case4.怪物に殺された少女-1
「本を閉じるように、自分の人生が終わればいいのに」
その少女はポツリ、そう呟く。
そして。
手に持つ一冊の本をパタリと閉じて。
崖より先の、綺麗な水平線を眺めて。
幸せそうに笑って。
そのまま。
落下した。
紅に咲き誇る月と〜松の章〜
『自殺探偵』
case4.怪物に殺された少女
晴れやかな天気。
何かが起こりそうなポカポカ陽気な気候。
少女・夜宵真城は、るんるんと上機嫌で探偵事務所へ向かう道を歩いていた。
今日は土曜日。
学校も休みなので、今日は一日中探偵事務所に居られる。そう思うと、嬉しくてついウキウキしてしまうのだ。何故こんなに嬉しくなるのかは分からないけれど。
その答えを確かめるためにも、彼女は探偵事務所への足を早める。
——そう。
「ぬぉお!!!急がねばぁぁぁぁ!!!ぶべらっ」
「えええっ?!」
今日は土曜日。
何かが起こりそうな、晴れやかな青空。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですか?!顔からすっ転びましたけど?!」
「だ…だいじょぶじゃ…うん……だが立てぬ故、お主ちと手を貸してくれぬか?」
「え、あ、はい……」
何も起こらないはずもなく。
「すまんの…迷惑をかけた。っと!妾は先を急ぐ故、ここでさらばじゃ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!何処に行くんですか?!あ、えっと、なにか私に手伝える事ありませんか?!」
「む、そうじゃの…とりあえず、自殺探偵とやらの事務所まで案内しとくれ!」
少女は。
いや、探偵たちは。
「ええ?!行き先知らないで走ってたんですか?!というか方向逆のようですが!?」
「うう、うっさいわ!!!さっさと案内せい!!」
「わ、分かりました!」
今日もまた。
事件に、巻き込まれるのである——!
数分後。
「はぁ…いい迷惑だ」
「そ、そんな事言わないでください!」
探偵事務所の椅子に腰掛け、退屈そうに頬杖をつくのは大庭。
その正面に座るのは、真城と先ほど助けた女性。
「俺はな、自殺が絡まねぇと動きたかねぇんだ。お引き取り願おうか?」
「まだ要件も言っとらんわ!ハッ、まさかとは思うがお主…人を見た目で判断しおったな?!」
プンスコ、という擬音がつきそうな動作で彼女は怒る。
「いやそりゃそんな小さな女と自殺に何が関係あるってんだ?あ、親が無理心中しようとしてるとか親が自殺したとかか?」
小さな女の子の前で、事実だったら泣き出すだろう事をさらさらとなんの悪気もなしに言う。たぶんこの探偵人の心無いと思う。
神在は漠然とそう考えた。
「…ハァ、ならば言うてやろう。——妾は、自殺した本人の霊じゃ」
「はぁ?」
胸に手を当て得意げにそう言う彼女を、大庭は呆れた瞳で見つめる。
「というのは嘘じゃ」
「んだよオメェ何がしたい」
けろりと笑う少女に、流石の大葉も嫌な顔をする。神在は「やるなこの子」と心の中で感心した。
だが少女はすぐにスッと真顔になり、こう言った。
「妾がここに来ようと急いでいたのは、誰かが崖から落ちたのを見たからじゃ」
「なに……?」
ガタッと音を立てて大庭は思わず立ち上がった。
「それはいつの話で何処で見た?!」
「落ち着け」
興奮する大庭を、神在がその一言だけで宥める。
それに従って探偵はストンと腰を落とす。座った後も早く現場に行きたいのかウズウズと体を小刻みに揺らしていた。
そんな二人の様子に、少女はなぜかニヤニヤ笑いながら見守っていた。
そして不意に少女は席を立った。
「——そうさな。急ぎ案内する故、着いて来るが良い」
口元に笑みを浮かべて、少女はととと、と可愛らしい音を立てて玄関へと向かっていく。
その行動に呼応するように、大庭も席を立ち追いかけて行く。
「よし分かった。行くぞ神在、真城」
「お、おいまだ詳しく聞いてねぇだろ!とりあえず嬢ちゃんのお名前をだなぁ?!」
唐突にことが進み戸惑う神在に、大庭は「お堅い頭だことで」と呆れる。
それに反応して真城が「おつむってなんですか?」と聞いた。
大庭がそれに答える前に、少女が口を開いた。
「まぁた見た目で判断されたような気もするがまあよい。時間もないしの。妾は、そうじゃな…レイア、と呼ぶが良いぞ」
そう言いながらも彼女—レイア及び他二人は先へ先へと進んでおり、置いてかれる危機を感じた神在は、慌ててその後を追った。
レイアは神在がついてきたのを横目で確認したのち、すぐに急ぎ足になった。
3人が驚いたのは言うまでもない。
そのままレイアは、この間長春家事件が起こった時、大庭が通っていた南風田市へ向かう海沿いの坂道へ走っていく——
——と、大庭や神在はそう思っていた。
彼女は2人の予想とは全く正反対の、鶏鳴町へと向かって行った。
「お、おい!そっちに崖なんてないだろ?!海もねぇし!!」
鶏鳴町は岳葉市まで伸びるほどの大きな紅月山がトレードマークで、海に面する場所は夕顔町より少ない。
そもそも、この地域で海に面した崖などというものは、先ほど言った南風田市へ向かう坂以外に無いのだ。
「馬鹿かのお主!!誰が海だなんて言うたか?!妾は崖としか言うとらん!!」
「だが自殺であれば海であるのが妥当じゃねぇのか?!」
「知らぬわ!!妾に自殺の事を聞くでないわ!!それに高い崖じゃからの、それなりに致死率は高いのではないかの?!」
そう言いながら、3人はレイアに連れられ、紅月山の麓にある神社、紅月神社へとたどり着いた。
「こっちじゃ、こっちが近道じゃ!」
着いたと同時にレイアは狛犬の横を通り抜け、売店の前を通り抜ける。
「俺らの事務所に来る前何してたんだよこんなとこで…」
「ところであの犬?の置物ってなんですか?それと門が大きくて赤いのは」
「その辺は後で教えるから!走って真城ちゃん!!あと門の真ん中の道は通っちゃダメだからね!!」
「ええっ?!なんでですか?!待っ…まだもう少し見たかったですー!!」
目を光らせる真城を見かねた神在は、真城の襟首をぐいと引っ張り、真城を走らせる。真城は名残惜しそうに3人に着いて行った。
4人は階段を登り、本殿を前に右に曲がり、整備されてない木々の間を駆け抜けていく。
所々斜面があって走るには危険な場所ではあったが、そんな事を言っている場合ではなかった。
ひたすらに走って走って走った先に、光が見えた。
そこは、まるで。
「わぁ…!綺麗ですね!」
「そう、だな…俺らの街ってこんなに狭かったんだな…」
いつも過ごしている場所が、別世界のように見える、開けた小さな舞台だった。
「おい地平線すら見えるぞ?!高すぎないか?!」
「そうだな…そもそもこんな場所知らなかったぞ」
「ふふん、そうじゃろそうじゃろ!普通そうじゃ、ここは神社関係者しか知らん秘境だからの!」
レイアはドヤ顔で説明する。
しかしすぐに彼女は顔を曇らせる。
「そう、ここは普通知り得ぬ秘境。故に何故ここを知り、どうやって此処に来て、そして何故ここで命を絶ったのか…分からぬ、何もかも分からぬ…」
静寂とともに、冷たい風が4人の間を通り抜ける。
ここに居る誰もが、その疑問を持ち、そして、それについての答えを持たない。
『自殺をした誰か』は、喋る事すらできない死人だ。
大庭はそんな死者が、生きているうちに残したその『声』を聞くべく探偵をしてはいるが、手がかりが少なすぎるのが現状だ。
だから、彼らは黙り込むしかできなかった。
しかし。
少しの沈黙の後に、崖より下を覗いていた探偵は、気づいた。
「おい…おい待てよこれ…!」
「どうした大庭、なんかあったのか?」
「よく見てみろ…
死体が無い!」
「はあ?!」
「なんじゃと?!」
神在とレイアがほぼ同時に声を上げた。
そして、引き込まれるように崖下を覗く。
しかしそこには、ただただ広い緑と遠くに街が見てるだけだった。
「…何も、無い…」
神在は呆然とした声を上げた。
「ああ。何も無いんだ。推定でここから地表は20mある。そんな高さなら死は確実。もし助かったとしても、どっか千切れるか折れるかする。その際に血飛沫は出るはずだ」
「しかしそれらしい色は見つからん、か。じゃが20mもあるんじゃ、肉眼はちと無理があるのではないかの?それに、なにより妾がこの目で落ちたのを見たのじゃ。そこはどうやってごまかすと言うのじゃ?」
「そう、そこなんだ。目撃者はいる、だがその誰かが落ちて死んだという証拠がどこにもない。いや、あるはずの物が無いんだ。
…ふっ…これは…盛り上がってきたなァ…!」
唐突に探偵がニヤリと微笑む。
その悪そうな顔に、レイアは固唾をがぶ飲みしたのは言うまでもない。
「とりあえず下に降りて、実際にどうなってるかの確認を——」
そう言いながら、先ほどの道を引き返そうとする探偵。
しかし。
「あ、いやーその必要はないです!」
そう言いながら、こちらへ向かってくる人影が一つ。
「だってボク、死ねなかったからね〜」
困ったように笑いながら、その影は姿を現した。