恋愛実践録9
「騒々しさが懐かしくて、それが私にとっては幸せと言うか、生きている証、命だったのだなと、私つくづく感じているのです。だから幸せなんか失ってみないと分からないと言うか、人って本当に愚かしい生き物ですよね…」と客が言った。
重苦しい沈黙の後、再び客がホスト亭主に質問した。
「たまに奥さんと喧嘩したりはするのですか?」
ホスト亭主が頷き答える。
「ええ、夫婦ですから喧嘩はしょっちゅう有りますよ」
客が象るように泣き笑いの表情を浮かべ、眼一杯に溜まった涙を拭ってから言った。
「羨ましいですね。喧嘩する程仲がいいと言うじゃありませんか。喧嘩している最中は怒鳴り合ったり、憎しみ合ったり、興奮して、相手の顔も見たくなくて、自分は何て不幸なのだろうと、自問自答したりするのですが、その喧嘩怒鳴り合いも出来なくなると、それは幸せの証、愛の発露なのだなと、私一人ぼっちで伽藍とした家にいて、つい考えたりもしちゃうのですよ」
再びホスト亭主が言葉に詰まり何も言えなくなるのを見計らうように、客が続ける。
「幸せな時は家族全員の喜怒哀楽が常に家中に充満していて、憎しみと慈しみが交互にせめぎ合って、うるさい静寂な時が欲しいと感じるのですが、それが全部無くなってみると、ただただそのうるさい熱さと言うか、騒々しさが懐かしくて、それが私にとっては幸せと言うか、生きている証、命だったのだなと、私つくづく感じているのです。だから幸せなんか失ってみないと分からないと言うか、人って本当に愚かしい生き物ですよね…」