イジワル騎士の一途な恋情〜幼馴染がこんなに鈍いなんて聞いてない!〜
先週公開した『イジワル騎士が本気の求愛〜幼馴染がこんなに情熱的なんて聞いてません!〜』が好評でしたので、勢いでシリーズ化を宣言後の一作目となります。
元になったお話の、ヒーロー視点のお話ですね。
元々こんなに広げる予定ではなかったので、後から設定がかなり多くなっておりますが…前作との食い違いなど見つけましたら、遠慮なくツッコミください!
お楽しみいただけると嬉しいです^^
幼い頃からレティーシャは、俺にとって妖精のような少女だった。
ささやかな悪戯が大好きで、好奇心旺盛。
本人は嫌いだと文句を言っていたけれど、光に透かすと夕陽の色にも見えるテラコッタ色の髪は、いつでもさらさらと風に揺れていてとても綺麗だ。
いつでも興味深そうに何かを見つめるそのエメラルドグリーンの瞳は、まるで宝石でも嵌め込んでいるのではないかと感じてしまうほど、いつでもキラキラと輝いていた。
親に連れられ、初めて1歳のレティーシャと対面したとき、俺は妖精が目の前に現れたと信じて疑わなかった。
それくらい彼女は愛らしく、誰にでも笑顔を振りまく女の子だったからだ。
まだおぼつかない足元をぐっと踏み締めて、一歩一歩確かめるように歩くその姿は、俺の中にある庇護欲を大きくくすぐった。
慌てて駆け寄って手を繋いだとき、レティーシャが初めて向けてくれた笑顔を、俺は一生忘れないだろう。
「あいっとー!」
「あい、と?」
「ありがとう、ですって。優しいお兄ちゃんができてよかったわね、レティ」
「………この子、レティっていうの?」
「そうよ。レティーシャ・ハウエル。仲良くしてくれると嬉しいわ」
———レティーシャ。レティ。
口の中で転がすように繰り返し呟いた名前は、その日から俺にとって特別なものになったのだ。
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そうしてランスロットがレティーシャと出会ってから、数年。
年齢を重ねて大きくなってからも、ランスロットの中の感情が薄れることはなかった。
幼い頃は二人で絵本を読んだり、一緒にお絵描きをしたりして遊んでいたけれど、次第に外で遊べる年齢になってくると、レティーシャはそれに比例して活発で明るい女の子に育っていった。
また、レティーシャは頭も良く、ランスロットがふと言った言葉を常に覚えていて、次に会う時まではその言葉の意味を調べて、得意げに教えてくれる。
そんなところもまた可愛いと、ランスロットは微笑ましく思っていたのだ。
時間が空いた日には必ず二人で予定を合わせ、お互いの家を行き来していろんなことをした。
晴れた日にはお弁当とおやつを持って庭を散策し、木登りをして、追いかけっこをした。
雨が降れば室内で宝探しをして、スケッチをして、下手くそなレティーシャのピアノをからかって。
笑って、怒って、泣いて。笑って、笑って、笑って。
ランスロットの中で、レティーシャは唯一無二の友だちだと。
こんな日がずっとずっと、永遠に続いていくのだと、そう信じていた。
そんな二人の関係が最初に変化したのは、ランスロットが11歳の時。
『そろそろ、レティの婚約者を探さなければ』
そんなことを、レティーシャの父親が言い出したのがきっかけだった。
通常、子爵家の令嬢がこんなに幼い頃から婚約者を探すことなどあり得ない。
しかしハウエル子爵家にはその時点で後継ぎがおらず、このままではハウエル家が途絶えてしまうのではと危惧した彼女の父が、婚約者をつけることを決意したらしい。
ハウエル子爵夫人が、身体の弱さからこれ以上の子供は望めないと医師に診断されていたことも、この決断を後押しする要因になっていたように思う。
とにかくその話をランスロットの父から聞かされたとき、ランスロットはかつてないほどの焦燥感に襲われていた。
(レティーシャが、婚約?あの子が誰かと、結婚するってこと?)
「へえ、あのレティーシャ嬢が?あの子まだ6歳とかじゃなかったっけ?」
「まあ、あそこには後継ぎがいないからな。焦りもあるんだろう」
「そうか……じゃあランスも寂しくなるな」
「?どうして?」
「婚約者ができたら、もう滅多に会えなくなっちゃうだろ?」
「………え…?」
レティーシャの婚約、という言葉に驚いて思考停止している間にも、家族の中で一つの世間話としていろんな情報がもたらされる。
中でも衝撃的だったのは、二番目の兄が口にした「滅多に会えなくなる」の一言だった。
これまでずっと、レティーシャの隣にいたのは自分だったはずなのに。
これから先も、彼女の隣で一緒に笑うのは自分だけのはずだったのに。
ぎゅうっと、心臓が絞られるような痛みに襲われ、無意識にぐっと胸元を握りしめる。
痛みを堪えるように眉を顰めたら、隣に座っていた父が、ぽん、と肩を軽く叩いた。
「………ランス。お前、レティーシャの婚約者に立候補する気はないか?」
突然の父の言葉に、ランスロットは一瞬思考が止まる。
なんとか顔を父の方に向けると、ランスロットと同じように目を丸くしている長兄たちの姿が、視界の端に映った。
「……へ?何言ってんだよ、父さん。ランスは三男坊だけど、侯爵家の人間だぞ?それが、子爵家令嬢の婚約者だなんて……」
「ランスは、このまま大きくなっても継げる爵位がない。侯爵位はルークが継ぐし、もう一つ持っている伯爵位はヘンリー、お前のものになるだろう。では、ランスは?」
「…………」
「子爵位、という爵位だけで見れば、確かに地位は低い。しかし、ハウエル家は元々由緒ある家柄だし、こちらも侯爵位とは言え三男だ。釣り合いが取れていないということはないと思うが」
どうする?という目で見られ、ランスロットは急に視界が開けた心地を感じていた。
婚約者になれば、今まで通りの関係でいられる。
ずっとずっと、レティーシャの隣にいることができる。
———この時ランスロットが頷いたことで、二人は婚約者となることになったのだ。
この時、半ば勢いで婚約を宣言してしまったことにランスロットが後悔し始めたのは、14歳の頃のこと。
国立学園に入学したことで、一気に会う回数が減ってしまったのは寂しかったが、それよりも当時のランスロットは、とにかくレティーシャから離れたい、という思いを抱えていた。
とは言え、ランスロットの中でレティーシャを大切に思う気持ちが薄れた訳ではない。周囲の目がランスロットを惑わせていたのだ。
学園に入ると、これまでとは比べ物にならないほど多くの令息・令嬢たちと関わることになる。
そこでランスロットは初めて、その年齢で5歳も年下の子と、しかも子爵令嬢と婚約している自分が珍しい存在なのだと知った。
思春期特有の集団意識の中で、ランスロットは次第にレティーシャとの婚約が疎ましいものだと思うようになっていた。
婚約を決めたのは自分であるにも関わらず、だ。
でも、だからこそ簡単にランスロットの方から婚約をなかったことにするなんて言い出せない。
そんな板挟みで悶々とした思いを抱えていた当時のランスロットは、レティーシャにくだらない意地悪をすることで発散するようになっていた。
それは、年上であることの矜持を少しでも持っていたい、という、ちっぽけなプライドを守るための行為だったのかもしれない。
「ランス、久しぶり!」
「ああ、いたのか。チビレティ」
「なっ、チビじゃないわ!前に会った時より背も伸びたのよ!」
「うるさいな、チビはチビだろ」
そうやって斜に構えて笑ってみせることで、どうにか自分の中のモヤモヤと折り合いをつけていた。
それでもやっぱりレティーシャと一緒にいるのは楽だし、心が休まる。
学園の中で繰り広げられる、貴族同士のつまらない派閥争いや気遣い、見栄、自慢。そんなものに、ランスロットは知らず疲弊しきっていた。
でも、レティーシャのそばにいればそんな気遣いはしなくて良い。
深く呼吸ができるのは彼女の前だけだと本能的に分かっていたから、ランスロットはどんなに憎まれ口を叩いても結局レティーシャのそばを離れなかったし、レティーシャもランスロットへの態度を変えることはなかった。
そうやって、むずむずするような心地を味わいながら逢瀬を重ねること、三年。
ランスロットにとって、人生を大きく変える一日が訪れた。
それは、ランスロットが17歳の春。レティーシャが12歳を迎えた、誕生日パーティーに出席した日のことだ。
ランスロットは卒業に向け、学園での日常がどんどん忙しくなっていて、レティーシャを目にするのは半年ぶりとなっていた。
婚約者らしく手紙のやり取りはしていたものの、恋人らしい内容など一切なく、親しい友人に向ける以上のものなど当然ない。
だから、レティーシャにここまで圧倒的な変化が訪れているなんて、思いもしていなかった。
パーティーには、何人か学園の同級生も出席しており、少し居心地の悪い思いをしながらも彼らと会話を楽しんでいた。
「そういえば、ランス。ここの令嬢が君の婚約者なんだっけ?」
「そうそう、確かまだ相手が6歳の時だろう?」
「ま、まあ………」
「君も大変だな、三男なんかに生まれたせいでさ。爵位のためにお子様令嬢なんかに媚びへつらうなんて」
嘲笑が透けて見える、くだらない形だけの気遣いの言葉。
もう何年も周囲から言われ続けたその言葉にうんざりしていたまさにその瞬間、彼女はやってきた。
「ランス!来てくれたの?」
聞き慣れたレティーシャの声に振り向いたランスロットは、そのまま言葉を失うことになる。
そこにいたのは、面影はあるもののまるで別人となってしまった、とても可憐な令嬢だったからだ。
すらりと伸びた背に、長い手足。
細身の体の上に乗った顔は、びっくりするほど小さい。
レティーシャ自身がコンプレックスに感じている、背中まで伸ばされたテラコッタ色の髪だって、毎日綺麗に梳られてツヤツヤだ。
身につけている水色のドレスが輝いて見えるのは、ところどころに縫い付けられているビーズのせいだけではないはずだ。
肩がむき出しになったそこからは白い肌が惜しげもなくさらされていて、今すぐどこかに閉じ込めてしまいそうな衝動に駆られてしまう。
11年前にランスロットが妖精だと信じて疑わなかった幼子は、会えずにいた半年、たった半年の間に、どうやら天使になってしまったらしい。
突然の主役の登場に、ランスロットだけでなく友人たちも言葉を失っている。
ランスロットも、あまりに変わってしまったレティーシャに呆気に取られていたが、そんな様子に気づいているのかいないのか、レティーシャはぷぅっと頬を軽く膨らませ、ランスロットの隣に並んで腕を絡ませてきた。
「こちら、ランスのお友だち?」
「っ、あ、ああ」
「あら、そうなの?初めまして、レティーシャ・ハウエルと申します。本日はわたくしのために、はるばるお越しいただきありがとうございます」
そう言って見事なカーテシーを見せたレティーシャに、友人たちが慌てて礼を執る。
その顔がほんのり赤く染まり、レティーシャに心を奪われた様子に、なぜか苛立ちを隠せなかった。
「いやあ、驚きました。レティーシャ嬢がこんなに可愛らしい方だとは知りませんでしたよ」
「ふふ、お上手ですね」
「本当です、よろしければ是非、この後ダンスでもいかがですか?」
これまで散々『お子様』だと馬鹿にし続けてきたことなど忘れたのか。
平然とレティーシャの手を取ろうとする彼らを遮るように一歩前に立ち、ぎろりと上から睨みつける。
ランスロットの威圧にひくりと頬を引き攣らせたが、それでもまだ引く様子は見せない。
不快感を露わにして口を開こうとしたランスロットを引き留めたのは、レティーシャの一言だった。
「お誘いありがとうございます。ですが、わたくしはまだ12歳の『お子様令嬢』ですので。もっと皆さまに相応しい方にお声がけくださいませ。それにわたくしは、優しい婚約者がお相手してくれますから」
「っ!」
「では皆さま、パーティーを楽しんでくださいましね。いきましょ、ランス」
「っ!あ、ああ………」
レティーシャの辛辣な一言に呆気に取られている彼らには目もくれず、レティーシャはランスロットの腕をとって颯爽と歩いていく。
しかし、その肩にはいつもより幾分力が入っていて、彼女が相当怒ってくれているのだとわかった。
たったそれだけのことなのに、例えようのない感情が胸の内に迫り上がってくるのを、ランスロットは震えそうになるのを堪えながら感じる。
叫び出したいような、飛び上がりたいような、でもその場にうずくまってしまいたいような、そんな気持ち。
(……やばい、これ。なんだ、この感じ………!)
「……もう、なんなの!あの人たち!!」
ずんずんと、それこそ令嬢らしからぬ勢いで歩き続けていたレティーシャがぴたりと足を止めたのは、招待客は入って来られない中庭まで辿り着いた時だった。
つい数分前まで、どこの高貴なご令嬢だろうと思っていた女性は、もうそこにはいない。
その美しさや気高さが損なわれた訳では決してないが、眉をキュッと吊り上げ、今にも地団駄を踏み出しそうに怒りを露わにしていたのは、ランスロットが慣れ親しんだ『幼馴染』のレティーシャそのものだった。
「私を『お子様令嬢』って馬鹿にするのはいいとして、ランスに対するあの言い様はなんなの!?」
口にしながらどんどん悔しさが増しているのか、拳を握りしめてふるふる震えている。
ようやくいつものレティーシャに会えた気がして、先ほどまで感じていた怒りもどこかに消えてしまう。
改めてレティーシャの変わり様に見惚れてしまっていたランスロットだったが、あまりにも顔を真っ赤にしてぷりぷりしている様子が可愛くて、思わずふはっと噴き出してしまった。
「ちょっとランス!笑ってる場合じゃないでしょう!?」
「は、はは…!悪い、つい……ふ、ははっ」
「笑わないで!ランスのために、私すっごく頑張ったのに!」
「だって…さっきまでお前、どっかのお貴族様みたいだったから」
「あ、あれは…っ!お父様が今日くらいそうしてろって!」
「は、似合わねー」
「た、大切な友達が貶されてるの、黙ってられなかったのよ!!」
けらけらと笑いを止められずにいると、自分でもらしくないことは自覚していたのだろうレティーシャが、大きく頬を膨らませる。
その様子にも何故か安堵して、ランスロットは知らず目元を赤らめたまま、ぽんぽん、とレティーシャの頭を撫でた。
「いいんだよ、あんなの言わせとけば」
「だって………!」
「事実だし。このまま侯爵家にしがみついたって、俺に受け継ぐ爵位なんてないんだよ」
「っ……でも、この婚約はお父様同士の口約束じゃない!ランスが決めたことじゃないのに!」
(違う。そうじゃない)
この婚約は、親同士が勝手に決めた話じゃない。
ランスロットが望んで、そうしたことだ。
ずっとレティーシャのそばにいたいと願った11歳の少年が、身勝手に取り付けた約束。
「………いいんだって。これで、良かったんだ」
「でも………!」
「もう良いって。………ありがとうな、レティ」
そう言って、ランスロットがレティーシャの肩を抱き寄せる。
そのままあやすようにぽんぽん、と背中を叩いてやると、ようやくその身体から力が抜けた。
すっぽりと腕の中におさまったレティーシャは、先ほどの威勢など感じられない程華奢な体をしている。
おまけに、惜しげもなくさらされているうなじから、なんだかとても良い香りがする。
くらくらするような心地を感じながら、ランスロットはぎゅっとその身体を抱きしめた。
慣れ親しんだはずの体温だったはずなのに、その熱が今は別の感情を引き起こす。
その瞬間、ランスロットの心の中で、ぱちっと音を立ててパズルのピースがはまった気がした。
(———ああ、そうか)
幼いレティーシャと駆け回っていたときも。
レティーシャの婚約話に、信じられない程狼狽えてしまったのも。
珍しい婚約をどれだけ揶揄われても、レティーシャから離れられなかったのも。
全部全部、彼女が好きだったからだ。
「っ!ラ、ランスっ?」
腕の中で明らかに慌てているレティーシャを、心から愛しく思う。
その気持ちを誤魔化すように、レティーシャの身体をがっちりと羽交い締めにして、にやりと不敵に笑った。
「隙あり」
「なっ!」
「ほら、抜けてみろよ。お転婆レティ」
「ちょ、いた、痛いっ!ランス!もっ………ふ、あははっ!ちょ、こ、降参!降参だって!」
そのまま脇をくすぐると、先ほどまでの困惑した表情を一変させて、快活な笑い声をレティーシャが上げる。
気まずい空気が霧散したことに安堵して、ぱっとランスロットは身体を離した。
「っし、じゃあ行きますかね。お転婆姫?」
そう言って恭しく右手を差し出してイタズラっぽい視線を向けると、呆れたようにため息を一つ吐き、高慢そうな笑みを浮かべてレティーシャがその手を取る。
「よろしくってよ、ランス」
その返事に二人でくすくすと笑いながら、会場へと足を向けながら、ランスロットは一つの決意を胸に定めた。
例え彼女が、自分のことを『友人』としか見ていなかったとしても。
(絶対、振り向かせてみせる)
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そうして、ランスロットは人生の舵を大きく切ることになる。
それまでは、子爵家の領地を経営していくための勉強に重きを置いていたが、騎士団への入団を決めたのだ。
元々筋の良かったランスロットは、以前からずっと騎士団入団の誘いを受けていた。
それを断っていたのは、騎士団に入団したところで結婚すれば領地に引っ込まなければならなくなるだろうと思っていたからだ。
しかし、それでは本当に自分は、爵位のためだけにレティーシャと結婚することになってしまう。
そんな風には思われたくなかった。何より、レティーシャにだけは。
だからこそ、レティーシャとの結婚が本格的な話になる、レティーシャ成人までの6年の間に、自分の力で爵位を勝ち取る必要があった。
ランスロットにとって最も手っ取り早く、可能性が高いのが騎士爵だったのだ。
騎士団に入ると父に告げた時も、特に止められることはなかった。
理由だけは聞かれたが、『レティーシャのため』と答えると、にやりと笑って『そうか』と頷いただけだ。
もちろん、領地経営の勉強を怠る訳にはいかない。
以前に増してどんどん忙しくなり、レティーシャに会える回数も減ってしまったが、予定が空けば必ず、レティーシャの元に足を運ぶようになった。
相変わらず学園内で揶揄われることも多かったし、あのパーティーの場でレティーシャを見た奴らから噂を聞きつけて『会わせろ』と言い出す輩も増えたが、全て一睨みで黙らせていく。
そんな日々に時折訪れるレティーシャとのひとときは、ランスロットの心の支えとなっていった。
ピクニックに、ちょっとした買い物。庭の散策、二人だけのティータイム。
恋人らしさはないものの、気を遣わなくても良いそんな時間は、ランスロット自身が想いを自覚してからは気恥ずかしくも嬉しいひとときに変わる。
いきなり態度を180度変えることはできないまでも、レティーシャに嫌われそうな言動はしたくないと、ランスロットは思うようになっていた。
これから先、騎士団に所属すれば滅多にこんな時間は取れなくなる。
それでもこの穏やかなひとときを支えに、必ず期限までに爵位を賜れるようになるまでの実績を上げるのだと、ランスロットはレティーシャの姿を目にする度に、決意を新たにするのだった。
それがとんでもない事態を引き起こすとは、想像もせず。
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「マジか………」
一年ぶりにレティーシャに会いに行ったランスロットは、そこで告げられた唐突な婚約破棄に、動揺を隠せないでいた。
なんとか体裁を取り繕って屋敷を後にしたものの、相当混乱していたのだろう。
その足で職場である第二王子の執務室まで赴いたランスロットは、同僚の文官であるエドワードと第二王子のアーサーに、胡乱な目で見られていた。
「どうした、ランス。今日は非番だったろう」
「愛しの婚約者殿に会いに行ったのでは?」
「……った…」
「は?」
「婚約破棄、された………」
呆然と呟くランスロットに、アーサーは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「だから言っただろう、つまらないプライドのために女性を放っておくからだ」
「っ!だから、それは………!」
「諦めろ。爵位はやるから別の女性を探せ」
にやにやと、楽しげに笑っているアーサーを悔しそうに睨みつけるが、その眼光にはいつものような強さが全く見当たらない。
相当堪えているのだろう、大きくため息をついたエドワードがランスロットの元に歩み寄り、頭を軽く小突いた。
「落ち着け、ランス。お前のせいだけじゃないかもしれない」
「は………?どういうことだ?」
「ソフィア嬢。最近しつこいだろう」
ソフィア・コーンウォール。
コーンウォール公爵家のご令嬢で、アーサーの従姉妹でもある人物だ。
凱旋してきたランスロットの元に足繁く訪れては、アプローチをかけてくる面倒な存在でもある。
止められないからと執務室にも無遠慮に入ってくるという厄介な女性で、自身の美貌によっぽど自信があるのか、ランスロットに向ける媚びた目には優越感が浮かんでいる。
確かに、ソフィアの見た目は社交界でももっぱらの噂となっていて、ピンクブロンドの髪も、艶かしい身体つきも、男性を虜にするには十分なのだろう。
しかしレティーシャしか見えていないランスロットにとって、ソフィアはただ職務を邪魔する迷惑な存在でしかなかった。
そんなソフィアが、今回の婚約破棄とどう関係があるのか。
全く意味がわからないと首を傾げるランスロットに、エドワードが驚きの事実を口にした。
「君のことが、レティーシャ嬢の通う学園でなんて言われているか、知ってる?」
「学園で?」
「そう。君と彼女の婚約は『爵位が継げない三男に、ハウエル子爵令嬢が爵位を条件に結婚を迫っている可哀想な契約』だと噂されている」
「なっ………!」
「で、最近君に迫っているソフィア嬢は『ハウエル子爵家から英雄を救うために奔走している健気なプリンセス』だ」
「………はあ?」
事実と全く異なる噂の内容に、ランスロットの目が次第に剣呑なものに変わる。
そんなランスロットの気配に気づいているだろうに、エドワードはさらにとんでもないことを告げた。
「そしてレティーシャ嬢とソフィア嬢は同級生。まあおそらく婚約破棄しろって脅したんだろうね」
「はああっ!?」
「まあ、それくらいするだろうなあ、従姉妹殿は。肝心のランスは全然誘惑に靡かないんだから」
愉快そうに笑って呑気なことを言っているアーサーが憎らしくて睨みつけるが、アーサーには全く効いていないようだ。
しかし、そうやって睨んだところで事態が好転する訳でもない。
本当なら、今頃はレティーシャへの正式な婚約手続きについて相談をしようと思っていたところだったのに、公爵家からの横やりには如何にランスロットが侯爵家の人間と言えども難しい話だ。
どうしたものかと頭を巡らせていると、楽しそうな声音を隠すこともなく、アーサーが一つの提案を口にした。
「なあ、ランス。一つ良い案を教えてやろう」
こんな様子のときの第二王子に、本当に良かったと思うことなど一度もない。
しかし、このままではレティーシャを失ってしまうかもしれないという焦りでいっぱいになっていたランスロットには、その提案をまるっと呑み込むしか、選択肢がなかった。
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「………その提案が、『婚約を認める代わりに、今後も第二王子に仕える』だった、ってこと?」
「そう。あー……いやまあ、良いんだけどさあ………」
無事にレティーシャから言質を取った翌日。
事前に、昨日のパーティーでレティーシャに正式にプロポーズをすると伝えていた彼女の両親たちは、早速屋敷まで訪れてきたランスロットを快く迎え入れてくれた。
最初は、ランスロットの顔を見るなり真っ赤になって逃げ出そうとしたレティーシャだったが、じわじわと壁際に追い詰められ、耳元で延々と愛の言葉を囁かれて、すぐに腰が抜けてしまった。
まるでそのまま発火してしまうのでは、と心配になるほど熱い身体をひょいっと抱きかかえると、そのままレティーシャお気に入りのソファに腰を下ろし、腕の中に閉じ込めるように抱きしめる。
思う存分、レティーシャの肌から香る甘い匂いを堪能していると、しばらく抵抗を続けていたレティーシャも、観念したように身体から力を抜いた。
そうしてぽつぽつと、会えなかった間の二人を埋めるように、いろんな話をした。
「知ってると思うけど、アーサー王子って結構やんちゃっていうか…俺が騎士団入りたての頃から、よく一緒に鍛錬してたんだよ。で、その頃から結構目をかけてくれててさ」
「うん」
「その頃からずっと、王子専属の近衛になってほしいって言ってもらってたんだよな」
「え、それってすごいことなんじゃないの?」
「まあ……でも、俺はとっととレティと結婚したかったし、そうなったら領地に帰ることになるだろ?だからまあ、ずっと断ってたんだよな」
『レティと結婚』の件で、レティーシャの唇がむずむずと動き、顔が赤くなるのを和やかな目で見つめる。
ランスロットがふわりとその瞼に口付けて離れると、ぴくっと小さく震えながら瞼を開き、潤んだ瞳で見上げてきた。
「で、でも大丈夫なの?領地の、件とか………」
「ああ。王子が信頼してる領地経営代理人を紹介してくれるってさ。もちろん、最終的な判断と責任は俺とレティが持つことになるけど、実務系の処理は全部やってくれるってさ。レティが興味があれば代理人と二人で本格的にやってくれても良いし、子供ができてその子が跡を継げば、権限は全て返上するって条件付きで」
「こっ、子供……っ!?」
「そう、男の子が一人いればまあ安泰だけど、レティ似の女の子に囲まれるってのもそれはそれで良いよな。まあ、レティとの子供なら、男でも女でも、何人だっていてくれて良いけど」
ランスロットがさらりと家族計画を口にするのに耐えきれず、レティーシャの顔がまた赤く染まる。
初心な様子に、不埒な独占欲が湧き起こりそうになるが、今はまだ我慢だとランスロットは思う。
結婚したらすごいことになりそうだなと自嘲しながら、ランスロットは欲を抑える代わりに、俯いていたレティーシャの顎をくいっと持ち上げた。
そのままゆっくりと唇を塞ぐと、まだ物慣れない様子のレティーシャが、きゅっとランスロットのシャツを掴む。
焦れる気持ちを宥めるように、何度も音を立てては唇を離し、また角度を変えては唇を塞いで…と、甘い味がするレティーシャを堪能した。
「はふ…っ、ちょ、ランス……んっ」
「………ん、レティ…かわい………」
「や、待っ……」
「好きだ、レティ………」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!だ、だからっ……!」
(………俺、こんなんだったっけな)
ランスロットの怒涛の告白と口づけの嵐に目を白黒させているレティーシャだが、その実ランスロットだって、こんな自分がいるだなんて想像もしていなかった。
それもこれも、なかなかこちらの気持ちに気づかなかったレティーシャが悪い、と、半ば八つ当たりのようにランスロットは思う。
一度初めてしまった反抗的な態度を崩すことはなかなか難しかったけれど、ランスロットだってこれまで色々とレティーシャへの気持ちに気づいてもらおうと、彼なりに努力はしていたのだ。
誕生日プレゼントは欠かさなかったし、それ以外にも討伐先でレティーシャに似合いそうなものがあれば、メッセージと共にレティーシャに贈っていた。
ランスロットの瞳の色と同じ髪飾りや宝石があれば、身につけてほしいと独占欲の塊のような言葉と共に、手渡したりもしていたのだ。
それをレティーシャは全て、婚約者としての義務や体裁だと思い込んで、ランスロットの気持ちに気づきもしない。
いい加減、なかなか進まない関係に焦れてしまっていたのも、事実だったのだから。
「愛してる、レティ。俺には、お前だけだよ」
そう言って一際長く唇を合わせたあとに覗き込んだレティーシャの顔は、ランスロットがこれまで見たことがないくらい、可愛らしく照れまくっていた。
———そうやって、もっともっと俺のことを意識すれば良い。
そんな意地の悪いことを考えながら、ランスロットは自らの天使を大切そうに腕に閉じ込めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回は前作との辻褄合わせに奮闘しましたが、相変わらずイチャコラシーンは書いてて楽しかったです(//O)
イチャコラシーンだけ書ければ良いのに…いや、それじゃ何も面白くないけど…(葛藤)
こちらのシリーズの次回作は、本作に出てきましたエドワードくんのお話にしようかなーなんて考えています。
来週末に出せれば良いなとは思うんですが…来週末は用事が立て込んでいるので、もしかしたらちょっと遅れるかもですorz
気長におまちいただければと思います!
また、この後、現在連載中の『ヘタレ領主とへっぽこヒーラーの恋』も更新予定です。
よろしければそちらも合わせてお楽しみください^^
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