プロローグ1
四騎の親衛隊に護衛されピートは帝都イーリアスに到着した。
「これが帝都か!すごいなマーサ」
空の上から一望する帝都の景色にピートは感嘆の声を上げる。
見渡す限りが街。
舗装された大通りが碁盤の目のように等間隔に敷かれ、大通り内の四角い升の中はびっしりと建物が林立していた。
ピートはマーサに降下を指示する。
四、五階建ての建物が狭い小路を挟んで建っている通りに速度を落として潜り込む。
ピートとマーサに気づいた人々は歓声を上げ、大きく手を振ってくれる。ピートも笑顔で手を振る。生き物の感情に敏感な翼犬は歓迎されているのが分かるので尻尾をブンブン振った。おかげで飛行が安定せず蛇行する。
色んな料理の匂い、洗濯用の石鹸の匂い、排水溝のすえた匂い、ユグナシード帝国一の大都市の生活臭を浴びながら集合住宅区を抜けると、広い庭が設けられた、お屋敷と呼べるほど立派な家が余裕を持って建てられている区画に入った。
護衛の親衛隊は高度を保ったまま付いてくる。
ピートは創意を凝らした庭園の景観を楽しみ、ここでも手を振る人に応えて皇宮を目指した。
マーサは何かの木の実に気を取られた。
「殿下、陛下がお待ちの発着バルコニーに案内します」
宮殿から上がってきた親衛隊員がマーサの横にピタリと付いて言った。
口の回りが黒い灰色の翼犬に乗っている。
「分かった。よろしく頼む」とピート。
案内役の親衛隊員が上昇するので後に続く。
平地に建てられているはずなのに宮殿は、段々畑を設えた小山のように高く大きかった。
「あそこです」と親衛隊員は指し示す。
幾つか有る発着バルコニーのひとつに、二種類の旗が二列に列べられ、その間に絨毯が敷かれたバルコニーが見えた。ピートは後に知ったのだが、掲げられた旗は皇帝旗と帝国旗だった。
「殿下だけ着陸なさって下さい。我々は下がります」
案内してくれた親衛隊員はそう言って護衛の四騎に合流した。護衛たちはピートに敬礼すると別の発着バルコニーに向かった。
ピートはマーサをゆっくりと降下させ絨毯から五十センチの高さで一瞬滞空させるとふわりと着地させた。
「騎乗したままお入り下さい」
発着バルコニーで出迎えていた従僕に促される。
広い部屋の中ほどに、見知った人物がソファーに腰掛けていた。
「よく来たな、ピート」
ピートの挨拶を待たずに真っ黒に日焼けした、精悍な顔立ちの中年男性がよく通る声で言った。
一年ぶりの皇帝との対面だった。
陛下は相変わらず声が大きいな。
皇帝は翼犬の体毛で作った灰色のセーターと焦げ茶色の綿のズボンという普段着姿だ。
「引き締まりましたな、殿下」
皇帝相談役のジスモンドも笑顔で出迎える。
ジスモンドは白髪の老人で齢何百歳の帝国屈指の魔術士だ。黒い上着の袖には白の焔柄が刺繍されている。
ピートはマーサから降り立つと皇帝に跪く。
「召喚によりただいま、まかりこしました、陛下」
後れ馳せながら到着の挨拶をする。
台詞はよかったが仕草は予定してたより、ぎこちなくなった。
甲冑を着て練習すればよかった。
「叔父上だ、ピート。これからはわしを叔父上と呼べ」
血の繋がりの無い皇帝は命じる。
「叔父上ですか?陛下」とピート。
「叔父上だ!そこで止めよ。そなたを断絶した皇家の養子にして復活させた。これまでは皇族待遇だったがこれからは正式にわしの甥だ」
ワハハと皇帝はピートの甲冑の上から背中をバシバシ叩く。
皇族待遇と正式な皇族の違いなど、当然ピートは知らないが陛下、いや叔父上が愉快ならそれでよかった。
従僕に鞍と鐙をはずしてもらったマーサは、皇帝の股の間に鼻面を突っ込む。翼犬の甘え方だ。
皇帝はよしよしと額を撫でる。
「ピートには戦に出てもらう。そのために喚んだ。最強の神蓋の力を敵に見せつけてやれ」
この仔はなんというと言ってマーサの顎の下をさする。
マーサはうっとりと尻尾を揺らめかせる。
「マーサです」とピート。
「殿下には二千ほど率いてもらい、戦場の雰囲気と指揮官として責任を体験してもらいます」
ジスモンドが補足した。
「コアクーナのせいで蛮族が圧されてユグナシードの東の国境がズタズタになりました。皇帝陛下としては蛮族の間引きだけでなく、これを機会にコアクーナ魔導国に攻め上がり、バオザポを叩き潰すお考えです」と続けた。
コアクーナ魔導国は近年、周辺地域を急速に併呑して力を着けた国だった。
魔術士至上主義を唱え、魔術士を厚遇し、他国の魔術士の登用も積極的に行っている。そのため魔術士の数はユグナシード帝国を上回る。また、コアクーナの魔導王バオザポは、大陸を制覇すると事あるごとに公言していた。
ユグナシード帝国は今回の蛮族の来襲はコアクーナによる挑発行為と捉え大軍を擁してどちらも成敗する方針だった。
「僕の初陣ですか」
不安と喜びが言葉となって出た。
将として戦場に立つのを夢見てきたが、基礎の学問と武芸を習いだしてまだ一年ほど、兵の命を預かるのは正直重い。
「不安そうだなピート、貴族の子弟とは反応がやはり違うな。貴族の子弟なら、初陣と聞けば栄光に包まれた未来しか想像せんぞ」
庶民出の甥の反応を皇帝は面白がる。貴族の子弟なら初陣を告げれば、瞳を輝かせ抑えきれない歓喜にうち震えることだろう。
「ひとりで戦うのに不安はありません。けれども兵を率いるのは不安です」
ピートは正直な気持ちを言った。
「殿下、蛮族ではなく国を相手取る戦はそうそうありません。殿下の学習が半ばなのは承知していますがこれは奇貨なのです。後々のためにも実地で学んでもらいます」
老魔術士は経験を積むためだと言った。
安定期に入って久しい帝国は、蛮族を打ち払うばかりで、統率された軍隊を持つ国家と永らく戦争をしていなかった。
皇帝としては歯応えのある敵でピートを将として鍛えるつもりであった。
不安はあっても不満はないピートは
「わかりました。謹んでお受けします」と力強く言った。
「よし!よく言った。話は終わりだ。ピート、この部屋を使え。今後のことはジスモンドに連絡させる」
皇帝は話の終わりを告げるとジスモンドと出ていった。ピートはそれを見送り、残った従僕たちにひとりになりたいと告げると、皇帝旗を片付けてひとりにしてくれた。
「まさか、この広い部屋が僕の部屋だとは」
倉庫の中にいるみたいだ。
ピートは甲冑と剣を外すとソファーに座った。従僕が用意しておいてくれた果実水に口を着けた。甘い口当たりに自覚してなかった、緊張が解けてほっとする。甲冑を外したはずなのに体が重く感じる。
傍らでマーサがヌゴゴゴゴーと鼾をかいている。
翼犬の鼾は人を睡魔に誘う。
だめだ、マーサめ。眠い。色々起きてから考えよう。
ピートは少しだけ眠ることにした。
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