case6.空に憧れた少女-2
「ねえ、合同で絵を描こうよ!」
――そう提案したのは、誰だったか。
そこに居たのは、空を描くのが得意な少女。日常的な景色を描くのが趣味の少女。幻想的でそこには無い風景を描くのが好きな少女。
全員描くもの、趣味嗜好は違っていたけれど、3人はとても仲が良かった。
「いいね!なら3人分のハンドルネームも考えないと!」
「あはは、気がはや〜い。でも私も賛成!次の部誌に載せようよ!」
「おー、さっすが晴海!そう、そのつもりで提案したの!」
「3人の共通サインみたいなのも作ろーよ!分かりやすいやつで、ウォーターマーク?になり得るやつ!」
「ウォーターマークはちょっと違くない?でも賛成!」
やいのやいのと3人は自分たちのブランドを作り上げていく。
出来上がったブランド名は、『空兎の宿屋』。サインは、羽の生えたウサギとその足元に雲が掛かっているマーク。案をまとめ最終的にデザインしたのは――
――マークは、かろうじて羽の生えたウサギだとわかる造形をしていた。
それだけで、佐藤はこのメッセージが誰に宛てられたものか、分かってしまった。
ダイイングメッセージを前に動けなくなった佐藤に、大庭は(……心当たりあり、か)と一人納得する。
メッセージは「まってるよ」。……何を?何故?誰を?……たとえこれが佐藤に宛てた言葉だったとしても、こんなものを死に際に書くだろうか。特に不可解なのはそこだ。ダイイングメッセージにしては、内容が不可思議だ。
「あのー、何してるんです?」
二人がメッセージに釘付けになっている間に、霜先が現場に到着したようだ。
「ってまあ大体分かるけど。ダイイングメッセージだよね?不可解なもの、って」
「……兌吉。お前はこれの意味がわかるのか」
「なーんも。ただ、鑑識結果は出てるよ。書いた指は指紋から小鳥遊さん、血液はDNA鑑定で神来社さん、ってね。恐らく神来社さんを殺した後にその血で小鳥遊さんが書いたんだと僕は解釈してるね」
「…………」
殺した後に、書いた?
そんな悠長な事が出来るのだろうか。人を殺して、自分を刺すまでの間に?そんな事をしたら、熱が冷めて自分に刃を突き立てるのが怖くなるのではないだろうか。
……しかし事実「そうだ」としか考えられない状況だ。第三者が居た可能性はもしかするとあるかもだが、そのような証拠もなく、また指紋も割れているなら何も文句は言えない。
大庭は納得できないと言いたげに、頭を掻きむしる。
「……情報が必要だな。神在の方で何か新しい情報を掴んでいるといいが」
「神在って?」
「助手だよ、助手。今左坤んとこで情報集めてもらってんだ」
「あー、左坤さん、つまり科捜研っしょ?たぶん芳しくはないんじゃない?遺留品以外、情報はまるきり一緒でしょ」
「……その遺留品が大事じゃねぇの?」
霜先は大庭の顔の前で得意げに指を振る。
「ノンノン。君はさぁ、探偵でしょ?なら品集めよりやる事があるよね?」
「……何が言いたい」
す、と彼の視線が動く。視線を追った先に居るのは依頼人の佐藤由衣。彼女は未だ蹲ってはダイイングメッセージから目を離さない。
大庭はそんな少女を見て、何かを察したかのように少し目を見開いた。
「目の前に重要参考人がいるのに、まさか何もしないってワケないよね〜?」
「……そういうことか」
理解し納得した大庭は、すぐさま茫としている少女の元へと近寄る。そしてガッと肩を掴み無理矢理にでも顔を見れる体勢へ。霜先は(うわぁ、大胆〜)と思いはしたが、特に口には出さなかった。
「おい、佐藤。お前に聞きたい事がある。まずはそのマークの意味だ」
未だ床を見つめていた佐藤は、最後の一言で僅かに頭を上げた。
「他様々、聞きたい事は目白押しだ。調査に協力しろ」
未だ茫としたような顔はしていたが、佐藤は頭を上げて探偵を見つめた。そして、彼女は僅かに頷いた。
§
警察署、会議室。
ホワイトボードを囲むように、左坤ら三人が並んでいる。真城は椅子に座り、そばに神在、左坤はホワイトボードに向かいながら話をしている。
ホワイトボードには左坤の描いた簡潔で分かりやすい二人の少女のイラストが描かれている。
「――で、まあ私の見解はこんな感じ」
「小鳥遊さんは自分で自分の胸を刺した、という事ですね!可能なのですか?」
「不可能じゃないわ。人間なんてやろうと思えばなんだって出来る生き物よ。でも、なかなか勇気のいる事ではあるわね。人間、というか動物って本能的に死を恐れて回避しようとするから。気がおかしくなってないとまず無理」
「ああ、だから左坤は、神来社晴海を刺した後すぐ自分を刺したと考えてるわけだな?」
「そ。普通の人なら初めて行った殺人という行為の衝撃に、気が動転するはず。その勢いに乗らないと、自分殺しまで達成する事は出来ない……と、私は考えてるわ」
左坤は「ただ……」と言いつつ二人の少女の間に何かを書き足していく。更に「まあこれは見せてもいいか」といいつつ、とある写真をマグネットで貼り付ける。大庭たちが現場で見た物と同じなようだ。
「なんでしょう、それ」
「これはダイイングメッセージね。まあ何を伝えようとしているかはよくわかんないんだけど。とりあえず、これが二人のそばに書いてあった。勿論、血文字で」
「……それが、どうかしたのか?」
「わからない?血文字なのよ。血が出てないと書けない。つまりこれは、神来社さんが死んだ後じゃないと書けない。でも、それじゃあさっきの仮説と矛盾するわよね?」
「……小鳥遊さんが初めから気狂いだった場合は」
「無いでしょ。彼女普通の女子高生よ?初めからおかしかったらこんな変な事……心中なんてしないわよ、たぶん」
「わからないだろ」
「アンタ何?そんなに気狂いにしたいの?でも残念。ノートを見ればわかるけれど、彼女気狂いって感じじゃない、普通の子って印象なのよ。だから遺書とも手紙とも取れたわけ。わかる?」
左坤の言葉に神在は何も文句がつけようがない、と諦め、黙り込んだ。
そんな彼と対照的に、真城が質問したそうに元気よく手を上げる。
「はい!」
「どしたの真城ちゃん」
「ええと左坤さん。それって、本当に小鳥遊さんの文字だったんですか?」
「…………へ?」
「もし、そのだいいんぐ…めっせーじ?が先ほどのお話と矛盾するのであれば、他の人が書いた可能性は無いのですか?」
「一応、血の渇き具合から、書かれた時刻は彼女たちの推定死亡時刻とほとんど一致してるの。だから、後から書いたなら……」
「その場に誰かが居て、小鳥遊さんの指を動かして書いたのかもしれませんよ?」
「……!つまり、筆跡鑑定をしてみないか、って事じゃないか、左坤!」
「あー、なるほど……」
無邪気な少女の提案に、左坤はふむ、と顎に手を当て考え始める。そして少し後に「よし」と言ったかと思うと彼らに振り返り、笑みを見せる。
「そうね、一応やってみましょうか。血文字に筆跡もクソも無いとは思うけど、やらないよりマシね。ありがとう、真城ちゃん!そうと決まればみんなに連絡ね!」
左坤は素早く携帯電話を取り出し、何処ぞに電話をかける。「血文字、鑑定回して」「うん、一応」などと言っているのが聞こえるため、科捜研に掛けているようだ。
電話を終え、もう一度彼らに振り返る。
「とりあえず筆跡鑑定に回しといたわ。ついでに服、つまり腕に指紋が付いてないかも詳しく検査してもらうよう言っておいたわ」
「ありがとうございます!」
「腕の指紋は、……まあ、用心深い人物なら出てこないかもだけど。手袋着けるだろうし」
「そもそもこれが小鳥遊さんのした事でないのなら、何のためにしたんだ……?」
「んー…………まあその辺は推理しなさい!と言いたいところだけど睦月居ないし、こっちで推理してみましょうかしら」
そう言って、左坤はまたホワイトボードに向き直る。ペンを走らせ、先ほど貼り付けたダイイングメッセージの写真のそばに「何のため?」と書き足していく。
血で書かれているのは謎のマークと「まってるよ」との文字。ひとまずの議題としては「誰に向けた言葉か」「何故この言葉なのか」が主な物となる。一旦『第三者が居るとしてどのような意図があるか』は棚に上げて考える事になっている。
「誰に向けた言葉か、って、このノート……遺書、誰かに宛てた手紙だって言ってたよな。その誰かに宛てた言葉じゃないのか?」
「まあそのノートを読んだならそうなるわね。「まってるよ」と言われても関係のない人には意味が分からない。だけど、その手紙の宛先の人には分かる言葉だとしたら」
「……ダイイングメッセージってのは大抵は『犯人は誰であるか?』を示すモノだ。なら、その人が犯人だったりする……のか?」
「心中に犯人が居るワケないけど……まあ無関係ではないでしょうね。じゃあ次に何故この言葉か、だけど……」
「あの、一ついいですか?」
神在と左坤で進む話の中、不意に少女のよく通る声が会話を遮った。
「ん、どしたの、真城ちゃん」
「えっと、その手紙の宛先の人、とは佐藤由衣さんでは無いのですか?お二人ともとお友達だと仰ってましたが」
「佐藤由衣?誰かしら」
「ああ、今回の事件を解決してほしいと自殺探偵に依頼してきた子だよ。……ってノートには書いてないのか」
「書いてあったら普通に名指ししてるわよ」
「それもそうか」
「で、その佐藤さん?が小鳥遊さん神来社さんとお友達なのね?……となると、じゃあ、真城ちゃんの言う通りかしらね」
「そうなのですか?」
「ええ。ノートは誰か一人に宛てたもの、ダイイングメッセージもきっとそう。だから……ってかもう貴方たちもノート読んじゃいなさいよ。何のために渡したと思ってんの」
「え、読んでいいのか?」
「あのねぇ……じゃないと渡すワケ無いでしょ。あ、でも一応手袋はして読んでね。不用意に指紋付けるのもアレだから」
ぽいっと白い手袋が一人分雑に投げ渡される。慌てつつもキャッチした神在を見もせず、「私のしか今無いからちょっと取ってくるわね」とだけ言い残して左坤は部屋を去っていった。
彼女も大概大庭と似てるよな……と思いはしたが、口には出さなかった。
早速手袋を嵌め、慎重にジップロックを開いていく神在。真城はその様子をワクワクしながら眺めている。
取り出されたノートは、普通のノート。使い込まれた様子は無いが、どこか褪せているというか、なんとなく古さを感じるので、ずっと使っていなかったものを使ったのだろう。表紙には何も題字などは無く、ただ端の方に「小鳥遊葵」とだけ書かれている。
一呼吸置いた後、神在は表紙をめくる。しかし。
「……あれ」
「何も書いてませんね?」
1ページ目には何も書かれていない。その後何ページか捲ってみても文字は見えてこない。
「んん?」
「あ、分かりました!後ろから始まるんじゃないですか?」
「あっ、ちょ」
辛抱堪らなくなったのか、止める間もなく真城がノートに触れる。勿論、素手で。
ノートをひっくり返し、裏表紙を捲る。そこにはびっしりと黒々とした文字が埋め尽くされていた。その字は少し荒れてはいるが罫線からはみ出す事なく綺麗に並べられており、几帳面な性格を思わせる。ただし、上下が逆さまであり、これを見た真城は咄嗟に「こっちですね!」とノートを旋回させる。言うまでもなく、素手である。
真城の暴虐に後の事を思い、胃が痛む神在である。
「さて、それでは読みましょうか、神在さん!」
「……うん、もう、何も言うまい」
「大丈夫ですか?具合、悪いですか?」
「いや、大丈夫……さ、早く読もう」
「はい!」
そんなこんなで、改めて二人はノートの文字と向き合う。内容は、とある誰かへ向けた懺悔のようなものだ。
§
「……あのマークは、私たち三人で絵を描こうって時に使う……ペンネーム?サイン?なんて言うんだろ……」
佐藤は適切な言葉が思いつかず黙り込む。
現在地は美術室。事件のあった準備室からとりあえず出て、椅子に座っての聞き込み調査という訳だ。無論、警察である霜先には許可を取ってある。
霜先は現場から近いのが佐藤のメンタルに影響が出ないか、と心配ではあったが、それ以前に彼女は腰が抜けており、また保健室は別棟であり階段を降りなくてはならないため、二人がかりでも歩くのは困難と判断した結果である。机を挟んで大庭と佐藤が向き合う形になっている。
黙り込んだ佐藤の言葉を引き継ぎ、大庭は口を開く。
「ま、ともかくそういったグループを示す意味のあるマークって事だな?」
「そうです。ちょっと崩れて歪なので、別のものの可能性もあり得るんですが……」
「……一応、原画ってぇの?今あったら見せてくれねぇか?」
「ええと、はい。これです」
シンプルなカバーのスマホが、大庭の目の前に差し出される。画面には先ほど見た血のマークとかろうじて似ている画像が表示されている。机には既に大庭が撮影したマークの写真も置いてある。見比べることが可能だ。
しかしこの血のマーク、こじつければなんだって言えそうだな、と大庭は目を細めながら心の中でため息をつく。『そう言われればそう見える』……そのレベルだ。そもそも、この紋様を血で、ましてや指で書くなんて、なんと無謀なことをしたものだ。それだけ佐藤由衣に伝えたい事……『まってるよ』だったか。があったのか。
それは何も大庭だけが持つ感想ではなかった。
「うーん、確かに似てはいますね。大部分は潰れてよく分かんないですが……」
「でも、たぶん……コレだと思うんです。だから、あれは……あの文字は……」
「アンタに宛てたモンって事か。ったく、なんとも回りくどい……」
「言葉の意味、というか真意って分かったりする?」
「いえ……全く。でも、私たちは……いつも三人で……」
暗い顔をして佐藤は目を伏せ黙り込む。その胸中は計り知れない。友人二人が自分を置いて先立ってしまった、なんて、どうしたらいいかなんて分かりっこない。まして心中だなんて。自分に相談一つも無かった。それなのに、「まってるよ」?佐藤には訳がわからなかった。
少女をよそに、男二人は画像を見比べる。わりかし複雑な紋様だ。ペンやイラストツールでなら簡単だろうが、これを指で書くなんて正気の沙汰じゃない。そんなモンを書いた後に、「まってるよ」?
友を刺して、次に自らを刺す、その僅かな時間に書けるわけがない。そもそも、クールタイムなんて儲けたらこのタイプの心中は難しい。であれば、誰が、何故――
大庭は一人答えのない問いの中に足を突っ込む。
霜先はそんな大庭に呆れた顔を向けながら、「まってるよ」の意味について、他人事のように「これってある意味自殺幇助だよね?誘ってるよね?」などと考えていた。
と、そこで霜先が思いついたかのように「あ」と声を上げる。
「佐藤さんの意思はどう?待ってるよと言われて、行かなきゃってなる?」
「え、いえ……!その、理由が分からないうちは、行動したくないというか……!」
「んまあそーだよね、って分かったら行動するの?!」
「ああいえその、自死するかはまだ」
「場合によってはするって事だよね?!」
「え、ええと、まあ……」
「まあいいじゃねぇか。それがコイツの判断なんだろ。それ故俺はこの謎を解かねばならない。解かねばコイツは前にも後にも進めん」
「そーゆーもん?」
「ああ、そーゆーもんだ。小鳥遊葵と神来社晴海。その心中……自殺の謎を解くには、まだピースが足りん。自殺の兆候、素振り、雰囲気などそう言ったモノはこれまで一緒に過ごして感じた事は無かったんだよな?」
「はい。二人が一緒に死んでしまうほど思い詰めていたなんて、私には分かりませんでした。それとも、信用されていなかったのでしょうか。……私、除け者だったのかなぁ」
一人置いて行かれたことに、佐藤はしょぼしょぼと俯き小さくなる。そんな佐藤の肩を叩き、励ますのは霜先。彼は懐っこい晴れやかな笑顔で落ち込んだ空気をカラッと乾かしていく。
「いや、そんな事はないんじゃない?あのダイイングメッセージが二人の、小鳥遊さんのものかはまだ判然としないけど、もし真なら君を置いていく事は心残りだったと思うよ。それに彼女は遺書を遺したみたいなんだ」
「……え?」
「ま、手元にはないんだけど。でも、内容は詳しくは知らないけど家族宛てでは無かった、それは確かなんだって。だから、君を置いてでも死ぬ理由があって、しかし君を置いていく事に罪悪感があった。それが小鳥遊さんなんだろう」
「………………」
またも暗い顔で俯き黙る佐藤を横目に、大庭は徐ろに立ち上がる。その顔は何か思いついたとでも言いたげな色があるように、霜先は思えた。
声をかける、それより先に大庭は白衣を翻し、美術準備室へと入っていく。数分後、何かを手に大庭が帰ってくる。霜先はそれが薄い冊子である事に気づく。そしてその冊子は佐藤の目の前に放り投げられる。
驚いた佐藤が顔を上げ、大庭の顔と冊子を見比べる。冊子は今年の文化祭で出す予定の部誌だ。ちなみに文化祭まで残り1ヶ月を切っている。
「一部いくらだ」
「……え?」
「一部、ああいや一冊の方が伝わるか?幾らで売っている。資料として俺が買う」
「え、ええと……」
「資料なら貰っちゃっていいんじゃない?」
「警察のお前がんな事言うんじゃねぇ。売りモンには対価を払うのが基本だろ」
「さあてねぇ」
「その、無料なので……好きに持っていってください」
「お、ラッキーじゃん」
「……腑に落ちねぇがまあ貰っておく」
変わらない仏頂面のまま、ぱらぱらとその薄い冊子を捲っていく。B5版の全20ページにも満たないその冊子は、中心のページをホッチキスで止める、所謂中綴じのような製法で作られているようだった。表紙はカラー、本文はモノクロ刷りされている。
どうやら半分は部員の手作業で作っているようで、ホッチキスの位置ズレや、本文印刷ズレ、何より用紙の手触りがコピー用紙のソレだ。おそらく表紙だけ印刷会社に頼み、他の部分はコンビニプリントを使用したのだろう。
そんなどうでもいい部分の推理は置いておいて、大庭は先ほど見たマークを探し、1ページ毎に慎重に見つめる。
そうして見つける。かのマークは、真ん中の、ホッチキスが剥き出しのページにあった。
見開きの大きな作品である。空を見上げるウサギと、どこかの商店を描いたイラスト。モノクロでも広大な空が、美しいグラデーションが感じられる。ウサギと空は幻想的だが、ウサギのそばにそびえる商店やウサギのいる道路、奥に見える風景などは日常を感じさせるような雰囲気を携えている。
「……ほお」
「……へえ。いいイラストですね」
「あ、ありがとう、ございます……」
「分担して描いたんだよね。どれが佐藤さんの作で?」
「ええと……この商店です。ウサギと仕上げは葵、空は晴海が担当しました」
「なるほど。ふぅん……それじゃもう、この空は見れないのか……」
「………………」
「兌吉」
「え、……あ、ごめん。無神経だったね」
「いえ……大丈夫です」
「…………」
霜先と佐藤の間に気まずい沈黙が響く。そんな二人など気にもせず、大庭はまたページを捲りはじめた。
イラスト集はテーマは特にないようで、皆思い思いの絵を描いているようだった。最後のページには簡単な部長の後書きが綴られ、そうして冊子は終わった。
「……なあ佐藤。お前らの絵、原本はあるか」
「え?」
「モノクロじゃ分からん。カラーの、原本が見たい」
「ありますけど……」
「どしたの睦月くん」
「いいから」
「ええと、その……持ってるのは晴海で……」
「ほーんなるほど。なら次はソイツだな。案内しろ、佐藤」
「え、」
言うが早いか、大庭はすぐさま冊子を仕舞い、白衣を翻してとっとと美術室の外へ出て行ってしまった。
ぽかん、としているのは佐藤だけで、霜先もすぐ立ち上がった。
「ま、僕としても立ち会いに応じなかった神来社さんの事は気になるからね。ほら立って、佐藤さん。お友達の死の真相、知りたいんでしょ」
「…………」
どこか浮かない顔をしながら、佐藤は徐に立ち上がった。ちなみに霜先は近くにいた同僚に「ちょっと調査に行ってくる〜」と呑気な声を掛けてから部屋の外へ出た。
廊下に出て、階段を降り、昇降口へ出る……その前に、一人の教師が彼らのそばを通りかかった。
前の事件の際に話を聞いた事のある教師、菊池博だ。そういえばあの事件も心中だったな、と大庭はふと思い出しては声をかけて引き止める。
「おい、アンタ」
「ん?……おぉ、いつぞやの探偵さん。あー、ちょっと今立て込んでるんで、後に……」
「もしかして神来社晴海、小鳥遊葵の関係者か?」
「ああ、睦月くんは知らないか。彼、神来社さんの担任の先生だよ」
「ほーん、そうだったのか。ちょっと聞きたいことが……」
「あー、後にして貰っていいっすか?こちらもバタバタしているもんで……」
「まあそうか。事件の後だもんな。霜先、コイツから話は聞いているか?」
「まあ立ち会って貰ったからね。多少は」
「ふむ。じゃあいい。悪ぃな引き止めて」
「すんません、こちらも何かお手伝いできたら良かったっすけど……それじゃ」
ぺこりと軽く会釈をして、菊池は走り去っていった。その姿を見届けてから、三人は昇降口から外へと出た。
「さて、それじゃあ神来社さんちに向かおうか。佐藤さん、案内頼んだよ」
「は、はい!」
三人は少女を先頭に、街を進み始めた。
§
――――――――――
あなたを置いて行くような事をして、ごめんなさい。あなたを省くつもりはなかったの。それだけは分かって欲しい。私たちは三人で一つだから、本音を言えばあなたも一緒がよかった。一緒に生きていたかった。でも、私は晴海の事も無視できなかった。どっちもは取れなかった。どうしようもなかった。言い訳みたいでごめん。私はいつもどっち付かずで、いつも二人に迷惑かけてた。今回も迷惑かける。本当、どうしようもない。ごめんね。私、あの時、一緒に絵を描こうって言ってもらえて、とっても嬉しかった。大好きなんだ、本当に。こんな終わりにしてしまった事、許してほしい。
――――――――――
「…………」
「……ああ、確かにこれは……」
その1ページを読み終え、神在は納得したように目を伏せる。確かにこれは、佐藤さん宛ての手紙だ。であれば、『まってるよ』は――――
「――矛盾しています」
「……え?」
神在の思考を、真城が真っ直ぐな凛とした声で遮り、掻き消した。その顔は、とても真剣なもののように見える。
「これを小鳥遊さんが書いた、とすれば、「待ってるよ」とは書かないのでは無いですか?」
「……うーん、どうだろ」
「そもそも、ノートにこれだけの文字を綴っているのに、何故「待ってるよ」はこちらで書かなかったのでしょう?おかしいと思います」
言われてもう一度読み返してみる。誰かに宛てた懺悔の手紙。置いてく者への激励も無ければ心配も無い、ただの懺悔の言葉。
確かに、「待っている」と期待しているような文言も雰囲気も一つとしてない。一緒が良かったとは書かれているが、それを踏み躙った事への懺悔以上のものは読み取れない。本当に、ただ懺悔だけを綴ったもの。
――では。
「……あのダイイングメッセージは、もしかして……」
「小鳥遊さんでも神来社さんでもない、他の誰かだと思います」
しん、と会議室に静寂が宿る。
二人の中には「何故?」だけがある。結局、ダイイングメッセージの意味も意図も読み取れない。ただ、誰かを――佐藤由衣を――誘っている。感情に訴えて、揺さぶって、後追いをさせるように――――
ばたん、と扉が開いて、左坤が帰ってくる。
「読んだー?……って真城ちゃん?!手袋は?!」
「え?してませんよ」
「ちょ、してって言ったよね?!」
「ごめん、俺が止められなかったばっかりに……」
「指紋が付くと何かまずいのですか?」
「うーん、一番は犯人や重要な人の指紋が分かりづらくなること……かな。まあ分からなくもないけど、付けないに越した事はないからね。……もう付いちゃったものは仕方ないわ。それで、なんか発見でもあった?」
言いつつ左坤はぽい、と布製の神在に渡したものと同じ白手袋を真城の方へ投げる。「まあ一応ね。プレゼントよ」との事。真城はそれを嬉しそうに受け取ってはすぐに手に嵌めた。
「そっちは?」
「筆跡鑑定はまだ。服や身体の指紋は両者ともめぼしい結果はなし。正直こっちであと出来ることは筆跡鑑定以外無いわ」
「そうか……こっちは、ノートの記載とダイイングメッセージに矛盾があるなと感じた。それにより、アレを書いた人物、第三者が存在する可能性が強固になったな」
「そうですね。そもそも何故『まってるよ』、なのでしょう」
「……ま、結局そこに戻ってくるわよね。誰が書いたにせよ、こんな文句、血でわざわざ書く必要ないもの」
「それなんだが」
神在が何か思いたったかのような顔で二人を見る。
「その第三者は、この三人の死を望んでいたのではないか?」
「え?どうしてですか?」
「……確かに、理由は兎も角、そういう結論にもなるわよね。死者の死に際の言葉が『待ってるね』。誰に宛てたか分かる宛先の子にとって、それは友達からのメッセージ。死を誘ってるように見えるのは当然よね」
「……佐藤さんたちを殺したい人、なんて、いらっしゃるのでしょうか……」
「ただの高校生、されど高校生。多感な時期よ。嫉妬でもなんでも、他者の死を望むことくらい珍しくないわ。未熟ゆえに短絡的にもなりやすい。まあ行動に移せる人はなかなか居ないとは思うけど」
「ただ第三者は何処に居たか?が分からねぇんだよな」
神在の言葉に、二人はうーんと口を詰まらせる。
鍵をかけ朝開けるのは美術教師。それまでに見つかってはならない。鍵を開け、警察を招いた後でも、第三者は見つかっていない。痕跡と呼べるものも血文字以外何もない。
左坤は背後にあるホワイトボードに向き直り、既に書いてあった物を消しては、また別の何かを描き始めた。それは、どうやら間取り図のようだ。
「とりあえず、それを推理するにはこれが必要よね?」
「それは……もしかして、美術室か?」
「ええ。正確には美術準備室も含んだ間取り図だけど。鑑識科から現場写真を見せてもらってね。そこから私が大体の間取りを推理したものになるわ。だから正確さは期待しないでよね。……よし、できた」
きゅ、と音を立てて図が出来上がる。
それは、写真を見ただけとは思えない完成度の高さだった。ただ、多くの写真があっただろう美術準備室は完璧に見えるが、現場ではない美術室自体は曖昧模糊としていて、ただの長方形である。
「もしかして左坤って結構空間把握能力に長けてるのか?」
「さあ?まあとりあえず、これで密室から生えた二人の死体と第三者の謎に迫れるわよね」
左坤はまたボードに向き直り、小鳥遊葵と神来社晴海の死体の位置を書き足した。場所は美術準備室内の縦型ロッカーの前。ロッカーの使用用途は本来掃除用具を入れるものだが、凹んでいる為今は使われていないという。
「まずは二人だけど、発見がここだった。そしてロッカーの扉は開いていた。ロッカーの大きさはちょうど二人が入れそうなくらい。……言いたいことは分かるわね?」
「お二人はロッカーの中に隠れていた、ということですか?」
「ええ。証拠として両者の指紋も検出済み、かつ遺書はこちらから見つかったわ」
「……二人は鍵がかかるまでロッカーの中に居て、鍵がかかったことを確認した後外に出た。そして、……する事をした、という事か。だが佐藤さんはその日二人は学校を休んでいた、と言っていた気がするが……」
「いえ、それは確たる証言、というわけではありません。佐藤さんは「その日は一日中部活に顔を出さなかった、友達なのに連絡も来なかった」とだけ仰られてました。事実確認はしていません。していたら仰られると思います。なので、本当は登校していたのかもしれません」
「ああ、確かに……」
「まあそこはどっちでも。兎に角、二人はロッカーに隠れていた、というのは事実。では、第三者は何処に隠れていたか?だけど――」
――ぴりり、ぴりり。
左坤が口を開く寸前、タイミング良く――いや悪く、彼女のスマホが音を立てた。
彼女は無言で画面を一瞥し、すぐさま電話を取った。画面に表示されたのは、科捜研の仲間の番号であり、つまりは鑑定の結果が出たという事だ。
左坤はしばらくうんとかええとか相槌を打っていたが、「分かったわ、伝えておく」と言って電話を切った。
彼女は電話を置いて一呼吸おいた後、探偵たちに振り返る。そして、
「筆跡鑑定の結果、及び司法解剖の結果が出たわ」
と高らかに宣言したのだった。
§
学校から出て、暫く。大庭たちは学校の裏手から伸びる坂を登っていた。この坂の先には山の上にある大きめの公園がある。そこへ通ずる大きな道に沿うように、住宅地が広がっている。そこの何処かに、神来社晴海の家はあるらしい。
その最中に、大庭は霜先から詳しく話を聞いた。霜先が聞いた、担任の話だ。
「まず、当日だが。神来社晴海は登校していたか?」
「まあそこは気になるよねぇ。答えはノー。出席はしていなかったとの事だ。ついでに、小鳥遊葵の担任も同様の事を言っていたよ」
「ふむ。では担任から見て神来社晴海、小鳥遊葵はどういう奴だ?」
「んーと……神来社さんは総評としては真面目で大人しいが、思ったよりは社交的、って感じかな。クラスに友達もいて、馴染んでいるように見えたとも言っていたかな。悩みがあるようには見えなかった、目立った大きなトラブルは無いように思う、とも」
「ほうほう。結構ちゃんと見てるんだな」
「小鳥遊さんの方も似た感じ。基本おとなしいがクラスに馴染んでいるように見える位置らしい」
「なーるほどな。あとはそうだな……クラス外の交流、部活については何かあるか?」
「クラス内の友達より仲のいい子が部活動に居ることは知っていたようだね。ただ心中するほどだとは思わなかった。小鳥遊さんも同じ。驚かれてたよ」
「なるほど。彼ら担任の持つ印象とは違う結末になった、ってとこか。クラス内の顔と部活動で顔を使い分けていたんだろうな」
「結構器用だよねぇ」
「女ってのはそういうもんだ」
「そうかなぁ……そうかも……」
一度会話が切れる。
静かな中にも足音は途切れず、じゃりじゃり、ざくざく、と補整が若干剥がれている歩道を歩いていく。神来社の家まであともう少し。
「そういえば、佐藤さんから見て二人はどんな子なの?」
「えっと……葵は、たまに変な事を言い出すんですが、基本的には自己主張せず、私たちの案や意見に頷く事が多かったですね。合作も私と晴海の絵を取り持つような……なんて言うんだろ」
「引き立てる、か?」
「あ、そんな感じです」
「仲介とかまあそんな感じって事かな。じゃあ神来社さんは?」
「……晴海は、人とすぐ仲良くなれる子で、いつも誰かが彼女のそばにいました。基本的には理想は語らない現実主義なんですがたまに天然で、面白そうな事が好きで、つならなそうな事も面白くなるよう工夫をする子で、それで…………」
捲し立てるように声の速さとトーンが上がって行っていたのが、急に減速し遂には下を見つめて黙り込んでしまった。そんな少女を男二人は慰めるでもなく、ただ無言で道を歩く。
「……私、本当に……晴海の事が、……絵が、好きで…………なんで、何も言わずに……」
「………………」
ぽた、ぽた、と雫がアスファルトを濡らす。足が止まって、ワイシャツの白い袖が黒く濡れて透けていく。先頭を往く少女の足が止まった事により、男二人も自然と足が止まる。大庭は少女の肩をぽん、と叩き、普段より少し優しめに声をかける。
「……ほら、もうすぐなんだろ。早く行こうぜ」
「……っ、……は、ぃ……っ」
ごしごしと佐藤は乱暴に涙を拭い、「こっちです」と改めて道案内を再開した。涙は拭ったが目が赤いのは誤魔化せないし、鼻も赤いだろうし、泣いた事が一目で分かる顔をしているのは明らかだから、佐藤はこの顔で誰かに会いたくないなとぼんやりと思った。
学校から出発して、しばらく。大体二十分ほどのところに、その家はあった。外観は普通の家。特に「高そう」だとか「貧乏そう」だとかそういった感想は湧いてこない、ただただ普通の家だ。「神来社」という表札が、何か特別な色をしているようにさえ見えてしまう。
意を決して、佐藤が呼び鈴を鳴らす。しかし、しばらく待っても反応はない。二度目を鳴らせど、三度目を鳴らせど、待てど暮らせど変化はない。
「…………留守、ですかね?」
「……そう、かもしれません」
「居留守の可能性は?」
「無い、とは言い切れないですね……寝てたら時間になるまで起きないって晴海が言ってたので」
「ほーん。……なら骨折り損ってヤツか」
「何度も大きな音を立てて無理矢理起こすのは?」
「近所迷惑」
「それでも起きないんだそうです。本当に、きっかり自分の決めた時間まで寝てしまうんだそうで」
「え、なにその特殊能力。僕欲しいんだけど」
「体内時計がしっかりしてんだろうな。ま、だからといって極端ではあると思うが」
諦めて元の道を辿ろうとした、その時。家の中でドタドタと音が聞こえた。
振り返った時にはドアは開かれ、玄関柵の向こう側に人が立っているのが見えた。寝起きらしく、軽く整えられているがところどころ跳ねたままの髪をして、顔もなんだか眠そうな女性が、そこに居た。
「どちら様で……?」
心底不思議そうな顔で三人を見つめる目は、少女を捕えては微かに優しく笑った。
「あ、ええと、晴海の友達の……」
「うん。由衣ちゃんでしょ。知ってる。晴海がよく話してた」
「……そう、だったんですね」
和やかな空気が二人の間に流れる。女性の話す声は優しく、そしてどこか寂しげな色を湛えている。
だが、そんな空気をぶち壊す者もいる。大庭と霜先だ。
「おい待て、お前ら初対面なのか?!」
「いかにも来たことあります〜って感じだったよね?!」
「えっ、ええ、はいまあ……遊びに来たことは何度か……」
「ええと、すみません。お二人は?」
「あ、えーと……んー…………」
「俺は大庭睦月。探偵をやっている」
「……まあいいか。僕は警察の霜先兌吉と申す者です。御宅の御息女様が、通われている学校にて亡くなられた件について、調査をしております。少々お話をお伺いしても?」
霜先は言いながら、懐から警察手帳を取り出し、神来社晴海の母と思われる人物へと見せる。先までのヘラヘラした態度から一変、真面目な声色、真面目な顔つきで目の前の女性と向き合う彼に、佐藤は「ちゃんと警察なんだなぁ……」と驚きと納得を一人感じていた。しかしすぐに元の調子に戻り、「と、まあ事件はもう「自殺」として片付きそうなんで、これは私的な、僕個人の興味による捜査になります。なんで、全然断ってもらって大丈夫です。捜査令状も無いんで」と霜先はヘラヘラ笑う。
二人の言葉を聞いた女性は、一瞬だけ悲しそうな、泣き出しそうな顔をしたが、すぐに笑顔を取り繕い、「そう」とだけ呟いた。その笑みは、何処か無理をしているような、困ったような、悔しいような、苦しいような、いろんな感情を押し殺している、そんな風に見えた。
「嗚呼、……そう、そうなんですね。警察の方に、……『自殺探偵』さんも、来るなんて……本当に、……本当に……、あの子は…………、もう……」
「………………」
神来社晴海の母は、立ち会いの要請をした際に「無理だ」と断り拒否した。その為、霜先はこの反応に意味が分からず眉を顰めた。
その疑問に答えるように、大庭が口を開く。
「その反応を見るにアンタ、「娘が死んだから、葬式に行かなかった」ってクチじゃねぇか?」
「どういうこと、睦月くん」
「死んだ事を受け入れたく無い、ってこった。葬式に出ればイヤでも身に染みて分かっちまうだろ。生きていて欲しい、死んだと信じたくない、と目を逸らし続ける為に「葬式」には行かないし、警察や探偵の話も聞きたくないってワケだ。娘の死が現実になっちまうからな」
「……現実逃避って事か」
「………………嗚呼、本当に……本当に、晴海は…………」
「…………」
取り繕っていた笑顔が端から崩れていく。観念した、と言いたげに、さめざめと女は泣く。
――現実逃避の果てには何もなく。其処にはただ虚しく悲しい現実だけがある。それを突きつけられて、ただどうしようもなくて、逃避の為に全て遮断して眠っていたのに、結局。……結局、真実はずっと、振り返れば其処に、目を逸らしても、逃げられないのだ。
少し泣いた後、女は人前で泣くことの恥ずかしさを思い出して、ぐいと乱暴に涙を拭っては、赤い目のまま三人に向き直る。そして、家に入るよう促した。
「…………すみません。よかったら、……お上がりになってください」
その言葉に、三人は目を合わせては、「失礼します」「お邪魔します」「邪魔する」とぞろぞろ扉の中へと入っていった。
内装も至って普通であった。
丁寧さや几帳面さは感じられず、かといって汚かったりはしない、普通の家。家庭の温かさ、というのを感じられる、そんな気がする、普通の家。
霜先は自殺の原因の一つに家庭環境があるかと思っていた。だが、先程の母親の反応といい、家といい、変なところは見当たらない。普通の、何処にでもあるような、そんな気配すら感じる。
三人は玄関から入ってすぐの部屋へ案内される。大きめのテーブル、三人分の椅子、テレビ、奥にキッチンが見える事から、居間であると察しがつく。
女性は椅子を引きながら、三人に席へ座るよう促す。
「さっきは取り乱してごめんなさいね。良かったらお茶でも飲んでください」
「いえそんな、悪いですよ」
「そうだ、そんな事はどうでもいい。俺はアンタに聞きたいことがある。というか見たいものがある」
「え、ええまあ、私に分かることでしたら、ご協力致しますが……それは、一体?」
「神来社晴海の部屋に案内しろ」
「…………それで、何か分かるのなら、ご案内しましょう」
晴海の母はお茶を淹れる手を止めて、案内を始める。晴海の部屋は二階にあるようで、先ほど入ってきた扉から出て行った。二度手間取らせちゃったなと霜先は少し申し訳なくなったが、大庭は特に気にせず晴海母に着いて行く。
階段を登って、すぐ右の部屋。晴海の母は「此処が晴海の部屋です」と言いながら扉を開き、中へと入った。
中には多数の絵が飾られている。どれも空の絵だ。
内装としてはシックで大人びた印象を感じる、物の少ないこざっぱりとした部屋。窓際にベッド、その反対側に勉強机があり、机の上にはパソコンが置いてある。パソコンの側にはペンタブと思われるものが置いてあり、これで絵を描いているのだろうか?と霜先は推理する。
だが、飾られている絵はどれも画用紙か何かに描かれたもののように大庭は感じた。注意深く部屋を見渡し、彼は扉の開いたクローゼットの棚の上に、水彩用の絵の具セットが置いてあるのを見つけた。
「……あ。あの絵」
「ん、……ああ、綺麗な空ですね。オレンジやピンクが主体の空ですか。お、シャボン玉まで。幻想的で素敵な絵ですねぇ」
「私、あの絵が一番好きなんです。晴海が描く絵の中でも、一番、こだわりを感じられて……」
「…………なあ神来社晴海の母。流石にあのパソコンを開けたりはしねぇよな?」
「いやちょっと睦月くん何しようとしてんの??」
「いや、ちょっとな。確かめたい事があって」
「その確かめたい事ってなんなのさ一体。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
大庭は少し考えた後、白衣のポケットからスマホを取り出し、少し操作した後に霜先に見せた。
そこには、たった今話題になった絵が表示されていた。
「神来社晴海は『haru』なんじゃねぇかなって」
§
左坤の宣言に、神在と真城は湧き立つ。
「おお、ついにか!」
「しほーかいぼーってなんですか?!」
「はいはい、興奮しない興奮しない。口頭での言伝だからまた詳しくは後で言うけど、一旦今聞いた事を順に説明していくわね。あと司法解剖って言うのは簡単に言うと死因の確定作業のことよ」
言いながら左坤はまたホワイトボードと向き合う。描かれたものはそのままに、特に関係のない美術室側に文字を書き入れていく。
「まず筆跡鑑定だけど――」
左坤は文字を書いていく。『不明』と書いた後に丸で囲い、二人へ見せる。
「『不明』と、辛うじて分かったわ」
「……不明、って……分からなかったって事か?」
「ええ。でも落胆はまだ早いわ。これは、判定不可という訳でないの。二人の、特に小鳥遊葵の筆跡では無い、という事実が確定したからなのよ」
「てことは……!」
「第三者の存在が確定しましたね!」
会議室内が盛り上がる。まるで何かを達成したかのような安堵感が彼らの胸を撫ぜる。左坤は「まあかなり無理難題だったから、あっちの子達にはめちゃめちゃ苦言呈されたけどね〜」と安心しきった顔で、髪をくるくると指に巻いている。
「それで、司法解剖の方だけど」
「死因はどうだったんですか?」
「うん、両者とも鋏で刺した事による失血死で確定したわ。それ以外に特筆事項があるかもしれないから、また後で教えるわね」
ホワイトボードには『失血死』と鋏のイラストが書き足されている。
「さて、また話題を戻すけれど、第三者が隠れ潜むには何処が最適だと思う?真城ちゃん」
「ええと、誰が入ってきても見つからないところですよね?では……」
左坤にマーカーで指され、立ち上がった真城は、マーカーを受け取りボードに描かれた美術準備室へと向き合う。
ドアから入って左側には小鳥遊葵と神来社晴海が身を潜めていたロッカー。右側には何もなく、ただ正面には物が雑多に置かれ、迷路のように道の出来ている。この狭い部屋の中、ロッカー以外に身を潜められる場所は――?
真城は思考を巡らせる。もし誰かが入ってきても、不思議に思われないところ。動いてもバレにくいところ。窓側にある、布のかかった大きな絵画?……周りに物が多すぎて、隠れるのも出てくるのも大変そう。動いたら物が倒れてバレそうだ。石膏像たちも同様だろう。そもそもこちら小柄じゃないと隠れてもあまりカバーできない。では、奥の壁に陳列している棚は?……棚の形状が分からないが、棚の目の前に物が積んであるらしい。じゃあ隠れられない。そもそもこの迷路は、ドアから左側に道が伸び、窓側を通って右奥へと進むようだから、その行き止まりの奥の方でしゃがんでいれば……
「……この道を形成している物って、何か机の上にあったりしますか?」
「んー、写真見た限りはそうっぽい?」
「じゃあ屈めばバレますね。では他は……」
「あー……思ったより真剣に考えてくれちゃってるね……私的には絵画の裏とか言われるかなーって思ってたんだけど……」
「?それだと物を倒して居たことがバレてしまいますよ?」
「あまり入らない部屋の配置なんて覚えてられないでしょ」
「?そうなのですか?」
「……まあ人によるけど。美術の先生ももしかしたら覚えてるかもしれないし。覚えてなくても違和感を感じる可能性は無くはないわけで。でもそんな話は無かったから美術準備室内での物の移動は無いと考えていいわね」
「そうですよね。では、絵画の裏では難しいですね。……あ、窓って開いてましたか?」
「んー、情報は無いわね。なに〜?窓から侵入したってこと〜?面白いわね!」
「そうなると、なかなか良い隠れ場所がありませんね。美術室内……だと海原先生の言葉に矛盾が生じます。いえ、美術室内に二人が隠れたような場所があるなら別ですが」
「んーとそっちは、確か掃除用具ロッカーと、画材を入れるロッカーがあるって鑑識の子が言ってたかしらね。掃除用具ロッカーは二人が隠れていたロッカーと同型だけど、基本部活終わりに掃除ってするから、隠れ場所としては不向きでしょうね」
「画材ロッカーはどうでしょう?」
「そっちはそもそも人が入れないわ。今言ったロッカーの半分しかないの。画材が入ればいいんだから仕方ないわ」
「そうですか……うーん、難しいですね」
首を捻り、真城は困ったように目を瞑る。左坤も思ったより現実的に、思ったよりしっかりと犯人の思考を考える真城に釣られ、腕を組んでは難しい顔でボードを見つめている。
確定した第三者の影。しかし隠れるのに向いているようで不向きなこの部屋では、第三者の侵入は許されない。神在も考えてみるが、結局物陰に隠れる以外の案は出て来ず、先ほどの真城の言葉にあえなく棄却される。
「んー……いい案が出ないわね。私最初は絵画の裏って思ってたのよね」
「わかる。大きいし、奥まった位置にあるから、隠れるにはもってこいだと思ったんだが……」
「真城ちゃんの言う事も分かるのよね……兎にも角にもガラクタだらけなのが隠れるのに向いてて不向き!」
「まあ崩さないように慎重に隠れたんなら何処にでも隠れられるとは思うが……」
「……というか、小鳥遊さんたちも、その第三者さんも、いつから隠れていた事になるのでしょう?私に昨日の記憶はありませんが、美術室というのはよく使われる部屋ではないのですか?」
「侵入時刻ね……確かにそこも謎よね。経路はまあ、普通に美術室から入ったんでしょうけど……」
「……もしかして朝から居るとか」
「無くはないわね。学校全体が授業中の時間、且つ美術室では授業が行われてない時間、なんて、限られているでしょうし。全クラス分の時間割把握してるなら別だけど。ならいっそ朝から籠るのもアリだと思うわ」
と、議題が白熱したところで、鐘が鳴る。17時だ。外では児童の帰りを促す音が鳴り、署内では学校のチャイムのような音が鳴り響いている。
「……っと。もうそんな時間か。じゃあ一旦解散ね。司法解剖についてまだ特筆事項あったら電話で教えるわ」
「えっ、もうおしまいですか?!」
「ええ、お開きよ。一般人は一旦帰ってちょうだいな。諸々結果が出たなら私だってしなくちゃならない事があるのよ」
「そう……ですか」
しゅん、と残念そうに肩を竦める真城の頭を、神在はぽんぽんと撫でる。
「しょうがないよ、左坤だって仕事なんだし。俺たちだって大庭に伝える事、たくさんあるだろ?大庭だってなんか分かったかもしれないしな」
「そうですね……謎はまだ残っていますけど、今此処で解決しようとするのも無茶な気がします。大庭さんにも意見を聞きましょう!」
「確かにアイツの意見も聞きたいわ。なんかしら進展あったらそちらからも連絡頂戴ね」
「勿論。んじゃ、そういう事で。失礼させていただきますよっと」
「ありがとうございました!」
「ええ、またね」
そうして、探偵二人は警察署を後にした。
残された左坤はホワイトボードを綺麗にする――前に、少し考えてからそれを写真に撮った。今後またこの話題をする際に必要になるかもしれないからだ。……しかしこの第三者、何が目的でこんな事をしたのだろう。多感な時期とはいえ、気に入らない三人全滅の為にこんな回りくどい事をするのだろうか。というかコイツは事前に二人が心中する事も知っていた、という事になる。更に言えば心中の方法、場所、全てを知り且つ彼女らより先に美術準備室に潜んでいないと、こうも上手くいかないだろう。身を潜めていた場所も分からないし、単純なはずの事件が、コイツのせいで複雑怪奇になっている、そんな気がする。思考を巡らせながら、左坤はホワイトボードを綺麗にしていく。
そうして元通りになった会議室を後に、左坤は科捜研の持ち場へと帰っていく。途中同僚と合流し、今度は直接苦言を呈されつつ、手渡しされた資料を受け取った。
§
大庭のスマホに表示されているのは、とあるSNSのアカウントのようだ。
「それXanaduのアカウント?睦月くんってこういうのやるんだ」
「サンプリングの為だがな。自殺の兆候や理由というのは、こういうSNSには腐るほど転がっている。ま、俺がコイツを見つけたのは自殺の予兆がどうとかいう訳ではなく、たまたま絵を見ていたんだ」
「え、フォローしてたって事?!」
「まあな。あちらにゃ認知はされてなかったと思うが。だから、コイツを見た時ピンと来たんだ」
大庭は何処に隠し持っていたのか、クルクルと筒状に丸められた『資料』――美術部部誌を取り出した。
「あ、だからモノクロじゃ分からんって」
「そうだ。だが、ここに飾られている物の中にコイツは無い。だからコイツはデジタルで描かれたんじゃねぇかなと思ったんだ」
「それでパソコン……ですが流石に私でも娘のパソコンは……」
「確証を得たかっただけだ。無理にとは言わん」
そう言いながら、大庭は部屋を物色し始める。あまりにも自然な動作だった為に、その場にいた全員が止める為に動く事ができなかった。
大庭はまず水彩道具のあるクローゼットを捜索する。服はあまり掛かっておらず、冬物の上着が2着ほどと、中学時代の物だろうか?真城や佐藤の物とは違う制服が掛かっている。水彩道具の置いてある棚の中には、小さめの絵が何枚か入っていたり、絵の教科書のような物も数点入っている。教科書は色に関する物が多いようだ。その他、春に貰ったのだろうか新人歓迎会と書かれた部誌や、大庭も資料として持っている例の部誌も入っている。大判の画集なんかも一番下の段に入っている。
次に大庭が物色し出したのは、机のそばにある本棚。探索を開始する――その前に。
「睦月くん今度は何探してんの……?」
霜先が、やっと動いたのだ。
「いや。日記か遺書かなんかねぇかなって」
「普通親御さんの前でやる?」
「親御さんの前以外いつやるんだよむしろ。人ん家勝手に入って勝手に漁るよかマシだろ」
「……まあ一旦置いとこか。それで、それがみっかったらどうするのさ」
「自殺の兆候を探している。俺は初めっからそれ以外なンも求めてねぇ」
「あー……なるほどねぇ……」
霜先を一瞥したのち、また本棚を物色し始めた大庭に肩を竦めながら、霜先は片手でスマホを操作する。開くは『Xanadu』。検索窓に『haru』と入力し、ユーザー検索をかけた。
アカウントが表示されるまで、霜先は大庭に話しかける。候補は色々と出てきているから、そこから目当てのアカウントを探す。その片手間に、声をかけたのだ。
「……彼女のアカウントには何も無かったんだ?」
「それっぽいのはある。だが、」
「確証が欲しいって?全く、めんどくさいね。ここに書かれた事に嘘があるとでも?」
「たかだか140字かそれ以下の文章で全て伝わると?」
「それはそうだけど。……お、これかな」
暫くスクロールしたのち、遂に目当てのアカウントに辿り着く。先ほど大庭のスマホに表示されていた物と同様のアイコンだ。
プロフィールに入るとまず簡素な自己紹介文と、固定された投稿が目に入る。其処には、先ほどの絵が貼られていた。幾つかコメントが付いているようで、気になった霜先は投稿を開く。
そこには、絶賛する声もあれば、誹謗中傷とは行かずともキツイ言葉を掛ける人もいた。他の投稿イラストにも、少ないながらも“気に入らないものを騒ぎ立てる幼稚な人間”の声が書き込まれていた。
「――ここには無いようだな。机の引き出しか?」
本棚の物色が終わったらしい大庭の声で、霜先はハッと我に帰る。自分とした事が、負の感情に充てられてしまったらしい。
今見たものについて大庭に声をかける――その前に、佐藤が「……あの」と口を挟む。しかしそれに反応して声をかけるより先に、佐藤は
「私、用事を思い出したので、先に帰ります」
それだけ言って、駆け出してしまったのだ。
晴海の母が止めようとはしたが、その手が間に合うことはなく、ただ無情にも階段の駆け降りる音と扉が開いて閉じていく音のみが響いていた。
部屋を出る前佐藤は、何かに驚いた顔をしていた。
焦ったように出て行った彼女は、何かに気づいたのだろう。どこかばつの悪い顔のように思えた。
それはきっと、ドラマで言う犯人のような――そんな、挙動に思えて仕方がなかった。
そして大庭は見逃さなかった。
彼女のスマホには、『haru』のアカウントが表示されていた事を。




