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ホワイトアウト・シティ  作者: ASD(芦田直人)
第1章 ノイエ
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3 遭遇(その1)

 その後、汚れをすっかり落として小ざっぱりとしたなりのノイエが工場に戻ってきて、エルはようやく食事にありつけた。何故かジョッシュとフランチェスカまでも一緒に食卓を囲んでの遅い夕食だった。

 空腹を満たしたエル・グランは、日も落ちたというのに明日を待たずに早速作業にとりかかるのだった。

 屑鉄平原には、〈旧世紀〉の古い機械があちこちに埋もれている。それは破損が酷かったり、土砂に埋まって状態がよくなかったりするものが大半だったが、修理したり軽整備だけで動くような程度の良いものも中にはあった。その一方で、それが本当に機械なのかどうかすらこの時代の人の感覚では分からないようなものも見つかっており、動く動かないに関わらずそういった類のものはすべて〈王都〉の方に引き取られていくのだったが、売るにしても価値が分かっているかいないかで値段は大幅に変わってくる。〈グラン・ファクトリー〉は作業機械や車両の修理や整備などごく一般的な仕事を手がける一方で、こういった発掘機械の取り扱いを親子二代に渡って手がけている、数少ない工房だった。

 エルの父ロジェ・グランは名の通った整備技師だった。だがその熟達の技は、娘のエルにしか受け継ぐ事が出来なかった。……彼は手がけた発掘機械に関しての手引きを手書きのノートで丁寧にまとめていたが、残念ながらかなりの悪筆家で知られた彼の文字は、結局娘のエルにしか判読出来なかったのである。

 そしてエル・グランは、技師としての腕前こそ父親譲りではあったが、一体誰に似たのかその性格は極めてむらっ気でずぼら、父のノートをいちいち他人が読めるように丁寧に清書するような手間はかけない人間だった。代わりに一度ノイエが挑戦したもののまともに字が読めないのであっさりと断念してしまった。七年前にノイエを拾ってこの工場に連れてきたのが、他ならぬ父ロジェ・グランその人だったのだが……。

 工場建屋の一階部分、表側の作業場のその奥にエル専用の作業場がある。運び込まれた発掘機械については大概がこの奥の作業場の方での作業となる。

 作業に夢中のときの彼女はとにかく寝食のリズムなどまるで無視、という状態である。すぐ上が住居なのに、作業場に毛布を持ち込んで、腹が減ったら食い眠くなったら眠るというありさまだった。なのでいつもであればノイエは夜食を準備するとさっさと就寝してしまうのだったが、その晩は初日ということもあって最低限やっておくべき準備がいくつかあり、ノイエも食事のあと休憩を挟みながらも夜遅くまで手伝っていたのだった。

 これを発掘した業者にはとにかく余計な手出しをしないように言ってあるから、いつも泥まみれ、砂まみれのままここに持ち込まれる。まずはそれを丁寧に洗浄するところから作業は始まる。泥を全て落とし、作業中に内部に紛れ込むことがないように落とした泥を作業場からも一掃する。この一連の作業はエルの苦手とするところだったのでノイエが担当するのだったが、そこで少年がうっかり壊してしまうようなことはないにせよ元々破損している箇所が露呈することもあり、その時はエルが状況を判断する必要があるので、外観の確認を兼ねてエルも付きっきりで作業に立ち会い、逐一指示を出していたのだった。

 発掘機械は大概はその外観は美しい外殻に覆われており、見た目では何に使うものなのか想像もつかないものが多かった。今日持ち込まれてきたものも、外観は機械めいたごてごてしたものはまるでなく、つるんとした楕円の白い円筒形だった。泥をすっかり落としてみれば、表面は磨き上げられたように光沢を放っており、機械油に汚れた手で触っても指紋すらつかない。

 こういうものを普通につくり、使っていたのが〈旧世紀〉という時代だったのだ。作業のたびに、エルはいちいちその事実に感心させられずにはいられなかった。

 エル自身は幸い経験したことは無かったが、発掘のさいの衝撃などで内部にダメージがあった場合、工場に持ち込まれた時点で発火などの事故が発生する可能性もあり、初日の準備に気が抜けないのはそれが一番大きかった。外から確認して異音がしないかなど用心しながら、外殻パネルで取り外し出来たり開閉出来たりする部分がないかを、慎重に確認していくのだった。

 彼女がそうしている間に、ノイエは床に残った泥汚れを丹念に掃き出していく。床がきれいになってしまえば、次は仮眠用の毛布を持ち込むなど細々とした雑用を済ませ、あとはエルに任せて今日の仕事はおしまい……という丁度そんな頃合いであった。

 ふと気が付けば、どこかからひたひたと水か何かが滴り落ちるような音が聞こえてくるのだった。

 機械からの液漏れをまず疑ったのはエルだった。いかにも技師らしい反応だったが、下回りを覗いてもなんら異変はない。強いて言えば雨音のようにも聞こえたが、その日雨は降っていなかった。

 では、何だ? エルとノイエはお互いの顔を見合わせるのだった。

 だが気のせいで済ませるわけにもいかない。とくに機械に起因する物音である場合は放置するわけにもいかず、彼女はもう一度躯体を入念にチェックし、その後作業場をぐるりと見回す。

 そこで彼女は部屋の片隅に、水たまりが出来ているのを見つけた。

「雨漏り……?」

「まさか」

 しかし、見上げれば水は確かに天井からしたたっていた。ぽたり、ぽたり、ゆっくりと落ちてくる水。

 一体何故そのようなところに水たまりが、といぶかしんでいられたのはそこまでだった。

 天井板の隙間から滴っていた水滴は、次第にその勢いを増しとろとろと流れ出してくる。結構な量が床に落ちたが、飛沫が四散するでもなく、ゆっくりと大きな水たまりが広がっていくのだった。それを見れば、さらさらとした水ではなくある程度はとろりと粘度のある液体であることが窺い知れた。

 二人は唖然としながら天井を見つめる。建屋の二階はエルの住居とノイエのアパートがあるばかりだ。何かしらの配管が破損したという事だろうか、と現実的な回答を得て、エルは渋い顔を見せた。作業場の頭上がこんな状況では作業に差し支える、早急に補修するなりしないと――。

 だがそのような簡単な結論ではないことを、二人はすぐに知った。

 何故なら、水たまりの表面が、何もないのに不意に波紋を描いたから。

「……!?」

 ノイエは目を見張った。

 上を見ると、天井からのしたたりはすでに止まっているように見えた。波紋は水滴の落下によるものではなく、また波の立ち方も落滴によるものには見えなかった。強いて言えば自然の湖水が風でなびくように、水たまりはやけに賑やかに波打って見せているのだ。

 そう、それはまるでノイエやエルに、不可思議な事象を敢えて自ら誇示しているかのようにすら見えた。

 さらに不思議な事に、二人が見ている前で、水たまりはするするとその面積を縮小させていく。水が床にこぼれる様子の、記録映像の逆回しを見ているように、水たまりはどんどん収縮していって……代わりにそれなりに高さ方向にボリュームのある、丸いかたまりへと変貌していったのだった。

 ノイエは息を呑んだ。エルも、取り乱すことすら忘れていた。

 透き通ったままゆらゆらと揺れているさまは、確かに液体には違いないのだろう。それが重力の法則に逆らって、固形状に丸く固まっているのだ。異常な光景、などとわざわざ言うのも馬鹿馬鹿しいくらいに、奇妙な、あり得ない光景だった。

「ね、ノイエ……どうしよう。どうしよう、ね、ノイエってば」

「わ、分かんないよ。……ちょっと、引っ張らないでってば」

 エルはノイエの細い肩にすがりついて、彼の背中に隠れようとするのだった。成長期のはずなのに発育のあまりよくない少年の体格では、まだまだ女性とはいえ大人のエルには適わない。遮蔽物としてはこんなに不向きなものもなかったから、見た目には滑稽なやり取りだったかも知れないが、当人達にそれを自覚する余裕はまったくなかった。彼女が裾をぎゅっと掴むものだから、肩の辺りがずり落ちそうになっていた。

 そうこうしている間に、水のかたまりはさらに怪しい蠢動を開始していた。柔らかいクッションが自律的に動いているかのように、縦に横にと幾度となく伸縮を繰り返す。

 何度かそんな運動を続けるうちに、やがて形状に変化が生まれていくのがノイエには分かった。

 水たまりの表面から、ぬっと突起が突き出てくる。その先端がまるで人間の握り拳のような形をしている。まるで、ゴムか何かの薄い皮膜の向こう側に本当に人間が隠れていて、拳をぎゅっと押しつけたような、そんな光景だった。

 だがもちろん、そこに人間が隠れ潜む余地などはない。

 その拳だけではない……水たまりは透明度を徐々に失っていって、代わりに同じように奇妙な突起や隆起やくぼみが、生まれては消えていく。無規則な怪しげな蠢動を繰り返しているように見えて、そのかたまりはやがて意味を成す形らしい形へと変容を遂げようとしていたのだ。

「人だ……」

 ノイエが、ぽつりと呟いた。

 少年が言うように……自律して動く謎のかたまりは、やがて生き物か何かを薄い皮膜で覆って封じ込めたかのような様相を呈し始めていた。まるで中にいる生き物が、そこから脱出しようともがいているように見えた。

 そして……そんな心証が、次の瞬間現実になった。皮膜の一端に裂け目ができたかと思うと、そこから本当に手のような形状をしたものが突き出されて……皮膜をびりびりと引き裂き、押しやるかのようにして、中から四肢を持つ生き物のようなかたまりが、ごろりと出てきたのだ。

「ひっ!」

 悲鳴をあげて後ずさったのはエルだった。ノイエに夢中でしがみつくあまり、少年の首をいつの間にか羽交い締めにしてしまい、少年は別の意味で難儀する事になったが、それはそれ。

 皮膜の破れ目から、まるで羊水のように水が――今度はただしく重力の法則に従って床にこぼれ落ちた。被膜の破れ目から這い出てきた生き物のようなかたまりは、床に無造作に身を投げ出していた。

 ぐったりしたまま身動きしない、と思っていたら、それは不意にこちらに向けて、その半身をゆっくりと起こしたのだった。

 ノイエがもらした所見が、あながち間違いではなかったことが見て取れた。まるで粘土をこねて人型の塑像でも作り上げようと、まずは人の形に大まかにシルエットをこしらえて見せた……というような、どこか曖昧な形状ではあったが、四肢のバランスは確かに人間のそれっぽくは見えていたのだった。

 その生き物のようなかたまりは、自分の身体を支えきれないのか、もう一度地面に手のようなものを着いて、這いつくばるような姿勢になった。

 そうやってもがき、のたうち回っているさまを、ノイエもエルも、ただ呆然と見ているより他になかったのである。

 言葉もない、とはまさにこの事だった。

 その生き物のようなものの曖昧な形状は、さらに蠢動を繰り返し形を整えていく。漠然とした手足のようなものが、やがて骨格や筋肉をきちんと伴った、実際的な形状へと変貌していくのだった。

 本来の生命の誕生プロセスとはまるで似ても似つかぬものであったが……ノイエ達が目の当たりにしているのは、確かに人間のような形状を持った何かの、誕生の経緯であった。やがて出来上がった、すらりとした手足や、優美な身体全体のシルエットは……グロテスクな怪異というには、あまりにも見事な造形だった。

「女の子……だよね?」

 ノイエが少し緊張した声でエルに問う。何故かと言えば、彼らの目の前にいるそれは、いつの間にかノイエと同じような年格好の、一人の少女の姿に変容を遂げようとしていたからだった。

 肌は透き通るように真っ白、濡れてべったりと貼り付いているとは言えきらきらとしたプラチナシルバーの髪が頭皮を覆っていた。最初はやけにふらついていたが、やがてバランスをとる事を覚えたのか、半身を起こしたまま、淡い空色の瞳が焦点を結んでいるのかいないのか、ぼんやりとノイエたちの方を見やっていた。

 それでも長い時間姿勢を保持するのも難しいのだろう、膝立ちのまましばし直立していたかと思うと、結局は身を崩して床に手を突く。優美にしなるその身体のカーブは、グロテスクな怪物のそれとは到底見えなかった。

 ノイエもエルもしばしそんな光景に、ぽかんと口を開けて見とれていたのだが……そこまでのいきさつを目の当たりにした今更になって、エルはふと我に返った。

「こ、こら、ノイエ! あんまりじろじろ見るんじゃないのっ」

 そう言って、自分の正面に立つ少年の視界を手のひらで覆い隠す。

 エルがそんな風に慌てたのも無理はなかったかも知れない。目の前にいる少女――に似た何かは、一糸まとわぬ裸身を惜しげもなく二人の前に晒していたのだから。

 彼女が慌てる理由も分からないでも無かったが、背後から急に視界を覆われれば、多少は狼狽しないこともなかった。そんな風に二人が急に慌てふためいた様子が、目の前にいる少女を驚かせてしまったようで……彼女は怯えたように警戒感を示したかと思うと、不意に部屋の片隅にまで一足飛びに後ずさった。

 警戒しきった眼差しで、彼女はしかと二人を見据えていた。

 少女の姿をしているとはいえ……それは得体の知れない未知の存在には違いなかった。その姿形がエルやノイエにとって脅威と映る事はなかったが、動向に関しては慎重にならざるを得ないだろう。エルもノイエとじゃれている場合ではないと思ったのか、少年の目隠しを不意に解いた。

 そして、部屋の片隅にあった毛布にゆっくりと手を伸ばした。エルがこの作業場で仮眠用に使うためのもので、ついさっきノイエが新しいものを用意してくれたばかりだった。

 警戒感も露わな少女が危険な存在には見えなかった。むしろ裸のままで怯えて震えているさまが、エルの目には可哀想に見えなくもなかったのだ。彼女は手にした毛布を広げて、少女の方にそっと歩み寄っていく。

「エル……?」

 ノイエが恐る恐る呼びかける。気をつけろ、と促したつもりだった。

 うん、とかすかに頷いて、エルは忍び足で少女に近づいていく。その様子はまるで犬だか猫だかを投網で掴まえようというかのようにも見えたかも知れない。

 案の定、少女はより強い警戒感を示したかと思うと、毛布を手にしたエルの脇に素早く回って……一足飛びに壁に向かって飛んで、その壁を両足で蹴ってエルの背後に回ったのだった。

 そんな少女が着地した位置の、その目の前に、ノイエが立ち尽くしていた。

 その場にもう一人人間がいることに気付いていなかったわけではないのだろうが……着地のさいに少しよろめいたところを見ると、まだ身体を動かす事には慣れていないのかも知れない。彼の目の前に立ったのも、狙ってやったことではないのかも知れなかった。

 ノイエを前に、少女は一瞬より強い警戒の色を見せたかと思うと……次の瞬間、意外そうに驚いた顔を見せた。

 それは、思わぬ危険を察知した驚きとは少しニュアンスが違っているように見えた。少女はノイエを見やって、敵意を一瞬忘れたかのような表情になったかと思うと……不意に口走った。

「イゼルキュロス」

 そのたどたどしげな言葉に、ノイエもエルもはっとして、お互いに顔を見合わせた。

 二人がはっとした理由は多分同じだっただろう。何せ少女が口をきけるなどと、思っても見なかったのだ。


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