case5.遡ること、三ヶ月前-2
病院服の上から見ても分かるくらいであるから、恐らく腕のほとんどが無くなっているのだろう。
「…むっちんの言いたいことは分かるよ。「こんな目立つ外傷があるならすぐに確認が取れるだろ?」でしょ。でもね、出来ない理由があるんだ」
刈眞の冷静な声色に、大庭も黙って耳を傾けた。
「まず、人手が足りない。むっちんなら知ってるでしょ?自殺者増加の話」
「知ってるが…解剖とかはここじゃやってねーだろ。効率も悪いだろうし」
「うん、勿論やってないよ。でもね、未遂者は違う。ここは、市で一番デカイからね。床も余ってる。…今じゃほとんど余ってないけど。彼女もその一種だと思われてこちらに入院することになったんだよ、最初は」
刈眞は未だ名前が掴めない少女を見つめながら、言葉を続ける。
少女は、キョトンとした顔をして、刈眞の顔を見つめ返していた。
「ま、つまりは全部覚えている筈だという考えで、彼女の身元調査は後回しにされていたって訳さ。行方不明者の連絡も未だないし」
「…まあそうなるか。義肢とか無かったのか?」
「あった。でもね、ボロボロ。使い込まれてて製造番号なんて分かりっこない。多分ありゃ5年くらいは使われてるな…」
修理・メンテナンスを怠った気がしなかったし、彼女の家はもしかしたら新しい義肢を買うお金がないのかもしれない。という推理を刈眞は付け加えて話した。
「ふむ…治療記録やカルテはこっちには無いのか?」
「その確認も後回しだったんだよ…でも多分外科だろうから、ココよりもっとちゃんとした—岳葉の方とかにあるかもしれないね」
例え大きな敷地の市内病院だとしても、機材は限られる。なので、こちらが他の外科患者で手一杯になってしまった場合は、岳葉市にある外科専門の病院に大急ぎで送られる。それが、加賀瀬尾市で外科患者が現れた時の対処である。
…結論から言うと、“少女が誰であるか”という謎が解けるのはまだ先である、という事が再確認されただけだった。
「…あとは、警察からの連絡待ちって感じか」
ふう、とため息を吐いて大庭はベッドのそばにあった窓際の椅子にどかっと座り込んだ。
「ええと…つまり、この方のお名前はまだ呼べない、という事ですか?」
「そうなるねぇ。ましろんは彼女の名を呼びたいの?」
「…名前がないと不便じゃないですか。それと…」
真城は少女の虚空のような瞳を再度見つめた。
綺麗な、深い青。
サファイアのような、暗い海のような、そんな青色。
なのに、どこか虚ろで、何もなくて。
「……私、友達に、なりたいんです」
目の前の少女は、自分に似ている。
だから、知りたい。
記憶が無い事をどう思っているのか。自分の記憶を知りたいのか。自分と—夜宵真城と同じような思考を持っているのか、を。
「…ふうん」
真城の心の内を読むかのように、刈眞は真城の顔をじっと見つめ、興味なさげに返事をした。
刈眞の素っ気ない態度に、何故かカチンと来た神在が衝動的に立ち上がったが、タイミングが良いのか悪いのか、懐の携帯が鳴り響いた。彼は慌ててマナーモードに変えてから、いそいそと病室から出て行った。
「いや病院に入る前に設定しとけよ…」という大庭の呆れた声が、出る間際に聞こえた。
神在が出て行って室内に静寂が満ちた。
真城はその間に、空いていた大庭の隣の椅子へ座り、大庭は持ってきていた新聞を広げ、刈眞はたまに少女の様子を見ながらも、カバーの掛けられた本を読んでいるようだった。
「……あの、ちょっと、いいですか?」
数分経ったのちに、ベッドの上の少女が珍しく声を出した。
「ん、どったんー?なんか思い出したー?」
本を読みながら気の抜けた声で刈眞が応じた。どうせトイレや、さっきのましろんとの会話についてだろうと高を括った、冗談のつもりだった。
しかし、少女から発せられた言葉は刈眞の期待を裏切った。
「はい…一つだけですが…」
「うんうんそっかぁ…ってええ?!」
「テンプレみたいな反応するな、お前」
テキトーに反応したところで理解が追いつき驚く刈眞と、そんな彼に呆れたツッコミを送る大庭。少女はそんな二人を目で確認するように見る。
「で?何を思い出したんだ?」
「…『ファニー』」
「……『ファニー』?なんだ、それ」
少女の言葉に大庭は眉をひそめた。あまり聞かない・口にしない言葉が、どうしてこのタイミングで思い出されたのか、純粋に疑問だったのだ。
「うーんと、思い出したキッカケ?みたいなの分かる?」
「……分からない、ですが…何故か、先ほどの会話で、夜宵さんの顔をぼんやり見ていたら…脳内に、響いてきたというか…」
何かを捻り出そうと必死な、困った顔で少女は言葉を紡いでいく。やはり、ちゃんとした会話が行えるほどには言語機能は喪失していないようだ。
「ふぅん…『ファニー』、と」
刈眞はいつの間にか持っていたカルテに、その単語を書き留めた。
大庭は新聞を眺めながら、『ファニー』について推理していた。
(『ファニー』…Funnyか?そんな英単語が会話で出てくるとかどういう生活してたんだ、この子)
funnyは、『おかしな。滑稽な。奇妙な』という意味の形動詞だ。
少女の容姿は、淡く黄緑や紫色に光る銀髪に、青い瞳。外国の血が混じっていてもおかしくは無いが、こうも日本語—それも、敬語がペラペラであると、普段から英語が飛び交う場所で過ごしていたようには思えない。ファンタジーの世界じゃあるまいし、英語圏の人物が日本で記憶を失って、目覚めたら日本語ペラペラなんてあり得ない話だ。それに容姿とこの言葉だけで、少女の過去を判断するのは早計過ぎる。
(…ならば或いは人名、か?)
よく知らないが、ファニーは愛称でも、本名でも使われる比較的ポピュラーな人名であったはず。
いや、最近は卑語だとかなんだとかであまり使われていないらしいが。
(だがおそらく候補は多い。やはり容姿と言語だけではこの言葉の特定は難しいか)
やや残念そうにそう結論付け、大庭はかさりと新聞を畳み、席を立った。
「ん、むっちんどこ行くの?」
「神在の様子見てくる」
「そー。なんか情報掴んだら言ってねー」
「わかってら」
軽く会話が交わされた後に、大庭は外へ出た。
「あ、そうだ!なら、名前がわかるしばらくの間は『ファニー』って呼んでもいいですか?!」
閃いた!と目を輝かせ、真城は少女に迫る。
「ど、どう、ぞ…?」
「やったぁ!ではこれからは私の事は真城とお呼びくださいね!ファニーさん!」
心底嬉しそうに、真城はガッツポーズをする。今日の彼女に、初めて出来たお友達。嬉しくないはずがない。
悪気のない、純なる心から出る、真城の圧に押され、少女は『ファニー』と呼ばれる事を許可したのだった。
(遠慮がない、というか、グイグイ行くなぁましろん)と、刈眞は生暖かい視線を送った。
§
「おい神在。いつまで電話してんだ」
病室の扉を閉じながら、大庭は神在に問いかける。いつまで、とは言うが、神在が出て3分くらいしか経っていない。
しかしそんな事は気にせず、大庭を見た瞬間、神在は心底助かった!と言いたそうな顔で携帯を耳から外した。
「ああ大庭、丁度良かった!ちょっと代わってくれないか?」
「は?お前に用がある奴からの電話だろ?俺が出る意味無いだろ」
「いや、相手がお前に代わってほしいって」
「…警察か?」
「ああ」
色々と察した大庭は、問答無用で神在の手にあった携帯をひっぺがえした。
「もしもし、大庭だが」
『おや良かった、代わってくれたのですね。大庭くん』
「…何用だ、震警部」
電話の相手は、加賀瀬尾市警察署の警部、震立夏だった。
何か思うところがあるのか、大庭は彼の声を聞くと、あからさまに嫌そうな声色で対応し始めた。
「用があるんなら俺んとこにかけりゃいいだろうが」
『私も出来ればそうしたかったのですが…生憎と、私は君の番号を知らないので』
「ならなんで神在の番号は…って昼の奴か!」
『ええ。盛艮くんがメモした紙に〔大庭探偵事務所〕と書かれていたもので。まさか助手くんに繋がるとは思っていませんでしたが』
「…今桐月は?」
『桐月くんですか?別件で今居ませんが、それが何か?』
大庭はタイミングの悪い男だな!と心の中で桐月に対し舌打ちした。
「…いや、いい。で、用件は?わざわざ俺に代わったという事は、俺にしか分らない事や俺にだけ聞かせたい事なんだろ?」
耳をほじりながら、気怠そうに大庭は震の言葉を待った。
『そうですね。ところで、あの少女はまだ眠っておりますか?』
「…いや、さっき目が覚めた。恐らく落下時の恐怖で記憶を失ったようだ」
『そうでしたか!いやはや、さっきの助手くんはあまり覚えていないようだったので、大庭くん本人から聞けてよかったです』
大庭は一旦携帯から耳を離し、そばに居る神在に「お前話聞いてなかったのか?」と、呆れたトーンで尋ねた。神在は汗だくでバツが悪そうにそっぽを向くだけだった。
「…まあいい。お前が俺に代わりたかった理由ってのは、俺の見解が知りたいだけって事がよーく分かった。別にそっちが情報を掴んだとかそういうのは無いんだな?」
『そうですね…うーん、これが有益な情報であるかは些か疑問ではありますが…いいでしょう、お伝えします』
「なんでもいいからとっとと教えろ」
『ですが教えるからにはそちらの情報と見解をこちらにもお教えくださいね』
「分かってるから早くしろ」
『ええ、ではそうですね…大庭くん、警察署によく来る名物お母様の事を知ってますか?毎度娘がいなくなった、誘拐だとヒステリックに騒ぎ立てる方でして、一か月に十回くらいの頻度で来るんです』
「ふーん、知らね。ん、今その話題を出すという事は、今ソイツが署に来てるんだな。…まさか震お前、ソイツがあの少女の母親とでも?」
だとすると、相当早い段階で喚いている事になる。あの少女は昨日の夜中に家を抜け出し、そのまま今日の昼まで帰ってきていない…というのが大庭の見立てだ。
いくらなんでも早すぎるし、もし本当に震の推理通りだとしても神経質が過ぎる。
(過保護な毒親ならあり得る…のか?)
何にせよ、現状では情報が少な過ぎる。今結論つける事はないだろう。
『いえ、とくにそういった考えはありません。日常茶飯事ですので。なので、本当に取るにたらぬ情報です』
「…後で確認の為にそっちに行く。それで、そのお騒がせお母様の名前は?」
『水仙納琥珀さんというそうです』
水仙納という名前に、ぴくりと大庭の眉が動く。
確か、真城が探す友達の苗字が、水仙納ではなかっただろうか。
(…そういや真城は、推測…いや、恐らく聞き及んだだけの噂として知っていただけなのだろうが…何故、『水仙納和椛』が自殺したと知っていた?)
よく考えればおかしい。
誰かが『水仙納和椛』が自殺した場面を見ていたのだろうか?それとも、誰かが故意に少女を海に突き落としたのを、自殺と偽って真城の耳に届くように仕組んだのか?
…もしかしたら、この事件には何か重大な裏があるのかもしれない。
『あともう一つあるのですが』
「いい。今からそっちに行く」
『おや?そうですか。では、待っていますね』
すぐに大庭は電話を切り、携帯を神在に返しながら「ちょっと署に行ってくる」と言って駆け出してしまった。
「おいコラ病院は走るなー」という神在呆れたツッコミでは彼は止まらなかった。
「…ホント、身勝手だよなぁ」
ため息を吐きながら、神在は病室に戻っていった。
「おや、随分と早かったですね」
「そりゃあ走ってきたからな」
軽く息を弾ませながら、警察署に到着した大庭は、震の悠々とした態度を睨みつけながらも、彼の質問に応えた。
少し息を整えて、大庭は話を切り出した。
「で?件のお母様ってのは?」
「ああ、あちらの会議室です。意外にも『貴女に会いたい方がいる』と言ったら留まってくれました。失礼ですが、話は通じないのかと思っておりまして。今は霜先くんにお目付役をお願いしております」
二人は警察署一階の廊下を歩き、その場所にたどり着いた。扉を開け、その近くにある椅子に座る、水仙納琥珀を見つけた。
彼女の髪は、日本人にしては珍しい、緑に光る銀髪で、一瞬あの少女を彷彿とさせた。顔は、似ていると言われれば似ているなと思える程度である。
「あ、お疲れ様です警部」
「そちらこそお疲れ様です、霜先くん」
彼女のそばにはスーツを着た刑事が控えており、入ってきた震を見てぺこりとお辞儀をした。
「もしかして琥珀さんに会いたい人って、睦月くんなんですか?久しぶりですね!」
「おお、久しぶりだな兌吉」
「…お知り合いでしたか」
「高校ん時の同級生だよ。で?アンタが水仙納琥珀さんで合ってんだよな?」
そばで値踏みをするように大庭をじろじろと見つめていた琥珀に、大庭は顔を近づける。
いきなりグイッと距離を縮められ、驚きと戸惑いと恥ずかしさで琥珀は「キャッ」と短く悲鳴を上げた。
「そ、そうですけど…貴方は誰なんです?私に会いたいと言うからには、何か知ってるんですよね、娘の事」
「まあそう焦んな。それっぽい子は見つかっているが、確証はない。それに俺はまだお前の事をよく知らん。あと、震が電話で言いかけたもう一つの情報も聞けてねぇし、俺の見解と推理も話せてねぇ。だからとりあえず話し合おうじゃねぇか。ここに居る全員で、な」
その言葉に、その場にいる全員が同意した。
§
「そういえば真城ちゃん。誰から聞いたの?和椛さんの自殺の事」
病室で、神在は真城に声をかける。
その問いに、真城はキョトンとした顔で、さも当たり前かのように「友達ですよ」と答えた。
「あ、ええと。私もよく知らないのですが、私って“次の日の私”の為に重要だと感じた人や場所、大事な事だと教えられた事を体にメモしているんです。そこに書かれた名前として、彼女の名前と、クラスメイトの末原葉月さんと卯月玉翔さんの名前があったんです」
「なるほど、その3人が自分にとって大事な人…つまり友達だと気づいたわけだ」
「はい。それで、『学校』に着いたら『和椛さん』が居ない事に気づきまして…って、あ、その、名前と一緒に、『今日の私』が分かるように特徴も書いているのですが、それで気づいて…」
「…その和椛さんの特徴って?」
特徴も記しているのならば、この子が本当に水仙納和椛であるか無いかが分かるかもしれない、何か進展するかもしれない。そう思ったが故の質問であった。
真城はその質問に、内股に書かれた文字を見ながら答えた。神在は顔を少し赤くしつつも、慣れたのか目を逸らすことはしなかった。
「ええと…『白くて長い髪を束ねている女の人』って書いてありますね!」
ちら、と少女の方を見る。髪は束ねられていない。髪の色もどちらかと言えば灰や銀色に近い。いや、見方によれば白に見えなくも無い…か?
「うーん、何にせよアバウトすぎて…」
「す、すみません…!昔の私がすみません!」
「いやどういう謝り方…?でもなんでその友達二人は『和椛さんが自殺した』って知ってたんだろう?」
うーん、と二人で同時に頭を傾げる。
だが、二人の中には答えは生まれなかった。
「…重要なのは、心理状態だよ。って言ってもましろんは知らないのか、かばっちの普段の様子」
ぱたん、とさっきまで読んでいた本を閉じ、刈眞が話に入ってきた。
「しんりじょうたい…ですか?」
「そ。どういう環境に置かれていて、どういう事に悩んでいて、どこまで追い詰められていたのか。生い立ちなんかも関わってくるかな。それらを情報として推理すれば自殺の理由なんてのは分かりそうなもんだけど」
「……それが出来ていたら苦労はしないけどな」
刈眞がさらりと言った主張に、神在がムッとした顔で反発する。大庭の悩みを直に見て聞いている彼にとっては、その言葉は許容できないのだ。
「『特定できる』とは言ってないぞ?あくまで『推測止まり』だ。その推測に対する答えは本人にしか分からないし、僕らが生きている限り絶対に辿り着けない領域だよ」
冷静で真面目な声色で刈眞はそう返し、神在の瞳を探るように見つめる。その視線で全てを見られているような気分になり、神在は気持ち悪くなった。そして何か分かったのか、刈眞はパッと視線を外した。
「…なんだよ、人の顔をじろじろと」
「いや、別に。ところでましろん、日記とか今持ってたりするかな?」
しかし、言ってから彼は気づいた。真城は、手ぶらであると。
「あっごめんなんでもないわ、忘れて」
「いえ!大丈夫です!えと、日記内容全部覚えてるので、教えましょうか?」
「……は?」
衝撃の言葉に、刈眞の時間が停止する。
日記内容全部を覚えているなんて、どんな記憶力だ。いや、何日分の日記があるかは分からないが。もしくは覚えやすい言葉で書かれていたかもしれないが、だがやはり日記などという“覚えなくてもいいもの”を『全部』思い出せるなんて。恐怖すらも感じる。
そんな驚きが駆け巡っていく。
「うーんと、この話の流れでいくと、和椛さんの事が書かれた日記の内容を言えばいいですか?」
固まった刈眞など知らず、左上に目線を向けながら、真城が首を傾げる。
もうどうツッコめばいいか分からず、刈眞はまた固まってしまった。
「……刈眞さん?かるまさーーーーん?」
硬直する刈眞にやっと気づいた真城が、首を傾げながらゆさゆさと刈眞の肩を振る。首が据わってない赤子のように、ぐわんぐわんと三回くらい揺られてハッと刈眞は我に返った。
その様子を神在は(漫画みたいな反応するなコイツ)と、冷めた視線で見つめていた。
我に返った刈眞を見てホッとした真城だったが、よっぽど話したいのか、質問に対する答えを貰う前に暗唱を始めてしまった。今日の真城は特に圧というか押しが強いようだ。
「——と、いう事らしいです」
「な、るほど…?」
日記の記述を一通り暗唱してもらったが、日記がそういう書き方なのか、真城の説明が下手なのか、あまり頭に入って来なかった。
「5/26 13:00 和椛さんと話す」「5/30 7:55 通学路で和椛さんと会う」「6/1 12:50 玉翔くんと末原くんと和椛さんでご飯を食べる 珍しい?」…といったまるでスケジュール帳のような説明に、刈眞は頭を抱えた。
「…確認なんだけど、今言った事全部日記に書かれてる事そのまま言った感じ?」
「そうですね!そっくりそのままです!」
「あ、そなの…」
刈眞は凄いなぁこの子…と、もはや諦観していた。彼はさっきまで「分かりやすい子だな」と微笑ましく分析をしていたが、此処に来て真城のことが分からなくなっていた。
「え、えーーーと。会話内容とかは覚えてない?」
「書かれてないので…そうですね!でもなんとなくなら察することができる気もしますが!」
「…?もしかして忘れてるの?」
「あれ?言ってなかったですっけ。私、記憶喪失なんですよ!」
弾けるような笑顔で真城はそう告白した。
神在は今更な告白に「アイツ分かってそうな顔してたのに!」と思ったが、口の中に飲み込んだ。無駄な争いはするべきでは無いと思ったからだ。
「ええと、じゃあ想像ですが言いますね!」
「えっいやいいよ!ちゃんと覚えてる子に聞きにいくよ!」
「え…あ、そうですか…」
「ちょっと残念そうな顔しても無駄だかんね?!罪悪感くすぐろうとしても駄目だから!」
真城の可愛らしいしょぼんとした顔を、見ないようにしながら刈眞がそう叫んだ。つまり動揺しているのだ。
「聞きにいく、という事は外に行くのですか?」
「そだねぇ。何か君のことについて分かるかもだし。あ、もしかして一緒に行きたい?」
刈眞の問いに、少女はうなずく。好奇心なのか、何かを期待しているのかは不明だが、目にほんの少しだけ光が宿っているように見えた。
「んー…、そだね。よし、一緒に行くか!」
「「えっ?!」」
コンビニ行くか!と言うくらい軽く提案され、少女と神在が驚いた声を上げた。
「いや待て、そんな簡単に外出ていいのかよ?!」
「ちゃんと外出許可取るしー。あと僕も一緒に行くから大丈夫っしょ」
「え?!お前本当に外出ていいの?!医者だろ?!」
「……」
神在の質問に答えようとして、刈眞は言葉を詰まらせた。その視線は右上に向かってる。
その様子を不審に思った神在が彼の顔を睨みつける。
「いやだなー、そんな顔しないでよ。ただちょっと僕ってワケアリ医者でねー、許可さえ貰っちゃえば患者さんと同じで外出できちゃうんだよ。それをどう伝えようか迷っただけさ」
「…本当か?」
「はぁ…別に信じてもらえなくていーよ。さ、そうと決まればさっさと手続きするよー。ファニー、立てる?」
「え、あ、はい!」
神在の事などどうでもいいと言わんばかりに、刈眞は少女に向き直り、手を貸した。
少女はやはり歩き方を忘れてはいないようで、刈眞の手を借りずとも普通の速度で歩く事ができた。
「おっと…まあそっか。トイレについてわかんだもんね。よし、ならとっとと外に出ようか!神在くんはここで待っててー」
「…留守番って事か?」
「ま、そだね。だってむっちん帰ってくる可能性あるだろ?」
「…そうだな」
「随分しおらしくなったねぇ。まあいいや。あ、ましろんどする?」
「え?!行っていいなら行きたいです!!」
「お、いいねぇ、行こうか!」
「わーい!」
無邪気に万歳をする真城を見て、「元気だなぁ」と神在は諦観の笑みを浮かべる。
「んじゃあいってくんねー、むっちん帰ってきたらシクヨロ」
「はいはい、分かってるよ。いってらー」
そうして神在は三人を見送ったのだった。
真城は二人の様子に(仲直りできたのかな?)と思い、ちょっとだけ嬉しくなった。
「ところで、何処に行くんですか?さっきの話の流れなら詳しい子に会いに行くみたいな感じな気がしましたが!」
手続きを済ませ、一時間だけ自由になった彼らは、病院を出て活気のある街の中心の方へ来ていた。
ファニーは初めて見る街の景色に、きょろきょろと顔を動かしていた。
「うーん、そーだなぁ。ましろん、さっき言ってた子たちの住所…いや、住んでる場所って」
「分からないです!!!」
「うんまあ知ってた。だよね。それじゃあ…うん。ファニー」
刈眞に呼ばれ、ファニーはこちらを振り返った。
彼女は、キョトンとした顔をしていた。
「どっか気になる場所ある?」
「ええと…」
「って言ってもわかんないか。じゃあ街を見て何か思い出した事はあるかな?」
「…いえ、特には」
「そっか。うーーん、ならどしよっかー。ましろんの行ってる学校行ってみる?って思ったけどましろんが下校してるなら居ないよねー、その…ヅッキーくんとぎょくちん」
「えーと…誰ですか?それ」
「んー?なんだっけ、ほら…君のお友達の」
えーと、と唸りながら、刈眞は漫画みたいな大量の汗を流す。その視線は左上を向いていた。
「ええと…末原くんと卯月くんですか?」
「そうそうそれそれ!彼らって部活やってたりする?」
その質問に、真城の動きがピタリと止まる。刈眞はアレッ禁句?と焦ったが、すぐにパンクしたかのようなキョトンとした顔で、こてんと首を傾げ「ぶかつ…?ってなんですか…?」と問われてしまった。
「ゔーんそっからかー。あでも、てことはだよ?帰宅部って可能性は高いね?ヨシ!何もよくないけどヨシ!!」
もはやヤケクソのように、刈眞は天高くガッツポーズをした。
「…とりあえず、海と学校でも目指して歩いて行こうか」
「えっ、海ですか?!ファニーさん、行っちゃって大丈夫なんでしょうか?!」
驚きの目的地に、思わず真城が声を上げた。神在が居たら「無理矢理記憶を戻すのはダメだろ!」とツッコマれそうなものだが、真城はただ「また落ちたりしませんかね?!」という心配からの質問だった。
「んー、まあ平気でしょ」
「軽いですね!!まあ私も気になるので行きましょう!!」
「よーし、しゅぱーつ」
「おー!!!」
真城と刈眞が、楽しそうに手を上げた。
ファニーは少しこのテンションについて行けていないようだった。