2 駐留部隊(その1)
バスはたっぷりと半日をかけて、ようやくハイシティに到着した。
廃墟として今もなおそびえたつ高層建築、その足元に建物が密集する辺りへと、バスはゆっくりと滑り込んでいく。最初に見えてきたのは小さくて四角い建物が密集している区画。どうやら小さな工場のたぐいが軒を連ねているようだった。念のため、そこで下りる者はいないかと運転手が尋ねかけてきたが、乗客は誰も返事をしない。
そこを抜けると、今度は大きな湖が見えてきた。淀んだ赤い湖水をたたえたその湖は、まるで人工的に造られたかのように湖岸が正円に近い弧を描いていた。手近な乗客に尋ねてみると、その湖はクレーター湖と呼ばれているようだった。
その湖を通り過ぎ、バスはようやく廃虚の足元にまでたどり着いた。廃虚に寄り添うように家屋が密集している街の入り口が、バスの降車場になっていた。
「……さて、どこからどうやって始める?」
「王国軍の駐留部隊に、一度出頭しておいた方がいいのではないでしょうか。バスの中では協力は期待できないと話していましたが、正式に要請すれば、あちらも完全に拒否は出来ないはずです。この街で警察力らしい警察力と言えば彼らしかいないわけですし」
「市内で捕り物をするのであれば、仲良くしておいて損はない、というわけか……」
「第一、攻性生物を相手にするのに、私達には武器らしい武器もありませんし」
実際、アシュレーもミハルもそれぞれ拳銃を一丁ずつ、ほんの護身用程度にしか持ち合わせていないのだ。ここまで支援を受けずにやってきたアシュレーはともかく、ミハルは最初から現地で調達する方針だったのだろうか。
そもそも攻性生物である彼女が単独行動でここまでやってきたこと自体が異例といえば異例のはずだった。アシュレーが知識として知る〈シミュラークル〉は、戦場の過酷な環境での運用のため、バックアップ部隊が常に同行し出撃毎に欠かさずにメンテナンスを行う、そういった扱いが基本のはずだったのに。
(情報省が軍部に働きかけて借り出してきた戦力だ。バックアップ部隊まで同行するとなると正式に軍に動いてもらうことになる。さすがにそういうわけにはいかないということか……)
何にせよ、このままでは彼らも銃を携帯して街をうろつく不審人物と変わりなかったかもしれない。
駐留部隊の詰所は、バスの降車場を少し戻ったところの郊外にあった。コンテナ組みの簡便な建物が並ぶ区画を、頼りなさげな若い兵士たちが歩哨に立って、ごく形式的に入り口を警護していた。アシュレーとミハルの二人連れももちろん怪訝に思われたが、彼女が持参していた書類がものを言って、部隊の責任者とすぐに面会が叶った。
「ハイシティへようこそ。私はここの責任者のエッシャーという者です」
アシュレーたちが軍服姿の正規兵ではなかったせいか、応対してくれたローランド・エッシャー大尉はおおよそ軍人らしからぬ様子で、敬礼ではなく握手を求めてきた。大尉というのも階級章から窺い知れた事で、本人からは一切説明はなかった。
実際、エッシャー大尉の人となりはどこかの会計事務所の若い会計士か、ないしは公選弁護人を務める若手の法律家といった様子で、軍服姿にも関わらずおおよそ軍人らしくは見えなかった。そんな彼はミハルが持参した書面にしばし無言で目を通していたかと思うと、気さくな笑顔を向ける。
「まぁ、書面にはなんら不備はありませんから、協力するにはやぶさかではありませんが……やはり機密とあるからには、詳細はなにも教えてはいただけないのですね?」
「俺は別に構わないんだがな。大尉の方で、知っているとまずい事になるかも知れない」
「まあ、そういうことなら余計な詮索は控えておくことにします」
大尉は肩をすくめつつ、そのように返事した。アシュレーらを疎んじているようには見受けられず、どちらかと言えば機密任務という文言に心躍らせている素振りすら窺い知れた。
「ともあれ……この街のどこで何をしようとお二人の勝手ですけど、立入禁止区域には無断で入らないで下さい。どうしても、というときには我々が同行しますので」
「分かった」
「あと、銃器や弾薬のたぐいは可能な限り融通しますけど、市内で無闇に発砲しないでくださいよ? 別に警察任務が目的で駐留しているわけではないですが、調査団の留守の間に、住民との間に無用な揉め事は起こしたくありませんので」
「留守?」
「ええ。我々の本来の任務は遺跡区画の保全と、調査団の警護なんですけどね。今年は〈ブリザード〉が来るという風に気象予報官が予報を立てましたので、調査団は〈王都〉に一時退散ですよ。……丁度今期の資金も底をつきかけていたという話で、来期の予算獲得に向けても色々あるみたいですしね」
「なるほど。ところでその〈ブリザード〉というのは何だ?」
「この地方独特の気象現象ですよ。この街から向こうはもう自由国境地帯で、人の住める土地ではないのですが……その国境の向こうから、土地を汚染する毒素が季節風にのって、この街まで飛来してくるのだそうでして。何年かに一度の事ですし、本当に予報通り来るかどうかは分かりませんけどね」
「大尉は、遭遇した経験が?」
「前に来たのは七年前だそうです……自分はここに任官してまだ二年目ですから。まあ、過去の経緯から必要な装備はちゃんと揃ってますし、対応マニュアルも用意されてますから、そんなに心配はしてませんけどね。ただ七年前のは相当規模も大きくて、住民に死者も何人も出たっていう話ですし、用心に越したことは無いかと」
「いつ来るのかは、分からないんだな?」
「風向きの話ですからねぇ。ただ、住民は昔から独自にサイレンを鳴らして警戒はしていましたし、調査団の安全も考慮して、軍の方で観測センサを設置して早く警報が出せるように協力はしています」
なので、サイレンが鳴ったらどこでもいいので、屋内に避難して下さい、と大尉は告げる。
「それで……滞在の目的ってのは、やはり教えては貰えないんですよね?」
大尉の言葉に、ミハルが横からにべもなく言い放つ。
「今さっき、無用な好奇心は控えると申していたではないですか」
「いや、そう言いはしましたが、何かお手伝い出来る事があればとも思いまして」
「人捜しだ」
ミハルに睨まれてたじろいだ大尉に助け舟を出すように、アシュレーが答えた。
「それが誰で、何者であるかまでは詳しくは言えないが」
「人捜しですか……でしたら色々ご協力は出来ますよ。軍がここに駐留するようになって以降の、市内で起きた事故や事件等の記録は一通り揃っていますから、閲覧は可能です」
「警察任務は行っていないんじゃなかったのか?」
「……自分もそのように説明を受けた上でここに来ましたが、何故か業務マニュアルに組み込まれているんですよね。まあ、あくまで記録を取っているだけで、犯罪の捜査なりを行っているわけでもありませんから。必要に応じてマゼラヴィルに協力を要請する事になっていますが、私が赴任してからそのような対応をしたケースは今の所ありません」
「例えば、殺人事件が起きたりとか?」
「よしてくださいよ、縁起でもない。……もっとも、我々が警備している保全区画内の話なら別ですけどね。仮に侵入を試みるものがあれば、未遂に終わったとしても可能な限り身柄を確保し、処罰されることになりますので」
お二人であっても、ですよ? と大尉が念を押すので、アシュレーは分かった、と短く返事をした。
「あと、市内に診療所がありまして、そちらの方にも怪我や死亡などの記録がおおむね保管されているはずです。確約はできませんが、一応部隊の方からも協力が得られるようお願いはしてみます」
「そうだな。じゃあ、頼めるか?」
「何なら、うちの記録に関しては今ここの端末からアーカイヴにアクセスしてもらっても構いませんよ」
大尉はそう言って、キーボードと一体型の端末を差し出した。
ミハルには直接端末に接続する機能もあったが、エッシャー大尉を驚かさないようにという配慮か、彼女は指で直接キーボードを叩いた。死亡記録にアクセスし、年齢と性別で条件を絞っていくのを、アシュレーが横からのぞき込む。
「……身元不明、ってのはなさそうだな」
「そうですね。少なくとも氏名と居住地の記載はおおむね揃っているものばかりです。辺境域の未統治区域とは思えないです」
「彼女だったらここ一週間ほどの話だろうから、住民に同化している事はあるまい」
アシュレーたちがそう言っていると、横でみていたエッシャー大尉が口を挟む。
「……探しているのは、女性ですか?」
「何か、あるのか?」
「二日前に、身元不明の若い女性の遺体を回収したんですよ。まだ報告書が上がってきてないので、アーカイヴには反映されてませんけど」
「二日前だって?」
「診療所の方に、まだ遺体を安置したままになっているはずですよ」
「よし、じゃあそいつにまず当たってみよう。……と、その前に」
「何か?」
「エッシャー大尉、ひとつ折り入ってお願いがあるんだが」
アシュレーは何故か気まずそうな苦笑いを浮かべながら、実に言いづらそうに、その「お願い」を切り出した。
……何はなくとも、マゼラヴィルでアシュレーがミハルに出会ってからこっち、ずっと気にかかっていたのが彼女のその服装だったのだ。
今の白いブラウス姿が移動用のカモフラージュだったとして、手にした旅行鞄に軍服の一つでも入っているのかと思えば、そうではなかった。なのでアシュレーとしては、相棒として同道させるに当たってその点を真っ先に何とかしたかったのだ。
「かと言って……まさか駐留軍の兵士たちと同じ軍服を支給するってわけにも行きませんわな」
部隊の装備係の元を訪れ、その日の担当の係官にその旨を相談して、まず返ってきた答えがそれだった。
「それはまあ、確かにその通りだな」
アシュレーが軍人姿のミハルを連れて歩けば、そもそも秘密任務になりえないし、彼の行動を駐留軍があからさまに公認しているかのように見えるのもまずい。そもそも要所警備のための歩哨や巡察が主たる任務である駐留軍兵士の軍服は、どちらかと言うと実用性よりも見た目の威圧感を重視した意匠であるのは否めない。そんな服装をミハルに着せて連れて歩けば、目立つも目立たないもあったものではなかっただろう。
「通常勤務のとは別に野戦装備用の戦闘服もありますが、どうです?」
「市内を歩くのに逆に目立ってしまうのは、一緒だろうな」
「整備班の作業着はどうです? まあこれも紛らわしいと言えば紛らわしいし、それにサイズがあったかどうか……」
両方とも見せてもらったが、この姿で市内を歩き回れば兵士だと誤認されるおそれがあるのには変わりないし、住民にも何事かと思われる事だろう。駐留軍の兵士たちも規則には違反するだろうが非番の日に着る服などをどこかで入手しているはずだから、この街で服を売っている店を教えてもらった方が早いかも知れない。いっそのことマゼラヴィルを出る前に何とかしておくべきだったか、とアシュレーがぼんやりと考えていると、装備係が他の服を持ってきた。
「だったら、これはどうですかね?」
そう言って出されてきたのは、黒づくめの上下一式だった。広げてみたところ、何かの作業着というわけではなさそうだった。
「これは……?」
「あれの操縦用ですよ」
あれ、と言って装備係が指さしたのは、格納庫の片隅で威圧的な存在感を放っていた、巨大な重機のような乗り物――〈強化機動服〉だった。
服、といってもそれは人間の身体に全身を覆うように装着する強化装甲の一種だった。基本的には操縦者の動作をトレースする機構であるが故にそのような名称で呼ばれているのだったが、部隊に配備されていたそれはもはやそれ単体で装甲車くらいの大きさがある、大型の重機タイプの機種だった。
装備係が持ち出してきたのは、操縦者向けに〈強化服〉の急制動からくる負担に耐える事が出来る、専用のインナースーツだった。もちろん操縦者がそのまま白兵戦などの作戦行動に参加する場合も考慮して、ポケットなども一通りは揃っており、普通の野戦服として使用するにもべつだん不都合はない。無地柄のため上から何か上着でも羽織れば、そのまま街を歩いていても必要以上に人目をひく事もなさそうだった。
実際ミハルに着せてみると、身体のラインが割とはっきり分かるようなものだったが、ミハルは心もち満足しているようだった。衝撃から身を守ることが出来るように薄手ながらそれ単体でもしっかりとした強度があり、身体の動きも妨げないとあって、強化兵士である〈シミュラークル〉に着せるにはうってつけの代物だったのかも知れなかった。
装備係のみならず、駐留軍の若い兵士達はブラウス姿のミハルがその場に現れたときから興味津々で、インナースーツに着替えて出てきた時も彼女の姿にずっと見とれているありさまだった。決して愛想のいいミハルではなかったが、兵士達には好意的に受け入れられているようだった。
それもあってか、装備係は二人が持っていた銃にも弾薬を支給し、さらに必要なら銃器の貸し出しも行うと安請け合いする。
「まあ実際、思ってたより退屈な場所ですよ。最辺境での防衛任務だっていうから、どんな恐ろしい無法の街かと思ってみんな最初はビビってるんですけどね。いざ来てみれば、俺の田舎より呑気な場所ですよ」
そう言って、その場にいた兵士の一人が笑った。
情報省の機密任務で動いているというが役人でも軍人でもない、見た目で言えばただの流れ者にしか見えないアシュレーは単に部外者という以上に胡散臭い事この上なかっただろうが、兵士たちの側で必要以上に警戒したり疎んじたりという雰囲気は感じられなかった。
そういう目で見渡せば、部隊で見かける兵士たちはみな少年兵のように年若い者ばかりだった。士官であるエッシャー大尉で最年長と言ったところだ。大尉を除けば皆辺境域から兵役で集められた、純朴な若者たちだった。