バレンタインデー
2月ならまだバレンタインなんだよ
バレンタインデー。
日本においては女性が意中の男性にチョコレートを贈る日となっている。
――とはいっても本命のチョコレートをもらえるのはほんの一握り。ほとんどは日ごろの感謝を込めて渡す義理チョコだ。
だがそれでも、夢をあきらめきれない清き男子生徒たちは平静を装いつつチョコレートを待ち続けていた。
「同志鈴木よ、我はこの日を待ち望んでいた。学校中の女子生徒が我にチョコレートを捧げるこの日を!」
「あ、ああ……」
竜一は昼休みになった瞬間クラスに飛び込んできた蚊藤と一緒に昼食を食べていた。
蚊藤は目を血走らせ、鼻息を荒くしながら首をきょろきょろと動かしている。
痩せ気味な彼の風貌も合わさりかなり怖い。
そのため誰も近づいて来ようとせず、賑わう食堂でありながら二人の周囲は閑散としていた。
「かかか! 我の心はいつでもウェルカムなのだが、どうやら恥ずかしがって渡しに来れないようだ」
(そのメンタルの強さだけはうらやましい)
「さあ我はここだ! いつでも我にチョコレートを‼」
食堂で一人叫び続ける蚊藤は絶賛注目の的だった。
女子生徒の好感度が目に見えて下がっていることに彼だけが気づいていない。
あまりにも恥ずかしい状況だが、こんなやつでも大切な友達なので竜一は一緒にいることを選んだ。
蚊藤の肩が叩かれる。
「ほうら来たあ!」
蚊藤は笑顔で振り返る。
そこに立っていたのは蚊藤の望んでいた女子生徒などではなく、食堂のおばちゃんだった。
蚊藤の顔が青白く染まる。
対するおばちゃんは満面の笑みだ。怖い。
「すすす、すみませんでしたぁ……」
頭を床にこすりつけ、許しを請う蚊藤。
しかし残酷にもおばちゃんは無言で首を横に振る。
そして絶望の表情を浮かべた蚊藤の手をつかむと、生徒指導室に向かって歩き始めた。
こうなってしまえばなすすべがない。彼は浮かれるあまりパンドラの箱を開いてしまったのだ。この後待っているのは先生によるながーいお説教だろう。
「助けてくれええええ鈴木いいいい!」
竜一は心の中で合唱した。
――――
放課後になり、女子生徒がいそいそと帰宅準備を進める中、チョコをもらえなかった男子生徒たちは灰のように白くなって机に突っ伏していた。
その能面のような表情の内は血の涙で染まりきっている。
チョコを渡さなかった女子生徒たちへの憎悪と自身の無力さに対する自己嫌悪で心が壊れてしまったのだ。
しかし人間の心は複雑であり、ありていに言えば都合のいいもの。今日の出来事は明日になればきれいさっぱり忘れていることだろう。
ぼっちであった竜一も本来ならこの中に入っているべきだ。しかし竜一の前には二人の女子生徒が立っている。
どちらも高校においての高嶺の花。はるか遠く、別世界から来たような美少女だ。
「す、鈴木君……はいこれ」
そのうちの一人、土屋氷がハート形に可愛くラッピングされたチョコレートを差し出す。
受け取った竜一の頬もほんのり赤くなる。
氷の頬はそれ以上に真っ赤に染まっていた。
「鈴木君を想って一生懸命作ったの。受けとってもらえると嬉しい」
「もちろんいただくよ。ありがとう氷さん」
「ヘイ! 鈴木竜一! 私からもチョコレートをあげよう!」
もう一人の少女、土屋火富のチョコレートは氷とは対照的に包装は荒い。
だが指に貼ってあるいくつもの絆創膏から、不器用ながら頑張って作ったことが察すことができる。
「火富さんもありがとう。うれしいよ」
「喜んでもらえて何よりさ! ……えへへ」
眼前で繰り広げられる光景に男子生徒たちから血の涙があふれ出す。
そんなことは露知らず、三人は甘い時間を過ごした。
一方、幸せとは程遠い男がここに一人。
先生にたっぷり叱られ、今日一日意気消沈していた蚊藤だ。
学校での浮かれ具合は見る影もなく、一人夕日を背に歩く姿は哀愁さえ感じさせる。
「畜生、なんで誰からもチョコがもらえないんだ?」
零れる言葉は空を切り、誰の耳にも届かない――はずだった
「あんたみたいな変人に渡すもの好きなんていないわよ」
それは蚊藤にとって救済だった。
自身にかかる女性の声。家で待っている母親以外でチャンスはここしかない。
すがるように振り向くが、その表情はすぐ落胆に変わる。
「なんだ香取か」
「なんだとはずいぶんな言い方ね」
香取と呼ばれた色鮮やかな金髪を肩まで下した少女。
目つきはやや鋭く、小心者の蚊藤なら逃げ出してしまいそうな風貌なのだが、物怖じすることなく話している。
そう、二人は幼馴染なのだ。
「俺をあざ笑いに来たのか。笑ったらさっさと帰れよ」
「へえ、そんなこと言っていいの? せっかくかわいそうなあんたにチョコを持ってきてあげたのに」
「まじかよ」
香取はカバンからチョコを取り出し、蚊藤に押し付けるとそっぽ向いてしまった。
その耳はほんのり赤く染まっている。
「か、勘違いしないでよね。ただの義理チョコだから」
「わかっているさ。俺とお前はただの幼馴染――だろ?」
「よ、よくわかっているじゃない。幼馴染だから仕方なく渡しているのよ、ホワイトデーは倍にして返しなさい」
「へいへい、わかっているさ。それじゃあな」
何事もなかったかのように二人は別れる。その後、蚊藤がいなくなったのを見計らって頭を抱えるのが香取の日常だった。
(私の馬鹿―! 好きって素直に言えばいいのにー!)
バレンタインデーは甘くもほろ苦い。
蚊藤が香取の好意に気づくのはまだ先の話である。
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