恋愛実践録7
「両親は死んでもういません。兄弟もいないし、私天涯孤独の身ですから…」と客は言った。
ホスト亭主が尋ねる。
「家に帰っても、明かり一つ点いてはおらず一人ポツンとしているだけでは気がおかしくなってしまうでしょう。それならば実家に帰るという手もありますよね?」
底無しの悲しみに埋没して行くような沈黙の後、客がくぐもるような声で告げた。
「両親は死んでもういません。兄弟もいないし、私天涯孤独の身ですから…」
生唾を飲み言葉に詰まりつつも、強引にホスト亭主が再度尋ねる。
「悩み事を相談出来る友達とかはいるでしょう?」
瞬時表情が強張り、ポーカーフェースのままに客が答える。
「いません。私の友達はお金とパソコンやテレビだけです。でもその友達は一方通行で私の寂しさなんか癒してくれません」
間を置くようにホスト亭主が客のグラスにシャンパンを注ぎ足してから、意を決するように言った。
「自分と貴女の擬似恋愛は本気にならないという宣誓の本に執り交わしているわけです。ですからどんなに幻想と云うか虚構の絆を深めても、現実問題辛い別れは待っているわけだし、そのまま寂しさに耐えられると言うか、一人ぼっちで本当に大丈夫ですか?」
客が微笑み毅然とした口調で告げる。
「私は今貴方との擬似恋愛をお金で買っているわけです。前言を撤回すれば、お金は真の寂しさは癒してくれませんが、寂しさを紛らわす事は可能であり、その寂しを紛らわす範囲内で、私はこの擬似恋愛を買ったのだから、畢竟この擬似恋愛が真の寂しさを癒してはくれない事を覚悟の上で、私は宣誓を取り交わしたわけだし、心配には及びません」
ホスト亭主が真っ直ぐに客に視線を据え尋ねる。
「強がり抜きに本当に大丈夫ですか。駄目ならば宣誓を取り下げ、来店も断る事になりますが、どうですか?」
客が毅然とした態度を崩さず、微笑みながらも言って退ける。
「泣き黒子の由来通り、私は涙もろいのですが、泣き崩れたりはけしてしません。だからこの泣き黒子は涙ぐみ黒子であり、私はずっとこの涙ぐましい寂しさに耐え忍んで生きて来たのだし、それに…」
ここで一度言葉を切り、息をついてから客が涙ぐむ目頭を再度指で拭い言った。
「お金で買えるホストは貴方だけではありませんから、心配には及びません。だから宣誓は撤回しません。それだけです」