報を伝える事で時沙に協力されました。
結果は周知の通り。肝心な時に貴方様は兵を動かさず奇襲は失敗、『宇部の乱』鎮圧の功績で藤原祥家一族の繁栄を後押しすることとなりました。
もう一つは、貴方様の想いございます。
時沙が私に送った和歌がキッカケで私達の中が発展したというのが世間の認識でございます。ただし、その和歌を詠んだのが貴方様だったことは誰も知らない秘密でございますが。
私が時沙の和歌を受け取った時に気付いたのでございます。貴方様が代理されたこと、そして和歌に秘められた貴方様の時沙への想いを。
そして嫉妬したのでございます。その想いの深さを。だから時沙を私のモノにして貴方様に見せつけてやろうと考えたのでございます。
浅ましい女と、どうぞお笑い下さいまし。
しかしながら、万事が流々と運び結婚をして気付いたのでございます。
時沙と貴方様の繋がりに比べれば、私は脇役の道化に過ぎないことを。どんなに時沙へ尽くして気を引いても所詮は上辺だけに過ぎない、そのような夫婦関係を15年以上も続けて参りました。
空しい女へ下った罰と、どうぞお笑い下さいまし。
本日、急ぎ文を認めましたのは貴方様へ急ぎお知らせしておかなければならない事態となりました故でございます。
《《昨晩のこと》》、《《流行り病で臥せっておりました時沙が亡くなりました》》。
死の床で時沙に問われ、抗うことができず、貴方様との約束を破り、私の知る全てを時沙へ伝えてしまったのです。
最後まで時沙が貴方様のことを気にかけていたことへの嫉妬心から犯した過ちかもしれません。
返す返す愚かな女と、どうぞお笑いくださいまし。
藤原祥家の一族には貴方様を赦し便宜を計るよう説得を行いました。
今ならば還俗されて元々よりも高い官職につくことができます。遣いの者とともに藤原時沙邸にお越し下さいますよう、お願い申し上げます。
本来ならば直接お会いし、お詫び申し上げなければいけないところでありますが、先ずは文にて失礼を致します。
藤原時沙が妻
高津名
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「環様、急ぎ参りましょう!高津名様や藤原祥家の一族がお待ちしております」
私はゆっくりと空を見上げ、昨晩の時沙のことを思い出した。
(自分の終の夜に私を助けに来てくれたのだな……)
目を閉じると我が身の内に時沙の気配を感じた。耳を澄ますと彼の笑い声が聞こえる気がする。亡きものは無くならず、遺された命に繋がっていく。ならば……
「私はここを動かないし、還俗もしない……」
「何故でございますか!?10年に及ぶ忍辱から開放される時でございますぞ!」
「昨晩、友がニリンソウの花を持って見舞い、そして私は赦され、生かされたのだ。
だから残りの生涯を掛け、死の淵で私を助けてくれた友の供養していかなければいけない。
私たちはニリンソウの友なのだから」
『宇部の乱』をキッカケに武門が台頭し、
貴族が没落していく……
やがて武門が統べる世が訪れ、それも終わり、
新しい時代へ変化を繰り返しても
藤原時沙が末裔は絶えることなく
密やかな繁栄を続けた。
ニリンソウの花が咲く
藤原祥家一族の菩提寺とともに……
〈了〉