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ホワイトアウト・シティ  作者: ASD(芦田直人)
第2章 アシュレー
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1 追跡者(その1)

 一台のバスが、屑鉄平原を一路ハイシティに向けて走っていた。

 最果てのハイシティへと向かう運行便は、そのバスが唯一のものだった。一番近くにあるマゼラヴィルの街と、ハイシティとを結ぶ往復便。

 もっとも、ハイシティの住人の多くは屑鉄平原を自由に闊歩する廃材回収業者で、残りはそんな廃材回収業者を相手に商売をしている者たちだ。どちらにしても用事があれば自分たちが所有する乗り物で好き勝手にマゼラヴィルまで乗り入れていたから、バスを利用するのはマゼラヴィル側の住人か、さもなくば旅行者のたぐいである。

 バスとは言っても屑鉄平原を走破するのだから、車体は頑丈だった。人が乗り込む部分は確かに箱型の客車らしい形をしていたが、下の車輪の部分はまるで重機のように頑丈で、巨大なタイヤがボディから大きくはみ出すように八輪もくっついている。建物の柱のように太いサスペンションをぎしぎしと軋ませながら、悪路をものともせずに突っ走っていく。

 無論、乗り心地はとてもではないが快適とは言い難かった。皆どこか疲れた顔のまま、押し黙って目的地に着くのをじっと待っていた。

 埃っぽい土地に住む者は身なりや佇まいもどこかくたびれているようで、バスの乗客も大体がそのような雰囲気だったが、中に一人だけ、明らかに雰囲気の違う者がいた。

 年の頃はおおよそ十九か二十歳といったところの、若い女性だった。まだ少女と呼んでも差し支えはなかったかも知れない。楚々とした白いブラウスに、黒っぽい丈の長いプリーツスカート。肩で切りそろえたまっすぐの黒髪に、地味なリボンで飾った編み目の細かい麦わら帽子をちょこんと乗せて、足元にはいかにも使い込んだ感じの合成革の旅行鞄を携えていた。

 彼女はぴっと背筋を伸ばした姿勢のままに、じっと窓の外を見やっていた。

「見えてきましたよ」

 不意の彼女の声に、それまで背もたれに身を預けたままの姿勢で居眠りを決め込んでいた、隣席の男が面倒くさそうに目を開けた。

 年の頃は二十代後半と言ったところか。若者と呼んでも差し支えはないだろうが、疲れたような眼差しは溌剌とした印象にはほど遠い。身にまとっている軍の放出品のいかにも重そうなジャケットもひどくよれよれで、それも彼の倦んだ心を表しているかのようだった。

 隣の少女に指し示されて、面倒くさげに窓の外をみやる。地平線の先にうっすらと、天に向かってそびえ立つ尖塔のような、威圧的なシルエットがかいま見えていた。

「あれが、ハイシティか」

「そのはずです」

 男の言葉に、少女が素っ気ない返事をかえす。

「やつはまだ、あの街にいるのかな」

「さて、それを私に尋ねられても。たどり着きもしないうちから推論など出来ません」

 やけにきっぱりとした態度で質問は却下されてしまった。アシュレーはそっぽを向いて、ため息混じりに降参した。

「悪かった。俺が悪かったよ。……ちょっと訊いてみただけだ。世間話も出来ないのか、お前は」

「申し訳ありません」

 口では謝っていたが、少女に悪びれたような節はほとんど見られなかった。

 連れ合いというにはまったく不釣り合いな二人だった。外見だけでいうなら少女の方は言ってみれば田舎町に赴任してきた新任の教師といった風情で、男の方は、ハイシティのような最果ての地に流れ着いてくるにはぴったりの、札付きで訳ありな人物に見えた。……年齢が逆であれば、不良生徒ぐらいには見えていたかも知れないが。


     *     *     *


 そもそも、その男――アシュレーが人探しのためにマゼラヴィルを訪れたときは、彼はたった一人で、誰も同行者はいなかった。

 探している相手とは個人的なつながりがあるわけではなかったが、そもそも彼はその生殺与奪を他人に握られている身であり、上からやれと命令されればそれに従うより他になかったのだが。

〈王都〉から遠ざかれば遠ざかるほど、街から街へ行き交うような旅行者の姿は減っていく。探す相手は大荷物を抱えている事もあって、足跡をたどるのは難しくはなかった。前にいた街でここマゼラヴィルに向かったと聞いて、そしてまたここマゼラヴィルにて、どうやらそのような風体の旅行者がハイシティに向かったらしい、という情報を得る事が出来た。

 問題は、そのハイシティにどう行けばいいのか、という事だった。人を雇って車両を出してもらうのでなければ、マゼラヴィルからバスに乗っていくしかないのだが、運行は不定期だという。バス停に時刻表はあったが、それはバス会社がまだ倒産する前のもので、まったくあてにはならなかった。運転手として雇われていた男が路線が廃止になるにあたって中古のバスを払い下げてもらい、荷物の配送や郵便も兼ねて、全くの個人の生業として路線を引き継いでいるのだという話だった。

 マゼラヴィルそのものは〈旧世紀〉から残る食糧プラントが今もなお稼働していて、近隣の街や村は大半がここで製造される食糧をあてにしている。とくにハイシティはそこよりも向こうがもう自由国境地帯で、畑を耕せるような土地ではない。食糧は基本的にすべてマゼラヴィルに依存しているという話だった。

 ならばこのマゼラヴィルが豊かな街かというとそうでもない。往来には昼間から戸口を閉ざしたままの商店も少なくはなかったし、職がないのか目的もなく街をうろついている若者たちもやけに目に付く。その割には人の往来自体はまばらで、全体的に活気と言えるような活気が明らかに欠けていた。働ける者はもっと〈王都〉に近い街へと出稼ぎに行くか、王国軍に志願して兵隊になるか、廃材回収の人足としてハイシティへ流れていくか、そのいずれかであるという話だった。

 そうやってバス停でぼんやりしていると、そこに一人の少女が姿を見せた。

 白いブラウスに黒のプリーツスカート。編込みの細やかな小さな麦わら帽子を苦労して目深にかぶり、手には使い込まれた四角い小さな旅行鞄を下げている。

 観光客だろうか? 旅行者ならアシュレーと同じ便でこの街に来た可能性も高いが、道中では見覚えがなかった。彼が街であれこれ人に話を聞いて回っている間に、その次の便ででもやってきたのだろうか。

 彼女は、先ほどアシュレーがバスの事を訊いたバス停にほど近い雑貨屋の店主に、何やら質問をしていた。まさか彼女も、ハイシティへ向かうつもりなのだろうか。

 若い女の旅行者。それはアシュレーの探し人も同じだったが、特徴は決定的に違っていた。彼女はもっと大きな荷物を抱えているはずだったし……そもそも以前に出会った彼女とは髪の色から髪型から、容姿がまるで異なっていた。

 そんな風に不躾に観察していると、彼女がちらりとこちらを向いたので、アシュレーは肩をすくめて視線を逸らした。

 バス停があるくらいだから表通りには違いなかったが、人通りはほとんど無かった。年老いた婦人が、ゆっくりとバス停の前を通り過ぎていく。

 その背後から、一人の若者がすたすたと老婆に近づいてくるのが見えた。そのまま追い抜いていくのかと思えば、彼は老婆の背後から手を伸ばして、小脇にかかえた小さな包みをそのまま強引に奪い去ろうとしたのだった。

 むしろ、その犯人がそのまま走り去ってしまっていれば、アシュレーは傍観者に徹していられた。だが老婆が包みを掴んだまま離さず、両者はしばらくもみ合う形となった。その場にはアシュレーと、旅行者の少女と、雑貨屋の店主という目撃者が三人もいた。自分の立場が不味くなったと知って、犯人は上着の内ポケットからナイフを取り出したのだった。

 切っ先をつきつけられて、老婆が驚いて悲鳴を上げる。

 傍目で見ていた雑貨屋の店主があっと心配げに声を上げる。アシュレーは無感動にみていただけだったが、少女が取り乱しもせずにそれをじっと観察していたのは、相当肝が据わっていると言えただろう。

 むしろ一番取り乱していたのは、ナイフを突きつけてきた男の方だったかも知れない。これはまずい、と思ったアシュレーは、やおら立ち上がって、もみ合う両者に相対した。

「婆さん、その鞄の中には、何か貴重品でも入っているのかい?」

「工場で働いている、息子の弁当が入っているだけだよ! 金目のものなんざ何一つ入っちゃいないさね」

「……だ、そうだ。ただひったくるよりも、ナイフや銃で脅したり傷つけたりした方が罪は重い。弁当ひとつじゃ、割に合わないとは思わないか? もし鞄を放して、そのまま黙って消えてくれれば、俺たちは皆、ここで起きた事は一切見なかった事にしてもいいが」

 そういって確認を取るように周囲を見渡す。誰も同意はしなかったが、反論の声も上がらなかった。ただ若者だけが、異を唱えた。

「う、うるさい! そんな口車に簡単に乗るかよ」

「じゃあ、どうするんだ」

「まず、お前が黙りやがれ!」

 そういって男はナイフをアシュレーに向ける。恫喝するつもりだったのだろうが、そんないとまも与えずにアシュレーはずかずかと歩み寄って、おもむろにナイフを持つ手首に掴みかかろうとした。

「……!」

 慌てた男は、アシュレーが伸ばしてきた腕にとっさに切りかかる。手首が切り裂かれるに任せたかと思うと、アシュレーはもう一度同じ手を伸ばして、今度は男のナイフの刃先を無造作につかんで、そのままぎゅっと握りしめた。

 アシュレーもまさか痛くないわけではないが、眉を少しひそめただけで、大げさに痛みを訴えるような事もしない。落ち着き払った彼の態度に、男は動揺して思わずナイフから手を放してしまった。

「……どうだ、気が済んだか?」

 アシュレーがひとにらみすると、男は泡を食ってその場から逃げ出した。鞄も放り出して、ナイフもアシュレーの手に残したまま。

 被害者であるところの老婆も、その光景を呆気に取られてみていた。アシュレーはただ一言、こう言っただけだった。

「これで一件落着だな」

 そういうとアシュレーは血の付いたままのナイフを畳んで、バス停のベンチに戻ったかと思うと、誰も相手にしたくない、という様子でまた背もたれに身を預けて目を伏せた。老婆はアシュレーの傷を案じるでもなく、ただ気味の悪いものを見るように一瞥して、鞄を拾い上げてそそくさと去って行く。

 それを横目で見送ると、アシュレーはそこで初めて自分の傷の具合を確かめた。刃先を握りしめた手のひらと、切り欠かれた手首と、二条の刃創がありありと残されていた。だがそんな傷口をじっと見つめながら意識を集中させると、出血はすぐに止まり、みるみるうちに傷口は勝手に癒着していく。

 さすがに、遠巻きに成り行きを静観していた雑貨屋の店主もこれには泡を食って、自分は何もみていない、という調子で店内にそそくさと引き下がっていった。その慌てぶりに、アシュレーは思わず笑ってしまう。

 そう言えば、あの少女はどうしただろう? そう思って振り返ると、彼女はいつの間にか、彼のすぐ目の前に立っていた。

 黒い瞳でまっすぐに見据えられて、アシュレーは思わず口にしてしまった。

「ミハル……?」

 果たして――。

 何故、その名前を口にしてしまったのか。


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