下
『ねえ聞いて。
美しい色を探して旅に出た男の話を。
男は自分だけの色を探していた。
カーテンコールの向こう側に、期待の煌めきを含む闇の色。
シベリアハスキーの瞳に映る、澄んだ空色。
月の薄明かりに照らされた、柔肌の淡い色。
痛みと共に滲みだす鮮烈な赤。
色んな色を見てきた男は最後に、自分の一番好きな色はこの大気の色だと気付いた。
男はそれを自分のものにした。
だからその色はもう、無くなって誰も知らない。
だけど男が、誰かに見せる時だけ。その色は現れる。
それは雨のあがった後に、空を架ける孤を描いて。
ねぇ、もし私がその男だったら。
この夜空のような美しい藍を、照らされる水底の輝く碧を、果てのない空の澄んだ蒼を、紫陽花の色鮮やかな青を。
全ての青を世界から奪って、手のひらに集めるよ。
そして私の青を、君にプレゼントしよう。
でも君は驚いた後、優しく微笑んでから、私に向かって手を広げるんだ。
そこには夕焼け色を詰め込んだ、暖かくて眩しいオレンジ色があって。
私は君の胸に飛び込む。
夕暮の陽光が、濃紺の海に溶け落ちるように。
私達はひとつになる。
その境界線は何色だろう。
私達が奪ってしまったから、きっと誰も知らない。』
彼女の手が止まり、
ギターの残響が辺りに広がって、そして消えた。
再び静けさを取り戻した湖のほとり。
聞こえるのは波の音と、微かな彼女の息遣い。
余韻に浸る静寂を掻き消さないようにして、僕はゆっくりとビデオカメラを停止し。
力いっぱい、両手を鳴らした。
森に、湖に、空に鳴り響くように。
「すごい!すごいよ!!感動した!」
言葉にならない思いを、何とか伝えようと彼女の元まで走る。
彼女は疲れたようで、だらしなく背を丸めながら、やりきったぜとピースサインをこちらへ向ける。
「ありがとう、素敵な曲だった!!美しくて、楽しい歌だった!!」
どうにも小学生の感想並にしかならない自分に辟易しながらも。
けれど言葉以外でも、気持ちは表現できる事を知っている僕は足を止めない。
「んっ」
ギターが胸にガツンとあたって、肋骨が軋むような気がした。
歌詞の通り、僕は彼女とひとつになる。
「大好きだよ、宙。」
「ふふん。良かったぁ。」
にんまりとしながら猫のように口元を膨らませ、彼女は細い目を閉じた。
こうして、僕らのライブは幕を閉じた。
動画を見せた兄は随分気に入ったようで「次はどこでやんだ?山頂か?空の上か?或いはスクランブル交差点か?まぁどこでもいいさ、車なら出してやるよ。」とご満悦の様子だった。
何でもない週末の、一晩の思い出。
トラブルに巻き込まれて冒険が始まるわけでもなく、僕らの日常は淡々と続いていく。これまでも、これからも。
いつものように。
それは夕日が、海に沈むように。
連載の練習。