case5.遡ること、三ヶ月前-4
信者も神も居なくなった、誰も彼も忘れ去った教会に、二人のそっくりな少女と、その二人を心配そうに見つめる少女が居た。
突然の来訪者に、片目を隠した少女は手に持っていた何かを、床に落としてしまった。それはビンのようで、ころころと真城のいる方向へ転がってきた。
拾い上げて見てみると、元々貼ってあったラベルを白い紙の部分だけ残すように剥がし、そこに恐らくマジックで『睡眠薬』と書いたような代物だった。中身はほとんど無くなっているようで、二粒だけ残っている。(なんで剥がしたんでしょう?この瓶を使いたかったんですかね?)と真城は思った。
「ど、どうして…なんで…?し、死すんだんじゃ…」
「死んでて欲しかったの?萌綺」
「そ、そうじゃ、なくて……それより…何しにきたの…?和椛…」
「…何かある気がしたから来た、かな。で、アンタこそ何してんの?」
怯えるように後ずさる片目隠しの少女と、さっきまで“何もなかったはずの少女”が、対峙する。
どうやら少女は、忘れていた記憶を取り戻したらしい。…そう真城は解釈した。
「和椛…なんで?なんで自殺なんて…」
「そっちこそ。アンタ今、その薬使って何しようとしてた?」
「……だって和椛が…和椛が悪いもん…」
今にも泣き出しそうな顔で、目隠れの少女は目の前の少女をジト目で睨みつける。それに対する“まっさらだった少女”の顔は、真城には見えなかった。
「…ねえ和椛。なんで…なんで死のうとしたの?」
「………」
「……答えてよ…どうして黙ってるの…?」
「………」
「…和椛?」
ふるふると肩を震わせ、“『和椛』と呼ばれた少女”は口を開いた。その声はまるで泣いているかのようだった。
「…思い出せない…思い出せないのよ…!此処まできて…貴女の事は思い出せたのに…貴女が私と双子の姉妹って事だけは分かるのに…!自分の事は何も…!貴女の言う『和椛』という名前が本当に私の物かも分からないの…!どうして…?」
「わ、かば…?何、言って…」
「ええっ?!全部思い出してなかったんですか?!」
予測が外れて、真城は思わず声を出してしまった。
「えっ…?ど、どういう事…というか貴女は…?」
「あ、ええと!私は夜宵真城と言います!水仙納和椛さんのお友達…だと思います!貴女は?」
「え、ええ…?えと…私は花菱萌綺と言います…あ、貴女は、和椛のお友達…でいいんですよね…?」
「はい、おそらく!今日の私はまだファニーさんとしかお友達になれてませんが、昨日の私はお友達だったと思いますよ!」
はっきりしっかりとした口調で、曖昧な事を笑顔で話す真城に、萌綺は頭が混乱した。
「そしてファニーさんは海に落ちて記憶を失っちゃったそうです!『ファニー』っていうのは彼女が唯一思い出した単語なので、それを名前がないと呼びづらいから名前としてよんでます!なのでファニーさんなんです!」
「ファニー、って………ま、真城…さん。それって…本当…?」
「ええ!私は嘘を吐きませんよ!!」
胸を張って話す真城の瞳に、嘘は隠されていないと萌綺は確信した。この子は信じてもいいかもしれない、そういう気持ちが萌綺の中で湧き上がった。
自殺した事は知っていたが、まさか記憶喪失になっていたとは…と、萌綺は絶望にも似た感覚に陥った。
「ところで萌綺さん!私、とっても気になる事が二つあるのですが!」
「えっ…?!そ、そうなn」
「一つ目は「自殺したかどうかも分からない人の事をどうして知っているのか」。これは私もそうなのですが、依然としてよく分かりませんので!二つ目は「何故苗字が違うのか」です。『ふたご』って言葉の意味はよくわかりませんが、顔も似てますし、多分二人は『かぞく』なんですよね?なら何故『みょうじ』が違うのですか?」
「ぅえっ?!え、ええと…」
食い気味の質問攻めに、萌綺は目を回し、吃ってしまう。更に真城の好奇心で光る瞳に気圧されて、彼女は思わず視線を外した。その様子に真城は(恥ずかしがり屋さんなんですかね?)と分析した。実際、萌綺は人見知りである。
――そんな時だった。
「オイ!!誰だ自殺しようとした奴は!!」
ドアを蹴飛ばして、大庭が教会に入ってきた。
後ろから「ちょ、ちょっとむっちーん?!落ち着いてー!!」「やーっと見つかったかー!良かった…」という声も聞こえてくるので、刈眞や神在もこの場所に辿り着いたようだった。
真城は全員集合した事に驚きつつも少し嬉しそうであるが、人見知りの萌綺は突然人数が増えてビビり散らしているようだった。
ちなみに“『和椛』と呼ばれた少女”に関しては、ずっと何かを思い出そうと必死そうであり、そんな事などに構っていられない様子である。
そしてそんな萌綺に更にトドメを刺したのは、
「大庭さん!この人ですよ、自殺しようとした人!多分ですけど!」
という元気いっぱいな、悪気のない、真城の告発だった。しかも、「証拠ですよ」と言わんばかりに睡眠薬の瓶も掲げて。多分とは。真城ちゃんは嘘つかない。
萌綺は人間不信に陥りそうになった。
「ほーう?ならば何故自殺しようとしたのか、教えてもらおうか」
「ひっ…ご、ごめんなさ」
「謝罪はいい。理由だけ話せ。そしたら死んでよし」
「……へ?」
怒られると思って俯いて泣きそうになっていた萌綺は、予想外の「死んでよし」に頭を上げた。
「え…え、と……え?」
「ん?なんだ、もしかして止めて欲しかったのか?それとも狂言だったのか?」
「い、いや……止められると…思ってたから…」
「生憎だが、俺が興味があるのは『自殺しようと思った理由』だけだ。それが聞けたら後はどうでもいい。好きにしろ」
キッパリとそういう大庭に、少しばかりの恐怖を覚えつつも、「話すくらいなら」という心理が萌綺の中で働いた。
「……とても、些細な理由…なのですが……大丈夫ですか…?」
「なんだっていい。俺はデータを集めているだけだからな。データってのは、種類と数が多いほどいいんだぜ」
「……そう、なんですね」
「で?話す気になったんだろ?とっとと話せ」
「は、はい!」
萌綺は終始真顔で圧をかけてくる大庭に、自分と『和椛』にプレッシャーをかける母親の姿を重ねてしまい、思わず足が竦む。「話さないと殺される」…と恐怖しているのだ。彼が本当にそう思っているかは別として。
そんな強迫観念に似た気持ちから、萌綺は口を開いた。
「わ、私には、『和椛』という双子の姉が居まして…えと、目の前に居る人、なんですが……あ、その…苗字が違うのは、両親の離婚が原因でして……」
「知ってる」という大庭の声と「そうだったんですね!」という真城の声が混ざる。その様子に刈眞は衝動的に(息ピッタじゃん、助手にすれば?)と思ったが、口には出さなかった。
その後すぐに「『リコン』ってなんですか?」との質問が真城の口から出たが、萌綺も大庭も答えようとはしなかった。神在はそんな真城に「後でね」と言いながら頭を撫でた。
萌綺は続きを話す前に、一瞬だけ『和椛』の方を見た。『和椛』もこちらを見ていた。その視線は、何処か縋るような必死さを感じるもので、未だ彼女が何も思い出せていない事を思い知らされた。
どこか寂しそうな表情で、萌綺は続きを話し始めた。
「ええと…その、今日、帰りに「水仙納さんが自殺した」って…誰かが話してるのを聞いて…「和椛の事だ」と思ったら…苦しくて…」
ぼろぼろと、大粒の涙が堪えきれず流れていく。そんな彼女を見て『和椛』は少し狼狽た。何かを探すように、服をあちこち触っているが、さっき買ってもらった駄菓子以外、彼女の真新しい服からは何も出てこなかった。
ちなみにコンビニで買ってもらった飲み物は刈眞が持っていたりする。
「えと、それで…」
「待て。その前にどんな奴がその事を話していたか覚えてるか?」
「へ?!ぇ……ええと…声しか聞いてないですが…中性的でしたが、辛うじて…男の子だと分かる感じでした……それ以外はちょっと…」
「…そうか。じゃあ続けていいぞ」
「は、はい……」
萌綺の言葉を遮って質問したのにも関わらず、大した情報が得られなかったためか、大庭の声のトーンが下がる。表情は動いてないために分かりにくいが、かなり残念そうである。
促されるままに、萌綺は続きを話し始めた。
「ええと、それで…その……私、和椛の事が…その…ちょっと、だけ…苦手だったんです…」
大庭は、その言葉に違和感を感じ眉をひそめる。「何故苦手な人が死んだのに苦しくて泣き出す上に、恐らく後追いまでキメようとするんだ?」と疑問に思ったからだ。しかしそれを口にする前に、萌綺が続きをたどたどしく話し始めたので、尋ねる事はできなかった。
ちなみに刈眞も同様の事を考えていたが、「いい子なんだなぁ」と勝手に解釈しているようだった。
「えと…和椛は、私と違って…て、天才、でした…そ、それで……えと…離婚、しちゃって……お母さんは、才能ある和椛が好きで…何も出来ない、出来損ないな私を……嫌って、いました……」
その涙声を聞いて、大庭はやっと兌吉の「反吐が出そう」の意味が分かった。あの時琥珀が発していた「初めから和椛は私が引き取ると明言していた」という言葉は、嘘偽りない心からの真実だったのだ。
(そりゃ、反吐が出るわな)と彼は萌綺に憐みの目線を送った。
「離れ離れになっても…和椛は私に、会いに来てくれたんです…お母さんに、怒られるかもしれないのに……
でも…事件に、巻き込まれて…和椛は、私を…庇って……」
「ああ、なるほど。だから彼女は義肢なのか。んで、そんな大怪我したから、こっそり会ってた事が母親にバレたと」
「…はい。や、「疫病神」って…「もう二度と関わるな」って…言われました……だから、その…それからは、会いに来てくれなくなって……
…でも、私も…あまり、会いたくなかったんです……和椛の右腕が、飛んだ時…とても罪深い事を、考えてしまったから………」
大庭はあえてその事を聞くことはしなかった。
琥珀は「義肢がハンデになる」と言っていたし、和椛は右利きなのだろう。そして母親に存在を認めてもらえない幼少期を過ごしたのだから、萌綺は口にしないが、双子の姉の存在を疎ましく思うこともあったのだろう。
だから、そんな彼女の利き腕が『無くなった』ら、どう思うだろうか?
(…俺には兄弟なんてもう居ねぇから分からねぇが、やっぱりそういう事を身内に対して思うのは心苦しくなるもの…なのだろうか)
大庭には、その罪悪感は共感できなかった。
「…だから、和椛が、私に対してどう思ってるか…分からなくて……出来損ないな双子の妹を持って…私のせいで怪我をさせて、お母さんにも迷惑をかけて…どれだけ苦しかったか、私には計り知れなくて……「だから和椛は死んだ」んだと、そう思ったら……「ならどうして自分は生きてるんだ?」ってなって…耐えきれなくて、それで…」
「ふーむなるほど。お前の自殺理由はよーく分かった。つまりはマイナスに考えすぎた結果って事だな?で、自殺法はなんだ?流石に睡眠薬だけって訳ないよな?それだったら家でもできるもんな」
「……和椛と、同じ方法です。薬を飲んで、そのまま…海に、落ちようかと」
「ほーうほう。それだったら姉と同じく夜中とかの方がいいと思うぜ。その方が今回みたいに見つからなくて済む。あとはまあ、ここ以外だともうあとは南風田くらいにしかねぇだろうが…も少し高い崖選べ。ここだと多分ギリ10mいってねぇ。あと『薬を飲む』とかいう無駄な行動が入るから、死を躊躇しちまうんだ。今も薬飲むの躊躇して飲めてないだろ?こういう時は勢いで行け、勢いで」
「ぇ…はい…?」
突然自殺のアドバイスを聞かせてくる大庭に、(あ、この人ホントに自殺理由だけ聞けたら後はどうでもいいんだ…)と少し引きながら萌綺はそう思った。
「ん、つーか和椛さん?アンタも自殺のつもりだったんだよな?覚えてるんなら聞かせてくれよ、動機」
「……今思い出そうとしてるんですけど、何も思い出せないんです…自分の事だけすっぱりと…」
「ふーん。そんだけ自分の事を忘れたかったんだな。まあ“強い想い”で本当にピンポイントに忘れるかどうかは知らんけど」
大庭は残念そうに頭を掻きながら、少女のわきを通り過ぎ、廃教会の外へと出て行ってしまった。何か考えがあるのかもしれないが、それは真城たちには分からない事だった。
神在はそんな大庭を追って行った。
廃教会には、未だ自分の事だけは思い出せない少女と、人見知りの少女と、『リコン』がどういうものか未だに分かってない少女と、精神科医だけが残された。
「…うーん、どうしよっか。君が落ちる前にここに何か証拠とか残ってるかもしれないし、探索いっとく?」
「『たんさく』は分からないですけど、なんだか面白そうですね!私は賛成です!ところで『リコン』ってなんですか?!」
「ぅ、うーん、ソウダネー。仲良しだったはずのおかーさんとおとーさんが、…うーんなんだろ…法的に、離ればなれに…?うーん説明難しいなコレ…」
「????」
好奇心旺盛な輝く瞳を持つ少女に、刈眞はなるべくよく分かるように説明しようとするが、なかなか難しく言葉に詰まっているようだった。
その途中、萌綺が「わ、私は…ちょっと出てますね」と廃教会を出て行き、そんな萌綺を追って『和椛』も外に行ってしまった。そうして最終的に廃教会には、好奇心旺盛な少女と説明下手な精神科医だけが残されたのだった。
刈眞は(あの二人…逃げたな…?)と少し猜疑的だった。
「行っちゃいましたねー、なんででしょう?」
「さあねぇー…なんでだろーねー…」
「でも二人だけでも『たんさく』出来そうですね!刈眞さん、やっちゃいましょう!」
「あ、うん…」
この子割と厄介だな…?と意気消沈しつつ、刈眞は真城とともに廃教会を探索し始めた。
§
廃教会の外。
そこは、海風の気持ちいい、夕顔町が誇る隠れ癒しスポットに違いなかった。
現在時刻は16時半になるちょっと前くらいである。つまり外出許可の時間を大幅にオーバーしている。しかしそんな事は大庭にはどうでもよかったし、知る由もなかった。
この日は梅雨時であるのに、とても晴々としていて、17時前でも全く日が陰る気配が無い。
そんな崖の上で、大庭は手ごろな岩に腰掛けながら、地平線の彼方をぼーっと見つめていた。
「睦月」
「ん、どーした和夫」
「そっちこそどーした。なに黄昏ちゃってんだ、らしくない」
「……」
大庭の隣に神在が座る。彼は手ごろな岩が見つからなかったのか、地べたに座っていた。
「…いや、ただ…葉月さんも、何かをマイナスに考え詰めた結果だったら…って思ってな」
「……」
「もしそうだったとしたら、俺は…なんで気づけなかったんだろうなって…」
「…なあ。いつまで、この理由探しを続けるつもりなんだ?」
「そりゃあ俺が納得するまでだが…どうした?弱音か?別にお前が降りても俺は」
「だってこれ…悪魔の証明って奴だろ。いつになっても正解なんてわからない、終わりも果ても途方もない行為だ。そんな中でどう折り合いつける気だ?」
「………」
神在の質問に、大庭は言葉が出なくなる。大庭も薄々分かっていたのだ。誰かの死の理由、なんて、その人が残していない限り、探すだけ無駄なのだと。
だけど、大庭はそんな言葉で、そんな事実だけで引き下がれるはずがなかった。
約束した訳じゃない。何故探すのかも分からない。
でも、探さなくちゃいけない気がするのだ。
——例え、それが暗中模索の、終わりなき戦いだとしても。
“死”に囚われて苦しそうな顔をする大庭を、神在は救いたかったが、上手い言葉も、彼の隙間にピッタリハマることも。
彼には、何もかも出来なかった。
沈黙に包まれた崖の上だったが、すぐに萌綺と彼女によく似た少女が来た事で、その沈黙は破られた。波の音が二人を歓迎しているようだった。
「えと……お、お二人とも…何、してるんですか?」
「ん、あれ、萌綺ちゃん。いやただ黄昏てただけだよ。…刈眞と真城ちゃんは?」
「ふ、二人は教会を探索する、って…」
「…そっか。…海、見に来たの?」
「はい…こ、ここから見る海って、静かで…綺麗ですよね…」
そう言って不器用にはにかむ萌綺を、大庭は皮肉に笑った。
「ま、“人命を奪うもの”でもあるけどな」
「おい大庭…」
「事実だろ?」
そのやりとりに、萌綺はぎこちなく愛想笑いをするしかなかった。
しかし、萌綺に『和椛』と呼ばれた少女だけは、違った。彼が皮肉に放ったその言葉が、胸に響いたのか、それとも何か記憶のトリガーになったのか、少女は鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くした。そしてすぐに崖の先端へ向かって歩き出した。
何か嫌な予感がして、神在も萌綺も彼女を止めようと手を伸ばし声をかけたが、その全ては少女には届かなかった。
崖の先端で、少女は膝をついた。そして、崖の真下から地平線の彼方まで、全てを覗き込むように海を眺めた。
そしてそのまま、少女は目を伏せ、耳を、心を波の音で満たす。
そうして辺りは波の音以外聞こえなくなった。
——脳裏に、海が、映し出される。知らないようで、知ってるその風景は、きっと、この場所の夜の姿。海の中に、捨てたはずの記憶。
——ああ、今なら。
今ならきっと、全てを取り戻せる。
萌綺と神在は、海に落ちなかった事にホッとしつつ、しかし今後いつ少女が落ちてもおかしくない状態でもあるために、緊張の糸は緩む事は無かった。
大庭はどうでもよさそうにその光景を眺めていた。
波の音だけがただただ響く崖の上。
時は静かに流れていき、長いような、短いような緊張状態が続いていく。
そして少女は目をゆっくりと開け、海を少し見つめた後、立ち上がって萌綺たちの方を見た。その瞳には、さっきまであった空虚さが消え、記憶を完全に思い出したと言わんばかりである。
日が少し落ち、光が丁度少女と重なって何処か神々しく感じる。
「…和椛…思い、出した…の?全部…」
「………」
少女はこくりとうなずく。
そこにタイミングよく、「こっちには何もなかった」と言いながら、刈眞と真城もその現場に到着した。逆光で顔は見れなかったが、真城は何故か、その少女に置いていかれるような感覚に陥った。「ああ、ファニーさんはもう居ないんだ」と、真城は少しだけ寂しく思った。
「…ねえ萌綺。人生って、自由に見えて不自由じゃない?」
「………へ?」
「私ね、思うの。人生は選択の連続で、自由に選ぶ事ができる…なんて、誰かのついた嘘で、ただの綺麗事なんじゃないかなって。縛られたくないのに、自由に選びたいのに、様々なしがらみが絡まって、結局縛られる。運と偶然が味方した人間だけ、きっと本当に『自由』になれる。…自由っていうのは、万人に与えられた権利じゃないんだ」
淡々とそう言う和椛に、泣き出しそうな顔で萌綺が反論する。
「……どうして、それを貴女が言うの。貴女は私が持たない物をいっぱい持って生まれたのに。私は…私だって…!」
「今だから言うけど、私はアンタが羨ましかったよ。何もなくて、何にでもなれて…自由で。…いっぱいあっても、使いこなせなきゃ意味がない。私にはそれらを使いこなせなかったの。…使いこなせなくなったの」
「それって…やっぱり、私のせい?だよね、そうだよね。やっぱり…死ぬべきは私だったんだ…和椛はどうして私より先に死のうとしたの?私は、そこが、分からない……いや、許せないの…!」
「アンタをそんな性格にしちゃったのは、私のせいね…いや、こんな才能を私だけに与えた運命――いや、神様のせいか。私は全員に与えられる事のない『自由』も嫌いだし、こんなお母さんを喜ばせるためだけの才能だって嫌い。運命とかいうのも嫌い。お母さんはもっと嫌い。こんな不平等な世界、大ッ嫌い!」
そこまで言い切って、和椛は空を仰ぐ。
突然大声でそう吐き捨てる双子の姉に、萌綺は怯んで声が出せなくなる。そして、初めて聞いた和椛の叫びに、萌綺の中にあった『完全無欠で完璧な、お母さんに愛される双子の姉』という幻想が崩れていく。それが衝撃だったのか、嬉しかったのか、はたまたそう言い切れる姉が羨ましかったからなのかは分からないが、萌綺の頬を大粒の涙がつたって行く。
和椛は、もう服を探る事はなかった。
「……だから、私は。『運命』に抗いたかった。真に『自由』になりたかった。なのに…」
「……『運命』には、抗いきれなかった、と」
和椛の言葉を継いだのは、未だつまらなそうに傍観している、大庭だった。
「俺は『運命』とかオカルトっぽい事は信じてねぇが、そーゆーのって大体『神様』とかいう無責任な奴が、勝手に作って勝手に結末を決めてたりするんだろ?」
「……だから、私は助かったと?私は此処で死ぬ運命ではないって?そもそも『運命』とは抗うものではないと?」
「は?お前俺の話聞いてたか?俺は運命を信じてねぇっつーの。運命なんてモン信じるから「人生が窮屈」とか「自由じゃない」って感じるんだろうが」
大庭の言葉に面食らい、和椛(とついでに萌綺)は何も言えなくなる。
彼は二人の顔を見つめながら、言葉を続ける。
「最初から『神』も『運命』も存在しねぇんだよ。そう思えばお前が主張する『誰もが持つべき自由という権利』が手に入るんだ。…ま、それを手にしたところで結局『自由』に捕われるって事になるかもしれねぇがな」
にやり、と大庭は不敵な笑みを浮かべる。和椛は言い返したかったが、上手い言葉が見つからずに黙り込んでしまった。
「ま、『神』や『運命』があった方が“都合がいい”ってのは否定はしねぇけどな。困ったらさっきのお前みたいにそれらの所為にしてしまえばいい。そうすれば誰も悪者にはならねぇからな。『自分の所為にされたく/したくない』っていう思いを「誰の所為にもしたくない」ってキレイゴトで隠して、『運命』『神』を呪い、恨む。そうすれば誰も悪者にならず、万事解決、ハッピーエンド。争いも起こらねぇし、クリーンな存在だよな、神って。ま、誰も傷つかねぇとは言ってねぇってところがニクイところか。
だが、『運命』も『神』も俺らには見えねぇ。だから何考えてんのかも分かんねぇ。人間が何かを言ったとしても返事はねぇし、聞いてんのかも分らねぇ。もしかしたらアチラさんは、俺ら人間なんてどうでもいいとさえ思ってるのかもしれねぇ。…そんな得体も知れねぇ奴に抗って楽しいか?
…ってな疑問が俺の中にあるな。俺からすれば、それらは壁に恨み言言ってるだけのようにしか見えん」
仮にも、(荒廃はしてるが)教会のそばだというのに、この男は神の存在を否定し、更には壁とまで称した…という事に、神在は何故か腹が立った。通常運転の彼である事は分かっているのに、何故かカチンと来たのだ。
もしかしたらそれに加えて「証明できないものを追い求めるお前が、目に見えぬものを否定するという矛盾」に腹が立ったのかもしれない。
神在はその怒りを露わにする事なく心の奥にしまい込み、次の言葉を待った。
「……なら、どうすればいいの…?どうすれば、私と萌綺は…救われるの…?」
泣き出しそうな、か細い声で和椛は尋ねる。
「私を、私たちを縛る何かを…どうすれば解くことができるの…?……生きていればいつか救われるなんて、それこそキレイゴトよ…私はそうは思わない…!」
強い怒りを露わにして、和椛は大庭を睨みつける。
大庭は我関せずとした顔で、彼女の事を眺める。
「…俺は『救い』の話はしてねぇけどな。そもそもの話、『救い』とは何を意味するんだ?この場合、“お前にとっての”『救い』だ。『自由』になる事か?その『自由』というものも、どのような状態の事を言うんだ?ほら、早く言ってみろよ」
挑発するように、大庭は笑う。その顔には、「どうせ答えられねぇだろうな」と書かれているように見える。
和椛は答えたかったが、いい言葉が浮かばず、結局何も言えなかった。
そんな彼女を見て、大庭はふっと笑う。それはさっきまでとは違い、安堵したかのような、優しげな笑みだった。
「…ほーら答えられない。まあそんなもんさ。
俺が思うに『自由』ってんのは、一時的なもので、永続的に望むってのは野暮なんだよ。お前は革命気取りだったんだろうが…そもそも、お前は抗う相手を間違えてるんだ。抗うんだったら、この世に存在する、形あるものにした方がいい。かの有名なフランス革命だって、王族っつー形あるものに抗ってるんだしよ」
すっと立ち上がり、彼は互いの顔がよく見えるところまで近づいた。
「だが、抗うのなら死に近づくのだけはやめろよ。自死は勿論、殺人もダメだ。それらは抗って抗って、それでもダメだと思った時に、最後の手段としてやれ。抗い疲れた時でもいい。お前は、いや、お前らはまだ戦える。
いや違うな。まだお前らはラスボスと戦うべき時じゃない。これだ。
お前らはまだレベルが低い。あってLV20くらいだ。そんなんで、変な動きしたり無敵とかのバフを盛ってきたりするLV100のラスボスに立ち向かったって意味ないだろ。まずは手頃な別のボスを倒してからにしようぜ」
にっと、大庭にしては珍しく、素直で爽やかな笑顔を浮かべる。
分かりやすい例えで『運命』に抗う人間の弱さと愚かさを説明できたと思い、その心は一種の達成感で満たされていた。
しかし二人にはいまいち伝わっていないらしく、困惑気味に愛想笑いをしているようだった。そんな曖昧な笑みを返されて、大庭はすぐに元の仏頂面に戻ってしまった。
一瞬何かを考えてから、大庭は確認するように尋ねた。
「……まさかとは思うが…お前ら、ゲームとかした事ねぇの?」
「ええと……その、きょ、興味がなかったんです!そもそも忙しかったのでする暇も無かったですし」
「…そうだったんだね和椛……私は、ちょっと興味があったけど…お母さんが…怖かったから…」
「え?!」
誤魔化すように笑って答える和椛だったが、おずおずと答える萌綺の言葉に、思わず驚きの声を上げた。
何が予想外だったのか分からず、萌綺は彼女の顔を心配そうに見つめた。
「どうしたの、和椛…?」
「あ、ぇ、待って、え?!あ、…い、今の嘘!嘘ですすみません!私もゲームやってみたかったです!萌綺と同じくお母さんが怖くて、ねだったり買ってもらおうとも思いませんでした!あとやるなら萌綺とやってみたかったけど、萌綺は興味ないだろうなって思ってました!」
バッといきなり謝られて大庭は「お、おう…そうか」としかいえなかった。
しかし、二人の言葉と、警察署で聞いた琥珀の「いろんなものも買ってあげてる」という言葉が噛み合わず、大庭はなんだか違和感を感じた。興味を持っても「買って」と言い出す事ができないくらい、二人の中では『母親』が恐怖の対象だった…つまり、幼い頃から二人は、『母親』が怒らないように、空気を読み、諦めを知り、その顔色を伺ってきたのだろう。
そして琥珀の言葉も、きっと琥珀の中では真実であり、“和椛が欲しいとねだった物”ではなく、“琥珀が和椛に必要だろうと判断した物”を買ってあげていたのだろう。
——それはまるで、お飾りの人形のように。
(我が儘も言えず、育ったんだろうな…)
姉の事がコンプレックスになってしまったのも、自分を誤魔化し続けて雁字搦めになってしまったのも、全部、親が子を物のように扱った結果なのだろう。
二人には友達が居るのだろうか?と大庭は心配になった。
「………そうだな。やっぱりお前ら、『運命』に抗うって段階じゃねぇんだ。早過ぎたんだ。もう言っちまうが、お前らまずは母親に抗え。同じ運命を辿って、同じものに囚われ、同じように呪うのなら、もう二人で作戦立てて呪えよ。お前ら、性格とか全然違ぇなって思っていたが、考えすぎるところはソックリ双子だ。苗字は違えど双子なんだ、二人で一緒に考えまくって、悩んだらどうだ?その結末が『二人一緒に自殺』ってんなら、周りの誰かが文句言おうと、俺は文句無しだ。太鼓判をくれてやる」
その言葉に、双子は顔を合わせる。
…嗚呼、考えもしなかった。
同じ血が流れているのに。ほとんど同じ遺伝子を持つのに。姉妹なのに。
才能がある/ないからって。母親に認められている/見られていないからって。
私たちは、衝突すらしなかった。それも今日初めてぶつかった、というくらい。
自分の悩みなんて、理解るはずが無いと、諦めていたから。
私たちは、“手を取り合って何かをする”という事を、現在に至るまで、一度もした事がなかったのだと、今更気づいた。
思えば、双子——いや、姉妹らしい事は、何一つできていないのだ。喧嘩も、入れ替わりも、おままごとも、思うままに絵を描いたり、歌ったりも、家の中でのかくれんぼだって、私たちは何一つしてこなかった。
巻き込みたくない、なんて思っていた。
でも、そもそも、双子である時点で、同じ腹から生まれて同じ幼少期を過ごしている時点で、巻き込んでいるのだ。
…なにもかも今更だ。
なんだかおかしくて、二人は一緒に自然と笑ってしまった。それはまさしく双子の笑顔だった。
「死は最後の手段だ。まだそれを使う時じゃねぇんだ。
お前は運命に抗って負けた。だがまだ生きている。生きてるんならまだやれる事があるんだ。まだ戦えるんだ。嫌でも戦わなきゃならねぇ。
そして、戦って「勝とう」なんて思うな。俺たち人間はなあ、決して、勝てねぇんだ。だがな、負けねぇんだ。絶対にな。
戦い疲れたんなら分かるが、そもそもお前らはまだ戦ってすらいねぇだろ?今日やっと初めて抗ったくらいだろ?
もっと戦え。もっと足掻け。お前らを縛る『大人』を蹴散らし白目をひん剥かせろ。反抗期としては遅すぎるが…だが、大人に抗うのは子供の特権だ。そこに早いも遅いも無いはずだ。
怖くても声を上げろ。そして「周りに味方はいない」なんて嘆くな。味方はお前ら二人だけで充分だろ?
お前ら二人で“最強の双子”になってやれよ!俺は応援してるぜ!」
常に仏頂面な大庭が、珍しくニッと歯を見せて笑う。
その子供らしい顔と、彼らしい助言に、少女たちは吹っ切れたように、胸を張って笑う。
「なんだか、全部吐き出したら…スッキリしちゃったな。…うん。一世一代の晴れ舞台…なんて思ってたけど、あのまま死んでたら…お母さんの事だし、私の事なんて考えず、誰かの所為にして大騒ぎしてたかも」
「あはは…それは、あり得るね。お母さんは、和椛の才能だけが好きだもん。和椛の考えなんて、どうでもいいって…思ってそう。…もしかしたら、私の所為にされていた…かも…」
「…そう、だね。そうだよね。あの人なら…うん、やりかねない。…良かった。自殺、失敗して。貴女の所為にならなくて、本当に…良かった。そうなってたら私、死んでも死に切れなかった…」
涙を流しながら、今日初めてその『生』を喜んだ少女を、妹はそっと抱きしめた。それは、双子が生まれて初めてした抱擁で、とても心地が良く、なによりも温かかった。ずっと、こうしていたいとさえ思うくらい。
「………和椛。あの人に、母さんに…分らせよう。私たちが、都合の良い『物』じゃ無いって事…でも、それでも…ダメだったら、今度は…一緒に」
「そうだね。今度は、一緒。だから、置いて行っちゃダメだからね?」
「ふふっ、そっちこそ」
涙を拭いながら、二人は笑う。本当の姉妹になれたような気がして、二人は嬉しかった。
しかしその喜びの余韻を、遮るように大庭が口を挟んだ。
「二人で死ぬ時はちゃんと自殺法を押さえとくんだぞ。入水は兎も角、薬はダメだからな。これは一番身近故に死ぬ確率も一番低い。更に薬によって確率が左右されるのもネックだ。今回の事で入水の確率も」
「はいはい、一旦黙ろうか大庭。またその時になったらで良いだろ?」
「む…それもそうだな。じゃあ二人とも、その時になったらうちに来い。伝授してやる」
二人一緒自殺と聞いて、いきなり自殺法を伝授しようとした大庭の肩を神在が叩く。
大庭は胸のポケットから一枚だけ名刺を取り出し、大庭から一番近い萌綺に渡した。
「ぇ…は、はい…ありがとうございます…?」
そして彼は、受け取った萌綺の困惑顔を見る間も無く、踵を返し、トンネルの方へ歩いて行ってしまった。
名刺、というより、それっぽい紙に、表だと思われる方にでかでかと『大庭探偵事務所』とマジックペンで書かれた、手作り感半端ない代物で、一緒に見ていた和椛も微妙な顔をせざるを得なかった。ちなみに裏返すと、丁寧な文字で電話番号と住所が書いてある。和椛はなんとなく「裏面は神在さんが書いたのかな…」と思った。
「ん、むっちん帰るの?」
「ああ。もう事件は解決しただろ?俺はもう後の事に興味はない。帰る」
「ああ…そうなの…」
一瞬もこちらを向かず、大庭は刈眞の問いに手を振りながら答え、そうしてトンネルの闇に消えていった。
「むっちんったら、相変わらず自由人なんだから」と、刈眞の口から呆れ声が漏れた。その直後、17時を告げる音楽が、夕顔町に鳴り響いた。
「わー、なんですか?この音楽!とってもきれ」
「アーーーッ!!もうこんな時間?!まっずい、外出時間過ぎてる!!絶対院長にどやされるーー!!!」
「えっ?!」
「かばっちともえりん、手続きするからとっとと病院に帰るよ!!二時間オーバーとかクビになってもおかしくねー!!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ刈眞さーん?!」
「ま、待って和椛…速い…」
「えっ?!えっ?!」
発狂したかのように、一目散に駆け出した刈眞を追って、和椛と萌綺も駆け出した。萌綺は運動神経が悪いのか、少し遅れてついて行った。
「あ、真城ちゃん、またねー!」
「…!はい!また、学校で…!」
途中、和椛は振り返って、真城に笑いかけた。ぶんぶん、と嬉しそうに手を振って、和椛はまた、前を向いて走って行った。
恐らくそれが、『いつも通り』だったのだろう。そう思ったら、真城はなんだか心がじんわり温かくなった。
そうして崖には真城と神在だけが残った。
「…なんだか、今日はあっという間だったなぁ」
「いつもはもう少しかかるのですか?」
「まあ、そうだね。今日みたいに1日で終わることもあるけど、大体は2日3日くらいかかるかな」
「そうなんですね!それは楽しそうです!」
「いやそこまで楽じゃないんだけど…まあいいや。じゃ、俺らも帰ろうか。真城ちゃん家どこなの?送って行こうか」
「えっとですね〜、あっちの方です!」
とてとてと歩いて行く真城の隣を、まるで護衛するかのように、神在が歩く。
真城はなんだか嬉しくて、今日あった楽しかった事・驚いた事・興味深かった事など、好奇心を刺激した事柄を家に着くまでずっと神在に話し続けた。神在は微笑ましくそれを聞き、相槌を打った。
真城を家まで送った後は、何処に寄るでもなく、まっすぐ事務所へ帰って行った。
——こうして、この長い長い1日は、幕を下ろしたのだった。
―――――――――――――
『と、そんな事があったんだ』
――そう締めくくり、男は少女たちに説明する。
少女たちは、圧縮・省略された物語に、目を輝かせたり、メモを取りながら「まだ考察の余地がある気がする…」と唸ったり…と、多様な受け取り方をしたようだ。流石は人間。好奇心と思考の生物である事は、どの時代も変わらない。
しかし、忘却・脚色するのも人間だ。忘却は兎も角、脚色——いや、『嘘』は他の動物には出来ない行動だ。彼らも少し曖昧に教えた部分が多いようだ。
その点、どうだろうか?
僕は一つも脚色せず、伝えられたはずだ。
…え?そうでもない?長過ぎて読むのがしんどい?
あっはっはっは、それは失敬。そう思わせてしまうとは、僕もまだまだだね。文を書くのは慣れないものだ。
…ん?後日談かい?
なるほど、なるほど。君はそこが気になるのか。
この日を境に、探偵事務所を気に入ったらしい夜宵真城が、事務所に出入りするようになり、遂には助手を志願――ってそこじゃない?そうだろうね、知ってる?んじゃあ…
水仙納和椛と花菱萌綺は、母親に対抗する為に吹部を辞め、買ってもらった楽器も売り、双子二人で暮す為の準備を進めているみたい――ってそれも気になってたけどそれよりも?吉茂くん?そっちかー。
なら、ええと。
吉茂刈眞はクビにはならなかったようだね。今もなお、大庭睦月が『壊れる』その日を待ち望んでいるらしい。
…何故、その日を待ち望んでいるのか?
うーんそうだね。じゃあ、この話を聞かせようか。
そしたら今日のお話は終わり。また明日、彼の物語を語ろうか。
――――――――――――
水仙納和椛自殺未遂事件から一週間後。
「よう、刈眞。元気そうで何より。クビにはならなかったようで安心したよ」
「やあ〜むっちん!僕も超安心したよー!院長が話のわかる人で助かった!で、今日はどったのかな〜?」
この前と変わらず、さも当たり前のように受付をスルーし、その近くを歩いていた刈眞に大庭は声をかける。
受付の人も声をかければいいとは思うが、もしかしなくても、白衣を着てる大庭を医者と勘違いしているようだ。
「どうしたもこうしたも。また来たんだろ?自殺未遂者」
「…うん、来た。クスリと頸動脈とあと入水。全員間に合ったから生きてる。入水だけはまだ意識が戻ってないけど、他は意識と記憶どっちもあり」
「なるほどな。ん、てことは退院者も居るよな?」
「うん。あの後から数えてざっと7人くらい。内5人が自殺未遂者。…他に3人、舌を噛んだり、衰弱してるのに点滴を自ら取ったりして、未遂じゃなくなった人も居たよ」
「……そうか。だから地味にテンションが低かったんだな、お前」
「………」
さっきとは打って変わって、刈眞の表情が暗くなる。常にニコニコしている彼の、少し暗い顔を見て、大庭も少し釣られて悲しい気持ちになった。
――しかし、それも束の間。
「…ところで聞くが、お前は何を残念がっているんだ?お前の事だからなんか変な考えがあったんじゃねぇのか?」
「…むっちんってば、これでも僕医者だよ?医者なんだから『救えなかった事』に悲しみと悔しさと虚しさを感じちゃうんだよ」
「いや…だってお前、頭おかしいじゃねぇか…」
「むっちんに言われたくなーーーーーーい!!頭おかしいのは君だよ、この歩く完全自殺マニュアル!!」
「おお、いいな、それ。採用」
「何の?!?!????」
一瞬でジメジメした空気を吹き飛ばし、大庭は刈眞より先に歩いて行く。後ろから「むっちん何処に誰が居るか知らないでしょお?!」という声とともに、刈眞は彼を追いかけた。
「はぁ、はぁ…君さぁ…」
「お?体力ないなぁカルマくーん?で?何処に誰が居るかとっとと教えてくれよ」
「はいはい教えますよーだ。でも一つだけ条件がある。僕がずっと気になってる事だ」
急に真面目な顔で立ち止まった刈眞に、大庭は驚き足を止める。
そこは日の光が入って明るいが、人通りは少ない廊下で、刈眞の顔に影を落とす。
「…ねえむっちん。君は何故、そんなに、自殺に執着するんだい?」
「…ハッ。今更なにを」
「そう今更だ。でも、今だから問うんだ。僕は大学時代の君しか知らない。ひたすらに自殺の研究ばかりしている変なやつ、という認識でしか君を知らない。その理由について、気にした事はなかったし、興味も無かった。でもこの前見た君は、自殺を『理由を知る為だけ』に止めた。その先は止めなかった。…おかしいよね?僕の知ってる『自分を善だと思ってる人たち』とは逆だもん。だから興味が湧いた。最高に狂ってる君に、興味が湧いたんだ」
真面目な顔でそう語る刈眞に、大庭は呆れ顔で耳の穴を穿る。見るからにつまらなそうだ。
「僕は、何が君をそんなに動かしているのかが気になるんだ。君をオカシな奴に変えたモノがなんなのか。それが知りたいんだ。
…僕は気狂いを診るのが好きだ。新しい症例を、面白い症例を見つけて、それを治す方法を考えたり原因を掴むのが好きだ。名前という名の記号をソレに付けるのも好きだ。
…君のそれは、その「自殺者の真意を探る」という行為は、心を読む行為と同じくらい難しい。マトモに見えて気狂いだ。いや…まだ壊れ切ってはいない。正気で狂気の沙汰を行っている。だから、僕の興味を誘ったのさ。
そもそも、自殺探偵って何さ。いや違うな。何のために君は探偵になった?
君は、何に動かされているんだい?」
「……」
見透かされるようなその視線に、大庭は思わず目を逸らす。彼は自分の事を「狂っている」と言うが、彼のその視線の方が狂気を感じる。
「…はぁ。やっぱお前、頭おかしいよ。「救えなかったから悔しい」んじゃなくて、「気狂いになる前に3人死んだから悔しい」んだろ?いや、もしかしてお前…『自殺未遂者=気狂い』だと思い込んでんのか?」
「………」
「…答えねぇって事は、図星か?まあいい。動機はどうあれ、それで5人は回復して退院してんだ。『救えなかったから悔しい』もちゃんと真実なんだろう。それで?なんだっけ?俺を気狂いにした原因だっけ?…んなの推理すれば簡単にわかんだろ」
「…僕は君じゃないからね。分からないものは分からないんだ」
「あっそ。…かなり単純なんだがな。お前、知ってんだろ?柳川葉月さんの事。同じ大学だもんな」
「君の想い人だっけ?…まさか君、彼女の自殺理由を知りたいが為に、探偵になったのか?!」
「ご明察。流石、頭がいいな」
大庭の真実を知って、彼は肩をぶるぶる震わせる。
そして、堪えきれなくなって、声を出して笑い出した。
「ふっ、ふはははは!!なんだい君、馬鹿なのか?!彼女しか知りえないその理由を、他の誰かが教えてくれるとでも?!彼女の残した言葉を探すならまだ現実的なのに、他人の自殺から探し出そうとするなんて!!やっぱり君は狂ってる!!君が神や運命を否定しても、なんの説得力も無い!!」
腹を抱えて笑い続ける刈眞を、大庭は無視し、先に歩き始めた。笑い過ぎて出てきた涙を拭いながら、刈眞は彼を追う。
「俺の事が知れて満足なんだろ?ならとっとと部屋を教えろ」
「はいはい、分かってますよーだ。そう言うなら先に歩かないでくれますぅ〜?」
「ハ、お前の話が長ぇからだろ」
「長くないし!!」
——二人の白衣の男は、騒々しく誰もいない廊下を歩いて行く。
片や気狂いを診るのが好きな狂った医者。片や正気で狂った事をする探偵。もしかしたら、互いに『狂ってる』からこそ、二人は出会い、友になれたのだろう。
気狂いを診たい男は、決して振り返らない探偵を見て、(君が、本当に壊れたら、どうなるのだろうね?)とほくそ笑んだ。
——だから彼は、願うのだ。
いつか、大庭睦月という男が、真に壊れた時は、僕が彼を診たい——と。
——そして、彼も願う。
いつか、自分が壊れた時は、彼に診てもらいたい、と。