case3.黄金色の盞は悲嘆の涙を咲かす-2
桐月刑事のメモを見ながら読み進めると分かりやすいかもしれません。【https://www.pixiv.net/artworks/77658831】
「………根拠はなんだ?」
あくまで冷静に桐月はそう尋ねる。
内心ではかなり動揺してたりするのだが、この探偵にそれを悟られてはならない、という謎のプライドから表面だけ取り繕っているのだ。
「…その心は?」
「お前が根拠無しに自殺などと決め付けるわけがなかろう」
「んー、まあそうだな。確かに。じゃ俺がおかしいと思った根拠をお望み通り教えてしんぜよう」
いたずらに笑って、探偵は説明を始めるのだった。
「まず机の上に置いてある薬の殻だが、コレはマイスリーだ」
大庭はそう言いながら机に向かい、PTP包装を摘まみ上げる。
「マイスリー…?」
「一般的にはゾルピデムと言われているな。即効性を期待できる睡眠導入剤だ」
大庭は摘んでいたソレを桐月に投げつける。
しかし軽いために桐月に届かず、途中にある死体の上に落ちる。
「なるほど睡眠薬か…しかも即効性、ということは死の恐怖を和らげるため…か?」
「俺はそー考えてる。んで、次の根拠は不自然な椅子と傷、そして血飛沫だ」
ごろん、と足で大庭は死体を転がす。
勝手に動かした故に検視官が怒っていたが、大庭は特に気にしていないようだった。
「この倒れ方ならまず後ろから刺されたと思うだろう。だが背中にそんな傷はねぇ。とすると犯人が窓側にいて、彼女は刺された後に前へ倒れた、と推測できる。が、そうすると今度は椅子の存在が邪魔だ。この倒れ方だと直立した椅子越しに殺したことになる。何故椅子を倒さずに殺した?椅子をその辺に転がしておいた方が確実であるのに」
またも大庭は足で椅子を転がす。
と思えば足に椅子を器用に引っ掛け、その場に直立させる。
その流れるような動作が美しすぎて、今度は検視官も何も言わなかった。見とれてしまったのだ。
「…これは目測だが、この椅子は恐らく彼女の胸の位置と同じか少し低い高さだろうな。そんなものを挟んで普通殺しをするか?凶器を投げれば可能かもしれんが確実性がないしそれなら後ろ向きに倒れるからな。そんでもってあとは血飛沫だが…」
そう言いつつ、大庭は先程立たせた椅子の前に立った。
その床は若干汚れてはいたが、比較的綺麗である。
「恐らく、包丁かなんかを背もたれに引っ掛けて、前へ倒れたんだろう。即効性の睡眠薬使ってっから、ホントに布団ダイブみたいな速度だろうな。速度がありゃ飛沫も飛ぶ。ここで他殺の場合なら犯人のいたところに飛沫は無い。だが、今回のコレは椅子にも床にもどこもかしこも赤、赤、赤!だ。おかしな話だろう?」
皮肉めいた笑顔で大庭は、トン、と目の前の背もたれを押す。
すると椅子は、バタンと音を立てて前へ倒れていった。
乾ききっていない赤を飛ばしながら。
「しかも、窓へ向かって謎の赤い線が有るのもおかしな話だ」
倒れた椅子の後ろへ回り込み、先程睡眠薬の話題を出した時と同じところにしゃがみ込んで床をなぞる。
そこには窓へ行くにつれて細くなる乾いた赤い線が伸びていた。
「…だから俺は、この事件を自殺だと推測した」
「……なるほどな。だがそれなら凶器は何処へ行ったんだ?」
しかし大庭は桐月のその質問には答えずに、現場の一室から出て行ってしまった。
桐月はその後ろを追う。
「おい大庭?」
「興味ない」
「は?」
「…俺が興味あるのは動機だ。トリックとかそーゆーのはサツであるお前が調べろ。わかったか?うるさい刑事」
それだけ吐き捨てると大庭はさっさとバリケードテープを越えて行ってしまった。
桐月は流石にそこまでは追えなかったため、めんどくさそうに頭を掻きながら、持ち場へ戻って行った。
「…っはあ、やれやれ。では動機は頼んだからな?自殺探偵」
誰に言うでもなく、桐月はそう呟いた。
――――――――――――――――――――
「さーてと。まずは長春家について調べねぇとな」
大庭はそう呟きながら、白衣の内ポケットから一つ昔の携帯電話、つまりはガラケーを取り出して何処かに電話をかける。
数分の呼び出し音の後、誰かが電話に出る。
「……あ、神在か?すまねぇないきなり」
『いやうん、お前今どこだよ』
「まーその辺は置いといて。お前長春家ってわかるか?」
『は?長春家??んぇーと……アレだよな、おっきい屋敷のところ、だよな』
「おう。お前も知らねぇなら俺が帰るまでに調べといてくれ」
『は?いやおま』
「そんじゃ、頼んだからなー」
電話の向こうの神在はまだ何か言いたげだったが、大庭は一方的に通話を切った。
(さて俺はどうしたもんかな)
喧騒を抜け、電車の線路沿いに歩いていく。
先程ここまで来るのに使った道とは別の道だ。先程の道は海が見える涼しくて静かな場所だが、今通っている道は人々の話し声が飛び交うある意味人間らしい場所である。
そうして歩いて暫くすると、駅が見えて来る。
駅の前に大通りのような道が続いているので、そちらへ渡る。
渡ってすぐのところに、大庭の目的地が見える。
「さてと、俺も事情聴取すっかなぁ」
そう言って、建物の中へ入っていく。
その建物の名は、加賀瀬尾警察署である。
大庭が入ると同時に、青い顔をした女性とすれ違った。
その様子から彼はすぐに彼女が誰なのか分かったらしく、すぐに振り返り彼女の肩を掴んだ。それにかなりびっくりしたらしく、彼女は「わあっ」と声を上げて小さく跳ねた。
「驚かせてすまねぇが…アンタ、長春さん…だよな?」
その声に彼女は、振り返り、怯えた様子で大庭の瞳を見据えていたが、暫くすると肯定するように一つ、瞬きをした。
――――――――――――――――――――
「さてと……トリック、ねぇ…」
大庭が出て行った後の長春屋敷。
死体を安置所へ送り、桐月と数名の警官と鑑識以外誰もいなくなったこの場所で、桐月は1人悩んでいた。
大庭が「自殺だ」と断言する。
しかし部屋を探し回ったが、凶器らしきものは発見されなかった。
ならばどうやって——?
(それに、何故こんな紛らわしい死に方を?)
ただの自殺であったのなら、ここまで大事にならなかったはず。
何か伝えたいことがあるのか。
先日起きた殺人——女性が胸に傷を受けて、且つ、何か(この事件の場合は花瓶であった)を下敷きにしてうつ伏せで倒れている、という事件だ——と似ているのも何か引っかかる。
(まあその辺は大庭がなんとかしてくれるだろうが…しかし…)
現状、何も手がかりがない。
外に何か落ちていないか鑑識と数名の警官が探しているが、まだ報告はない。
第一発見者は母親であるが、かなり動揺していたため、きっと何も知らないのだろう。…彼女には頼れない。
ちなみにただ1人、桐月だけこの部屋に残ったのは、一つ気になる事があったからだ。
その気になる事を確かめるため、桐月は歩みを進めていく。
そうして彼がたどり着いたのは、方肩だけ外れたカーテンの前だった。
「…順当に考えれば“荒らされた部屋”に見せるため、だよな」
そのための倒された本棚、だろうし…
そう思いながら、少しカーテンに触れる。
すると、とある事に気づく。
「…窓が、開いてる…?」
薄く、しかし何か刃物——包丁あたりだろうか。それが通れるくらいの隙間が開いていた。
ガラッと窓を開けて周りを見渡す。
川を挟んですぐそこに、噂の水車があるようだ。
しかし窓の外にそれらしい凶器は見つからなかった。——と、いうところで、バタバタと騒がしい音を立てて1人の警官が部屋へ入ってきた。
「なんだ騒々しい。また大庭でも来」
「違います桐月刑事!!川を浚っていたらこんな物が!!」
「…ッ!!」
その警官が持っていたのは、
一本の、包丁だった。